九‐‐‐‐ 深闇
「どうしようか…」
川瀬の目の前には、コンクリート造りの小屋が建っている。
小屋には鉄製の頑丈な扉があり、その扉は鍵がないと開かない。
第二校舎一階を探索し、死体しかないのと、弥生がいないのを確認した川瀬は、第二体育館へ向かった。
しかし、第二体育館は、廊下や教室とは違って広い。しかも、明かりは手に持っている蝋燭だけだ。
蝋燭一本の明かりで広い体育館を探索するのは骨が折れる。
その時、卓郎が言っていたことを思い出したのだ。
「第二体育館裏の小屋に発電機があって、動かせば補助灯が点くと思う」
補助灯が点けば、いくらか明るくなるはず。ちょうど第二体育館の近くにいるのだ。探索の前に発電機を動かしておこう。
そう思い、第二体育館裏の小屋に来た川瀬であったが…。
鍵がないとどうしようもないな… コンクリート造りのうえに鉄製の扉じゃ…。
思うようにいかないことに、だんだん腹が立ってきた。
「ああ… くそっ!」
川瀬は、扉に一発蹴りを入れた。重い鉄の音が響く。
八つ当たりしてもしょうがないか… 教員室に行けば鍵があるだろう。しかしそれには第一校舎へ行かなければならない。やつらのたまり場へ…。
川瀬の武器は、調理室を探索中に手に入れた、出刃包丁一本。果物ナイフよりはずっと頑丈で頼りになるが、戦うにはどうしても接近戦になってしまう。あの怪力に捕まったら逃れるのは至難の業だ。
できるだけ戦闘は避けなければ…。
とりあえず第一校舎へ行ってみるか。やつらがうじゃうじゃいるようなら何か作戦を考えなければいけない。
今、川瀬は屋外にいる。このまま外回りで第一校舎側へ行って、来客用玄関から入れば、すぐに教員室へ行けるはずだ。
いや、いっそのこと窓から侵入するか。そのほうがより安全だ。
頭の中で何度かシミュレーションする。
教員室の中へは入ったことがないから構造はわからない。そこからは行ってみて考えるしかない。
すばやく行動しなければ命取りになるな…。
川瀬は足早に教員室のほうへと向かう。
教員室へ行くには、第二体育館のすぐそばの部室棟の前、それから生徒玄関の前を通り、川瀬が初め校内に入った来客用玄関の所まで行かなければならないのだが、部室棟の前を通り過ぎる時、何かの視線を感じ、とっさにそちら側へ顔を向ける。部室棟の影で何かが動くのが見えた。
やつらがこんな所にまで…?
面倒なことにならないよう、川瀬は駆け足で部室棟前を通り抜けた。
生徒玄関の前まで走り、振り返る。
誰もいない。追いかけてこなかったようだ。
「ふう…」
安心し、溜め息をついた。
そこから少し歩くと、川瀬が入ってきた校門が見えてきた。
「んなっ…!」
校門の先を見て川瀬は立ち止まった。
道がない。本来そこにあるはずの― 川瀬が自転車を走らせてきた道がそこにはなかった。
ただ深い、深い闇が校門の先に立ちはだかっていた。
気味が悪い… 見ているだけで吐き気をもよおしそうな深い闇。
あそこへ行ったらどうなってしまうのか… あれはあの世の入り口に違いない。
川瀬は闇から目を逸らした。
「自分の目で見てみればわかりますよ」
卓郎の言っていたことがわかった。たしかにこれは自分の目で確かめるのが一番だ。そうすれば誰もここから逃げ出そうなんて考えは起こさないだろう。
誰も逃げ出せない…。
「ここから出ることはできない…」
再び胃がねじ切れるように痛んできた。
大丈夫… 大丈夫… 必ず脱出する方法はあるはずだ。
今、川瀬を励ますことができるのは、ほかでもない川瀬自身なのだ。
川瀬は自分の胸に手を当て、呟く。
「大丈夫… お前は俺が守る… 何も心配することはない」
自分自身に言葉をかける。
俺を守るのは俺自身なんだ。
不思議と落ち着いた気持ちになった。
「行こう」
そして川瀬は闇に背を向けた。
教員室の所へたどり着くまでやつらの被害にはあわなかった。
化け物化が一部だけにとどまったのは不幸中の幸いか。全員が化け物になっていたら俺達はひとたまりもなかっただろう。
学校の外側の窓から教員室の中を覗く。
真っ暗だが、動くものは見あたらない。
「よし」
川瀬は窓に手をかけた。
すんなりと窓はスライドし、内部への侵入を許してくれた。
助かった…。もしも開かなかったらガラスを割って入るしかない。音をたてたらやつらに気付かれかねないからな。
しかし、川瀬が再度中の様子を見ようと、窓から頭を入れた瞬間―
「うお!?」
何者かに後ろ襟をつかまれ、すごい力で中に引きずり込まれた。
そのまま床に叩きつけられた川瀬は一瞬、気を失った。
すぐに意識が返り、目の前の人物に目を遣った。
赤い眼をした女性教員が川瀬の首に片手をかけ、不気味な笑みを浮かべている。
不覚だった…! 死角に一体いたのか…!
初め覗いた時、すぐ横に潜んでいたのだ。
女性教員の左手はしっかりと川瀬の首を床に押さえつけ、そして右手にはボールペンのような物が握られている。
逃れられない…! 女の力でこんなにも…!
ためらいなく振り下ろされた右手首をすばやく掴み、攻撃を阻止するが、今度は左手のほうに力を入れてくる。
「慣れなきゃ生き延びれない… か」
川瀬の右手にはまだ包丁が握られていた。引きずり込まれた時に落とさなかったのは幸いだ。
だが、いざとなった時に腕が動かない。やはりまだ人を殺すのにはためらいがある。
あの時の― 事務員の頭にナイフを突き刺した時の感触を思い出した。
しかし、殺すしかないのだ。生き延びるためには…。
川瀬は強張る自分の右手を無理やり持ち上げた。
一発だ… 一発で急所を仕留めないとこいつは悲鳴を上げ、ほかのやつらに気付かれる。
川瀬はゆっくりと女性教員の右腕を引き寄せ、頭を近づけた。
女性教員は目を見開き、真っ赤な開ききった瞳孔を川瀬に向けている。
川瀬も敵の眼を睨みつける。
「ごめんな」
悲鳴は聞こえなかった。出刃包丁は正確に敵の後頭部を仕留めていた。
川瀬を押さえつけている左手からゆっくりと力が抜けていき、女性教員の瞳から赤い光が消えた。
普通の人間の眼にもどった。今まで何かにとり憑かれていたかのように、その顔からあの化け物の面影は消え去った。
胸に崩れた女性教員をそっとどかし、立ち上がった。足元には火の消えた蝋燭が蝋燭立から抜け、転がっている。
川瀬は再び蝋燭に火をつけ、教員室を見渡した。
やはりここでも何人か死んでいる。
死体は教師が主なようだ。
あまり長居したくないな…
川瀬の頭にホラー映画のワンシーンが浮かぶ。主人公の背後で死体が起き上がり、襲いかかってくるシーン。
「勘弁してほしいぜ…」
まったく、いい演出だ…。無事に家に帰ったらホラー映画でも観てみよう。きっと笑いが止まらないだろう。
そんなことを考えながら鍵を探す。
鍵はすぐに見つかった。
奥の壁のフックがついたボードにいくつも鍵がぶら下がっている。
「ん?」
遠くで<ガラン…>と何かが落下する音が聞こえた。
気にすることはないか。音がしないというのも却って怖い。
再びボードに目を戻す。
重要そうな鍵はいくつか抜けているが、発電小屋の鍵は残っていた。
他に使える鍵はないかと一つずつ確認する。
ぺたぺたぺたぺたぺたぺた…
<ドンッ!>
突然の物音に心臓が止まりかけた。
何かが教員室のドアにぶつかった音だ。
川瀬は二つある内の遠いほうのドアを凝視した。
化け物に気付かれたか!?
<ドゴォン!!>
二度目の音と共にドアは吹っ飛んだ。
「ゴゥおおォおおおおオォォォ!!!!!」
轟音ともとれる低い声が響いた。
突如飛び込んできたずっしりとした黒い影。
人型ではない…! なんだ!?
確認する暇はない。どう考えても味方ではないのだから。川瀬は発電小屋の鍵と、複数の鍵を適当にポケットに押し込み、近くのドアから脱出した。
「グゥオオおおおオおおおオォォォ!!!!!」
教員室から響き渡る轟音と、物がめちゃくちゃに壊される音を振り切るように川瀬は廊下を走った。
十数秒後には生徒玄関から外へと飛び出していた。
背後からはすでに物音は聞こえない。
「な… なんだったんだ…?」
走ってきた真っ暗な校内を見るが、何かが追ってくる気配はない。
今のはいつもの化け物じゃなかった… もしかしたらここには… もっと厄介な化け物が潜んでいるのか? ここは… ここは本当に本物の悪魔の巣窟なのだろうか?
果てしない無力感が川瀬を襲った。
そういえばこの小説の登場人物の名前って「ユウ」が多いよな…(独り言)