第百一話:若さは罪ではない
王都の空は、低かった。
雲が重く垂れこめているわけではないのに、
息を吸うたび、胸の奥に薄い圧が溜まっていく。
王立政治学院の門を出て、馬車に乗る。
車輪が石畳を叩く音が、やけに大きく響いた。
対面の席で、アラン・セリーヌ・アスティリアが黙っている。
いつもの穏やかな笑みはない。
背筋はまっすぐなのに、指先がわずかに硬い。
「……殿下」
リディアが呼ぶと、アランはゆっくり顔を上げた。
「……なんだ」
口調が短い。
それだけで、彼が今、どれほど意識を張りつめているかが分かった。
リディアは息を整える。
今の自分は辺境伯令嬢であり、学院の一生徒であり、
それでも、明日の場に立つ者の一人だ。
軽くなれない。
軽くしてはいけない。
「評議会は……公開討議になるそうです」
「知っている」
アランは目を伏せたまま言う。
「向こうは“見せたい”んだ。王太子が幼いという印象を」
リディアは眉を寄せる。
「……年齢を武器にするのね」
「武器というより、鎖だ」
吐き捨てるような声。
そして、静かに続けた。
「十五歳で王太子。……それ自体が、連中にとっては格好の餌だ」
馬車の揺れが、沈黙をかき混ぜる。
リディアは窓の外を一瞬見て、
そのまま視線を戻した。
「殿下。年齢は、罪ではありません」
「……罪にされる」
アランの声は低い。
「“若い”というだけで、正しさが疑われる」
その言葉の裏に、
悔しさと、恐れと、責任の重さが重なっているのが見えた。
リディアは、胸の奥で小さく息を呑む。
十五歳。
確かに若い。
けれど。
(……私も、十五歳だ)
同じ身体。
同じ年齢。
けれど、同じではない。
自分は二度目だ。
そして、隣にいる“理解者”もまた。
それを言葉にすれば、簡単だ。
だが、それは違う。
自分の過去を盾にして、彼の今を守るのは。
彼の努力を奪うのは。
違う。
「殿下」
リディアは、いつもより少しだけ柔らかく呼んだ。
「私は、殿下が若いから支えるのではありません」
アランが、わずかに視線を動かす。
「殿下が……殿下だからです」
自分でも驚くほど、まっすぐな言葉だった。
馬車の中に、静かな熱が落ちる。
アランは小さく笑った。
けれど、それは笑みというより、苦笑に近い。
「……君は、時々、刺してくるな」
「刺しているつもりはありません」
「いや、刺さる」
アランは指先を握り直し、
ほんの一瞬だけ、視線を窓の外へ逃がした。
「……俺は、未熟だ」
それは、弱音だった。
彼が誰にも言わない種類の、弱音。
「王として、まだ何も成していない。――それでも、座っている」
リディアの喉が、きゅっと締まる。
十五歳の少年が言う言葉ではない。
十五歳の少年が背負うには、重すぎる。
だが、彼は逃げない。
だからこそ、余計に残酷だ。
リディアは、静かに首を振った。
「殿下。座っているだけではありません」
「……」
「殿下は、座っているからこそ、狙われるのです」
それは慰めではなく、現実だった。
アランの肩がわずかに揺れる。
「……そうだな」
短い返事。
それでも、息が少しだけ戻ったように見えた。
馬車が王城の前で止まる。
門が開き、衛兵が一礼する。
その瞬間。
影が差した。
馬車の横。
黒い外套の青年が立っている。
深い蒼の瞳。
整った顔立ち。
ユリウス・ヴァイス。
いつの間に。
リディアは一瞬息を止めた。
「父上」
その呼び名は、まだ慣れない。
胸の奥が、きゅ、と痛む。
「……来たのね」
「はい。明日の前に、どうしても」
ユリウスの視線が、アランへ移る。
一拍。
それから、微かに頭を下げた。
「伯父上」
アランが固まった。
「……は?」
脳が追いつかない顔。
リディアは内心で小さく頭を抱える。
(言うと思った……)
ユリウスは、何事もないように続けた。
「呼び方が間違っていましたか」
「いや、間違ってはいない、が……」
アランの声が珍しく揺れる。
「お前は……その、俺を……」
「母上の兄上ですから」
さらっと言う。
さらっと。
リディアは口を開きかけて、
すぐに閉じた。
今、ここで訂正しても、余計に混乱が広がる。
ユリウスは、まっすぐ前を見た。
「明日の討議」
「……来る気か」
アランが言う。
「当然です」
ユリウスの声音には、迷いがない。
「帝国皇子だの血統だの――僕は、どうでもいい」
淡々と。
それでも、言葉には芯があった。
「伯父上が十五歳であることを、笑う者がいるなら」
ユリウスは、少しだけ目を細めた。
「その者は、王を見ていません」
静かな言葉。
なのに、馬車周りの空気が一瞬凍る。
「……王を?」
アランが問い返す。
ユリウスは頷いた。
「王とは、年齢ではなく、資質です」
そして。
ちらり、とリディアを見る。
「父上が教えてくれました」
胸が、ずきんと鳴った。
知らないはずだ。
教えていないはずだ。
それでも、彼はそう言った。
生まれる前に死んだ父を。
知らない父を。
魂で呼ぶ。
「……僕は」
ユリウスは続ける。
「席を奪うためにここにいるわけじゃない」
「……」
「僕は、ただ」
言葉が一瞬だけ揺れた。
ほんの一瞬。
「父上と母上が、二度と奪われないようにしたいだけです」
空気が、静かに重くなる。
リディアは息を吐けなかった。
アランも、言葉を失った。
王城の門が、遠くで軋む音を立てる。
世界が、少しだけ現実に戻る。
リディアは、やっと声を出した。
「……ユリウス」
「はい」
「明日は、私が守るわ」
それは誓いだった。
誰かに守られるためではなく、
守ると決めた者としての誓い。
ユリウスは、微笑んだ。
泣きそうなほど、綺麗な笑みだった。
「……はい」
そして、少しだけ声を落として言う。
「父上の隣は、僕が守ります」
リディアは、返事ができなかった。
代わりに、そっと頷いた。
十五歳の身体に、二度目の魂。
十五歳の王太子に、未来の責任。
十八歳の少年に、奪われ続けた時間。
全部が、明日に繋がっている。
馬車の扉が閉まる。
王城へ向かう足取りは、重い。
けれど。
逃げるための重さではない。
刺しに行くための重さだった。
◇◇◇
次話予告:
「公開討議」――資質か、血統か。王国の未来を賭けた言葉の戦が始まる。




