⑨エプロン姿の王子様。
変なの、と頭をもたげながら、つぶやいた。梶間は真白のシャツの上に、はでな女物のエプロンを付けている。
「そう? でも、これしなきゃ調理実習させないって、センセイが言うんだよね」
「違うよ。そっちじゃなくて……その、お見舞いってこんな感じなのか……って」
そうか、と梶間が破顔する。笑うと妙に幼い表情になることに、今さらながら気がついた。姫の誘いをするりとかわす彼の姿が、ふと脳裏によみがえる。
「どうしてあたしに構ってくるの?」
梶間は、ぽかりと口を開けた。
「それって、マジで言ってる? ……ああ、そうか。やっぱりなぁ、そういうことか」
自分だけ分かってます、といった風情で梶間は何度も首を振る。
「まぁ、うすうすそんな気はしてたんだけどさ。まさかねぇ」
「だから、何の話よ!」
「それそれ」
梶間は指先をあたしのほうに向け、唇の一端をつり上げた。
「水嶋さ……いいや、花梨ちゃんはまったく変わらないね。眉間にぎゅーって、シワを寄せながら話すの。気が強くて、いかにも正義の味方って感じでさ。……ね。そろそろ思い出してよ、おれのこと。寂しいじゃん?」
頭が混乱した。今のあたしは、正義の味方なんかじゃない。ただの、「なんで水嶋」なのだ。アイリッシュブラウンのひとみが、優しげな光の中で揺れた。
「その目」そっと唇をかむ。「見たことがある、気がする。もしかしたら、ヒ……」
デ、と続けようとしたあたしの唇が止まる。
「カジ君! どこに行ったの? クッキー焼きあがったよぉ?」
甘ったるい声が、廊下を駆け抜けてくる。頭から水をかぶせられたかのように、急に我に返った。梶間のしているエプロンは、調理実習のたびに姫がこれ見よがしに付けているブランド物の一品だ。
「姫が、探してる」
それでも梶間はまるで構わず、あたしから視線をそらさない。
「花梨ちゃん。もしかしたら、の続きは?」
「そんなことより、姫が……」
ベッドサイドにしゃがみ込んでいた梶間は、深いため息と共に立ち上がった。
「あ……」思わず声がもれた。「あの、ありが……とう」
梶間はもう振り向かない。
「いいよ、水嶋さん」
あたしに大きな背中を見せたまま、よそよそしく「それじゃあ」と短く言い添えた。建てつけの悪い引き戸を抜けて、きゃあきゃあ梶間の名前を呼ぶ姫の甘い声音が近づいてくる。
「今日の練習は休んだほうがいい。あいつらにはおれから言っておくから」
梶間のいないがらりとした保健室に、次の授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響いた。