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第七十八話:甘い紅茶は、ただ一人のために

帝城の回廊は、嫌になるほど長い。


磨き上げられた床。

等間隔に並ぶ柱。

無駄に豪奢な装飾。


(……歩きにくい)


レオナールは内心で舌打ちした。


子爵家出身。

成り上がり。

平民上がりの官僚。


陰ではいくらでも好きに呼ばれている。


――泥靴宰相。

――血塗れの理性屋。

――王の犬。


今日も、背中に刺さる視線が痛い。


「……」


だが足は止めない。


止まれば負けだ。

俯けば、付け込まれる。


ただ前だけを見る。


それだけで、この城を生き延びてきた。



「――宰相閣下」


甘い声が、廊下に落ちた。


レオナールは反射的に警戒する。


振り向く。


白いドレス。

金の髪。

光そのもののような微笑。


王の妹。


第一王女、エリザベート。


(……最悪だ)


貴族の頂点中の頂点。

最も関わってはいけない相手。


即座に跪く。


「王女殿下。御身に栄光を」


「堅苦しいのはやめてください」


「しかし」


「立って」


命令口調ではない。

お願いみたいな声音。


それが余計にやりにくい。


仕方なく立つ。


「……何用でしょうか」


「お茶に誘いに来ました」


「……は?」


素の声が出た。


「お茶、です」


「私が?」


「ええ」


「なぜ」


「……駄目ですか?」


上目遣い。


ずるい。


(意味が分からん)


王女が。

この国で最も尊い存在が。

なぜ、自分なんかを。


「……私のような者が隣に座れば、殿下の品位に傷がつきます」


「つきません」


即答。


「あなたはこの国で一番忙しい人です。だから捕まえるのが大変でした」


「捕まえる……?」


「三日追いかけました」


「なぜ」


「会いたかったから」


意味が分からん。


本当に意味が分からん。



半ば強制的に連れて行かれた庭園の東屋。


用意されたのは紅茶。


そして。


やたら甘い匂い。


「……これは」


「ロイヤルミルクティーです」


「……砂糖が」


「はい。たくさん入れました」


「……」


明らかに入れすぎだ。


色がほぼベージュ。


甘味の暴力。


「閣下、甘い物お好きでしょう?」


「……なぜ」


「この前、厨房でお菓子をじっと見てました」


「見てない」


「見てました」


「……」


「でも、人前では絶対食べませんよね」


言葉に詰まる。


図星だった。


「……威厳が、崩れますので」


「威厳なんて、私の前では要りません」


さらりと言う。


「私は、あなたの部下でも国民でもありません」


カップを差し出される。


「ただの、エリザベートです」


「……」


「好きなもの、好きって言ってください」


「……」


「誰も、笑いません」


沈黙。


やがて。


そっと、一口。


「……甘……」


思わず漏れた声。


エリザベートが、ぱっと笑う。


花が咲くみたいに。


「美味しい?」


「……悪くない」


「ふふ」


それが、妙に嬉しそうで。


胸の奥が、少しだけ軽くなった。



「閣下」


「……はい」


「私、あなたと結婚したいです」


ぶふっ。


紅茶を吹いた。


「な、な、なにを」


「兄上にはもう言いました」


「待て」


「あなたの地位を確固たるものにするため、と説明しました」


「待て」


「政略結婚です」


「待てと言っている!!!」


息が切れる。


この人は。


とんでもない爆弾を笑顔で投げる。


「……なぜ、そこまで」


「決まってるでしょう」


エリザベートは、首を傾げた。


当たり前みたいに。


「好きだからです」


「……」


「あなたが、好きだから」


迷いゼロ。


真っ直ぐ。


まるで子供みたいに純粋。


「……私は、あなたに何も返せません」


「隣にいてくれれば十分です」


「……命を落とすかもしれない」


「一緒なら平気です」


「……」


「あなたが一人で戦うの、もう見ていられない」


その言葉だけが。


胸に刺さった。


(……一人)


ずっと。


ずっと一人で戦ってきた。


そう思っていた。


「……」


気付けば。


手が、触れていた。


白い指先。


温かい。


「……甘い物は」


「はい?」


「……もう少し、甘くてもいい」


エリザベートが目を丸くする。


それから。


泣きそうなくらい嬉しそうに笑った。


「はい、旦那様」


「まだ違う」


「すぐそうなります」


強い。


この王女は。


誰よりも強い。


(……勝てないな)


生まれて初めて、そう思った。


理でも剣でもなく。


ただ、心で。



その日から。


彼の机には、必ず甘い紅茶が置かれるようになった。


誰にも言えない。


二人だけの、秘密の味だった。

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