第一話:辺境伯家の令嬢
前回までのあらすじ:
辺境伯家の令嬢リディアは、前世で宰相だった記憶を持つ少女。平和を願う彼女の前に、王立政治学院への推薦状が届いた――。
アスティリア王国の北端、風の強い辺境の地。
そこに、アルヴェス辺境伯家の屋敷が建っている。
王都から遠く離れたその場所は、冬の訪れも早く、
雪解けの季節になると一面の銀白が陽光を弾いて輝く。
その朝、屋敷の食堂では家族が揃って朝食を取っていた。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、香ばしいパンの香りが漂う。
「王都ではまた、貴族派と魔法師派が揉めているらしいな」
父――ダリウス・アルヴェス辺境伯の言葉に、
パンを口にしていたリディアは、つい動きを止めた。
「……馬鹿な。そんな愚策、誰が通すっていうんだ」
低く漏らした自分の声に、空気が一瞬だけ凍る。
「リディア、今……?」
問いかけたのは長兄のレオンハルトだった。
金色の髪を後ろで束ねたその青年は、
騎士団の訓練を終えたばかりなのか、まだ制服の袖に砂が残っている。
「……え、ええと。王都の話は、難しいですわね」
リディアが慌てて微笑むと、レオンハルトは眉を下げて苦笑した。
「難しくても、興味を持つのは良いことだ。
でも、今はまだゆっくり学べばいい。焦らなくていいんだぞ」
「リディアは昔から賢かったからな」
父ダリウスが笑いながらワインを口にする。
「この家の文官たちも、お前の覚え書きに助けられているそうだ」
「そ、そんなこと……」
リディアは俯き、紅茶を口にした。
その視線の先で、母クラリスが穏やかに微笑んでいる。
「リディアは本ばかり読んでいるから心配よ。
もう少し外の風にも当たらなくては」
「母上、俺が連れ出しますよ。
この前の市場に一緒に行ったら、楽しそうにしてましたし」
レオンハルトがそう言って笑うと、家族の空気が少し和らいだ。
ミリエルがその様子を見て小さく笑いながら、
食器を整えた。その手つきには、幼い主を大切に思う気持ちがにじんでいる。
(……また出てしまった)
リディアは小さく息を吐いた。
気を抜くと、前世の言葉が勝手に口を突いて出てくる。
この家では誰も気づいていないが、
この癖はあまりにも「彼」――かつての宰相レオナールそのものだった。
けれど、いまの自分はリディア・アルヴェス。
七歳の辺境伯令嬢。
もう二度と、戦場にも政庁にも戻ることはないはずだった。
そう思っていたのに。
「お嬢様、先日届いたお手紙を」
ミリエルが差し出した封筒には、
王立政治学院の紋章が金の箔押しで刻まれていた。
「……王立政治学院?」
「ええ。貴族子弟の推薦を受けた者のみが入学できるそうです」
父の功績が王都に届いたのだろうか。
あるいは――リディアが書いた報告書の一通が、
誰かの目に留まったのかもしれない。
辺境の雪原で拾われたその手紙は、
思わぬ形で王都の政治家たちの手に渡り、
「才ある娘」として彼女の名を推薦書に記したのだという。
だが、その裏で。
貴族派の一部が「辺境の娘を味方につけよう」と動いたという噂もあった。
それが好意なのか、利用なのかはまだわからない。
レオンハルトは妹の肩に手を置いた。
「どんな理由であれ、チャンスだ。
お前の知恵なら、どこへ行っても恥じることはない」
父もゆっくりと頷く。
「恐れるな。王都に出ても、アルヴェスの名が恥じぬように振る舞え」
その言葉に、リディアは小さく息を呑み、微笑む。
「なるほど……今度は“学院”という戦場ですのね」
その笑みの奥には、七歳の少女らしからぬ鋭さと、
再び世界を変えようとする者の決意が光っていた。
◇ ◇ ◇
> 次話予告:
「白兎と少女」――庭に現れた小さな来訪者が、彼女の運命を動かす。
◇◇◇
【後書き】
ここまでお読みくださって、ありがとうございます。
第一話では、リディアの家族との穏やかな日常を中心に描きました。
彼女の落ち着きの裏に、前世の記憶を抱える“冷静な部分”を
少しだけ覗かせてみたつもりです。
ちなみに、レオンハルト兄様は最初からお気に入りキャラでした。
真面目だけど優しくて、妹に甘い……書いていて楽しいです。
次回は「白兎は静寂の庭に」。
リディアが出会う一羽の白兎が、彼女の運命を静かに変えていきます。
ぜひ続きも読んでいただけたら嬉しいです。
ブックマークや感想、とても励みになります。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
(春野 清花)




