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【二度目の政治は、恋に厳しい】〜宰相令嬢リディアの奮闘録〜  作者: 春野 清花
第三章 王都政局編

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第百十話:宰相の影


 夜の学院は、昼とはまるで別の顔を見せる。


 昼間は賑やかな石畳の中庭も、今は静まり返っていた。

 灯りはところどころにしかなく、木々の影が長く伸びている。


 リディアは腕に抱えた書類を見下ろし、小さく息を吐いた。


「……遅くなってしまったわね」


 応接間での話が長引いた。

 甘党一家の家系図の話は、いつだって混沌を呼ぶ。


 だが、こうして夜風に当たると、少し頭が冷える。


 石畳を歩く音が、静かな庭に響いた。


 その時。


 ――気配。


 ほんの一瞬。


 背後の空気が揺れた。


 リディアの足が止まる。


 振り返るより早く。


 暗闇の中から、人影が飛び出した。


 短剣。


 狙いは喉。


 迷いのない動き。


 だが。


 ヒュッ


 細い音が、夜を裂いた。


 次の瞬間。


 暗殺者の身体が、ぐらりと揺れる。


「……?」


 短剣が落ちた。


 男は喉を押さえたまま、石畳に崩れ落ちる。


 動かない。


 静寂。


 リディアはゆっくりと視線を落とした。


 男の喉。


 そこに刺さっているのは。


 細い、銀の針。


 先端が黒い。


「……毒」


 呟く。


 その時。


 屋根の上で、瓦が小さく鳴った。


 風。


 外套が揺れる音。


 リディアは、顔を上げた。


 屋根の影。


 長身の男。


 暗赤の髪。


 そして。


 夜の中でも、はっきりと見える瞳。


 緋色。


 リディアは、ため息をついた。


「……またあなた?」


 屋根の上。


 ヴァルはわずかに目を細める。


 低い声。


「……宰相」


 十五年。


 それでも、その呼び名は変わらない。


 リディアは肩をすくめた。


「まだ守るつもり?」


 沈黙。


 夜風が、ガーネット色の髪を揺らす。


 ヴァルの声は静かだった。


「……罪です」


 その時だった。


 屋根の向こうから、別の気配が走る。


 鋭い着地。


 剣が抜かれる音。


 現れたのは、青年だった。


 紺色の髪。


 深緑の瞳。


 騎士の外套。


 リディアは目を瞬かせる。


(……誰?)


 青年はリディアを見ると、わずかに眉を寄せた。


 それからすぐに、屋根の上の男へ視線を戻す。


 剣を構える。


「……誰だ」


 ヴァルは答えない。


 ただ、影の中に立っている。


 青年の足が一歩前に出た。


「ここは学院だ」


「怪しい者を見逃すわけにはいかない」


 その瞬間。


 ヴァルが動いた。


 影が揺れる。


 ナイフ。


 青年の剣がそれを弾く。


 金属音。


 たった数手。


 だが、その動きは速い。


 互角。


 青年の眉がわずかに動いた。


(……強い)


 暗殺者。


 だが、ただの暗殺者ではない。


 青年は剣を止める。


「……お前」


 視線を鋭く向ける。


「何者だ」


 沈黙。


 夜風。


 外套が揺れる。


 ヴァルはゆっくりと視線を上げた。


 青年を見る。


 そして。


 静かに言った。


「……」


「宰相の影だ」


 その言葉と同時に。


 影が揺れた。


 次の瞬間。


 屋根の上には、誰もいなかった。


 風だけが残る。


 青年はしばらくそこを見上げていた。


 やがて、ゆっくりと剣を下ろす。


「……影、か」


 足元。


 倒れた暗殺者。


 喉に刺さる銀の針。


 青年はそれを抜き取った。


 先端は黒い。


「……毒」


 呟く。


 それから、ようやくリディアの方を向いた。


「怪我はありませんか」


 リディアは一瞬、青年を見つめる。


 紺の髪。


 騎士の装い。


 落ち着いた目。


 見覚えがない。


「……ないわ」


 少し首を傾げる。


「それより」


「あなた、誰?」


 青年は一瞬だけ言葉に詰まった。


 それから、軽く頭を下げる。


「失礼しました」


「王太子殿下直属近衛」


「リオン・ハーゲンです」


 リディアの眉がわずかに動く。


「……近衛?」


「ええ」


 リオンは頷いた。


「殿下の命で、学院周辺の警戒に」


 リディアは小さく息を吐く。


「……そう」


 そして、ちらりと屋根を見上げた。


 もう、影はない。


 風だけが瓦を揺らしている。


「……今日は賑やかな夜ね」


 リオンはその言葉に、わずかに視線を上げた。


 屋根。


 影。


 宰相の影。


 その言葉が、頭に残っている。


 リオンは静かに答えた。


「……ええ」


 夜の学院に、再び静寂が戻った。

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