第百話:冷たい石の都
王城の門をくぐった瞬間、空気が変わった。
学院のそれとは違う。
柔らかさのない、研ぎ澄まされた沈黙。
石畳に足音が反響するたび、
視線が刺さるのが分かる。
王都。
前世で幾度も立った場所。
そして、崩れ落ちた場所。
だが今の私は、宰相ではない。
――選んだ側だ。
「怯えているか」
隣で、アランが問う。
王太子殿下。
本来なら、そう呼ぶ。
だが。
今ここで向き合っているのは、
肩書きではない。
同じ責任を背負う人間だ。
「いいえ」
自然と敬語は出なかった。
「試されるだけでしょう?」
灰青の瞳がわずかに細まる。
「王都は、学院より手加減しない」
「望むところよ」
強がりではない。
けれど。
胸の奥が、わずかに軋んだ。
◇◇◇
大広間では、形式的な出迎えが待っていた。
「王太子殿下、御帰還をお待ちしておりました」
深々と礼を取る老貴族。
その視線が、ゆっくりと横に滑る。
「そして……辺境伯令嬢」
名前は呼ばれない。
意図的に。
「先日の学院でのご発言、大変興味深く拝聴いたしました」
柔らかな声音。
「“資質こそ王の条件”――でしたか」
沈黙。
リディアは微笑を崩さない。
「ええ」
「なるほど」
老貴族は頷く。
「ではお尋ねします」
一歩、近づく。
「血統は不要、という理解でよろしいのですかな」
空気が、変わった。
単なる問いではない。
言葉の裏に、刃がある。
「王家の血を軽んじる思想は、
王太子殿下の正統性を揺るがしかねません」
視線が、一斉に集まる。
アランへ。
そして、リディアへ。
(……そう来るのね)
資質論は、理屈では正しい。
だが王都では――
それは“血統否定”と同義に扱われる。
つまり。
王家の権威を削ぐ思想。
危険思想。
理解した瞬間、
背筋が冷えた。
百話で言い切った言葉が、
ここでは爆弾になる。
「揺らぐのであれば」
先に口を開いたのは、アランだった。
静かに。
「それは血の問題ではなく、王の在り方の問題でしょう」
老貴族の目が細まる。
「殿下は、血を否定なさると?」
「否定はしない」
即答。
「だが血だけでは足りない、と言っている」
空気が、ぴんと張り詰める。
リディアは、息を吸った。
逃げればいい。
曖昧にすればいい。
学院での発言は若さゆえ、とでも言えばいい。
だが。
それは、百話の自分を裏切る。
「私は」
声が、広間に落ちる。
「血を否定しているのではありません」
全員の視線が集まる。
「血は“始まり”です」
「ですが、“保証”ではありません」
ざわり、と空気が揺れる。
「王を王たらしめるのは、
生まれではなく、選び続ける覚悟です」
沈黙。
重い。
学院とは違う。
誰も拍手しない。
誰も頷かない。
ただ、値踏みする目だけが残る。
老貴族が、静かに告げる。
「……明日、臨時評議会を招集いたします」
「殿下ならびに、令嬢にもご出席いただく」
査問ではない。
だが、それに等しい。
◇◇◇
広間を出たあと。
ようやく、呼吸が戻る。
「思った以上だな」
ルカが低く言う。
「ええ」
リディアは頷いた。
学院の議論は、理屈だった。
王都のそれは、権力だ。
言葉一つが、
王家の正統性を揺らす武器になる。
(……これが、本物の政治)
百話の決意は、間違っていない。
だが。
軽くもなかった。
窓の外、王城の塔が夜に沈む。
逃げ場はない。
けれど。
私は、逃げない。
「後悔は?」
アランが問う。
リディアは、静かに首を振った。
「いいえ」
わずかに、笑う。
「やっと始まっただけよ」
冷たい石の都。
試されるのは、明日だ。
ここまで読んでくださった皆さまへ。
気づけば百話です。
最初は、ただ一人で始めた物語でした。
けれど、ページをめくってくださる方がいて、
感想をくださる方がいて、
評価やブックマークという形で応援してくださる方がいて。
その一つ一つに、何度も救われました。
物語は、書き手一人では完成しません。
読んでくださるあなたがいて、初めて“物語”になります。
リディアが前を向けるのも、
アランが立ち上がれるのも、
ルカが隣に居続けるのも、
ユリウスが願いを口にできるのも。
きっと、画面の向こうで見守ってくださる皆さまがいるからです。
百話は通過点にすぎません。
それでも、この区切りに立てたことを、
心から嬉しく思っています。
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございます。
これからも、
この物語の行く先を、どうか一緒に見届けてください。




