第四十一話:選択には、血が伴う
それは、翌朝のことだった。
王宮は異様なほど静かで、
どこかで歯車が一つ、ずれたような気配があった。
「……リディア嬢」
呼び止めたのは、見知った下級官吏だった。
顔色が悪い。
「至急、こちらへ……」
理由を聞く前に、足が動いた。
嫌な予感が、胸の奥で形を成していく。
◆
連れて行かれたのは、王宮の裏手。
普段は使われない小さな通路の先。
そこに――
「……そんな……」
床に血があった。
乾きかけの赤。
そして、その傍らで、
ひとりの若い騎士が膝をついていた。
「リディア……嬢」
名を呼ばれて、はっきりと分かった。
学院で何度も顔を合わせていた人物。
彼女に、書類を運んでくれたこともある。
「どうして……ここに……」
「……俺が、余計なことを言ったからです」
震える声。
「昨夜、
“アルヴェーヌ嬢は、自分で考えて動く人だ”
そう話した……ただ、それだけで」
リディアの息が止まる。
「今朝、通路で……
“選ぶなら、覚悟を示せ”と」
それ以上は言えなかったのだろう。
騎士の肩は、布越しにも分かるほど濡れていた。
(……私の、せい?)
思考が一気に冷える。
◆
「下がれ」
低い声。
振り向くと、アランが立っていた。
傷は癒えきっていない。
それでも、その背中は迷いなく前に出る。
「彼は、殺されなかった」
アランは静かに言う。
「だが、“見せしめ”だ。
お前が考え、選び始めたことへの」
拳が震えている。
「……こんなやり方を」
怒りよりも先に、
悔しさが滲んでいた。
◆
少し遅れて、風が廊下を抜ける。
「……来たか」
セラフは、血の匂いを一瞬で察した。
「これは――」
「“代償”だ」
アランが短く告げる。
「彼女が選ぶことをやめないなら、
周囲から削っていく、という合図」
セラフは目を閉じた。
(やはり……彼は、そこまで来ている)
◆
リディアは、その場に立ち尽くしていた。
頭では分かっている。
自分が直接刃を振るったわけではない。
それでも。
(私が……考え始めたから)
血の匂いが、現実として迫る。
「リディア」
セラフが、ゆっくりと声をかける。
「これは、君の罪じゃない」
アランも言う。
「責任を背負うのは、俺たちだ」
でも。
リディアは、小さく首を振った。
「……違います」
二人が見る。
「選ぶと言ったのは、私です」
声は震えていたが、逃げてはいなかった。
「選択には……
代償が伴うと、分かっていながら」
拳を握りしめる。
「それでも私は、
“何も考えずに守られる場所”には戻れません」
沈黙。
騎士が、かすれた声で言った。
「……後悔、してません……」
リディアの胸が、締め付けられる。
「アルヴェーヌ嬢が……
考える人だと、知って……誇らしかった……」
それだけ言って、意識を手放した。
◆
医療班が駆け込んでくる。
慌ただしさの中で、血は拭われていく。
だが。
何もなかったことには、ならない。
◆
その夜。
リディアは一人、窓辺に立っていた。
(選ぶって……)
誰かを救う可能性と同時に、
誰かを傷つける現実を引き寄せる。
(それでも……)
拳を、胸の前で握る。
(それでも、私は――)
遠くで、風が鳴いた。
そして、見えない場所で、
金色の瞳が静かに細められた。
――“代償”は、届いた。
次は、
彼女自身が何を差し出すかを見る番だ。




