第四十四話:王子は、恋と呼ばぬ
その日一日、アランは妙に静かだった。
評議会の議事録を読み、
騎士団の報告を聞き、
医療班に傷の経過を確認されても、
心はどこか遠くにあった。
(……前に出る、か)
リディアの横顔が浮かぶ。
評議会で名を呼ばれた時の、迷いのない声。
恐怖を抱えたまま、
それでも退かないと決めた目。
(……愚かなほど、強い)
それを、誇らしいと思った。
同時に――恐ろしかった。
◆
夜、王宮の回廊。
風が静かに通り抜ける。
セラフの気配が、少し先にあった。
「……君は、止めなかったな」
アランが言う。
「止められると思った?」
セラフは振り返らずに答えた。
「……いや」
分かっていた。
彼女は、止められて引き返す人ではない。
(だからこそ、守りたいと……)
そこで、思考が止まった。
(守りたい?)
違う。
今、胸にある感情は、
責任でも、義務でもない。
もし彼女が王宮を去ると言ったら?
もし政治の場から降りると選んだら?
(……追いかける)
即答だった。
王子としてではない。
守護者としてでもない。
(ひとりの男として)
そこで、ようやく理解した。
(……ああ)
これは、恋だ。
◆
息を吐く。
自覚した瞬間、
世界が少しだけ変わった。
彼女を前に出したい。
彼女の選択を尊重したい。
だが同時に、
(失いたくない)
それは、王子として最も持ってはならない願いだった。
◆
「……苦しい顔をしているな」
セラフが、静かに言った。
「お前は、分かっていたんだろう」
「最初から」
風が揺れる。
「だから、選ばせる側に回った」
アランは苦く笑った。
「……卑怯だな」
「君もだ」
二人の視線が交わる。
敵ではない。
だが、譲れない。
◆
部屋に戻り、
アランは一人、窓辺に立った。
(恋をした王子は、弱い)
だが――
(恋を知らない王子は、
きっと彼女を理解できない)
その矛盾を抱えたまま、
進むしかない。
(リディア)
名前を呼ぶだけで、胸が締め付けられる。
(俺は……
お前の選択を、奪わない)
それが、恋をした男としての誓いだった。
告げる日は、まだ遠い。
だが、逃げることもない。
王子は、恋と呼ばぬまま、
確かにそれを抱いた。




