第百十九話:交差する視線
王城の大広間は、光に満ちていた。
高い天井。
煌びやかなシャンデリア。
磨き上げられた床に、無数の灯りが反射する。
デビュタント。
貴族社会における、ひとつの通過儀礼。
そして。
――政治の場でもある。
リディアは、静かに息を吐いた。
ラベンダーのドレス。
銀の装飾。
その中に、わずかに混ざる青灰色。
(……人、多いわね)
周囲には令嬢と貴族たち。
視線も、評価も、すべてが向けられている。
慣れている。
問題はない。
――ない、はずなのに。
ふと。
視線が、動いた。
(……?)
無意識だった。
理由もなく。
ただ、自然に。
人の波の向こう。
その先へ。
――見つけた。
王太子、アラン。
令嬢に囲まれている。
笑っている。
会話をしている。
けれど。
(……聞いてないわね、あれ)
視線が違う。
意識が、別の場所にある。
――その瞬間。
ふと、アランの視線が動いた。
合う。
「……」
ほんの一瞬。
確かに、合った。
だが。
次の瞬間には、逸らされた。
「……?」
リディアはわずかに首を傾げる。
(……気のせい?)
それ以上、考えない。
考える理由がない。
ただ、それだけのこと。
視線を外す。
何事もなかったように。
そのまま、別の会話へと意識を戻した。
◆
「……」
アランは、笑っていた。
「そうですね、今年は――」
口は動いている。
言葉も返している。
だが。
(……何を話しているんだ、俺は)
何も入っていない。
全部、上の空だった。
意識は、ただ一つ。
――ラベンダーの色。
(……いる)
分かっている。
見なくても分かる。
いる位置も、空気も。
そして。
見てしまう。
意識していないふりをしながら。
ほんの僅かに。
視線を動かす。
――いた。
その瞬間。
目が、合う。
「……っ」
心臓が跳ねる。
息が、止まる。
――逸らした。
反射だった。
考えるより早く。
(何やってるんだ……)
自分でも分からない。
分かっているのに。
どうしていいか分からない。
「殿下?」
令嬢の声。
「……ああ、すまない」
笑う。
取り繕う。
何事もなかったように。
何も起きていないかのように。
――逃げるみたいに。
◆
「……は?」
ルカは、壁際でそれを見ていた。
ただ、じっと。
視線の往復。
空気の流れ。
全部、見えている。
(いや、待て)
理解はしている。
あれは。
(完全に意識してるだろ)
間違いない。
どう見てもそうだ。
なのに。
(なんで何も起きねぇんだよ)
意味が分からない。
ここまで揃ってて。
ここまで分かりやすくて。
なんで。
成立しない。
「……おい」
隣に立つ男へ、小声で言う。
「……あいつら、なんなの?」
セラフだった。
視線は同じ場所を見ている。
表情は、ほとんど動かない。
「……さあ、どうでしょうか」
淡々とした声音。
「分かってるだろ」
「ええ、理解はしております」
即答。
「なら何でああなる」
「……そういうものなのでしょう」
「は???」
意味が分からない。
ルカは本気で困惑していた。
(いやいやいやいや)
成立してるだろ。
どう見ても。
なのに。
成立してない。
(何でだよ……)
納得がいかない。
セラフは、わずかに目を細めた。
ほんの僅か。
誰にも気付かれない程度に。
(……なるほど)
理解している。
構図も。
心理も。
全部。
その上で。
何も言わない。
ただ。
観ているだけだ。
◆
音楽が流れる。
舞踏の時間。
人々が中央へと集まっていく。
自然と。
視線が、再び交差する。
今度は、逸らさない。
ほんの一瞬だけ。
間があった。
その空気は。
確かに、存在していた。
だが。
言葉にはならない。
ならないまま。
流れていく。
手が届く距離にいながら。
触れない。
触れようとしない。
分かっているのに。
踏み出さない。
――踏み出せない。
それでも。
何かは、確かにそこにあった。
それでも。
言葉にならないまま、そこに在り続けていた。




