あたたかい飲み物
以前某所に投稿していた作品です。
ちょこっとだけ内容変えました。
「この前ね、同じクラスの子がさ、すっごい形相で自販機を睨みつけてたの」
綾子の話はいつも唐突に始まる、って彼は文句を言う。でも、急に思い出した話ってそういうものじゃない?
「自動販売機を?」
彼は私の話の腰を折らないように気を使いながら問い返してくる。「綾子の機嫌を損ねて二度と聞けなくなった話がいくつあるか考えたら気になって眠れなくなる」って文句を言われても困る。興をそがれるってそういうことでしょ。
「そう。最初はさ、もしかしたら、お金を入れたのに、ジュースが出てこなかったのかなぁとか思ったんだけど。相手がね、あの不思議ちゃんだったからね」
「この前公園の鳩を狙ってたネコに説教してた子?」
彼とデート中でばったりでくわした彼女は、野良猫に本気の説教をかましていて、私たちの度肝を抜いた。それはまだ一カ月前の出来ごとだ。
「そう、その子!こりゃ、今度は何があったのか?って思うじゃない。だから聞いたのよ」
~綾子の回想~
あぁ、晴れてるなぁと頬に風を感じながら校内を歩いていた。爽やか。実に爽やかな昼下がり。何のガムを買おうかな。昼休みに噛んでたのがミントだから、今度は甘いのにしようかな。それともこの爽やかな気分を更に爽やかにする為に目が覚めるような辛いのを買おうかな。
部室から中庭を抜けてコンビニへ向かっていると、自販機の前にクラスメイトがいた。まるで親の敵のような目で自販機を睨みつけている。何事?お金を入れたのにジュースが出て来なかったのかな。この前どっかのクラスの子が騒いでいたような気がしないでもない。
でもそれにしちゃあの顔は深刻すぎだ。女子高生にとってジュース代はけっこうでかい出費だけど、校内の自販機なんだし、ちゃんとお金は返ってくるんじゃないのかな。いや、あれはどう見てもそんな小銭に関する怒りではなさそうだ。
…坂本さんだもんな。何かものすごい理由であんな顔してるんだろうな…
「何してるの、坂本さん」
声をかけるとびくっとして坂本さんは振り向いた。自販機を睨みつけていた視線が一瞬でやわらかいものに変わる。こういうとこ、本当にこの子って不思議だ。この子の場合は行いよりも言動が不思議なんだけど。意図したものではない突飛な言動に「天然」とか「不思議ちゃん」と呼ばれる人種の底力をしみじみ感じさせる。授業中の彼女の言動にひやひやさせられている教師陣を見せられるのはかなり面白い。
「何だ、服部さんか。…気に入らないな、と思って見てたの」
「気に入らない?好きな物がないの?私今からコンビニ行くから良かったら買ってこようか?」
坂本さんは首をふるふると横に振った。私に向けていた穏やかだった表情が一変する。怖ッ!
「何も飲みたくなんかないの。気に入らないのはコレよ!!」
坂本さんの指差した先にあるのは…「あったか~い」の文字だった。
……ハイ?
「何か「あったか~い」ってふざけた感じがしない?ふざけたっていうか媚びてるっていうか。頭が悪そうっていうか。購買意欲が下がるわ。
何で「あたたかい」じゃいけないんだろう?大体この中から出てくるのって、最初は缶が持ちきれないくらい熱いのに中身は大して熱くもなくてすぐにぬるくなるようなものしか入ってないじゃない。どういうことよ。
世の中ってこういう感じが多いよね!」
私は返答に困ってしまった。
「えぇっと…」
困った。こういう時は何て返すのがベストなんだろうか。いや、そんな高望みはしない。ベターどころかグットでいい。どうにか上手くこの場を切り抜けられる回答が知りたい。国語は苦手じゃないはずなんだけどな。先生方、いつもあなた達が坂本さんからの質問であわあわなってるのを笑ってすいません。こりゃ無理だ。
そもそもこれはどういう会話なんだろう。私には何が問題なのかよく分からない。坂本さんが大層腹を立てているのはよく分かる。でも、一体何にそんなに怒る必要があるのかな。
煮え切らない私の態度に特に気にした様子もなく、不思議ちゃんはにっこり笑った。
「いいの。これはこういうものなのよ。分かってはいるの。
それより服部さん、部活前でしょ?買い物に行くなら急いだ方がいいと思う。顧問の佐伯、今日廊下で見かけた時、機嫌悪かったから」
振り返ることなく立ち去った不思議ちゃんの背中をしばらく無言で見つめていた私は、はっと我に返り、コンビニまでダッシュしたのだった。
~回想終わり~
「どう、思う?」
「どうって…?」
「私、あれから何度か考えてみたのよ。でも、どうしてもあんなに怒るような事には思えないわけ。
私がバカだからか、視野が狭いからか、不思議ちゃんの考え方がやっぱり不思議なのか。何かよく分からなくって。
一つ確かな事は、佐伯先生の機嫌はその日超悪かったって事。でも、それって部活が始まってしばらくしてから分かった事で、最初はにこにこしてたんだよね、いつもみたいに。
あの日不思議ちゃんの坂本さんが廊下で佐伯先生を見かけたのって、多分移動教室の時だけなのよね。佐伯先生って行動範囲がめちゃくちゃ狭い人で、坂本さんもクラスからほぼ動かない人だから。その一瞬で機嫌が悪いのに気がつくのってすごくない?
そういう勘のある子が言う事だから、あったか~いって本当は媚びた言葉なのかなぁ…とか。啓介どう思う?」
彼は私の真剣な顔を見て、にやにやし始めた。のん気そうな顔に微妙に腹が立つ。あんな思いをしたことがないからこそ出来る顔だぞ、それは!
「何よ?」
「いや、綾子っていいやつだなぁって思って。そんなに必死に綾子まで考えてたのを不思議ちゃんが知ったら喜びそうだね。
何、それで僕の意見が聞きたかったんだ」
私は大きく頷いた。彼ならどんな答えを出すのだろう。
「…僕は別に媚びた言葉だとは思わない。さっむい冬にさ、自販機から出てきたあったか~い飲み物を手に取った瞬間、思わず言った事ない?「あったか~い…」って。多分不思議ちゃんはその経験がないんだな。
それに、僕は自動販売機の会社の人が「あたたかい」じゃなくて「あったか~い」にしたのって何となく分かる気がするよ。親しみがあるでしょ。「あたたかい」は何か硬いけど、「あったか~い」は何だか丸みがある。そういう風に感じる人もいる…って答えはダメかな」
ドキン、と心が音を立てた気がする。目から鱗ってこういう事?
「斉藤啓介くん、あなた賢いわ!!そうよね、そういう事もあるよね。なるほど、それが「これはこういうもの」って事なのね。そっかぁ… 確かにそうだ。人によって受ける印象って違うよね。そっかぁ」
「納得したところで、あったか~い飲み物でも買いに行きますか」
「そうだね。あたたかい飲み物でもいいけどね」
こういう何でもない日常が、いつまでも永遠に続いていくといいな、と思わせるよく晴れた日の昼下がり。彼と一緒に歩いた公園は何度も来たことがある場所なのに驚く程特別に感じた。
遊んでいる親子連れ。散歩中の犬を連れたおじさん。全てが平和で幸せそうで、小さな噴水に虹がかかっているような錯覚さえした。
私、やっぱりこの人の事、大好きだな。ずっとずっとこうやって隣にいられたらいいな。
それからしばらく私と彼の間で「あたたかいもの」か「あったか~いもの」飲む?という合言葉が流行った。
作者自身が「あったか~い」という文字に高校時代激怒していた思い出から書いた話です。何であんなに腹が立ったのか。若さというのは不可解ですねぇ…
作者には啓介くんのような意見をくれる人はおらず、時間が解決してくれました。
たかが文字にあんなに腹を立てることはもうナイといいなぁ。