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第六話:微かな綻び



 昼休みの学院中庭は、いつもより少しざわついていた。

 リディアは食堂へ向かう途中で、耳に入った言葉に足を止めた。


「魔法師科の奴ら、また追加の教材支給を受けたらしいぞ」

「うそだろ。貴族科にはまだ前回分すら届いてないのに?」


 学生たちの不満が、風に混ざって聞こえてくる。

 リディアは表情を変えずに通り過ぎたが、心の中では警鐘が鳴っていた。


(物資の支給は評議の承認制。学科ごとに平等であるはず……)


 午後、講義の合間を縫って、彼女は研究局に足を運んだ。

 そこではルネ・ヴァルデンが、静かに帳簿を整理していた。


「ルネ、今月の物資配分記録を拝見できますか?」


「もちろん。ですが――理由を聞いても?」


彼はいつものように整然とした机の前に立っていた。

 蒼銀の髪が光を受けて淡く揺れ、深い青緑の瞳が静かにこちらを見つめている。

 冷たくも優しい印象――リディアは、なぜかその色を“夜明け前の湖”に重ねていた。


「些細な矛盾を感じたのです。確認だけですわ」


 彼が帳簿を差し出すと、リディアは素早く目を走らせた。

 書式は整っている。だが、列ごとの数字が一箇所だけずれている。


「……魔法師科への支給数が、実際の申請よりも五%多い?」


「在庫補填分、との注記がありますが……妙ですね」

 ルネの瞳がわずかに細められる。


「在庫補填は学院全体でまとめて処理されるはず。学科別の増減など、通常はありえませんわ」


 リディアは紙を閉じ、静かに息を吐いた。

 (意図的な調整……学院内部で誰かが操作している?)


「この件、学院監査室へ報告を」


 ルネがわずかに驚いたように眉を動かした。

「すぐに、ですか?」


「はい。数値は小さくとも、これが“前例”になれば制度が歪みます」


 彼女の声音には、揺るぎがなかった。

 ――前世で何度も見た、崩壊の前触れ。

 小さな不正を許せば、それはやがて常態化する。


◇◇◇


 翌日。

 学院全体に監査室の通達が回った。

 物資配分における一部誤記が発覚、再検証のため一時停止――。


 講堂ではざわめきが起きていた。


「すげぇな……。昨日言ってた通りになった」

「まさか、新入生が気づいたとはな」


 その視線が、自然とリディアへと集まる。

 だが彼女は表情を変えず、淡々とノートを閉じた。


「偶然よ。ただの確認でしたわ」


 そこへ、アランが静かに歩み寄ってくる。

 いつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、低い声で囁いた。


「君が動いたおかげで、学院の上層も少し目を覚ましたらしい。……“宰相の再来”と囁かれているよ」


 リディアの指先が、わずかに止まる。

 だが、すぐにいつもの微笑みに戻った。


「恐れ多いお言葉ですわ。ただ、目の前の不自然を正しただけ」


 アランは意味ありげに視線を流した。

「正すことができる者は、限られている。……それを忘れないでくれ」


 リディアが答えるより先に、鐘が鳴った。

 午後の講義の合図。


 彼女は背筋を伸ばし、窓の外を見上げた。

 澄んだ青空の向こうに、王都の塔が静かに光っている。


(この学院にも、王国にも、まだ綻びはある。

 けれど、気づける者がいる限り――正すことはできる)


◇◇◇

【後書き】


第6話では、リディアの政治勘と観察力が光りました。

“学院内部の物資不正”という小さな事件が、今後の権力闘争の伏線となります。

次回、第7話「監査と密談」では、この件の裏に潜む勢力が少しずつ姿を見せ始めます。

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