第八十六話:王子は駒ではない
学院に、王城からの使者が来た。
それだけで、空気が変わった。
朝の講堂。
ざわめきが、波のように広がる。
「帝国皇子の身柄について、王城の判断が下された」
その一言で。
全員の視線が、ユリウスに集まった。
当の本人は、きょとんとしている。
「……身柄?」
物騒な単語に、首を傾げただけだった。
◇◇◇
「安全確保のため、別棟へ移動していただきます」
護衛騎士が、淡々と告げる。
「別棟……?」
「外部との接触を制限します」
言い換えれば。
軟禁。
監視。
保護という名の、拘束だった。
リディアの胸の奥が、ひやりと冷えた。
(……始まった)
知っている。
この空気を。
前世で、何度も見た。
“重要人物”を守るという名目で、
自由を奪い、
意思を奪い、
最後には“都合のいい存在”にするやり方。
政治の常套手段。
吐き気がした。
「……僕、何か悪いことしましたか?」
ぽつり、と。
ユリウスが言った。
責めるでもなく。
怒るでもなく。
ただ、困ったように笑って。
「僕、父上に会えただけで……十分だったんですけど……」
その言葉で。
ぷつん、と。
何かが切れた。
「却下です」
静かな声だった。
けれど。
講堂の空気が、一瞬で凍る。
騎士が目を瞬かせる。
「……アルヴェス令嬢?」
リディアは一歩、前に出た。
自分でも分かる。
今の自分の顔。
きっと。
昔と同じだ。
「この子を“管理対象”として扱うなら、私は承諾しません」
「しかし彼は帝国の正統後継者で――」
「だから何です?」
ぴしゃり。
言葉を叩き落とす。
「王位継承権があるから閉じ込める?」
「危険だから隔離する?」
「……それは“保護”ではなく、“利用”です」
空気が、張り詰める。
誰も、息をしない。
「この子は駒ではありません」
一歩、さらに踏み込む。
「一人の、人間です」
蒼い瞳が、まっすぐ騎士を射抜く。
「政治の道具にするなら」
低く。
冷たく。
そして。
決定的に。
「私は、学院も王城も敵に回します」
――その瞬間。
そこに立っていたのは。
十五歳の令嬢ではなかった。
かつて帝国を支えた。
宰相レオナールそのものだった。
◇◇◇
少し離れた場所。
ルカが、ぼそっと呟く。
「……あーあ」
「完全にスイッチ入ったな」
アランは、無言だった。
ただ。
初めて見る顔に。
目を逸らせなかった。
(……なんだよ、それ……)
知らない。
俺の知らない、リディアだ。
◇◇◇
その日の決定は、覆った。
“隔離措置は見送り”。
代わりに。
ユリウスは、自由のまま学院に残ることになった。
騎士たちが去ったあと。
ユリウスは、ぽつりと呟いた。
「……父上って、やっぱりすごい人なんですね」
リディアは、苦笑した。
「……違うわ」
「私はただ」
そっと、彼の頭を撫でる。
「家族を守りたいだけよ」
それだけだった。




