第九十五話:血は盾か、鎖か
王都より、正式な書簡が届いた。
封蝋には、旧アスティリア帝国の紋章。
消えたはずの双頭の鷲が、赤い蝋の中で不気味に光っている。
「……ずいぶんと、丁寧ね」
リディアは淡々と封を切った。
文面は穏やかだ。
礼儀正しく。
理知的で。
非難の言葉は一つもない。
だが。
『帝国正統血統の確認を希望する』
『現存する直系男子の身分保障について協議を』
その一文だけで、十分だった。
「……来たか」
ルカが壁にもたれて腕を組む。
「思ったより早いわね」
「噂が王都まで行ってりゃ当然だろ」
――帝国の皇子がいるらしい。
――正統血統だとか。
――王位に影響する存在だとか。
火種は、もう広がっている。
◇◇◇
数日後。
学院に、王都の使者が現れた。
「ユリウス殿下」
その呼び名で。
空気が凍る。
ユリウスは、わずかに瞬きをした。
「……その呼称は、不要です」
静かな声だった。
「私は現在、学院生です」
「しかし、貴殿は帝国の――」
「帝国は、既に滅んでおります」
はっきりと。
迷いなく。
「そして、この国には王太子殿下がいらっしゃる」
一瞬だけ。
視線がアランへ向いた。
「私の席は、どこにもありません」
使者が眉をひそめる。
「それでも血は残ります」
「血は事実です」
ユリウスは頷いた。
「ですが、それが私の望みではありません」
場が、静まる。
「私が望むのは」
ほんの少しだけ。
声が柔らぐ。
「家族として、生きることだけです」
使者の顔に、明確な困惑が浮かんだ。
「……それでは国家が――」
「国家は、血で回るものではないでしょう」
淡々と。
だが揺らがない。
「資質ある者が、責任を負う」
「それだけです」
それ以上は語らず。
ユリウスは一礼した。
「ご足労ありがとうございました」
会話は、そこで終わった。
◇◇◇
夜。
王都への報告書がまとめられる。
「血統は確か」
「だが本人に野心は見られず」
机の向こう。
薄暗い部屋。
「……資質、か」
低い声が呟く。
「血ではなく、資質を選ぶ時代だと?」
くつり、と笑う。
「資質など、作れる」
書類が閉じられる。
「だが血は、作れぬ」
双頭の鷲の紋章が、
闇の中で静かに光った。
水面は、まだ静かだ。
だがその底で。
確実に、何かが動き始めていた。




