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閑話XIX:バレンタイン戦線異常なし(ただし王子の尊厳を除く)



 朝。

 学院は、妙に甘い匂いに包まれていた。


 紙袋。

 箱。

 リボン。


 廊下のあちこちで、ひそひそ声。


「……今日ってなんかあったっけ」


 ルカ・ヴァレンティンが欠伸を噛み殺す。


 隣でセラフ・ノア=リュミエールが穏やかに答えた。


「バレンタインですよ」


「……あー」


 年に一度の、甘味と恋心が爆発する日。


 つまり。

 めんどくさい日だ。



 一方その頃。


 アラン・セリーヌ・アスティリア。


 王太子。


 容姿良し。

 家柄最強。

 本来なら女子が列を成す男。


 ……のはずだった。


「……」


 机の上。


 何も、ない。


 ゼロ。


「……おかしい」


 去年は両手いっぱい。

 一昨年は山積み。


 なのに。


 今年、ゼロ。


「なぜだ……」



 廊下。


「ルカ先輩! これ受け取ってください!」

「リュミエール様もどうぞ……!」


 女子の群れ。


 中心。


 ルカとセラフ。


「いやだから俺いらねぇって!」

「お気持ちだけで十分ですので」


 そう言いながら。


 袋が増える。

 箱が増える。

 なぜか高級そうな包みまで増える。


「騎士科ってこんなモテんのかよ……」

「ルカが無自覚なだけです」


「は?」


 その時。


「ルカ先輩は優しいし!」

「リュミエール様は公式だし……!」


「公式?」


「え、だって伴侶ですよね?」


「は?????」


 セラフがにこやかに頷く。


「ええ」


「頷くな!!」



 そこへ。


 静かに現れる影。


 アラン。


 腕組み。


 真顔。


 背後に吹雪。


「……楽しそうだな」


「うわ殿下」

「殿下おはよー」


 軽い。


 扱い軽い。


 アランのこめかみに青筋が浮く。


「……なぜだ」


「何が?」


「なぜ貴様らばかりそんなに貰っている」


 ルカ、袋の山を見る。


「いや知らん」


 セラフ、淡々と。


「日頃の行いかと」


 ぐさ。


 見えない刃が刺さる。


「……俺は?」


「はい?」


「俺はどうなんだ」


「……」


「……」


「……」


 沈黙。


 ルカがぽつり。


「尊厳が虚数だからじゃね?」


「ルカ」


「冗談だって!」


 アランの肩が微妙に落ちる。



 その時。


「みなさん」


 ひょこっと顔を出すリディア。


 手には小箱。


「日頃のお礼です。どうぞ」


 配る。


 ルカに。

 セラフに。


 そして。


「殿下にも」


 ぱっと表情が明るくなるアラン。


「……俺にもあるのか」


「もちろんです」


 受け取る。


 包みを開く。


 中身。


 板チョコ。


 シンプル。


 一方。


 ルカとセラフ。


 箱を開ける。


 手作り。

 ハート型。

 しかもやたら丁寧。


「……」


「……」


 アラン、固まる。


「なぜだ」


「え?」


「なぜ形が違う」


「たまたまですわ?」


 にこ。


 無自覚爆撃。


 アランの尊厳が音を立てて崩れた。



 昼休み。


 屋上。


 アラン、ひとり。


 板チョコかじる。


 ぽり。


「……甘い……」


 甘いのに。


 なぜかしょっぱい気がした。


 その頃下では。


「これ食べきれねぇから半分やる」

「では一緒に食べましょう」


 セラルカが仲良くチョコ分けていた。


 遠目に見て。


 アラン。


「……絶対諦めないから、覚悟しておいてくれ……」


 ちょっとだけしょんもり。


 でも目は死んでいない。


 王子の尊厳は虚数だが、根性は実数だった。


 今年も平和なバレンタインである。



 夜。


 王城はすでに静まり返っていた。


 廊下に灯る魔導灯だけが、淡く床を照らしている。


 かつ、かつ。


 小さな足音が一つ。


 リディア・アルヴェーヌは、両手で箱を抱えながら歩いていた。


「……」


 心臓がうるさい。


(なに緊張してるのよ、私……)


 ただ渡すだけ。

 ただのお礼。


 そう。

 ただの。


「……ただの、感謝の気持ち……」


 自分に言い聞かせて、深呼吸。


 そして。


 執務室の前。


 灯りが、まだついている。


「……まだ起きてる」


 あの人らしい。


 こんな時間まで仕事。


 誰よりも国のことを考えて、

 誰よりも自分を後回しにして。


「……もう」


 小さく笑う。


 ほんと、前世と変わらない。


 優しすぎて、不器用な人。


 コンコン。


「……入れ」


 低い声。


 リディアは扉を開けた。



「……リディア?」


 書類の山に囲まれたアランが顔を上げる。


「どうした。こんな時間に珍しい」


「……殿下」


 ぺこり、と一礼。


 胸の前の箱がやけに重い。


「その……」


「?」


「これを、渡し忘れてて……」


「渡し忘れ?」


 机の前まで歩み寄る。


 そっと。


 箱を差し出す。


「……?」


 アランが受け取る。


 少しだけ眉をひそめる。


「昼に貰ったが……」


「ち、違います」


「?」


「それは、その……カモフラージュというか……」


「カモフラージュ?」


 意味が分からない、という顔。


 リディアの耳がじわじわ赤くなる。


「普段から……お世話になってますからね」


「……」


「ちゃんとしたの、別に作ったんです」


 ぼそっ。


 小声。


「殿下用に」


 その一言。


 時間が止まった。



「……開けても?」


「……どうぞ」


 箱が開く。


 中。


 しっとり焼き上げられたチョコケーキ。


 手作り。


 丁寧に粉糖まで振られている。


 明らかに。


 昼の板チョコとは格が違う。


「…………」


 アラン、固まる。


「リディア」


「は、はい」


「これは」


「……チョコケーキです」


「そうではない」


 ゆっくり顔を上げる。


 真剣な目。


「俺だけ、か?」


「……っ」


 リディア、視線逸らす。


「……そう、です」


「……」


「殿下は、甘いの好きでしょう」


「……」


「昔から、疲れると砂糖たくさん入れるし」


「……」


「だから……その……」


 ごにょごにょ。


「ちゃんと、甘いの作りました」


 静寂。


 次の瞬間。


 がたん。


 椅子が大きく鳴った。


「リディア」


「は、はい!?」


「ありがとう」


 即答。


 即答すぎる。


 声が、やたら優しい。


「……っ」


 心臓が跳ねる。


「俺は」


 ケーキを見つめながら。


「こういうのに、弱い」


「え」


「昼のあれは正直、業務連絡だと思ってた」


「業務連絡!?」


「だがこれは違うだろう」


 小さく笑う。


「完全に特別扱いだ」


「……」


「期待してもいいのか?」


 真っ直ぐな視線。


 逃げ場、ゼロ。


「……し、知りません!」


 リディア、真っ赤。


「ただのお礼です!」


「そうか」


「そうです!」


「……だが」


 フォークを手に取る。


 一口。


 口に運ぶ。


 甘い香りが広がる。


 ほろ苦いカカオと、

 たっぷりの砂糖。


 優しい甘さ。


「……うまい」


 ぽつり。


 心からの声。


「今年一番、うまい」


「……!」


 リディアの胸が、きゅっとなる。


「……よかった」


 小さく笑う。


 その笑顔を見て。


 アランは思った。


(……勝てる気がしない)


 セラフにも。

 ルカにも。


 そして。


 この子自身にも。


 振り回されっぱなしだ。


 だが。


 悪くない。


「リディア」


「はい?」


「来年も頼む」


「……来年?」


「予約だ」


「気が早すぎます!」


 笑い声が、静かな執務室に溶けた。


 その夜。


 王城で一番甘い匂いがしたのは、

 間違いなくこの部屋だった。


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