第四十二話:私が差し出すもの
その夜、リディアは眠れなかった。
血の匂いはもう消えている。
通路も元通りに片付けられている。
それでも、目を閉じると浮かぶのは――
あの騎士の震える声。
『誇らしかった』
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
(……守られるだけで、何も失わずに済むなら)
それは、どれほど楽だっただろう。
けれど、それはもう嘘だ。
自分は知ってしまった。
(選ぶということは、
誰かの人生に触れるということ)
触れた以上、責任は生まれる。
◆
翌朝。
王宮の執務棟に入ったリディアを見て、
最初に反応したのはアランだった。
「……なぜ、ここに?」
声が低い。
嫌な予感を、はっきり含んでいる。
「話があります」
短く告げる。
セラフもすぐに察した。
「君、まさか……」
「逃げません」
先に、リディアは言った。
「誰かの後ろに隠れることもしません」
二人の表情が、同時に強張る。
◆
小さな会議室。
窓は閉められ、外の音は遮断されている。
リディアは、深く息を吸った。
「昨日の件は、
私が“選ぶ”と言ったことへの代償でした」
アランが即座に口を開く。
「違う。
責任を負うのは――」
「殿下」
はっきりと、遮った。
それだけで、空気が変わる。
「私が考え、
私が選び、
その結果として起きたことです」
逃げない。
言い切る。
「だから、私も差し出します」
セラフの眉が、僅かに寄る。
「……何を?」
リディアは、少しだけ視線を落とし、
それから、まっすぐ二人を見た。
「私の立場を」
沈黙。
「今まで私は、
“守られる存在”として動いてきました」
貴族の令嬢。
有能だが、前には出ない。
「それをやめます」
アランの顔色が変わる。
「待て。それは――」
「分かっています」
遮らず、今度は柔らかく言った。
「狙われるでしょう。
利用されるでしょう。
怖いです」
声が、ほんの少しだけ揺れる。
「でも、
私の選択のせいで誰かが傷つくなら」
拳を、ぎゅっと握る。
「私は、
自分の名前で、前に出ます」
セラフが、低く息を吐いた。
「……それは、“代償”を自分で引き受けるという意味だ」
「はい」
迷いはない。
「誰かに血を流させて、
私は無傷のままではいられません」
◆
アランは、しばらく何も言えなかった。
(この子は……)
守ろうとした存在が、
自分の意志で戦場に立とうとしている。
「……分かった」
絞り出すように言った。
「だが、一つだけ条件がある」
リディアが見る。
「一人で背負うな」
灰青の瞳が、真正面から向き合う。
「前に出るなら、
俺たちも前に出る」
セラフも頷いた。
「君が“差し出す”というなら、
僕は“奪わせない”」
それは守る宣言ではない。
共に引き受ける、という意思だった。
リディアの胸が、少しだけ温かくなる。
(……私は、独りじゃない)
それでも。
(独りで決めたんだ)
◆
その頃、王宮のどこか。
金色の瞳が、楽しげに細められた。
(自分から差し出す、か)
予想通り。
いや、期待以上。
(いい。
それでこそ“鍵”だ)
彼は、静かに次の手を考える。
(なら、次は――
その立場ごと、奪ってみよう)
選択は、もう後戻りできない段階へ。
――彼女が差し出したのは、
安全ではなく、覚悟だった。




