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※編集中

「や、めろッ!」


 地面に倒れていた晢が、頭から血を流しながらも、片足を立てて懸命に起き上がろうとする。


「なんで?」


 レキは女子の首を掴んだまま、晢に向かって首を傾げた。その表情には、純粋な疑問が浮かんでいる。


「その人は、被害者だ!」

「? 加害者だろ。アンタもも怪我したじゃん」

「その子のせいじゃない!」

「ハァ? 事実だろ。大体、俺は悪禍と戦うためにいんのに、なんで止めるわけ?」


 怒りでギリギリとレキの指が女子の首に食い込み、血管が浮き上がる。その一瞬の躊躇を突き破るように、晢は残された力を振り絞ってレキに突進し、体当たりを仕掛けた。


「やめろッ!」


 飛び込んできた晢を、レキは一歩後ろに下がって容易く避けた。晢の体は、慣性のまま地面に転がるように無様に崩れ落ちる。


「お願いだ……やめてくれ……」


 晢は地面に顔をつけたまま、震える声でレキに懇願した。その声には、プライドも何もかも捨て去ったような、ただただ命を乞う響きがあった。

 「あー」と考え込んだレキは、パッと手を離して女子を開放した。女子は糸の切れた人形のように地面に倒れこみ、「、ァ!ッゴホ、ッハァ!」と、必死に酸素を求めて苦しそうに咳き込んだ。


「……これまた俺が謝らないといけないやつ?」


 レキは血と涙に濡れた二人を上から見下ろして呟いた。


―――――――――――


「後の事はこちらに任せて下さい。では失礼します」


 頭に包帯を巻いた晢は、重苦しい空気が漂う玄関先で、サイレンの音を遠ざけながら去っていくパトカーをじっと見送った。その背中には、今日の出来事の重みがずっしりと乗っているようだった。


「虐待されてる子供って親を庇うやつ多いんだよなァ」


 手錠が元に戻ったレキは、晢と同じようにボーっと車が遠ざかっていくのを眺めながら、独り言のように静かに呟いた。


「……あれは虐待なのか」

「行き過ぎた愛は立派な暴力だろ」


 レキは晢の問いかけに顔を向ける。

 ずっと遠くを見つめていた晢は、その言葉を反芻するように小さく「そうか」と呟いた。彼の中で、何かが音を立てて崩れていく。晢が思い詰めた顔をするのを見て、レキが「それよりさァ」と口を開く。


「なァんで悪禍なのに止めたわけ?」


 晢の視線がレキに向く。


「あの子は事情が違う」

「事情って加害者の事情だろ?」

「あの子は被害者だ」


 レキはきょとんとした。彼の表情には、本当に理解できないという戸惑いが浮かんでいる。


「なんでそーなんの?」

「あの子は悪禍にされたんだぞ」

「それって犯罪なわけ?」


 晢が「は、」と息を呑んだ。レキの問いは、彼の倫理観の根幹を揺さぶるものだった。


「あの親とお前らがやってることの何が違うの? 法に『悪禍にすべからず』ってあるっけ?」

「ッお前たちは犯罪者だろう!」


 無垢な目で見つめてくるレキに、晢は狼狽えながら反論する。声は、僅かに上ずっていた。


「でもさァ。法がすべてで、結果がすべてだろ?」


 晢の額に、冷たい汗がツーッと流れ落ちる。


「だって野良犬に餌を与えるのは罪だっけ? 違うよな。罪なのは犬にネギ()を与える無知さだろ」


 晢は目を見開き、たこ焼き屋の店主を思い出す。

 無知の悪意が犯罪となる瞬間かもしれないことを晢は理解した。


「記録に残るだけの犯罪が法で裁ける。過去の何かがあって今のルールがあんだよ」


 レキは凪いだ目で晢を見る。その瞳の奥には、彼が見てきた世界の真実が映し出されているかのようだ。

 晢の胸にレキが指で軽く突く。


アレ()が加害者なら、お前たちは俺と同じ(犯罪者)だろ」


 晢が俯く。その肩は微かに震え、全身から力が抜けていくようだった。


「アレ? 泣いちゃった?」


 レキは体を横に倒して、下から晢の顔を覗き込もうとする。その顔には、揶揄するような笑みが浮かんでいた。だが晢はレキの腕を振り払い、顔を上げた。少し潤んだ瞳は、それでも強い光を宿してレキを睨みつける。


「なァんだ。ワンワン泣くかと思ったのに」

「フンッ。お前が勝手にワンワンと無駄吠えしてるだけだ」

「ダハッ! やめてくれって泣いてたくせにぃ」

「アレはお前がッ……」


 声を荒らげる晢だが、途中で言葉を飲み込んだ。


(いや、アレは僕が招いた結果だ)


 悪禍になり首を絞められた女子の苦悶の表情が脳裏に焼き付いていた。晢はギリッと拳を強く握る。彼の心の中で、後悔と決意が交錯していた。


「……現状、僕たちでは悪禍に対抗できないのは事実だ」

「だからはコレ(モラトリアム)は必要って?」


 首輪をカリカリと引っ掻くレキの表情には、自分勝手で笑える、とでも言うかのような冷笑が浮かんでいた。


「そうだな。お前たちに背負わせている。だけど……」


 晢が目を閉じて途中で会話を区切り、レキが首を傾げる。その静寂は、次の言葉を待つかのように長く感じられた。


「お前たちのためにも必要なことだ」


 晢が目を開き、レキを真剣な顔で見つめる。その瞳には、揺るぎない意志と、深い覚悟が宿っていた。


「ハ?」

「お前たちが社会復帰をするのなら、罰も償いも必要なんだ」

「ソレお前ら側の意見じゃん」


 晢はレキに対して「可哀そうな人だ」とでも言うように苦笑した。その表情には、レキの理解を超えた深い悲しみと諦めが混じっていた。


「人が人を裁く資格にエゴ(娯楽)があってはならない。だから基準(法律)がある」


 晢はまるで自分の内側にある重い問いに答えるかのように、一つ息を吐いた。


(罰を決めるのは加害者でも被害者でもない)


 晢の言葉は、正しさの重さを、そしてそれが故の苦しさを湛えていた。


「被害者が一生の傷を負っても、償いは中立(裁判官)が決める。……苦しさを無理やり呑み込まないといけない」


 今度は晢がレキの胸に指を軽く突く。その指先から、晢の強い思いが伝わるかのようだ。


「そんな世の中をお前(囚人)は知らないといけないんだ」


 晢の真剣な顔にレキがきょとんとした後、次の瞬間、「ダハッハッハッハッ!」と腹を抱えて大爆笑した。彼の笑い声は、場の緊張感を一瞬で吹き飛ばす。

 一頻り笑ったあと、レキは真面目な顔をして晢を見つめる。その瞳には、初めて真剣な光が宿っていた。


「だったらアンタが俺に正しさを教えてくれよ。――俺が生きている限り、俺がお前の正しさの証になってやる」


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