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第四十八話:思い出してしまった夜

夜は、何事もなかったように静かだった。


 昼間の火事が嘘みたいに、

 王都は普段通りの顔をしている。

 人は眠り、灯りは落ち、

 世界は勝手に次へ進んでいく。


 ……置いていかれたのは、俺だけだった。



 書類を前にしても、文字が滑る。

 内容は理解できる。

 意味も分かる。


 それなのに――

 胸の奥が、ずっと軋んでいた。


(……思い出すなよ)


 自分に言い聞かせる。

 何度も、何度も。


 だが、無駄だった。


 炎の音。

 崩れる梁。

 焦げた匂い。


 そして――

 迷いなく、火に向かっていく背中。


(……やめろ)


 喉が詰まる。



 あの時も、同じだった。


 理屈は揃っていた。

 判断は正しかった。

 避難を優先すべきだった。


 でも。


『民が、まだ中にいる』


 そう言って、彼は行った。


 宰相として。

 人として。

 ――夫として。


(……レオナール)


 呼びたくなかった名前が、

 自然に浮かんでしまう。


 あの人は、いつもそうだった。

 正しくて、

 冷静で、

 優しくて。


 そして、

 自分より先に、危険へ行く。


(止めるべきだった)


 王命を盾に。

 理性を振りかざして。

 無理にでも。


 でも俺は、

 「理解してしまった」。


 だから、止められなかった。



 今日も、同じだった。


 リディアは、

 水を被って、

 迷いなく火に入った。


 あの横顔。

 あの間の取り方。

 あの、諦めない背中。


(……同じじゃないか)


 思い出すなと言った。

 比べるなとも。


 でも、無理だった。


(また、見送る側になるのか)



 拳を握る。


 爪が食い込むほど、強く。


(……二度目は、ない)


 前世では、

 「仕える立場」だった。

 「支える役」だった。

 決定権は、なかった。


 だから、

 後悔だけが残った。


 でも、今世は違う。


(今度は、言える)


 立場も。

 距離も。

 名前も。


 全部、違う。



 ルカは、静かに立ち上がる。


 誰かに宣言することはない。

 誓いを口に出すこともしない。


 ただ、心の奥で決めた。


(……止める)


 理屈で。

 手で。

 立場で。


 必要なら、

 嫌われてもいい。

 怒鳴ってもいい。


 あの人が――

 彼女が――


 また、一人で炎に向かうなら。


(今度は、腕を掴んででも引き戻す)



 窓の外で、風が鳴った。


 静かで、

 どこか、警告みたいな音。


(……知ってるぞ)


 あれは、偶然じゃない。

 試されている。


 リディアも。

 俺も。


(だったら、上等だ)


 思い出してしまった以上、

 知らなかった頃には戻れない。


 でも――


(今度は、違う結末を選ぶ)


 書類に視線を戻す。


 文字は、もう歪んでいなかった。


 夜は、静かだ。

 だが、ルカの中では、

 確かに何かが始まっていた。


 ――思い出してしまった夜は、

 後悔では終わらない。

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