第七話:監査と密談
学院の朝は、いつもより静かだった。
講堂へ続く回廊には重苦しい空気が漂い、足音を立てることすら憚られる。
昨日、監査室が動いたという噂は、全校に広がっていた。
「聞いた? 貴族科の予算、もう一度調べ直されるんだって」
「例の“宰相令嬢”が原因らしいよ……」
その囁きが背後で交錯しても、リディアは表情ひとつ動かさない。
視線はまっすぐ前だけを向いていた。
こうなることは、最初から覚悟していたのだ。
(不正を正す者は、常に疎まれる。……それは前世でも変わらなかった)
冷たい石床の上を、彼女のヒールが規則的に鳴る。
その足取りを見つめる者たちの中に、青緑の瞳が一対、静かに光った。
◇◇◇
研究局――。
そこだけは、いつもと変わらぬ穏やかさを保っていた。
「リディア様。こちらが監査室に提出された報告の写しです」
ルネが書類を差し出す。
光を受けた蒼銀の髪が、さらりと肩を滑り落ちた。
「ありがとう、ルネ。……やはり数字が合わないのね」
「ええ。ですが、改ざんではなく“指示待ち”のようです。
誰かが上の判断を恐れて、手を止めている」
リディアは眉を寄せた。
(判断を恐れる――つまり、誰かの圧力がある)
扉の外から、控えめなノックが響く。
「入れ」
声をかけると、アランが姿を見せた。
王族であるはずの彼が、珍しく疲れた顔をしていた。
「……少し、話がしたい。ここではなく、外で」
◇◇◇
中庭の東屋。
花々の香りと共に、秋の風が静かに流れていた。
「君の行動は、正しかった。だが――」
アランが言葉を切り、灰青の瞳を細める。
「貴族派の一部が動揺している。『辺境の令嬢が学院を乱した』とね」
「乱したのではありません。歪みを正しただけですわ」
リディアの声は静かだったが、その奥に凛とした意志があった。
彼は微かに笑い、しかしその笑みに影が差す。
「正義を貫く者ほど、敵を作る。――それが、この国の現実だ」
「それでも構いません。沈黙の上に成り立つ平穏など、偽物ですもの」
その瞬間、アランは彼女をまっすぐ見つめた。
灰青の光と、淡い銀の瞳が交錯する。
ほんの数秒の沈黙――けれど、互いの立場が確かに異なることを悟った。
「……わかった。だが、気をつけてくれ。
君を疎む者たちは、もう“学院の外”にもいる」
◇◇◇
夜。
自室の机に戻ったリディアは、積み上げた書類を閉じた。
蝋燭の明かりが揺れ、窓の外で風が鳴く。
そのとき、扉の隙間から紙片が滑り込んだ。
拾い上げると、そこには見知らぬ筆跡でこう書かれていた。
> 『宰相の娘よ。あなたの正義は、もう目をつけられている。』
リディアの瞳が細められる。
紙を蝋燭の炎にかざすと、裏にかすかな印章が浮かび上がった――
それは、王政評議会の紋章だった。
(……始まったのね)
炎が紙を呑み込み、闇が静かに広がった。
◇◇◇
【後書き】
リディアの行動が、学院を超えて“王国の中枢”に届いた回です。
アランとの思想の差、そして謎の手紙――物語は次の段階へ。
次回、第8話『眠れる蛇』では、匿名の手紙の送り主が明かされます。




