第十四話・後篇:その瞳に映るもの
報告を受けたのは、宰相府を出た後だった。
黎明派が民衆を動かし、“宰相府弾圧”の声が広がり始めたという。
アランは馬車の中で目を閉じ、静かに拳を握った。
(――やはり、理想は牙を持つ)
あの夜、リディアが言った言葉が脳裏をよぎる。
強く、まっすぐで、誰よりも現実を見ている。
それでも、彼女のその強さが、いつか彼女自身を壊してしまうのではないか――そんな不安が拭えなかった。
◇ ◇ ◇
宰相執務室に戻ると、蝋燭の光がまだ灯っていた。
机の上には積み上げられた報告書。インクは乾ききっている。
窓際に立つリディアが、振り返って微笑んだ。
その目の下に、薄い影。
「まだ、帰らなかったのですか?」
「帰れると思うか?」
アランはわざと軽い声で返した。
しかし、彼女の肩が小さく落ちるのを見逃さなかった。
「エルデンに会ったのですね」
「……ええ。彼は、私の嘘を美しいと言いました」
声に滲んだ疲労を聞き取りながら、アランは彼女の隣に立つ。
窓の外、霧の街に灯が瞬いていた。
民の灯、政治の灯――そして、そのどちらも支えている少女の灯。
「君の嘘は、正義のためのものだ」
「正義を名乗る者ほど、間違えるのです」
「君は違う」
リディアが顔を上げた。
灰青と銀の光が交わるように、二人の視線が重なる。
アランは一歩近づいた。
距離を詰めるほど、彼女が遠ざかっていく気がした。
「リディア。君が“宰相候補”である前に、君は――」
言葉が喉で止まる。
彼女の指先がわずかに震えていた。
この国の未来を背負うその手が。
「……殿下」
リディアが静かに言う。
「もし、私が間違えたら、止めてくださいね」
「君が間違えることはない」
「人は誰でも間違えますわ」
そう言って微笑んだ彼女の顔が、酷く遠く感じた。
その微笑の奥に、誰も踏み込めない壁があることを、アランはもう知っている。
だからこそ、彼は祈った。
国のためでも、民のためでもなく――
一人の少女の心が、折れないようにと。
◇ ◇ ◇
夜明け前、鐘がひとつ鳴る。
リディアは新しい書類を手に取り、淡々と筆を走らせていた。
アランはその背を見つめながら、静かに息を吐いた。
(君の理想が牙を持つとき、僕はその牙を受け止める。
――たとえ、この身が血に塗れようとも)
薄明の光が二人の間を照らす。
その光は、希望にも絶望にも似ていた。
* * *
To be continued.
【あとがき】
お読みいただきありがとうございます!
第十四話・後篇はアラン視点でお届けしました。
“宰相”としてのリディアと、“少女”としてのリディア。
その両方を見つめるアランの想いを描くことで、
彼がどれほど彼女を支え、恐れているかが少しだけ伝わったかと思います。
強くあろうとする人ほど、孤独を抱える。
リディアはその典型であり、アランはその孤独を理解しようとする唯一の人です。
でも――彼女を守ることと、彼女の政治を尊重することは、
必ずしも同じではないんですよね。
この“すれ違い”が、やがて物語を揺らす伏線になります。
静かな夜の祈りが、嵐の前の灯となるように。
次回、第十五話――
黎明派の反撃がついに動きます。
そして、“理想”を語る者たちの中に、新たな影が。
お楽しみに!
(作者:春野清花)




