第九十三話:静かな盾
学院会議室。
帝国皇子の存在が公になって以降、評議は連日のように紛糾していた。
「帝国の正統後継者が学院内にいる以上、我々は保護義務を――」
「いや、王国の政治問題に発展しかねん!」
「引き渡し要求が来ればどうする!」
声が荒れる。
机を叩く者までいる。
その中央で、ユリウスはただ静かに立っていた。
感情を見せない。
深い蒼の瞳だけが、淡々と場を見渡している。
「……申し上げます」
低く落ち着いた声。
空気が、わずかに変わった。
「既に王国には王太子殿下がいらっしゃいます」
視線が自然とアランへ向く。
「私の立場は、帝国においても失効しています。正式な立太子はなされておりません」
ざわ、とどよめき。
「私は、王位にも皇位にも関心はありません」
はっきりと。
「望むのは、穏やかな生活のみです」
静まり返る室内。
そのとき。
「――その件について、補足を」
扉が開いた。
現れたのは、セラフ・ノア=リュミエール。
整った礼服姿。
穏やかな微笑。
しかし瞳は冷えている。
「リュミエール伯爵家は、アルヴェス令嬢の後見を引き受けております」
静かな声。
だが、よく通る。
「従って、彼女に付随する政治的問題は、当家も看過できません」
数名の評議員が顔を見合わせた。
「帝国との外交問題に発展する可能性があるならば、尚更」
ゆっくりと視線を巡らせる。
「軽率な発言は、王国の信用を損ないます」
柔らかい口調。
だが刃のように鋭い。
「ユリウス殿が望んでいるのは、王位ではなく、静かな生活です」
一瞬、ユリウスを見る。
そして続ける。
「それを騒ぎ立てること自体が、火種になる」
沈黙。
反論が出ない。
完全に論を封じた。
アランが小さく息を吐く。
「……学院は政治の縮図だ。だが、煽るための場ではない」
静かに結論づける。
「この件は、外部への公表を禁じる。以上だ」
評議は終わった。
◇◇◇
廊下。
ユリウスが足を止める。
「……ありがとうございます」
セラフは首を振った。
「礼は不要です」
「父上のためですか?」
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
セラフの目が柔らいだ。
「彼女は学院の貴重な戦力ですから」
それだけ言って、歩き出す。
背筋はまっすぐ。
どこまでも貴族らしく。
廊下の端で見ていたルカが、ぽつりと言った。
「……相変わらず、腹黒いなあいつ」
「聞こえていますよ」
振り返らずに返す声。
空気が、ようやく軽くなった。
帝国皇子騒動は、ひとまず静まった。
だが。
波紋はまだ、水面下に残っている。




