廃病院⑪
暫く全員がどうする事も出来ずに見つめていたが、倉本が先陣を切って興梠の元に駆け寄った。
「お、おい!何をしている!」
だがそれでも興梠はただ一点を見つめたまま微動だにしなかった。
「いい加減にしないか!」
倉本が興梠の胸ぐらを掴み無理矢理引き起こすと、興梠はようやく反応を見せた。
「なんだよ今頃……もう遅いのさ……」
そう言って不気味な笑みを浮かべる興梠にまるで飲まれたかのように全員が絶句しその場を動けずにいた。
そんな中、叶がつかつかと興梠の元へと歩み寄り右手を振り上げると、そのまま振り抜き強烈な平手打ちを見舞った。
乾いた打撃音が部屋に響き渡り、強烈な一撃を喰らった興梠は台の上で脱力したように項垂れていた。
「しっかりしなさい!」
叶は興梠の胸ぐらを掴むと前後に揺らしながら声を荒らげるが、興梠はされるがまま揺さぶられ、虚ろな目をしたまま何やらぶつぶつと呟いていた。
「倉本さん、引きずってでもいいから連れて来て下さい」
そう言うと叶は部屋の出口に向かって歩き出し、全員その後に続いて部屋を出て行く。そして最後に倉本が誰も残っていないのを確認すると、興梠の腰を掴んで無理矢理引っ張りながら部屋を後にした。
一行はゆっくりと進みながら、ようやく二階の階段までやって来られた。
叶は後ろを振り返り、全員揃っている事を確認すると、ゆっくりと階段を降りて行く。
すると叶の背後にいた奏音が眉根を寄せて、そっと呟く。
「正直もううんざりだわ、早く帰ってシャワー浴びたい」
「確かにそうですね、早く帰りましょうか」
叶も眉尻を下げ笑みを浮かべて奏音の方を向いた時、突然後方から悲鳴が上がった。
「きゃっ」
その瞬間、奏音の後ろにいた華月がバランスを崩し前につんのめるようにして倒れ込むと、その前にいた奏音も巻き込んだ。
二人がもつれるように階段を落ちそうになった所を叶が咄嗟に身を呈して二人を止めに入る。
だが華奢な叶が落ちる二人を止める事など出来る筈もなく、巻き込まれるようにして階段を落ちて行く。
途中、華月は自力で運良く止まる事が出来たが、叶と奏音は階段途中の踊り場まで転がり落ちてしまった。
「大丈夫か!?」
義人達も慌てて駆け寄ると、叶はすぐに体を起こした。
「痛たた、あちこち痛いですけど多分大丈夫です。奏音さんは?」
傍らで横たわる奏音を心配そうに叶が覗き込むと、奏音も顔をしかめながらも体を起こした。
「貴女が止めようとして間に入ってくれたからなんとか大丈夫かな?ごめんね、貴女は大丈夫なの?」
気にかける奏音に対して叶は頷きながら柔和な笑みを見せる。
「ええ、なんとか。なんか腕とか痛いのは痛いですけど、大怪我してる訳ではなさそうです。たまたま奏音さんの方を振り返ったタイミングだったからよかったです。華月さんは大丈夫ですか?」
相変わらず後ろで申し訳なさそうに見つめる華月に叶が問い掛けると、華月は何度も頷く。
「はい、大丈夫です。あの……すいませんでした」
弱々しく消え入りそうな声でそう言って頭を下げる華月を見て、「大丈夫だからこれからは気を付けて下さい」と叶が声を掛けるが、後ろから朱里が顔を出してしゃしゃり出る。
「あんた本当に鈍臭いわね。あんたのせいで奏音さんや鬼龍さんにも迷惑かけてさぁ、軽い怪我で済んだみたいだけど大怪我してたらあんたどうする訳?」
高圧的な態度で華月に詰め寄ると、華月は「ごめんなさい」と言いながら萎縮するように俯いてしまう。
朱里はそんな華月を横目で見下すようにして出てくると、叶達の横に付き眉尻を下げて取って付けたような笑みを浮かべた。
「本当にごめんなさいね。あの子昔から鈍臭くて、本当に大丈夫でした?」
「ええ私は大丈夫ですよ」
「ええ私も。華月ちゃんもわざとじゃないんだからあんまり責めないであげて」
叶と奏音がそう言って立ち上がると、朱里は満足気な笑みを浮かべて元いた後方へと戻って行く。
「お騒がせしましたね。では行きましょうか」
叶が気を取り直し再び階段を降り始めると、背後にいた奏音がそっと囁く。
「私、あの子のああいうわざとらしい所苦手なのよ」
そう言って顔をしかめて僅かに口角を上げる奏音を見て、叶も同じように口角を上げて小声で呟く。
「私は立場上何も言いませんが、その気持ちは痛いほど伝わりますね」
少しだけ打ち解けた叶と奏音は、揃って笑みを浮かべていた。




