閑話XIX:バレンタイン戦線異常なし(ただし王子の尊厳を除く)
朝。
学院は、妙に甘い匂いに包まれていた。
紙袋。
箱。
リボン。
廊下のあちこちで、ひそひそ声。
「……今日ってなんかあったっけ」
ルカ・ヴァレンティンが欠伸を噛み殺す。
隣でセラフ・ノア=リュミエールが穏やかに答えた。
「バレンタインですよ」
「……あー」
年に一度の、甘味と恋心が爆発する日。
つまり。
めんどくさい日だ。
◆
一方その頃。
アラン・セリーヌ・アスティリア。
王太子。
容姿良し。
家柄最強。
本来なら女子が列を成す男。
……のはずだった。
「……」
机の上。
何も、ない。
ゼロ。
「……おかしい」
去年は両手いっぱい。
一昨年は山積み。
なのに。
今年、ゼロ。
「なぜだ……」
◆
廊下。
「ルカ先輩! これ受け取ってください!」
「リュミエール様もどうぞ……!」
女子の群れ。
中心。
ルカとセラフ。
「いやだから俺いらねぇって!」
「お気持ちだけで十分ですので」
そう言いながら。
袋が増える。
箱が増える。
なぜか高級そうな包みまで増える。
「騎士科ってこんなモテんのかよ……」
「ルカが無自覚なだけです」
「は?」
その時。
「ルカ先輩は優しいし!」
「リュミエール様は公式だし……!」
「公式?」
「え、だって伴侶ですよね?」
「は?????」
セラフがにこやかに頷く。
「ええ」
「頷くな!!」
◆
そこへ。
静かに現れる影。
アラン。
腕組み。
真顔。
背後に吹雪。
「……楽しそうだな」
「うわ殿下」
「殿下おはよー」
軽い。
扱い軽い。
アランのこめかみに青筋が浮く。
「……なぜだ」
「何が?」
「なぜ貴様らばかりそんなに貰っている」
ルカ、袋の山を見る。
「いや知らん」
セラフ、淡々と。
「日頃の行いかと」
ぐさ。
見えない刃が刺さる。
「……俺は?」
「はい?」
「俺はどうなんだ」
「……」
「……」
「……」
沈黙。
ルカがぽつり。
「尊厳が虚数だからじゃね?」
「ルカ」
「冗談だって!」
アランの肩が微妙に落ちる。
◆
その時。
「みなさん」
ひょこっと顔を出すリディア。
手には小箱。
「日頃のお礼です。どうぞ」
配る。
ルカに。
セラフに。
そして。
「殿下にも」
ぱっと表情が明るくなるアラン。
「……俺にもあるのか」
「もちろんです」
受け取る。
包みを開く。
中身。
板チョコ。
シンプル。
一方。
ルカとセラフ。
箱を開ける。
手作り。
ハート型。
しかもやたら丁寧。
「……」
「……」
アラン、固まる。
「なぜだ」
「え?」
「なぜ形が違う」
「たまたまですわ?」
にこ。
無自覚爆撃。
アランの尊厳が音を立てて崩れた。
◆
昼休み。
屋上。
アラン、ひとり。
板チョコかじる。
ぽり。
「……甘い……」
甘いのに。
なぜかしょっぱい気がした。
その頃下では。
「これ食べきれねぇから半分やる」
「では一緒に食べましょう」
セラルカが仲良くチョコ分けていた。
遠目に見て。
アラン。
「……絶対諦めないから、覚悟しておいてくれ……」
ちょっとだけしょんもり。
でも目は死んでいない。
王子の尊厳は虚数だが、根性は実数だった。
今年も平和なバレンタインである。
◆
夜。
王城はすでに静まり返っていた。
廊下に灯る魔導灯だけが、淡く床を照らしている。
かつ、かつ。
小さな足音が一つ。
リディア・アルヴェーヌは、両手で箱を抱えながら歩いていた。
「……」
心臓がうるさい。
(なに緊張してるのよ、私……)
ただ渡すだけ。
ただのお礼。
そう。
ただの。
「……ただの、感謝の気持ち……」
自分に言い聞かせて、深呼吸。
そして。
執務室の前。
灯りが、まだついている。
「……まだ起きてる」
あの人らしい。
こんな時間まで仕事。
誰よりも国のことを考えて、
誰よりも自分を後回しにして。
「……もう」
小さく笑う。
ほんと、前世と変わらない。
優しすぎて、不器用な人。
コンコン。
「……入れ」
低い声。
リディアは扉を開けた。
◆
「……リディア?」
書類の山に囲まれたアランが顔を上げる。
「どうした。こんな時間に珍しい」
「……殿下」
ぺこり、と一礼。
胸の前の箱がやけに重い。
「その……」
「?」
「これを、渡し忘れてて……」
「渡し忘れ?」
机の前まで歩み寄る。
そっと。
箱を差し出す。
「……?」
アランが受け取る。
少しだけ眉をひそめる。
「昼に貰ったが……」
「ち、違います」
「?」
「それは、その……カモフラージュというか……」
「カモフラージュ?」
意味が分からない、という顔。
リディアの耳がじわじわ赤くなる。
「普段から……お世話になってますからね」
「……」
「ちゃんとしたの、別に作ったんです」
ぼそっ。
小声。
「殿下用に」
その一言。
時間が止まった。
◆
「……開けても?」
「……どうぞ」
箱が開く。
中。
しっとり焼き上げられたチョコケーキ。
手作り。
丁寧に粉糖まで振られている。
明らかに。
昼の板チョコとは格が違う。
「…………」
アラン、固まる。
「リディア」
「は、はい」
「これは」
「……チョコケーキです」
「そうではない」
ゆっくり顔を上げる。
真剣な目。
「俺だけ、か?」
「……っ」
リディア、視線逸らす。
「……そう、です」
「……」
「殿下は、甘いの好きでしょう」
「……」
「昔から、疲れると砂糖たくさん入れるし」
「……」
「だから……その……」
ごにょごにょ。
「ちゃんと、甘いの作りました」
静寂。
次の瞬間。
がたん。
椅子が大きく鳴った。
「リディア」
「は、はい!?」
「ありがとう」
即答。
即答すぎる。
声が、やたら優しい。
「……っ」
心臓が跳ねる。
「俺は」
ケーキを見つめながら。
「こういうのに、弱い」
「え」
「昼のあれは正直、業務連絡だと思ってた」
「業務連絡!?」
「だがこれは違うだろう」
小さく笑う。
「完全に特別扱いだ」
「……」
「期待してもいいのか?」
真っ直ぐな視線。
逃げ場、ゼロ。
「……し、知りません!」
リディア、真っ赤。
「ただのお礼です!」
「そうか」
「そうです!」
「……だが」
フォークを手に取る。
一口。
口に運ぶ。
甘い香りが広がる。
ほろ苦いカカオと、
たっぷりの砂糖。
優しい甘さ。
「……うまい」
ぽつり。
心からの声。
「今年一番、うまい」
「……!」
リディアの胸が、きゅっとなる。
「……よかった」
小さく笑う。
その笑顔を見て。
アランは思った。
(……勝てる気がしない)
セラフにも。
ルカにも。
そして。
この子自身にも。
振り回されっぱなしだ。
だが。
悪くない。
「リディア」
「はい?」
「来年も頼む」
「……来年?」
「予約だ」
「気が早すぎます!」
笑い声が、静かな執務室に溶けた。
その夜。
王城で一番甘い匂いがしたのは、
間違いなくこの部屋だった。




