エピローグ
斗弥陀の屋敷での騒動から二ヶ月後。
東南アジアのT国にある地方都市。年の瀬も迫るこの時期でも暖かく過ごせる異国の地で、買い物を終えた華月がTシャツにハーフパンツという比較的ラフな姿で帰路を急いでいた。
この時期でこの暖かさは快適なんだけど、いつまでもこんな所にいたくはないな――。
髪は明るく染め、少し濃いめの化粧で日本にいた頃とは印象を変えた華月が買い込んだ食料品等を抱えて古いアパートの前に立つ。
築数十年は経つ、つぎはぎだらけの木造アパートが今の華月の住処となっていた。
華月がいつも通りアパートの扉に鍵を差し込み回すが、何故か何の抵抗も感じられなかった。
んっ?まなみさん帰ってるのかな?――。
少し疑問に感じながらも同居人である大河内まなみが帰宅していたのかと思い、華月は扉を開け部屋へと入る。
「まなみさん、帰ってたの?だったら……えっ?なんで?」
部屋に入った所で華月は思わず立ち止まる。
そこにはいたのは同居人のまなみではない女性が一人座っていた。帰宅した華月の方を振り向き満面の笑みを浮かべると、女性はゆっくりと立ち上がる。
モデル並みの高身長にスラリと伸びる長い手足。そしてその人を喰った様な笑顔には見覚えがあった。
「……陸奥方志穂さん……」
戸惑う華月を見つめて志穂は更にゆっくりと口角を上げる。
「お久しぶりね緋根谷華月さん。日本にいた頃と少し雰囲気変わったかしら?」
「どうして?……どうしてここにいるんですか?」
抱えていた食料品等を落として、ややヒステリック気味に問い掛ける華月を見つめ、志穂は冷笑を浮かべる。
「ふふふ、上手く逃げおおせたと思ってた?あの日皆には貴女に逃げられたって言ったけど、実はわざと貴女を逃がしてあげたの。あのタイミングで貴女を捕まえて警察に突き出しても大した罪には問えないからね。だから逃がして後から捕まえてやろうと思ってね」
「……後から捕まえたって私を大した罪に問えないのは変わりませんよ」
そう言いながらも志穂から放たれる不穏な空気を感じ取り、華月はじりじりとゆっくり後退りする。
志穂はそんな華月をにこやかに見つめていた。
「ええ、そうね。警察に引き渡しても証拠不十分で無罪放免ってなるでしょうね。貴女が上手くそうしたんでしょ?だから私が今ここにいるの。言ってる意味わかる?」
志穂が語り終わるやいなや、華月は突然振り向き出口に向かって走り出した。
だが走り出して二歩三歩走った所で華月の頬を掠めて何かが追い越した。
そしてその何かが華月の視線の先にあった扉に突き刺さるのを見て、それはナイフだと気付く。
華月の足は止まり、ナイフが掠めた頬に微かな血が滲むと同時に、冷たい汗が一筋流れる。
「まだ喋ってるんだから勝手に何処か行かないでよ。これ以上手間かけさせないでくれる?」
背後から聞こえる丁寧な口調とは裏腹に、華月に言い知れぬ重圧がのしかかる。
まずい、あいつ……同類だ――。
志穂のプレッシャーを背後に感じ、華月が動けずにいると、志穂はゆっくりと歩み寄る。
「ねぇ、華月さん。貴女が犯した罪はどれぐらいあるのかな?奏音さんへの殺人未遂だけじゃないでしょ?」
華月が答えずにいると、志穂がゆっくりと近付いて来るのがわかった。
どうやってこの場を凌ぐか?
華月が必死に思考を巡らしている中、更に志穂が問い掛ける。
「答えてくれないの?じゃあ質問を変えようか?日本における年間の行方不明者数どれぐらいか知ってる?」
変わらない口調で問い掛ける志穂だったが、華月は不穏な雰囲気を感じ、息を呑んだ。
「……さ、さぁ?二、三千人とかですか?」
「あはは、残念、ちょっと少ないわね。正解は約八万人。結構いるでしょ?その八万人の中の一人を警察が躍起になって探す事はないし、貴女を探そうとする肉親や近しい人がいるとも思えない。大半の行方不明者は数日以内に見つかるらしいんだけど、残念ながら貴女は誰からも探される事もなく、永遠に行方不明のままって事になっちゃうの」
志穂の口調は変わらず、寧ろ明るく笑っている様にも感じられ、華月は軽くため息を漏らすとゆっくりと振り向いた。