第百十八話:今世の家族との再会
学院の正門前に、一台の馬車が止まっていた。
装飾は控えめ。
だが、無駄がない。
一目で分かる。
質の良いものだと。
(……来たわね)
リディアは足を止めた。
予想はしていた。
デビュタント前。
辺境伯家が何もしてこないはずがない。
ただ。
直接来るとは思っていなかった。
「お嬢様」
ミリエルが一歩前に出る。
「辺境伯様ご一行でございます」
「……そう」
短く返す。
だが、足は止まらない。
ゆっくりと歩み寄る。
馬車の扉が開く。
先に降りてきたのは。
長身の男だった。
落ち着いた所作。
整った顔立ち。
無駄のない動き。
レオンハルト。
リディアの兄である。
「久しぶりだな、リディア」
穏やかな声。
だが、その目はよく観察している。
「お兄様」
軽く会釈する。
距離は、適切に。
「元気そうで何よりだ」
「ええ」
簡潔なやり取り。
それ以上でも、それ以下でもない。
その後ろから。
もう一人、ゆっくりと降りてくる。
女性だった。
柔らかな雰囲気。
だが芯のある佇まい。
クラリス。
リディアの母。
「リディア」
名前を呼ばれる。
それだけで。
ほんの一瞬だけ。
胸の奥が、ほどけた。
「お母様」
自然と、声が柔らぐ。
クラリスは微笑んだ。
「大きくなったわね」
「……あまり変わっていないと思いますが」
「そうかしら」
ふふ、と笑う。
その仕草が、懐かしい。
――そこで。
最後に。
馬車から降りてきた男。
辺境伯ダリウス。
リディアの父。
視線が、合う。
「……」
「……」
沈黙。
数秒。
長いようで、短い時間。
ダリウスが、口を開く。
「……元気そうだな」
低い声。
抑えられている。
「ええ」
リディアは頷く。
「問題ありません」
「……そうか」
それだけ。
それだけ、のはずなのに。
空気が、わずかに揺れた。
レオンハルトが、わずかに視線を逸らす。
クラリスが、静かに微笑む。
リディアは気付かない。
「……中へ案内いたします」
ミリエルが控えめに言う。
リディアは頷いた。
「こちらへ」
歩き出す。
背後から、足音が続く。
いつも通りの距離感。
いつも通りの空気。
それなのに。
どこか、違う。
応接室へ通される。
紅茶が用意される。
静かな時間。
向かい合う形で座る。
「学院生活はどうだ」
ダリウスが問う。
「問題ありません」
「成績は」
「上位を維持しています」
「……そうか」
短いやり取り。
無駄がない。
いつも通りだ。
「デビュタントの準備も、進んでいるようだな」
「ええ」
リディアは頷く。
「ドレス、ありがとうございます」
「……当然のことだ」
ダリウスは視線を逸らす。
「辺境伯家として、恥をかかせるわけにはいかん」
「そうですね」
完全に納得する。
そこに疑問はない。
レオンハルトが、口を開いた。
「父上は、リディアに対して愛情が尋常ではないかと」
「おい」
即座に遮るダリウス。
「余計なことを言うな」
「事実を述べただけです」
穏やかな顔で、淡々と。
「5歳になるまではおとーしゃまー!!と拙い足取りで後をついて回っていたと聞いておりますが」
「やめろ!!!」
食い気味だった。
珍しい。
リディアは少しだけ首を傾げる。
「……そうでしたか?」
記憶にない。
「覚えていないのか!?」
「ええ」
あっさり。
ダリウスが固まる。
クラリスが口元に手を当てて笑いを堪えている。
レオンハルトは静かに紅茶を飲んでいる。
空気が、少しだけ和らぐ。
「……まぁ、いい」
ダリウスが咳払いをした。
体勢を立て直す。
「デビュタントだが」
「はい」
「王太子殿下と踊ることになるだろう」
「その可能性は高いですね」
冷静に答える。
感情は乗らない。
「……問題はないか」
「ありません」
即答。
「相手が誰であろうと、役割は変わりません」
それが、リディアの答えだった。
ダリウスの眉が、わずかに動く。
だが、それ以上は言わない。
クラリスが優しく言葉を挟む。
「無理はしないでね」
「はい」
短く返す。
だが。
その声は、少しだけ柔らかかった。
レオンハルトがカップを置く。
「まぁ、何があろうと」
一拍。
「父上が何とかするでしょう」
「おい」
再びダリウスが睨む。
「余計なことを言うなと言っている」
「失礼」
全く反省していない。
静かなやり取り。
穏やかな空気。
リディアはそれを、ただ受け止めていた。
特別なものではない。
いつも通り。
それだけだ。
だが。
ふと。
視線が、窓の外へ向く。
学院の庭。
風が木々を揺らしている。
(……帰る場所、か)
言葉にはしない。
ただ、心の中で呟く。
それがどういう意味を持つのか。
まだ、はっきりとは分からないまま。




