第七十四話:覚えている者
夜は、まだ明けない。
窓の外が白み始めているのに、
胸の奥のざわつきだけが消えなかった。
ルカは一人、廊下の手すりにもたれていた。
王都は静かだ。
静かすぎる。
「……最悪だな」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
金眼。
あれは火災や襲撃みたいな分かりやすい悪意じゃない。
もっと質が悪い。
選択を強いる。
守るか、切り捨てるか。
救うか、見殺すか。
正解のない問いを、笑いながら突きつけてくる。
「……趣味悪ぃんだよ」
吐き捨てる。
だが同時に。
胸の奥が、ちり、と痛んだ。
分かってしまうからだ。
ああいうやり口を。
ああいう思考を。
昔、もっと冷たい場所で、
同じことを考えていた自分を。
「……エリザベート」
思わず、名前がこぼれる。
今はもう違う。
ルカ・ヴァレンティンだ。
騎士科の、ただの学生。
それでいい。
それで、よかったはずだ。
なのに。
「……なんで、また」
視線の先。
作戦室の灯り。
あの中にいる。
リディアが。
――レオナールが。
胸が、ぎゅっと掴まれる。
前世で。
最後まで手を伸ばせなかった人。
隣に立つ資格すらないと、
勝手に諦めた人。
救えなかった。
守れなかった。
何一つ、間に合わなかった。
だから。
今度こそ。
「……自由に、生きろよ」
小さく笑う。
自嘲みたいな、諦めた笑み。
自分の気持ちなんて、どうでもいい。
好きだとか。
離したくないとか。
隣にいたいとか。
そんなの全部。
あいつの未来の邪魔になるなら、いらない。
「アランでいい」
あいつが選ぶなら。
王子で。
真っ直ぐで。
ちゃんと隣に立てる男で。
自分みたいな、
過去に縛られた亡霊じゃなくて。
「……それでいい」
言い聞かせる。
何度も。
何度も。
それでも。
拳が、勝手に強くなる。
「……でも」
低く、声が落ちた。
「泣かせたら」
ぎり、と歯を噛む。
「その時は、奪う」
理屈も、立場も、全部無視して。
騎士とか。
家とか。
王子とか。
全部どうでもいい。
ただ一人の男として。
攫ってでも、連れていく。
「……そんときは、悪役でいい」
夜明けの風が吹く。
髪が揺れる。
その横顔は、
どこか昔の王女の面影を残したまま。
けれどもう、
選ばれなかった人間の顔ではなかった。
選ばないと決めた人間の顔だった。
「……ほんと、損な役回りだな、俺」
苦笑して。
ルカは、ゆっくりと歩き出す。
まだ夜は終わらない。
けれど。
あいつが笑っている限り。
自分は、影でいい。
それが――
ルカ・ヴァレンティンの選択だった。




