第二十九話:手を伸ばすのは誰のため
学院に、緊急連絡が入ったのは昼前のことだった。
「王宮より。改革派と反改革派、双方から
重要情報がもたらされた。
——アルヴェーヌ嬢、至急登城せよ」
信じがたい指名。
教室の空気が一瞬で凍りつく。
「リディア嬢を……?」
「いよいよ本格的に、巻き込まれたか」
ざわめきが波となって押し寄せる中、
ただ一人、リディアの思考は静かだった。
(来た。——避けられない局面)
「行こう」
背後からアランの声。
振り返ると、いつもの灰青の瞳が、
今は鋼の決断を宿している。
「君を一人では行かせない」
「当然でしょう。彼女は情報戦の鍵です」
風のような声。
いつの間にか、セラフ伯爵が隣にいた。
二人の視線が交差する。
言葉より先に、衝突の予感が走った。
(どうして。どうして私の周りで)
「リディア嬢」
名前を呼ぶ声がした。
振り向けば、反改革派の議員が
薄い笑みを浮かべている。
「貴女には……期待しているのですよ。
どちらにつくのかが楽しみでね」
その言葉が、喉奥に氷を落とした。
(選べだなんて……)
まだ何も知らないのに。
まだ、胸の痛みの理由だって。
でも——逃げない。
「行きましょう」
アランに促され、
セラフの視線に押し出されるようにして、
リディアは歩き出した。
王宮へ——政治の渦の中心へ。
風がひどく冷たく感じた。
王宮の空気は、学院とは比べものにならないほど重かった。
大理石が光を弾く広い廊下。だが、そこに満ちるのは陰り。
(帰ってきた。ここは、戦場)
リディアは深く息をつく。
アランとセラフが両脇につき、誰も隙を与えない。
「リディア嬢」
その声に、背筋が強張る。
黒衣の男——議会の重鎮、ヴァルター男爵。
反改革派の実力者にして、陰で多くの議員を操る黒幕候補。
「ようこそ。貴女の力、見せてもらいますよ」
「力、ですか?」
「王国の未来を左右する“判断力”。それは時に剣より鋭い」
(また……選択を迫ってくる)
リディアの中で、胸の痛みが鋭さを増す。
「彼女に触れるな」
アランが一歩前へ出た。
灰青の瞳は怒りを押し殺した色をしている。
「リディアは俺が——」
「守るのは僕も同じです」
セラフがその隣に立つ。
騎士の礼は完璧。だが、瞳には嵐が宿っている。
「守ってばかりでは、彼女は前に進めませんよ」
ヴァルター男爵は口元だけで嗤った。
「貴女が選ぶべきは、どちらの道です?」
「道……?」
「王家と共に国を変えるか。
あるいは、現状を守り腐敗もまた受け入れるか」
重い選択が、リディアにのしかかる。
(そんなの——どちらでも駄目よ)
「私は、ただ……」
「迷うのですか? 前世で散々迷い続けた貴女が」
その言葉に、思考が掻き乱される。
——前世のことを知っている?
(どうしてこの人が……?)
手が震えた。
心臓が喉の奥まで競り上がってくる。
「ヴァルター男爵。そこまでにしておけ」
別の方向から声が響く。
柔らかな身なりの青年――中立派筆頭議員、レオン・カルディナ。
「彼女を脅してどうするつもりだ。
我々はリディア嬢の知恵こそ必要としている」
「青二才が」
「なら、試してみますか?
リディア嬢には“推理”をしていただきましょう」
「推理……?」
「王宮にいる内通者を。
あなたは、すでに目にしているはずです」
リディアの呼吸が止まった。
「……まさか」
リディアが思わず後ずさると、
即座にアランの手が肩を支えた。
「大丈夫だ。俺がいる」
振り払いたくない。そんな自分に気づいて、さらに胸が痛む。
一方で、セラフは風を纏いながら静かに拳を握りしめる。
(彼女の不安は、俺が断ち切る)
三者三様の想いが交錯し、
選択が迫られる。
「リディア嬢。
手を伸ばすのは——国のためか、
誰かのためか、それとも——」
男の言葉が、ゆっくりと落ちた。
「貴女自身のためか」
胸の奥が熱くなる。
理由の分からない痛みが、また強くなる。
(――私は、何を望んでいるの……?)
答えはまだ分からない。
でも、逃げることだけはもうできない。
リディアは顔を上げた。
前を、真っ直ぐに見据えて。
その視線はもう“戦う者”のそれだった。




