自分の力
ルミは、この状況に後ずさった。
手の指先に触れたのは《風牢エア・ケージ》。
逃げ場はない。ただ、指先に伝わるのは、氷のような風の冷感だけ。
その瞬間…指先から、何か冷たいものが血流を逆流するように流れ込んできた。
それは、まるで風そのものが体内の神経網を侵食してくるような感覚だった。
……な、なんですか……これ、一体?
命の危険よりも、今はその異常な体感に思考を奪われる。
ーーーピピ。
『外部マナ場との共鳴を確認。
対象よりウィンドマナ(風属性魔素)の吸引反応を検出。
生体エネルギー転換プロトコルを起動しますか?』
ウィンドマナ……?
理解が追いつかないまま、女性音声だけが淡々と続く。
『変換プロセス、承認とみなし実行。』
ーーシュッ!!
目の前に光の槍が迫る。
その刹那、槍の先端が胸に触れた瞬間…眩い閃光が炸裂した。
轟音とともに、全身から暴風が解き放たれる。
嵐のような風圧が周囲を薙ぎ払い、五人組も天使も、茶髪の男も、光の槍すらも押し飛ばした。
……な、なんなんですか、これ……!? 眩しすぎますっ!
先程の感覚が原因なのだろうか。
やがて光が収まり、奇妙な”軽さ”が体を包む。
皮膚の奥まで風の冷たさが染み渡り、
周囲の視線がざわめきを孕んで突き刺さる。
1「姿が……変わった?!」
4「おい、何が起きてる?!」
3「……ほぉ、風の流れが似てやがる。
まさかの同系統とはな。
アウトロー(無断入国者)で風魔法の使い手、とはな……」
風魔法の使い手……?
あれ?…今、言葉がわかる?
ーーーピピ。
『言語解析モジュール稼働。
対象言語との同期率ーー32.4%。
現在、音声認識および語彙統合の一次段階を完了。
ただし、翻訳は統計的補完に依存するため、
文意の齟齬発生確率は17.8%と推定されます。』
つまり……大体の会話は理解できるようになったってこと、ですか?
ーーーピピ。
『否定。音声出力系統は未構築のため、発声による意思疎通は不可能。
現在は受信専用の“受動的理解モード”に限定されています。』
……でも、聞き取れるだけでも助かります。
茶髪の青年が近づく。
「君は……一体…?もしかして…魔術師の家系なのか?」
魔術師……?
やっぱり、ここは私の知ってる世界じゃない。
髪や瞳の色、空気の匂いまで違う。
これは……日本じゃ、ない……?
「……おい、そこの女。こっち向け!!」
さっきの3番目の男が叫ぶ。
「背を向けたまま風を語るとは、
ずいぶん粋じゃねぇか。
けどな…“風向き”ってのは、いつだって気まぐれだ。
ハッ、世も末だが…悪くねぇ。
風使い同士、笑って散るのも悪くねぇだろ?」
ーーーピピ。
『対象“3”における敵対指数、上昇。
感情スペクトル解析結果:
闘争心 82%、好奇心 37%、殺意 65%。
交戦リスク高。』
……言われなくても、そんな感じしますよ。
ーーーピピ。
『補足:先程、風牢との接触時に魔素吸収現象が発生。
それにより一時的に風属性魔法の使用権限が付与。
副次的影響として、魔力の共鳴による外見的変異を確認。
ーー髪色:薄桃→翠緑。
ーー虹彩色:蒼→淡桃。』
「……な、なんですかその変化。説明になってませんよ……!」
ーーーピピ。
『平易に換言します。
俗に言う“プリ〇ュア的覚醒現象”に類似。
高次エネルギー干渉により生理構造が一時的に再構築された結果です。』
……いえ、逆に意味がわかりません。
なんでそうなったのか、科学的に説明してほしい……。
突然の無言…その前にこの声はどういう…
突然、天地を裂くような突風が吹き荒れた。
視線を向けると、3の周囲に、空気の渦が収束していく。
まるで風そのものが主を求めて膝をついているかのようだった。
3「ー風対決といこうか。
もっとも、“対決”にはならねぇがな。」
彼の声は、嵐の中でもはっきりと響いた。
「この四十八年、風だけを相手に生きてきた。風に生まれ、風と寝て、風に裏切られ、風を殺してきた。
アウトロー(無断入国者)にして無登録者…つまり“法の外の風”か。上等だ。
この俺様、バルドル『3』が直々に、貴様に鉄槌を下してやる!」
右手をかざす。
刹那、周囲の空気が裂ける音。
「ーー風魔法:風刃輪!」
風が刃となり、ブーメランのように弧を描く。
一撃でも掠れば皮膚が裂け、骨が粉砕されるほどの威力。
2「さすがです、バルドル様。お見事な風の収束です。」
1「へっ、終わりだな嬢ちゃん! あの一撃、かすったら臓腑までバラけるぜ!」
4「ふははっ! このバルドル様の風カッターはなぁ、切れ味だけじゃねぇ!
骨も、魔法も、魂の抵抗すら切り刻む! しかもこれ、バルドル様自作の独創魔法《風裂構成式》だ!!」
5「うっわ〜! 相変わらず殺意高ぇなバルドル兄貴!」
私は、口を開いたまま立ち尽くす。
……無登録者、反逆者、無断入国者。
そう呼ばれているのは私なのだろう。
いくらなんでも罰が重すぎませんか? ただ迷い込んだだけなのに……
気づけば、あの茶髪の青年の姿がない。
……あの人、まさか逃げたんですか?!
裏切りの現実に目を疑う間もなく、再び風が唸る。
ど、どうしましょう……風魔法なんて知らないです! どうやって発動するんですか?!
ーーーピピ。
『模倣行動アルゴリズム起動。
相手個体の魔術行動を構文的再現することが可能です。』
……ま、真似る?
ーーーピピ。
『模倣開始。』
えっ、ちょ、ちょっと待っ――!
次の瞬間、私の周囲に鋭利な風の輪が浮かび上がった。
それはバルドルのものに酷似してーー
いや、それ以上に、整然とした幾何学的構造を帯びていた。
1「な、なんだとっ?!」
2「ど、どうやったのですか?!あれほど精密な風刃を……!」
4「バルドル様の風カッターが……!? 同等の形を成してやがるッ!」
5「で、でもあいつの、見てくださいよォ! なんかヘンテコな形してんじゃ――」
5の言葉が終わるより早く、
バルドルの放った風カッターが、寸前で彼の首元にぴたりと止まった。
5「ひっ……?! な、なんで俺に……!?」
バルドルの笑いが空気を震わせた。
バルドル「ーー黙れ。あれは……俺様より“洗練された”風だ。
ふははははっ……ハァーッハッハッハ!! おもしれぇ!!!」
風が狂気とともに渦巻く。
「模倣だと? 上等だ! ならば見せてみろよーー模倣を超える“創風”ってヤツをなァ!!」
……パクってるのは否定できませんけど。
でも、数は明らかに不利。
私の風カッターは四つ。
相手のバルドルは十六。
くっ……どうすればーー
ーーーピピ。
『魔力量解析完了。
現在のマナ残量では四基の風刃生成が限界です。
ただし、各風刃の消失時に残留魔力を再吸収することで、
再構成が可能です。
いわゆる“循環型生成システム”と呼称されます。』
……つまり、一つ壊れたら一つ作れるってことですか。
再利用式ーーなるほど、
……!…魔力…少し無茶ですが試してみる価値はありますね。
バルドルが風を巻き上げ、天へと吠える。
「さあ、無登録者ァ!! 生きるも死ぬも、風次第だッ!
ーー風は裏切らねぇ。
ただ、弱者を選ばねぇだけだ!!」




