⑱あのコの名前。
昼休みを告げるチャイムが鳴ると、沢村ミズキが脇腹を小突いてきた。
「早くしないと教室出て行っちゃうよ? いっしょにお弁当食べようって、言わなきゃ」
ほらほら、と急かされて立ち上がると、梶間と目が合った。まだ青白い顔をしている。
「具合……悪いの?」
いや、とそっけなく片手を上げた梶間は、まるでそれ以上あたしと話をするのが苦痛だとでも言うように、すぐさま背を向けてしまった。
「朝のこと怒ってる、の? あたしが余計なこと聞いて、昔のことを……」
「いや」またも彼は繰り返した。「水嶋さ……花梨ちゃんには、関係のないことだよ」
それが本当なら、そんなコトバぶつけてこないと思う。
「だから……」さらに何か口にしようとした梶間は、クラスじゅうの視線が集まっているのに気づくと、すぐさま「出よう」とあたしの背中に手を回した。人波を避けるようにして、屋上に続く階段に足を向ける。カギがかかっているので、外に出ることはできない。行き止まりになった狭い踊り場の前まで来ると、小さなため息をついた。
「なんでもないから、おれ」
それはまるで、暗示をかけて本当なのだと自分に言い聞かせているかのようだ。
「でも……」
「良かったよ!」あたしのコトバを遮るように、梶間は良かった良かった、と続けた。
「また友だち、いっぱいできたね。……昔みたいに。ちっちゃいころの花梨ちゃんは、強くて優しい、正義の味方だった。弱い者を守って、巨大な悪に立ち向かう、正義の味方」
突風が屋上のドアを、向こう側から、どどん、とたたいた。
「……正義の味方じゃない……たぶん、あたしは……違う、と思う」
あたしは、“弱い”者を守ろうとしていない。
「みんなに言われて、気づいたの。やっぱりあたし、姫のこと、ざまぁみろって思ってるんじゃないのかな。今まで散々いじめてきた分、今度はあんたが苦しみなさいって」
梶間は、ゆっくりと振り返った。目元にうっすらとクマができている。疲れきった表情を隠そうともせず、「本当に?」と小さくつぶやいた。「そう思うの?」
「分からないけど」
正直に言えば、そこまでではないように思う。
「何を言っているのよ、花梨!」背後でダレカが叫んだ。沢村ミズキだ。
「姫に散々嫌な思いさせられてきたんじゃないの! 今がそのときでしょ! あたしが手伝ってあげるから、復讐しましょうよ!」
思わず梶間の姿をうかがった。彼は、色のない顔であたしを見て、沢村ミズキに視線を移し、もう一度あたしを見つめた。
「花梨ちゃん。姫の名前、言える?」
面食らっているあたしより早く、沢村ミズキが反応した。
「姫は姫よ。ワガママ姫。それでいいじゃないの。梶間君、いったい何が言いたいの?」
別に、とぶっきらぼうにつぶやいた梶間は、そのままあたしたちの肩先をすり抜けて、階段を下りていった。