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3日目「遠吠え」

「へ、へへっ……」

 

 少女はバツが悪そうに、愛想笑いとも苦笑いともつかない不器用な笑みを浮かべ、誤魔化すように頬を掻いた。


「なんでこんなところに……。いや、待て、君は……」

「何? あんたの()()?」

 

 レキがニヤけながら小指を立てて、下品な軽口を叩く。僕は手元の端末を操作しながら、極めて真面目な顔で答えた。

 

「僕の真剣交際は十八歳以上だ」


 一瞬、レキは毒気を抜かれたように口を半開きにしたが、直後に「ダハハッ! キッモォォ!」と腹を抱えて床を転げ回った。

 その騒音を思考の外へ追いやり、僕は空中に投影された『捜索願』のホログラムと目の前の少女の顔を厳格に照合する。


「……間違いない。本人だ」

 

 安堵よりも先に、なぜ引き出しに隠れていたのかという疑念が胸中を掠める。僕がその答えを測りかねていると、少女が困惑した様子で眉を下げた。

 

「あのぉ……とりあえず、ここから出してもらえませんか?」

 

 無理な体勢でハマり込んだのか、少女はひっくり返った亀のように手足をバタつかせた。

 僕は端末を閉じて、彼女の脇に手を差し入れ、一気に引き上げる。

 

「あわ、わわっ!?」

 

 スポン、と抜けるような感触とともに、少女の体が宙に浮いた。そのまま床へと下ろすと、彼女はよろけながらも自分の足でしっかりと踏ん張る。その様子を見て僕は心の中で小さく胸を撫でおろした。

 

「怪我は――なさそうですね」

「はい、ありがとうございました! いやぁ、急いで隠れたはいいものの、出られなくなっちゃって!」

「なんであんなところに隠れてたわけ?」

 

 レキの問いに少女が「それは……」と言い淀んだその時――ブゥンと電子音が鳴り、空中に通信画面が浮かび上がった。


『晢、報告だ』


 映し出された顔を見て、レキが「さっきのおっさんじゃん」と無作法に呟く。


「あの、こちらもお知らせしたいことがあります」

『うん、なんだ? ……っておいおい。その子はもしや?』

「はい。行方不明だった少女です。被害者宅のキッチンの収納棚で発見しました」


 僕が手で示すと、画面の向こうの上司に少女は小さく頭を下げた。そんな少女に『収納、棚……?』と通信越しに、上司の困惑した小さな呟きが漏れる。


「先ほど発見したのでこちらも詳しいことは分からないのですが、怪我なども見当たらず、体調には問題なさそうです」

『そうか。……まぁ、丁度いいかもしれんな』

「丁度いい、とは?」

『実は母親が目を覚ましたと病院から連絡が入った』

「本当ですか!?」

 

 僕の声に重なるように、少女は両手で口を覆い体を震わせた。「お、お母さんが……」と呟くその目には、うっすらと涙が浮かんでいる。


『面会の許可は取ってあるが、どうする?』

「え? さっきまで意識がなかったんですよね? 面会って母親の容態は大丈夫なんですか?」

『医者の見解では、短時間なら問題ないと判断したみたいだ。怪我も見た目ほど、酷くなかったそうだ。それに被害者本人も聴取が必要なら協力すると言っている』

「了解しました。直行します」


ーーーーーー


 エレベーターを降り、静まり返った病院の7階を奥へと進む。

 被害者の少女の母親が入院しているという病室の前で、僕たちは立ち止まった。

 ノックをしようと上げた手が、不意に止まる。

 固閉ざされた扉の向こうから、密やかな話し声が漏れ聞こえてきたからだ。

 

「娘さんも無事で本当に良かったです」

「ええ。本当に……あの子が無事でよかった」

「きっとお母さんに会いたがってますよ」

「私も早く会いたいわ。無事とは聞いたけれど、なんだか不安で……」

「あー、わかります。会うまで本当に無事なのか、そわそわしちゃうんですよね」

「そうなの。ちゃんと、この目で見て安心したいわ。――あぁ早く会いたいわ」

 

 どうやら看護師と母親の会話が漏れ聞こえていたらしい。

 母親との面会は許可されていると聞いてはいたが、本当は無理をしているのではないのかと思っていた。だが、しっかりとした受け答えに安堵する。

 思っていたよりも怪我の具合は酷くないのかもしれない。

 僕は隣で立ち尽くす少女へ、そっと視線を向けた。

 

「お母さん、元気そうですね」


 笑いかけても、少女は答えなかった。ただ病室の扉を凝視したまま、ぎゅっと自分の袖を握りしめて震えている。母親の声を聞いているはずなのに、浮かない顔をしている。


(……?)


 僕は首を傾げる。どこか様子がおかしい。喜んでいるどころか、彼女はまるで――。


「――誰かそこにいるの?」


 室内から届いた、母親の穏やかな声。その瞬間、少女の顔から一気に血の気が引いた。

 指先が白くなるほど袖を握りしめる。まるで逃げ場のない何かに見つかったかのように。


「……っ!」

 

 次の瞬間、少女は脱兎のごとく走り出していた。


「え、なんで逃げ――って、ちょっと待って!」

「なにあいつ?  かくれんぼの次は鬼ごっこかよ」

「追いかけるぞ!」

 

 理由もわからぬまま、一拍遅れて僕たちは地を蹴った。執行官として、目の前の対象を見失うわけにはいかない。

 

「待ってください! どうして逃げるんですか!」

「ダハッ! あいつ足早ェー。このままじゃ逃げられんじゃね?」

「分かってる!  ……そもそも何であの子は逃げるんだ……っ」

 

 逃げる少女が一瞬だけ背後から追いかける僕たちを盗み見る。

 キュッ、と靴底が悲鳴を上げ、彼女は直角に角を曲がった。そのまま最短距離を突っ切り、階段の踊り場から下の階へと飛び降りた。


「はぁ!?」

 

 思わず身を乗り出し、階下を覗き込む。

 あまりに無茶な逃走経路に、隣でレキが愉快そうに喉を鳴らした。


「おー。じゃ、俺も!」

「待て!」

 

 少女に続いて手すりを越えようとしたレキの首輪を背後からひっ掴む。

 

「グェッ――!」


 喉元を絞り上げられ、宙に浮きかけたレキの体が床へと叩きつけられた。


「……ゲホッ、死ぬかと思った、なにすんだよ!」

「勝手に突っ走るな」

「エェー? じゃあさァ、もう俺に『捕まえろ』って命令してよ。そしたらちょちょいのちょいで仕留めて(捕まえて)くるからさ」

「お前を一人にさせるわけないだろ」

「……エッ。俺、もしかして告白されてる?」

 

 ポッと頬を染め、わざとらしく両手を当てるレキ。

 

「するわけないだろ! 変異囚を野放しにできるわけがないという意味だ! どうやったらそんな解釈になる!」

「……エー?  今更じゃね? さっきから俺のこと放置気味のくせにさァ」

「ゥグッ! それは、今までの癖が抜けてないだけで……」

「ア~、突っ走りタイプ? それで『少しは周りのことも考えろ』って執行官に左遷されたとか!」

「……っ」

「エッまじ? 図星?」


 執行官としての自覚を持とうとしても、根底にある性質はそう簡単に変えられない。逃走する背中を目にすれば、思考よりも先に体が地を蹴る。初動の遅れが致命傷になることを、嫌というほど経験で学んできたからだ。走りながら、次の一手を脳内で組み立てる。

 だが、そんな反射に突き動かされる僕の隣に、本来「追われる側」であるはずの悪禍が並んで走っている。そのあまりに歪な光景に、脳のどこかがまだ処理できていなかった。

 

「ア~! いっけないんだー仕事なのに!」

「お前に言われなくてもわかってる!」


 僕は苛立ちをぶつけるように、階段の手すりから身を乗り出し、下の階を睨みつけた。

 

「とにかく、早く追いかけるぞ!」

 

 急かす僕をレキはあざ笑うかのように細めた目で見つめている。その底の見えない瞳には、規律に縛られた僕への当てつけ――あるいは、この状況そのものへの退屈さが透けて見えた。

 

「つーかさァ。さっきから、まだるっこいんだよなァ」


 突如として足元を掬われた。

 踏ん張る間もなく視界が跳ね上がり、真っ白な天井が目に飛び込んでくる。

 そのまま無様に仰向けに転がる――そう悟って身を固めた瞬間、「オーラーイ!」という声と共に背中に柔らかな衝撃が走った。


「ハァッ!? なにす……!」

 

 抗議の声を上げる間もなく、レキは僕を横抱きにしたまま、背後の窓へと突き進む。

 迷いのない足取りで窓際に立つと、彼は空いた手の親指で窓のクレセント錠を軽がると弾き飛ばした。

 そのまま流れるように窓枠に足をかけ、まるでお散歩にでも出かけるような気軽さで身を乗り出す。

 吹き抜ける風の中、レキが牙を見せてニヤリと笑った。


「遠吠え、入りまァーすッ!」

「う……うあああああああああー!」


 満面の笑みを浮かべるレキと、裏返った悲鳴を上げる僕。

 重力に身を任せた二人の影が、七階にある病院の窓からダイブした。

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