第七十二話:火の残り香
翌朝。
学院に、珍しい客が来ていた。
正門前に停まる、紋章入りの馬車。
控える護衛。
そして、学院長室へと急ぐ教師たち。
(……来ましたね)
リディアは、窓越しにそれを見て、小さく息を吐いた。
「貴族だな、あれ」
ルカが隣で呟く。
「しかも複数」
「ええ。昨夜の“説明”でしょう」
説明。
そう。
あれだけの騒ぎがあって、
何事もありませんでした、で済むはずがない。
火災。
騎士の出動。
王太子の介入。
貴族たちが黙っているはずがなかった。
◆
学院長室。
「自然発火、ですと?」
露骨な不信の声。
「夜間に騎士団が出動した理由は?」
「なぜ王太子殿下が現場に?」
「何か“隠している”のでは?」
矢継ぎ早の追及。
学院長の額に汗が滲む。
その時。
「ご説明いたします」
静かな声が、場を切った。
全員の視線が向く。
リディアだった。
「アルヴェーヌ家令嬢として、補足を」
空気が変わる。
家名。
立場。
発言権。
それだけで、場の温度が一段下がる。
「今回の件は、夜間巡回中の火災騒ぎです」
「延焼はなし。負傷者なし」
「騎士団は“念のため”の出動」
淡々と、事実だけを並べる。
余計な言葉は挟まない。
「そして、殿下のご介入は」
一拍。
「王都内の安全確認の一環です」
嘘は言っていない。
だが、核心には触れていない。
完璧な言い回し。
貴族の一人が眉をひそめる。
「それだけで王太子が?」
「王太子だからこそ、です」
即答。
「“何もなかった”と確認することが、最も重要ですので」
反論できない。
論理が通りすぎている。
沈黙が落ちる。
そして。
「……なるほど」
不承不承、頷く声。
矛を収めざるを得ない。
◆
廊下に出た瞬間。
「はぁ……」
リディアは、小さく息を吐いた。
「胃が痛ぇ顔してんな」
ルカが笑う。
「政治ってやつです」
「戦場より厄介だな」
「同感です」
そこへ。
「……助かった」
低い声。
アランだった。
「俺が出れば、余計に勘繰られる」
「だから、君が最適だった」
リディアは、首を横に振る。
「役割分担です」
「俺は、表に立つ」
「君は、場を収める」
「ルカは……」
「空気壊す係」
即答。
「否定できないのが腹立つな」
三人同時に、ふっと笑った。
火は消えた。
だが。
その残り香は、
確実に王都の奥へ、
政治の奥へと、
静かに広がっている。
戦いは終わっていない。
形を変えただけだ。
――にど目の政治は、今日も甘くない。




