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2日目「嗅ぎ取る犬」

「ここってさァ、もう調べたんじゃねぇの?」


 被害者宅の廊下。

 鎖をジャラリと鳴らしながら僕の後ろを歩くレキが、気の抜けた声を出す。


「念のために僕たちの目でも調べるんだ」

「エェ~二度手間じゃね? めんどくさァ……」


 口輪の奥で不満げに唇を尖らせる男を僕は冷ややかに一瞥した。

 

「情報として聞くのと自分の目で確かめるのとでは、得られる視点が違う。捜査の基本だ」


 リビングに繋がるドアノブに手をかけて振り返る。


「いいか。くれぐれも僕の捜査の邪魔をするなよ」


 だるそうにひらひらと手を振るレキを横目に、僕はゆっくりと扉を押し開ける。


「ここが事件の起きた場所か……」


 現場特有の異様な空気が肌を刺す。

 壁に飾られた家族写真や、使い込まれた家財道具。ありふれた生活の気配が色濃く残る場所だからこそ、そこに混じる微かな血の鉄臭さが生理的な嫌悪を催すほどに鼻を突く。

 静止した空気の重みが日常の残骸を無機質に際立たせていた。


(あぁ……)


 事件さえ起きなければ、今もここには幸せな時間が流れていたはずなのだ。

 誰かのたった一つの分岐でこうも容易く人生は壊れてしまう。現場に足を運び、この空気を肌で感じる度、僕はそんな感傷に思いを馳せてしまう。

 だが、だからこそ。今やるべきことを間違えてはいけない。

 一刻も早く事件を解決すること。それが今の僕に課せられた唯一の職務だ。


 腕の端末を操作し、被害者の身上調査資料をホログラムで呼び出す。僕はその無機質なデータと、血の匂いの残る現場の状況を照らし合わせていった。


 被害者である母親は、腹部への衝撃による骨折と内部出血。さらにその勢いで背後の壁へ叩きつけられ、後頭部を損傷している。

 資料を下へスクロールする。


 一、血痕は被害者のもののみ。

 二、玄関や窓にこじ開けられた形跡はなし。

 三、争った形跡はない。


 現場は不自然なほどに整然としていた。

 

(抵抗する暇もなかったのか? となると……)


 思考を裏付けるべく、僕は端末をさらにスクロールして情報の海を浚う。

 しかし期待した情報は外れだった。


(親しい間柄による犯行かと思ったが……そんな単純な話なわけないか)


 調査の結果は白。近親者に犯罪歴はなく、悪禍との関わりも確認されていない。

 改めて室内を見渡すが、金品を物色した形跡など、他に目立った被害もない。

 強いて言えば、母親が壁に叩きつけられたときにできた陥没痕と、そこにこびりついた血痕くらいだ。

 

(……ピンポイントに母親だけが狙われた形か)


 目的は母親への怨恨。あるいは――ここの子供か。

 端末を閉じ、振り返る。


「おい、お前。悪禍の能力で何か――」


 だが、そこにいたはずの男の姿がない。


(い、いない!?)

 

 心臓が嫌な跳ね方をした。

 まずい。調書の分析に意識を割きすぎた。鎖の音にも気づかなかったなんて……。

 枷がある以上、最悪な事態にはならない。だが管理官としての管理責任を問われることは免れないだろう。

 嫌な想像が脳裏をよぎり、慌てて室内を見渡す。だが、その懸念はすぐに深いため息へと変わった。

 

「……おい。何をしている」

「んァ?」

 

 いつの間にかキッチンに立っていたレキの手には、ご飯が盛られた茶碗と箸。その奥には、蓋が開いたままの炊飯器が置かれている。

 もぐもぐと、幸せそうに口を動かしているレキをみて慌てて近づく。


「お、お前……! 何してるんだ!」

(めひ)食ってる」


 口輪の隙間に器用に箸を差し込み、呑気に米を詰め込んでいるレキに怒りが沸く。

 

「ここは事件現場だぞ!」

「へも腹へったひ」

 

 悪びれもせず言うレキに、思わず声を荒げる。


「だからって、人の家のものを勝手に食べるやつがどこにいる!」

ほほ(ここ)


 レキは頬を膨らませたまま、自分の胸を指した。

 それから、ごくんと米を飲み込む。


「なァんでそんなプンプンしてんの? 俺、邪魔してないじゃん」


(あ、あまりにも普通という常識が欠けている……)


 僕は頭を抱えてうなだれる。

 レキはそれを不思議そうに見つめて、首を傾げた。


「つーかここって調べ終わったんだろ?」


 箸を手にしたまま、レキが肩をすくめる。


「なら腐って捨てられるだけじゃん。別に食べたってよくねェ? ほら、見てよこのお米。カチコチに固まって可哀想だぜ」

「よくないッ!」

 

 未だに嫌な匂いが漂う現場で、あろうことか被害者宅のご飯を口に運ぶ男に僕は怒鳴り声を上げた。

 

「ハァ~……米も硬けりゃ、誰かさんの頭も硬い。いいじゃん、フードロス対策だってェ」


 どこまでも他人事のように軽い調子で笑いながら、レキは残りの米を口に放り込んだ。

 空になった茶碗を片手に持ち、箸をくわえたまま、今度は我が物顔で冷蔵庫の中を覗き込み始める。


「大丈夫だって。俺が綺麗に『証拠隠滅』してやるから――お? ほら、いいもんみっけェ~!」


 嬉しそうに声を上げながら、レキが冷蔵庫の奥へと手を伸ばした。


「だから勝手に食うな!」

 

 僕は思わず駆け寄り、反射的にレキから茶碗と箸をひったくった。

 未だに事件の香りが残っている中で、よくもこれほど無邪気に米を食えるものだ。人の心というものが根底から欠落しているのではないかと、つくづく普通の人とは違うのだと実感する。

 

「ア゛ーッ! 何すんだよ!」


 レキは悲鳴に近い声を上げたかと思えば、一転。急にしおらしくなり、両手で腹を抱えた。


「……ううっ」


 悲劇の主人公を気取ったわざとらしい顔で、上目遣いに僕を見てくる。


「知ってるか? 刑務所(ムショ)っておかわり禁止なんだぜ。おかず交換もダメ」

「当たり前だ。規則だからな」

「でもさァ誰かの残りを貰おうとするのもダメってお前知ってた!? 俺、それ知らなくておかず貰おうとしたらへーきょ罰にされたの!」

「規則だから……って閉居罰? おかずを貰おうとしただけで、そこまで厳格に処されるのか?」

 

 僕は記憶を辿る。

 

(施設によって規律の差はあると聞くが、食料の授受だけでそこまでの重罰を科すものだろうか?)


 閉居罰――受刑者が規律を破った際に科される懲罰だ。一定期間、独居房に隔離され作業や読書などの自由が制限される。ただ壁に向かって座り続ける、精神的に厳しい罰である。

 だが、おかずを譲っただけで科されるにしては、少々重すぎる気がした。

 

「そう!  せっついて、ちょっとケンカになっただけなのにさ!」

「それが原因だろうが!」

 

 僕は思わず怒鳴る。

 刑務所は更生を目的とした場所だ。余計なトラブルの火種を消すために、最初から厳密なルールで縛ることで自由を禁じている。その理由が目の前の男を見ていると嫌というほど理解できた。


「そもそも、お前が食べている飯は血税で賄われているんだ。食えるだけでありがたく思え」

「? タダってこと?」

「税金って言ってるだろうが!」

 

 まったく悪びれた様子もなく、コイツは不思議そうに首を傾げる。

 僕はこめかみを指先で押さえ、爆発しそうな頭痛を必死に抑え込んだ。


(くそっ僕たちは安くない税金を払ってるのに、なんでこいつらは非課税なんだ)


 はぁーと僕は深く息を吐き、空になった茶碗を見て首を振る。


「鑑識が終わってて本当によかった……」


 ぽつりと独り言を漏らす僕に、レキは「大げさだなァ」とケラケラ笑った。


「少しは反省しろ! というか、自分の役目を忘れるな!」

「あ~……役目。何すりゃいいんだっけ?」

「ッ、お前……!」

 

 あまりの無責任さに、苛立ちが止まらない。だが、こんな相手に熱くなって時間を浪費すれば、それだけ事件解決が遠ざかるだけだ。無限に込み上げる溜息を無理やり呑み込み、深く息を吸ってやり過ごす。

 

「……はぁ。報告書の内容と現場に相違がないかを確認したい。能力を使え」

「おけおけ。んじゃ、コレ(許可)よろしく」

 

 レキが首輪を指差し、許可を求める。

 それは犯罪組織に属する悪禍と違い、管理下の悪禍が許可なく能力を発動しようとすれば、強力な制御装置が作動するからだ。

 能力の行使には、パートナーである担当執行官の認証が不可欠だった。

 そうしなければ、あの檻の中で無鉄砲に首輪を千切ろうとしたときと同じ苦しみが待っている。


実力行使(エンフォース)許可。コード:K-9」


 僕が空中に指を走らせると、腕の端末から無機質な機械音声が響いた。

 

『執行官:朧木 晢。囚人:|259461437221《レキ》。認証プロセス:K-9。認証:ALL GREEN。――能力発動許可』


「ダッハー! 外で能力使うの、初めてなんだよな!」

 

 歓喜の声と共に、レキの瞳孔が獣のように細く裂け、指先の爪が鋭く伸びる。


「|スニッフィング・ノーズ《嗅ぎ取る犬》」

 

 直後、レキは躊躇なく四つん這いになり、床に鼻を近づけた。

 くんくん、と鼻を鳴らしながら床を這い回り、匂いを探るその姿は到底人間のそれではない。本物の犬のようだった。


(僕も悪禍が能力を使う所をみたのは初めてだが、なんというか……地味だな)


 二足歩行を標準とする人間が四つん這いになって、地面に鼻を擦りつけるような仕草にどことなく情けなく見える。

 能力という言葉から期待していた派手さとは程遠い。その拍子抜けしたような思いが視線に出ていたのかもしれない。無言で見つめていると、不意にレキが顔だけをこちらへ向けた。


「今『うわァ』って思っただろ」

「……なにも言ってないだろ」

「いーや! その間は絶対に何か思った間だね!」

「思ってない! そんなことより、能力を使ったんだ。何か分かったか?」

「えェ~……まァいいか。何かでしょ、何か。ン~……」


 鼻をひくひくさせていたレキだったが、何かを察したのか「ン?」とでも言うように首をかしげた。


「どうした?」

「んやァ? お前らが言ってたのと大体同じだなって思っただけ。親の匂いにぃ、子供にぃ、悪禍の匂いって感じ」


 レキは四つん這いをやめてその場に座り込むと、指を一本、二本と折りながらカウントする。

 

「親を襲った悪禍は、単独犯か?」

「悪禍の匂いは一人分だね」

「匂いは辿れるか?」

「ア~、なんか分かりにくい匂いだけど、まァ……」


 レキは深く目を瞑ると、残されたわずかな匂いを拾い上げるように慎重に顔を動かしていく。

 やがて、その鼻先が「オ?」という短い声を境にピタリと止まった――かと思った次の瞬間、彼は弾かれたように僕の股座へと体をねじ込んできた。

 

「お、おい! 何をしてる!」


 僕の足の間、その先にあったキッチンの収納棚へと執拗に鼻を擦りつけ、こちらの困惑を置き去りにして狂ったように嗅ぎ回る。

 不意にレキの背筋がピキーン! と弾かれた。

 勢いよく顔を上げた彼は獲物を捉えた獣のようにカッと目を見開き、高らかに吠えた。

 

「ここ掘れワンワン!」

 

 手錠で繋がれた両手でレキが収納棚をバンバンと乱暴に叩く。狭いキッチンに鎖のジャラジャラという金属音がせわしなく響いた。

 

「は?」

「いーから開けろって、ここ!」

「…………あー、いいか? お前にはわからないかもしれないが、普通の人間っていうのはこんなところにはいな――」

 

 もはや哀れみすら覚え始めた僕は、コイツに「常識」を説いてやるべく、鼻で笑いながらスライド式の収納棚を引き出した。

 

「あ」

 

 男二人だけの殺風景な空間に、場違いなほど可愛らしい声が落ちた。

 鍋を抱えるようにして狭い棚に収まっていたのは、一人の少女。足を折りたたみ、仰向けの状態でぴっちりと収納されていた。

 

「……は?」

 

 滝のような冷や汗を流し、救いを求めるように目を泳がせる少女。

 僕は数秒ほど唖然としたのち、吸い込まれるような滑らかな動作で、スゥーッ……と静かに収納棚を閉めた。

 ――奇妙な沈黙が流れる。

 開けっ放しになっていた冷蔵庫から、間の抜けた「ピー、ピー」という警告音だけが空虚に響いた。


「誰かいる!!」

 

 勢いよくもう一度引き出しを開く。そこには先ほどと全く同じ体勢の少女が収まっていた。

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