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1日目「更生制度」

 すべては、救いようのない過ちから始まった。

 『治験』という名の人体実験。その狂気によって、囚人(ひけんたい)たちは人としての境界を逸脱した。

 与えられたのは、人智を超えた異能。そして、人としての終わりだった。

 人智を超えた異能を得た彼らは、もはや人の手で飼い慣らせる存在ではなくなった。

 積み重ねられた非道への怨嗟を黒い肺から吐き出すかのように変異を遂げた彼らは、暴徒と化して血の雨とともに自由(脱獄)を強奪した。

 拡大を続けたその勢力は、やがて法と秩序を呑み込む濁流となる。

 それこそが、犯罪組織『悪禍(あっか)』が生まれた瞬間だった。

 

「そんな奴らに対抗するため、苦肉の策として生まれたのが――」

「更生の見込みがある囚人を変異させ管理し、捜査執行官と共に捜査をさせる『更生制度(モラトリアム)』ですね」


 上司の言葉を引き継ぐように、僕は淡々と付け加えた。

 

 変異囚(ユニット)

 制度によって人為的に異能を植え付けられ、僕たち捜査執行官の下で共に行動する管理対象である囚人の呼称だ。

 対『悪禍』専門組織――捜査執行局。そこに配属された僕たちの役割は、変異囚という名の飢えた獣の手綱を握り、現場での捜査および戦闘指揮を執ることにある。

 囚人の「生死」と「更生」の全権を委ねられた僕たちの関係は、謂わば飼い犬と飼い主。

 国は過ちを狩るため、怪物を飼い慣らす道を選んだのだ。


「ダハハッ!」

 

 黙って説明を聞いていたレキが突如として喉を鳴らした。

 厳かな空気を切り裂くその嘲笑に思わず僕は視線を向けた。

 

「……何がおかしい」


 自然と眉間に深い皺が寄る。

 自分でも自覚できるほど、その瞳には隠しきれない嫌悪と苛立ちが滲んでいた。


「いやぁ、最高に滑稽だなと思ってさ。つまり、悪い奴(犯罪者)には捨て駒(犯罪者)を使えってことだろ? 最初からそう言やぁいいのによ」


 レキが口輪の奥で薄く笑みを浮かべる。

 その挑発的な態度に、僕の体は反射的に一歩前へと踏み出そうとした。だが、すかさず上司の手が僕の肩を叩き、その動きを制した。

 上司は片腕を軽く上げ、手のひらをレキに向けて静かに告げる。


「その対価として、『ある程度の自由』と『刑の情状酌量』を与えている。服役中のお前たちにとっては、悪くない話だろう」


 本来、情状酌量とは、服役態度や個別の事情に応じて刑を軽減させる人道的な処置を指す。

 だが、この制度における問題はその先にある『ある程度の自由』だ。

 監視や単独行動の禁止といった制約はある。それでも塀の外を歩き、規定外の食事を摂るという行為は一般の囚人からすれば雲泥の差――破格すぎる待遇だった。

 自由を奪い、罪を贖わせるための隔離施設。

 規律を厳格に管理すべき組織が、自らその原則を反故にした制度。

 まるで逃げ道のようにも思えるその特権を、被害者や遺族はどう思っているのだろうか。

 奥歯を噛み締め視線を落とすと、まるで僕の葛藤を嘲笑うかのように、ジャラリとレキの枷が音を立てる。

 

「俺たちが逃げ出すとか思わないわけ?」

「そのための(首輪たち)だ」

「あァ。やっぱり色々あるんだ?」

「詳しいことは言えんがな」


 レキは「へェ~?」と間の抜けた声を漏らし、爪でその首輪を数回ひっかくと、出し抜けにレキの瞳孔が開き、指先の爪が獣のように一瞬で鋭く伸びた。


「……っ!」


 僕が息を呑んだ瞬間、レキは手錠のかかった両手で首輪を掴み、力任せに引きちぎろうとした。だが、全身に青白い血管が浮き上がるや否や、床へ叩きつけられる。


「ァ、ガッ!」


 叫ぶ暇もないほどの衝撃。手錠に縛られ身動きもままならないまま、床をのたうち回る。声にならない絶叫を漏らしながら喘ぎ、しばらくすると発作のような苦悶が収まる。

 肩を震わせながら仰向けになったレキは額に流れる汗もそのままに、ぽつりと呟いた。


「うっへェ。死ぬかと思った」

「お前たちはどうしてこう、やるなと言われていることをやるんだ。ほとほと呆れるぞ」

「ダッハ! やるなとは言われてないからじゃね?」

 

 つい数秒前の地獄が嘘だったかのように、彼はケロッとした態度で首だけを動かし、僕たちを見上げた。

 二人のやり取りには一朝一夕では築けないような、ある種の慣れが滲んでいる。

 自傷行為を躊躇わないほどの好奇心、あるいは僕らに対しての当てつけからくる反骨精神なのか。

 捜査官としての経験はあっても執行官としての現場はこれが初めての僕にとって、目の前の男が平然と見せる死の淵を弄ぶような行動に驚いてしまう。


「また屁理屈を……。はぁ、とにかくこれでわかったな? 悪いことは考えないほうが良い」

「あーあ。ワンチャンこれ、あんたらのアクセサリー自慢かと思ったのに」

「だとしたら、悪趣味がすぎるだろう」

 

 その溜息混じりのやり取りに上司が困ったように眉をひそめる。


「エ~? でも人って身勝手じゃん?」

 

 レキは腹筋だけを使って起き上がると胡坐をかいた。

 そして子供のような無邪気な顔で、にこっと笑って呟く。

 

「この制度とかさァ」


 その笑みに、檻の隙間から差し込む微かな光がどろりとした澱のような影を落とした。

 その表情に僕は背筋に生理的な悪寒を覚えた。


「だが強制ではないはずだ。制度を受ける権利は、囚人側に委ねられている」


 上司の言葉には、暗に「お前も自分で選んだんだろう」という問いが含まれていた。

 それに対し、レキは目を細め笑った。

 

「選ばせる気なんてないくせにぃ?」

 

 レキが小首をかしげる。そのわざとらしい仕草に、僕は鼻で笑い返してやった。


 「選ぶも何も、()()()()()()こと自体に疑問を抱くべきだろう」


 きょとんとした一拍の静寂。直後、レキが腹を抱えて笑い出す。


 「ダハッハッ! 確かに! さすがジュンポーシャ(そっち側)だわ!」

 

 レキが、この檻の外――僕たちの背後を指差して笑い転げる。


 「そうか。無法者にそう言ってもらえるなら、僕も自信が持てるよ」


  相好を崩すレキと冷めきった目で見下ろす僕。

 二人の間には、指先が触れれば切れるような張り詰めた空気が漂う。矜持と狂気が、目に見えない火花を散らしていた。

 その異様なやり取りを、上司は苦々しい表情で見つめていた。


「……お前たちは、まともに自己紹介(はじめまして)もできんのか」


 堪えきれないといった様子で、上司が頭を押さえて深くため息をこぼす。


「やはり、僕と組ませるのは再考すべきではありませんか?  捜査に支障をきたします」

「晢、二度同じことを言わせるな」

「……失礼しました」

「ブフッー! 怒られてやんの!」


 ぷぷぷっと指を差して笑い転げるレキ。

 僕の額には、自分でも自覚できるほどくっきりと青筋が浮かび上がっていた。

 その様子を上司はやれやれと首を振って見つめる。


「晢、首輪があるとはいえ、犯罪者を野放しにするわけにはいかない。そのための捜査執行官なんだぞ」

「……分かっています」

「俺たちはあくまで監視であり、指揮官だ」

「……分かってます!」

「じゃあ捜査に私情はご法度なのも分かるな?」

「はいッ!分かってますッ!」

 

 僕はギュッと両目を瞑り、弾かれたように背筋を伸ばしながら叫んだ。

 ほとんど自棄だった。

 その勢いのまま、僕は視線に隠そうともしない剥き出しの敵意を込め、レキをキッと睨みつける。


(……そうだ、こいつはただの管理対象だ)


 自分の情けない感情で仕事に泥を塗りたくない。

 僕はただ、こいつの飼い主として仕事をするだけだ。


「不本意だが職務を放棄するわけにもいかない。今日から僕が、お前の動く檻だ」

「わん」

「つまりお前の素行次第で、この協力関係は即座に解消される。その意味は分かるな?」

「わんわん」

「…………なんなんだ、そのふざけた返事は」


 片眉を吊り上げ、僕は苦々しく顔を歪めた。

 同じ言語を使っているはずなのに、まるで言葉の通じない獣と対峙しているような感覚。

 正論も倫理も、僕がこれまで積み上げてきた常識のすべてが、この檻の中では無価値なガラクタのように思えてならなかった。


「ワン公とポリ公でワンツーコンビ(1two1)だろ。忠誠の証だって」

「コンビ? おかしな事を言う。僕とお前は他人(1bye1)のままだ」

「あぁ相手してくれる(1on1)ってこと?」


 口輪の隙間から、レキがにやりと舌なめずりをするのが見えた。獲物を前にした獣を彷彿とさせるその動きは、やっぱり僕の倫理観では到底理解できるものではない。

 

「……イカれてる」

「じゃなきゃ首輪(これ)つけねぇだろ?」


 レキが首輪をカリカリと指先で引っ掻く度に、チャリチャリと金属の擦れる音が僕たちの間に漂い、剣呑な空気をさらに濃く塗りつぶした。

 僕らが言葉を交わせば交わすほど、横で聞いている上司の頭痛も増していくようだった。


「犬を飼うにはどっちも若すぎたか……?」


 このままでは埒があかないとでも言うように、上司はさっきより大きく息を吐いた。


「……まぁこれだけテンポよく吠え合えてるんだ。ある意味、相性はいいのかもしれんな……うん」


 上司はひとつ頷き、両手を打ち鳴らす。その乾いた衝撃が室内に響き、重苦しい空気を一瞬で切り裂いた。


「そろそろじゃれ合いは終わりだ。仕事の話をするぞ」


 上司が手首につけた端末を操作する。


「事件の概要はこうだ」

 

 空中に光の粒子が瞬き、半透明のホログラムが展開された。

 映し出されたのは、ある家庭のリビングを捉えたノイズ混じりの映像。そして、状況を簡潔に補足する無機質なシステム音声が流れる。


 

・-・・ ・- --・-・ 

 

『――被害者である母親は頭部と腹部を損傷。意識が戻らず入院中』


 血を流している母親の傍らで、少女が糸の切れた人形のように膝をついた。


『――現場に残された特有の痕跡から、本件を「悪禍」による犯行と判断』

 

 生まれたての小鹿のように手足を震わせ、這うようにして動かぬ母親へと縋り付く。


『お、かあさん……?』


 掠れた少女の声が、スピーカー越しに弱々しく届く。


『なに……、なんで、これ……』

 

 直後、少女の足元で影がゆらりと揺れた。

 照明の変化などない。にもかかわらず、影だけが独立した生き物のように蠢き、広がっていく。

 張り詰めた空気が室内の酸素を奪い、床の軋む音さえ死に絶えたかのような異常な静寂。

 そして――鼓膜を切り裂くような絶叫が、その静寂を無慈悲に打ち破った。

 

『あ、あ゛あ゛あ゛あ゛あああッ!!!』

 

 激しい砂嵐と共に、映像が唐突に途切れる。

 静まり返った暗がりに、冷徹なシステム音声だけが、最後の一文を無機質に告げた。

 

『――現場にいた子供一名、行方安否ともに不明』


・-・・・ -・- --・ 

 

 

 悪禍に襲われ、母親は重症。残された子供は、その渦中へと消えた。


「逃げた悪禍の特定と、行方不明になった子供の救出。それがお前たちの初仕事だ」


 上司の冷徹な言葉が、重くのしかかる。


「はい!」

 

 僕が短く応じると、背後でジャラリ、と鎖の音がした。

 ずっと黙って映像を見ていたレキが、口輪の奥で低く喉を鳴らす。その獣じみた視線は、消えゆくホログラムの残像――連れ去られた少女の恐怖に満ちた姿をまるで『獲物』でも品定めするように、じっと見つめていた。

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