第四十七話:炎の中で、思い出した名前
夜だった。
王都の外れ。
民家が寄り集まる、貧しくも静かな一角。
最初に気づいたのは、匂いだった。
「……煙?」
次の瞬間、悲鳴が上がる。
「火事だ!!」
「燃えてる、家が!!」
赤い光が夜を裂き、
炎が、屋根を舐めるように広がっていく。
◆
少し離れた屋根の上。
金色の瞳が、その光景を眺めていた。
(……さあ)
口元が、僅かに歪む。
(選べ、鍵)
誰もいない場所で火を放ったわけではない。
救えない規模でもない。
だが――
飛び込む覚悟がなければ、救えない火。
(民を守るか)
(自分の身を守るか)
金眼は、静かに待った。
◆
「中に……子どもが……!」
誰かの叫びが、リディアの耳に届く。
考えるより先に、体が動いた。
「水!! 桶を!」
叫びながら、外套を脱ぎ捨てる。
近くの桶を掴み、頭から水を被った。
「リディア、待て!!」
後ろから、ルカの声。
「無理だ!! 構造が――」
その言葉は、最後まで届かなかった。
リディアは、迷いなく炎の中へ飛び込んだ。
◆
「っ……!!」
熱。
息が焼ける感覚。
視界は煙で白く滲む。
「大丈夫……大丈夫……」
自分に言い聞かせるように呟きながら、
倒れかけた柱を避け、奥へ進む。
「……いた」
泣き声。
震える小さな体を抱き上げた、その瞬間――
屋根が、崩れた。
◆
「リディア!!!!」
ルカは、走り出していた。
考えていなかった。
止める理由も、立場も、全部後回しだった。
(……まただ)
炎。
崩れる天井。
叫び声。
胸の奥が、ひどく軋む。
(……違う、これは)
視界が歪む。
◆
――思い出した。
石造りの建物。
書類の山。
外から聞こえた、同じ匂い。
『火事です!!』
『南棟が燃えています!!』
あの時も、彼は走った。
「陛下!! 避難を――」
いや、違う。
あの背中。
炎の中へ向かっていったのは――
『レオナール!!』
宰相の名。
夫の名。
止めなければならなかった。
王命として。
理性として。
でも。
『民が、まだ中にいる』
彼は、振り返りもしなかった。
――そして。
(……間に合わなかった)
◆
「……やめろ……」
ルカの喉から、掠れた声が漏れる。
「……行くな……」
それは今世の声か、
前世の叫びか、
もう分からなかった。
◆
炎の中から、影が現れる。
「……!!」
リディアだった。
煤に塗れ、
咳き込みながら、
それでも、腕の中には――
泣き止まない子ども。
次の瞬間、膝が崩れた。
ルカが、抱き留める。
「……っ、馬鹿!!」
怒鳴った声は、震えていた。
「なんで……なんで、あんな……!」
リディアは、苦しそうに笑った。
「……放って、いけませんでした」
その言葉。
その表情。
前世と、同じだった。
◆
ルカの中で、何かが決定的に繋がる。
(……ああ)
思い出してしまった。
自分が誰で、
何を失って、
それでも、彼を止められなかったことを。
(また……同じ……)
でも、今度は。
今度だけは。
炎の向こうで、金色の瞳が細められる。
(……見えた)
鍵は、迷わなかった。
そして――
(見ている者も、目覚めた)
ルカは、震える手でリディアを支えながら、
心の奥で、静かに誓った。
(……もう、二度と)
(あなたを、一人で炎に行かせない)
その想いは、
前世の後悔と、
今世の決意が重なったものだった。
炎は、やがて鎮火する。
だが――
思い出してしまった記憶は、もう消えない。




