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第四十二話:私が差し出すもの

その夜、リディアは眠れなかった。


 血の匂いはもう消えている。

 通路も元通りに片付けられている。

 それでも、目を閉じると浮かぶのは――


 あの騎士の震える声。


『誇らしかった』


 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。


(……守られるだけで、何も失わずに済むなら)


 それは、どれほど楽だっただろう。


 けれど、それはもう嘘だ。

 自分は知ってしまった。


(選ぶということは、

 誰かの人生に触れるということ)


 触れた以上、責任は生まれる。



 翌朝。


 王宮の執務棟に入ったリディアを見て、

 最初に反応したのはアランだった。


「……なぜ、ここに?」


 声が低い。

 嫌な予感を、はっきり含んでいる。


「話があります」


 短く告げる。


 セラフもすぐに察した。


「君、まさか……」


「逃げません」


 先に、リディアは言った。


「誰かの後ろに隠れることもしません」


 二人の表情が、同時に強張る。



 小さな会議室。

 窓は閉められ、外の音は遮断されている。


 リディアは、深く息を吸った。


「昨日の件は、

 私が“選ぶ”と言ったことへの代償でした」


 アランが即座に口を開く。


「違う。

 責任を負うのは――」


「殿下」


 はっきりと、遮った。


 それだけで、空気が変わる。


「私が考え、

 私が選び、

 その結果として起きたことです」


 逃げない。

 言い切る。


「だから、私も差し出します」


 セラフの眉が、僅かに寄る。


「……何を?」


 リディアは、少しだけ視線を落とし、

 それから、まっすぐ二人を見た。


「私の立場を」


 沈黙。


「今まで私は、

 “守られる存在”として動いてきました」


 貴族の令嬢。

 有能だが、前には出ない。


「それをやめます」


 アランの顔色が変わる。


「待て。それは――」


「分かっています」


 遮らず、今度は柔らかく言った。


「狙われるでしょう。

 利用されるでしょう。

 怖いです」


 声が、ほんの少しだけ揺れる。


「でも、

 私の選択のせいで誰かが傷つくなら」


 拳を、ぎゅっと握る。


「私は、

 自分の名前で、前に出ます」


 セラフが、低く息を吐いた。


「……それは、“代償”を自分で引き受けるという意味だ」


「はい」


 迷いはない。


「誰かに血を流させて、

 私は無傷のままではいられません」



 アランは、しばらく何も言えなかった。


(この子は……)


 守ろうとした存在が、

 自分の意志で戦場に立とうとしている。


「……分かった」


 絞り出すように言った。


「だが、一つだけ条件がある」


 リディアが見る。


「一人で背負うな」


 灰青の瞳が、真正面から向き合う。


「前に出るなら、

 俺たちも前に出る」


 セラフも頷いた。


「君が“差し出す”というなら、

 僕は“奪わせない”」


 それは守る宣言ではない。

 共に引き受ける、という意思だった。


 リディアの胸が、少しだけ温かくなる。


(……私は、独りじゃない)


 それでも。


(独りで決めたんだ)



 その頃、王宮のどこか。


 金色の瞳が、楽しげに細められた。


(自分から差し出す、か)


 予想通り。

 いや、期待以上。


(いい。

 それでこそ“鍵”だ)


 彼は、静かに次の手を考える。


(なら、次は――

 その立場ごと、奪ってみよう)


 選択は、もう後戻りできない段階へ。


 ――彼女が差し出したのは、

 安全ではなく、覚悟だった。

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