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第四十四話:王子は、恋と呼ばぬ

その日一日、アランは妙に静かだった。


 評議会の議事録を読み、

 騎士団の報告を聞き、

 医療班に傷の経過を確認されても、

 心はどこか遠くにあった。


(……前に出る、か)


 リディアの横顔が浮かぶ。

 評議会で名を呼ばれた時の、迷いのない声。


 恐怖を抱えたまま、

 それでも退かないと決めた目。


(……愚かなほど、強い)


 それを、誇らしいと思った。

 同時に――恐ろしかった。



 夜、王宮の回廊。


 風が静かに通り抜ける。

 セラフの気配が、少し先にあった。


「……君は、止めなかったな」


 アランが言う。


「止められると思った?」


 セラフは振り返らずに答えた。


「……いや」


 分かっていた。

 彼女は、止められて引き返す人ではない。


(だからこそ、守りたいと……)


 そこで、思考が止まった。


(守りたい?)


 違う。


 今、胸にある感情は、

 責任でも、義務でもない。


 もし彼女が王宮を去ると言ったら?

 もし政治の場から降りると選んだら?


(……追いかける)


 即答だった。


 王子としてではない。

 守護者としてでもない。


(ひとりの男として)


 そこで、ようやく理解した。


(……ああ)


 これは、恋だ。



 息を吐く。


 自覚した瞬間、

 世界が少しだけ変わった。


 彼女を前に出したい。

 彼女の選択を尊重したい。


 だが同時に、


(失いたくない)


 それは、王子として最も持ってはならない願いだった。



「……苦しい顔をしているな」


 セラフが、静かに言った。


「お前は、分かっていたんだろう」


「最初から」


 風が揺れる。


「だから、選ばせる側に回った」


 アランは苦く笑った。


「……卑怯だな」


「君もだ」


 二人の視線が交わる。


 敵ではない。

 だが、譲れない。



 部屋に戻り、

 アランは一人、窓辺に立った。


(恋をした王子は、弱い)


 だが――


(恋を知らない王子は、

 きっと彼女を理解できない)


 その矛盾を抱えたまま、

 進むしかない。


(リディア)


 名前を呼ぶだけで、胸が締め付けられる。


(俺は……

 お前の選択を、奪わない)


 それが、恋をした男としての誓いだった。


 告げる日は、まだ遠い。

 だが、逃げることもない。


 王子は、恋と呼ばぬまま、

 確かにそれを抱いた。

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