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【二度目の政治は、恋に厳しい】〜宰相令嬢リディアの奮闘録〜  作者: 春野 清花
第五章 朧月微光編

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第百二十三話:侵入者



 中庭には、やわらかな光が落ちていた。


 喧騒から少し離れたその場所は、静かで。


 だからこそ、声はよく通る。


「お嬢」


 呼びかける声。


 振り向く。


「……カイル?」


 そこにいたのは、見慣れた赤銅色だった。


「久しぶりだな」


 距離が、近い。


 迷いがない。


 躊躇もない。


「どうしてここに」


「護衛だ」


 当たり前のように言う。


「ついでに様子見に来た」


 笑う。


 明るく、何の含みもなく。


「……変わらないわね」


 リディアが小さく息をつく。


「当たり前だろ」


「そういうところが、変わらないのよ」


「褒めてる?」


「いいえ」


「ひどいな」


 軽口が交わされる。


 自然なやり取りだった。


 距離も。


 空気も。


 まるで、それが当然であるかのように。


「お嬢、ちゃんと食ってるか?」


「食べてるわよ」


「顔色は悪くないな」


「失礼ね」


「確認だ」


 覗き込む。


 近い。


 明確に、近い。


「……」


 少し離れた場所。


 視線が、止まる。


(近い)


(……近すぎるだろ)


 アランの思考が、鈍る。


 理解している。


 これが何かも。


 なぜ気になるのかも。


 全部。


 分かっているのに。


(なんであいつ……あんな自然なんだ)


 自分には出来ないことを。


 当たり前のようにやっている。


 それが。


 妙に、苛立たしい。


「殿下」


 横から声。


 リオンだった。


「……何だ」


 視線は外さない。


 一拍。


「リディア嬢、カイルに掻っ攫われますよ」


「んなっ………!!」


 反射だった。


 思考よりも早く、声が出る。


 カイルは笑っている。


 リディアも、困ったように笑っている。


 その距離。


 その空気。


 すべてが、自然に成立している。


(まずい)


(このままだと……)


 足が、動きかける。


 止まる。


 動けない。


 理由は分かっている。


 分かっているからこそ。


 ――動けない。


「……」


 リオンは、何も言わない。


 ただ、静かに続ける。


「行かれないのですか」


「……」


 答えられない。


 視線の先。


 ラベンダー。


 遠い。


 近いのに。


 届かない。


「……遅いのは、既にご承知かと」


 静かな声音。


 だが、逃げ場はない。


 アランは、息を呑む。


 分かっている。


 全部。


 分かっている。


 それでも。


 今まで、動けなかった。


 だが――


「……お嬢」


 呼びかける声が、重なる。


 カイルだった。


「ん?」


「こっち、日陰あるぞ」


 手を引こうとする。


 自然に。


 迷いなく。


 その瞬間。


 足が、動いた。


「――リディア」


 今度は、別の声。


 低く。


 はっきりと。


 届く声。


 リディアが、振り向く。


「殿下?」


 視線が、合う。


 逃げない。


 逸らさない。


 ほんの一瞬。


 時間が止まる。


「……少し、よろしいか」


 言葉は、短い。


 だが。


 確かに、踏み出していた。


「ええ、構いませんが」


 何も知らないまま。


 リディアは頷く。


「お、殿下か」


 カイルが、少しだけ間を置く。


 だが、すぐに笑う。


「どうぞ」


 あっさりと、手を離す。


 執着がない。


 ただ、それだけだった。


「……」


 アランは、わずかに目を細める。


 その“軽さ”が。


 妙に、引っかかった。


「では、少しだけ」


 リディアに向き直る。


 距離が、変わる。


 ほんの少し。


 だが、確かに。


 ようやく。


 一歩だけ。


 踏み出した。


 その様子を。


 リオンは、静かに見ていた。


「……」


 何も言わない。


 ただ。


 わずかに。


 ほんのわずかに。


 口元が、緩んだ。


 人の流れから、少しだけ離れる。


 喧騒が、遠くなる。


 中庭の奥。


 木陰に入ると、空気が少しだけ冷えた。


「……急に、どうされたのですか」


 リディアが、静かに問う。


 変わらない声音。


 いつも通りの距離。


 それが、逆に。


 少しだけ、遠い。


「……いや」


 言葉が、続かない。


 頭の中では、いくらでも出てくるのに。


 形にならない。


(何を言うつもりだったんだ……)


 分かっているはずなのに。


 分からない。


「……殿下?」


 わずかに首を傾げる。


 銀の瞳が、まっすぐ向けられる。


 逸らさない。


 逃げない。


 ただ、そこにある。


(……ずるいだろ)


 思わず、息を吐く。


 視線を外しそうになる。


 だが。


 今度は、外さなかった。


「……あの色」


 ぽつりと、言葉が零れる。


「え?」


「……髪留めだ」


 青灰色。


 自分の目の色。


「……似合っていた」


 短く。


 それだけ。


 それだけなのに。


 妙に、重い。


「……そうですか」


 リディアは、一瞬だけ目を瞬く。


 それから、わずかに微笑んだ。


「ありがとうございます」


 それだけだった。


 特別でも。


 深い意味でもない。


 ただの、礼。


(……それだけか)


 分かっていたはずなのに。


 胸の奥が、少しだけ沈む。


「……」


 沈黙が落ちる。


 悪くはない。


 だが。


 足りない。


「……殿下は」


 リディアが、ふと口を開く。


「少し、様子がおかしいように見えますが」


「……そうか」


「ええ」


 即答だった。


 迷いがない。


「何かございましたか?」


 心配する声音。


 だが。


 それは。


 “王太子として”のものだ。


(違う)


(そうじゃない)


 言葉が、喉まで出かかる。


 止まる。


 形にならない。


「……いや」


 結局、それだけだった。


「そうですか」


 リディアは、それ以上追及しない。


 それが、いつも通りで。


 だからこそ。


 少しだけ。


 苦しい。


「――おーい」


 軽い声が、割り込む。


 振り返るまでもない。


「邪魔か?」


 カイルだった。


 笑っている。


 いつも通りに。


「……空気読め」


 アランが低く言う。


「読んでるぞ?」


「どこがだ」


「ちゃんと二人きりにしてただろ」


 悪びれない。


「一区切りついたっぽいから来た」


「勝手な判断だな」


「合ってるだろ?」


 笑う。


 軽く。


 何も知らないまま。


「……」


 言い返せない。


 妙に。


 図星だった。


「お嬢、戻るか?」


「ええ」


 あっさりと頷く。


 迷いはない。


 それが、少しだけ。


 引っかかった。


「では、殿下」


 軽く礼をする。


 いつも通りの距離。


 いつも通りの終わり方。


「……ああ」


 短く返す。


 それだけ。


 リディアが去る。


 カイルが、その隣に並ぶ。


 自然に。


 当たり前のように。


「……はぁ」


 息が漏れる。


「殿下」


 背後から、静かな声。


 リオンだった。


「……何だ」


「一歩、進まれましたね」


「……」


 否定はしない。


 だが。


 満足もしていない。


「ですが」


 一拍。


「まだ、足りません」


「……分かってる」


 短く返す。


 それが、精一杯だった。


 リオンは、何も言わない。


 ただ。


 静かに、頷いた。

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