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第四十七話:炎の中で、思い出した名前

夜だった。


 王都の外れ。

 民家が寄り集まる、貧しくも静かな一角。


 最初に気づいたのは、匂いだった。


「……煙?」


 次の瞬間、悲鳴が上がる。


「火事だ!!」

「燃えてる、家が!!」


 赤い光が夜を裂き、

 炎が、屋根を舐めるように広がっていく。



 少し離れた屋根の上。


 金色の瞳が、その光景を眺めていた。


(……さあ)


 口元が、僅かに歪む。


(選べ、鍵)


 誰もいない場所で火を放ったわけではない。

 救えない規模でもない。


 だが――

 飛び込む覚悟がなければ、救えない火。


(民を守るか)

(自分の身を守るか)


 金眼は、静かに待った。



「中に……子どもが……!」


 誰かの叫びが、リディアの耳に届く。


 考えるより先に、体が動いた。


「水!! 桶を!」


 叫びながら、外套を脱ぎ捨てる。

 近くの桶を掴み、頭から水を被った。


「リディア、待て!!」


 後ろから、ルカの声。


「無理だ!! 構造が――」


 その言葉は、最後まで届かなかった。


 リディアは、迷いなく炎の中へ飛び込んだ。



「っ……!!」


 熱。

 息が焼ける感覚。


 視界は煙で白く滲む。


「大丈夫……大丈夫……」


 自分に言い聞かせるように呟きながら、

 倒れかけた柱を避け、奥へ進む。


「……いた」


 泣き声。


 震える小さな体を抱き上げた、その瞬間――


 屋根が、崩れた。



「リディア!!!!」


 ルカは、走り出していた。


 考えていなかった。

 止める理由も、立場も、全部後回しだった。


(……まただ)


 炎。

 崩れる天井。

 叫び声。


 胸の奥が、ひどく軋む。


(……違う、これは)


 視界が歪む。



 ――思い出した。


 石造りの建物。

 書類の山。

 外から聞こえた、同じ匂い。


『火事です!!』

『南棟が燃えています!!』


 あの時も、彼は走った。


「陛下!! 避難を――」


 いや、違う。


 あの背中。


 炎の中へ向かっていったのは――


『レオナール!!』


 宰相の名。

 夫の名。


 止めなければならなかった。

 王命として。

 理性として。


 でも。


『民が、まだ中にいる』


 彼は、振り返りもしなかった。


 ――そして。


(……間に合わなかった)



「……やめろ……」


 ルカの喉から、掠れた声が漏れる。


「……行くな……」


 それは今世の声か、

 前世の叫びか、

 もう分からなかった。



 炎の中から、影が現れる。


「……!!」


 リディアだった。


 煤に塗れ、

 咳き込みながら、

 それでも、腕の中には――


 泣き止まない子ども。


 次の瞬間、膝が崩れた。


 ルカが、抱き留める。


「……っ、馬鹿!!」


 怒鳴った声は、震えていた。


「なんで……なんで、あんな……!」


 リディアは、苦しそうに笑った。


「……放って、いけませんでした」


 その言葉。


 その表情。


 前世と、同じだった。



 ルカの中で、何かが決定的に繋がる。


(……ああ)


 思い出してしまった。


 自分が誰で、

 何を失って、

 それでも、彼を止められなかったことを。


(また……同じ……)


 でも、今度は。


 今度だけは。


 炎の向こうで、金色の瞳が細められる。


(……見えた)


 鍵は、迷わなかった。

 そして――


(見ている者も、目覚めた)


 ルカは、震える手でリディアを支えながら、

 心の奥で、静かに誓った。


(……もう、二度と)


(あなたを、一人で炎に行かせない)


 その想いは、

 前世の後悔と、

 今世の決意が重なったものだった。


 炎は、やがて鎮火する。


 だが――

 思い出してしまった記憶は、もう消えない。

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