第九十七話:揺れる正統
王都は、静かにざわついていた。
大通りではまだ噂にもならない。
だが、上層の空気は確実に変わっている。
「……“帝国の正統後継”か」
低い声が、重厚な応接室に落ちた。
学院評議会へ提出された意見書。
差出人は、旧帝国貴族の名を連ねる一派。
その主張は明確だった。
――血ではなく、資質こそが正統を継ぐ。
――帝国の正統資質を持つ者が、現在学院内に存在する。
名は書かれていない。
だが、誰を指しているかは明白だった。
◇◇◇
学院内。
中庭の一角。
「……また面倒な風が吹き始めたわね」
リディアは、届いた写しを静かに閉じた。
その隣で、ルカがパンを齧る。
「で?」
「“資質を持つ帝国の正統後継を、公に評価すべき”ですって」
「は」
ルカが鼻で笑う。
「勝手に評価しとけ」
「問題はそこじゃないのよ」
リディアの瞳がわずかに細まる。
「“資質”という言葉を使ったこと」
「……血統じゃなく?」
「ええ」
資質。
能力。
判断力。
政治的才覚。
つまり。
レオナールの再来。
それを、嗅ぎつけている。
「……俺は何も言ってねぇぞ」
「分かってるわ」
リディアは小さく息を吐いた。
「問題はユリウスよ」
◇◇◇
同刻。
講堂裏の回廊。
ユリウスは、貴族派の年長者に囲まれていた。
「殿下」
その呼び方に、彼の眉が僅かに動く。
「帝国の未来をどうお考えですかな?」
「既にこの国には王太子がいらっしゃいます」
静かな声。
揺らがない。
「私は、政治的な地位に興味はありません」
「しかし、あなたには“資質”がある」
「資質?」
ユリウスは、ほんの少しだけ笑った。
「父上ほどの才覚もありません」
その一言で、場の空気が変わる。
「父上?」
「ええ」
迷いなく。
「私は、父上と母上と三人で静かに暮らせれば十分です」
沈黙。
困惑。
苛立ち。
理想の皇子像から、あまりにも外れている。
「……それだけ、ですか」
「それだけです」
きっぱりと。
そして、軽く会釈し。
その場を去った。
◇◇◇
少し離れた柱の陰。
アランは、すべてを聞いていた。
「……資質、か」
彼の灰青の瞳が揺れる。
血ではなく、資質。
ならば。
問われるのは、ユリウスだけではない。
「……面白い」
小さく、しかし確かな声。
「その論理で来るなら、俺も黙ってはいない」
王太子として。
資質で選ぶと言うなら。
自分もまた、試される側だ。
風が吹いた。
王都の空は、どこまでも澄んでいる。
その下で。
静かに、思想の戦が始まろうとしていた。




