第百十三話:影の番人
静かな庭だった。
夜の学院。
風が木々を揺らし、葉が擦れる音だけが響いている。
リディアは一人、石のベンチに腰掛けていた。
昼間の喧騒が嘘みたいに、静かな時間。
……ようやく、落ち着いて考えられる。
旧帝国貴族派。
暗殺。
影。
ヴァル。
そして――。
「……出てきなさい」
独り言のように呟く。
数秒。
沈黙。
だが、リディアは確信していた。
「いるのでしょう」
夜の空気に溶ける声。
「さっきから、ずっと」
ふ、と。
影が揺れた。
リディアの足元。
石畳に落ちた影が、わずかに歪む。
次の瞬間。
そこから、男が現れた。
音もなく。
影から滑り出るように。
「……」
背の高い青年。
紺に近い深い色の髪。
暗闇でも分かる、鋭い視線。
リディアは目を細める。
「……誰?」
青年は数秒、黙っていた。
まるで言葉を選んでいるように。
「……リオン」
低い声。
「王太子殿下直属近衛」
ああ。
なるほど。
リディアは小さく頷く。
「あなたが」
影。
アランの。
リオンはそれに答えなかった。
ただ、視線を庭の奥へ向ける。
「……さっきの」
ぽつりと呟く。
「暗殺者」
やっぱり。
リディアはため息をつく。
「見ていたのね」
少し前。
茂みの奥で起きた出来事。
暗殺者が一人。
そして。
気付いた時には、倒れていた。
首筋に刺さった小さな針。
毒。
間違いない。
「……あなたじゃないわよね」
リオンは首を振る。
「違う」
短い答え。
そして続ける。
「俺より先に」
一拍。
「仕留めた奴がいる」
リディアは夜空を見上げた。
星が一つ、瞬く。
「……でしょうね」
あの手際。
あれは。
「ヴァル」
小さく呟く。
リオンの視線が、鋭くなる。
「知っているのか」
「ええ」
あっさり答える。
「多分、彼よ」
リオンは黙った。
少しだけ、警戒するように。
「……なぜ」
「分かるか?」
リディアは肩をすくめる。
「勘」
半分本当。
半分嘘。
「それに」
視線を影へ落とす。
「彼、ずっと近くにいるもの」
リオンの眉が動いた。
「……」
沈黙。
数秒。
そして。
庭の暗闇の奥から。
「……バレてるのか」
低い声。
ゆっくりと。
一人の男が現れた。
赤みの強いガーネット色の髪。
緋色の瞳。
気だるそうな顔。
ヴァルだった。
リオンが瞬時に身構える。
「……お前か」
剣に手がかかる。
ヴァルは肩をすくめた。
「落ち着けよ」
「もう終わってる」
足元の死体を顎で指す。
「仕事はな」
リオンの視線が冷える。
「暗殺者」
「お前もだろう」
「まあな」
軽く笑う。
空気が一瞬、張り詰めた。
その時。
「二人とも」
リディアが呆れた声を出す。
「普通に会話できないの?」
沈黙。
リオンとヴァルが同時に彼女を見る。
「……」
「……」
「……できるでしょ?」
リディアは真顔だった。
ヴァルが頭を掻く。
「……慣れてない」
「俺もだ」
リオンが短く答える。
リディアはため息をついた。
「はぁ……」
頭が痛い。
「とりあえず」
立ち上がる。
「これから先」
二人を見る。
「私を殺しに来る人間は増えるわ」
旧帝国貴族派。
彼らは諦めない。
「だから」
淡々と言う。
「守るなら守る」
「殺すなら殺す」
「どっちでもいいけど」
一拍。
「勝手にやって」
ヴァルが吹き出した。
「雑だな」
「面倒なのよ」
リディアは歩き出す。
「それより」
振り向く。
「二人とも」
夜風が髪を揺らす。
「学院の中で人殺しはやめて」
静かな声。
「掃除が大変」
ヴァルが笑った。
「宰相みたいなこと言うな」
リディアは肩をすくめる。
「そうかしら」
その背中を見ながら。
リオンは、初めて思った。
なるほど。
王太子殿下が。
この女を気にする理由。
「……厄介だ」
小さく呟く。
ヴァルが隣で笑う。
「だろ?」
夜の庭に。
風が静かに吹いていた。




