幕間Ⅲ:静かに曇れる想い―セラフ視点
夜の学院図書塔は、ひどく静かだった。
その静けさは、まるでこちらの胸の内を映しているかのように、無駄に深い。
魔導灯の揺れる明かりが書架の間に細い影を落とす。
――静寂に慣れたはずの自分が、今夜ばかりは落ち着かない。
(……まったく。私は、いつからこんなに。
気づけば目で追っているとは)
視線の先。
資料に没頭する少女――リディア・アルヴェーヌ。
癖のない背筋。
淡々と書類を繰る白い指。
淡い銀の瞳は、静かでありながらどこか焦燥を秘めている。
“あの眼”を、また見ることになるとは思わなかった。
「……休む気は、ないんですね」
声がこぼれた瞬間、心臓がわずかに跳ねた。
自分が話しかけるつもりだったのかどうかも、曖昧だった。
リディアは顔を上げ、静かに睫毛を揺らした。
「気づかれたくなかったのだけれど、無理だったようね」
「ええ。あなたは、隠し事が下手です」
「……そう?」
「顔に出ます。特に“決意”を隠すのが」
淡い灯りの下で、彼女の瞳がかすかに揺れた。
そのわずかな揺らぎを見逃すほど、鈍くはない。
机の上の帳簿に視線を落とす。
「辺境補給計画……これは、危ないですね」
「数字が、意図的に触られているの。黙っていられないわ」
「でしょうね。あなたは――」
口元に苦い笑みが浮かんだ。
「“見てしまう人”だ」
リディアが動きを止める。
まるで、心のどこかを正確に突かれたように。
セラフはゆっくりと資料机に近づき、散らばった帳簿を指で押さえた。
「見ない方が、楽ですよ。
本当に。……私は、知っています」
「何を?」
「見てしまった者が、どうなるのか」
沈黙。
一度目の生では語られなかった何かが、言葉の端に滲んだ。
リディアはゆっくりと息を吸い込んだ。
「……昔、見ないふりをしてきた結果を知っているの。
だから今度は――」
「見逃さない、と」
「ええ」
淡い声なのに、底にある決意が鋭い。
(やはり……)
セラフはわずかに眉を伏せた。
この少女は“境界線の向こう側”に足を踏み入れようとしている。
「気をつけてください。
あなたは……噛まれやすい」
「蛇に?」
「ええ。眠らせておけばいいものを、目覚めさせるから」
リディアはかすかに微笑んだ。
「あなたが言うなんて、意外ね。止めるの?」
「あなた次第ですよ。
――どちらへ転んでも、見届けるつもりです」
「……意味が、読めないわ」
「読まれたら困ります」
そう告げる声は穏やかなのに、奥は不自然に静かだった。
魔導灯が揺れ、影がふたりの間に落ちた。
(本当は――もう少しだけ、そばにいれば分かると思ったのですが)
言葉にならない想いが喉元まで上がってきたが、
セラフはいつものように、それを飲み込んだ。
「……では、また明日」
そうだけ告げて踵を返す。
背を向けた瞬間、
視界の端でリディアがこちらを追うように目を向けていた。
その視線の熱に、セラフは気づかぬふりをした。
お読みいただきありがとうございました。
今回は、いつもリディアの隣にいながら
「どこか一線を越えない」
「本心を見せない」
そんなセラフの内側を、ほんの少しだけ覗いていただきました。
彼は沈黙の多いキャラクターですが、
沈黙の裏には必ず “何かしらの感情” が存在する――
……その片鱗を感じていただけたら幸いです。
リディアに対して距離を置きながらも目を離せない、
踏み込みたくないのに踏み込ませられる。
そんな曖昧で危うい関係性は、
本編とは少し違った温度で描いていきます。
なお、セラフの“知っていること”や“気づいていること”については、
今後の短編や本編で断片的に明かされます。
言動の端にある違和感が、やがて線になり、形になるように。
次回は、
「静かに曇る想い」の続きか、別キャラクターの視点
の予定です。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。




