四の話 友斬葬~死が二人を別つ迄~
これは友情のお話。ある女の子たちの秘密と、変わらない絆の話。
観様によっては。空っぽの友情に縋りつくトモダチゴッコを嘲笑うお話。
鈴鳴堂怪奇譚 四の話 友斬葬~死が二人を別かつ迄~
~依童ノ乙女トマジナイ屋、呪イニ憤ル~
第一幕 マジナイ処 鈴鳴堂
「なぁ、助手君」
もうすぐ四月になろうかというある休日の昼下がり。
この店の主である、黒井晃先生は、珍しく私に話しかけてきた。
「人と人の繋がりというものは、次第に薄らいでいるのかもしれんなあ」
だけど、先生は私に話していると言うよりも、考えをまとめる応答役を必要としているみたいだった。
「私は、そもそも友達作りが下手な人間ですよ、先生。その話題は別の人に」
「いや、君は友達が多い方だ」
先生は、珍しく皮肉もなく、私の在り方を逆に褒めた。
私は面食らって、言葉を無くしてしまった。
「君の周りには、塚本君や笠原君、それに新井君がいる。変にベタベタとトモダチゴッコをする連中よりも、君は人との繋がりを大切にしている。僕はそういう人間は、社交的では無い、という評価はする。人との付き合いは確かに下手だろうが、君は友達が多い方だ。君が思う以上にね」
私はしばらく言葉を探していたが、いくらか気になったことを聞き返すことにした。
「先生、先生の言うトモダチゴッコってなんですか」
「ふむ。そうだな。お互い傷付けもせず、さりとて励みにもならず、妙にベタベタとへばりついて絡みつくだけの
そんな関係を、友情と考えて縋り付くことさ」
先生は、大きなため息とともに、ローテーブルに置かれたミルクコーヒーを啜った。
「どうもココ最近、ヒト同士のつながり方が変化してきている。これでは、咒の根本も変わっていくかもしれない」
先生はテーブルの上に置かれた自身のスマートフォンをコツコツと指で叩いた。
「全ての関係はこの小窓を通して、個人の視点からだけで繋がり作りが行われていくのだろうか。そんなものを、人と人との繋がりと呼んでいいのかな」
先生は長く息をつき、身を投げ出してソファに沈む。
私も考える。
私は、正直そういう繋がりは全部断ち切って、大和学園三条高校にやってきた。塚本さんたちとも、たまにgrapeで話もするが、そんなに頻繁にやり取りはしていない。塚本さん、笠原さん、新井さんの三人になると、だいぶ話しているらしいし、一日ぶっ続けで通話しっぱなしなんてこともあるんだとか。私はそういうのには耐えられなさそうだ。
「今は、皆いつもつながってる、って時代なんです、きっと」
「助手君はその中で、ボッチ道を実践中というわけかね」
「なっ!? さっき友達が多い方だって先生は認めてましたよね!?」
「認めたが……友人が少ない人間が「ひとりぼっち」なのでは無いぞ。「ひとりぼっち」とは、在り方の問題である。僕は学生時代より、「ボッチ道」を実践し続け早ウン十年。おかげで下らん悩みからはかなり解放されてきた。「ボッチ道」とはハブられた寂しい人ではなく、この繋がらなくては生きられないという勘違いの時代を逞しく生き抜く、孤高の精神性の実践形態なのだよ」
先生はひとしきり冗談めいた話をした後で、しかしやはりなぁ、と呟いた。
「……人に拾われ、もう百年目。わたしゃお前に惚れ申す、厭なら厭と申すべくそろ。度胸定めてせにゃならぬ。お前もその気でいやしゃんせ……」
小さな声で呟くように、よく分からないメロディの歌を歌ったかと思ったら、いつの間にかゴウゴウといびきをかいて寝始めてしまった。
私は、先生のマグカップを片付けながら考える。この四月から私は高校二年生となる。クラスも変わる。人の顔ぶれも変わる。今までは逃げるだけだった関係も、この一年で様変わりした。
これから、どこまで変わるのだろうか。
そんなことを考えていたら、店のベルがかろん、となった。
「はぁい、いらっしゃいませ」
この一年で接客もだいぶ慣れてしまった。
第二幕 新クラス~昼の高校
「……それじゃあみんな、これから一年間、よろしくなっ」
教壇に立つ、ちょっと顔の丸く愛嬌のある笑顔の人は、新しい担任の先生だ。名前は、太田先生という。歳は二十代の後半くらいで、日に焼けた肌に白い歯が眩しい。
クラスの中を軽く見回す。
今回のクラスは、進学二年五組。選択科目で文系の選択をした人達が集められた。そして、クラスメートの顔ぶれは、塚本さん、笠原さん、新井さんがまさかの三人とも揃ってる。こんなことはあるのだろうか。前のクラスから変わった人たちも沢山いる中で、この顔ぶれだけ変わらないのは何故だろう?
始業式の日はバタバタしているうちに終わって、半日で学校は放課後になった。
「あ、平坂。ちょっといいか?」
帰ろうと荷物をまとめていたら、太田先生から声がかかる。
「は、はい? な、んですか」
一年間、先生に毒づいていたおかげでだいぶ話し方は治ったと思っていたが、初対面に近い人だとまだ怯えた小動物みたいになる。いい加減直してしまいたい。
「そんな怖い顔しなくていいって。お説教とかじゃねーから」
太田先生は笑みを浮かべたままだった。
「クロイのアニキから聞いてるぜ? あの人の助手してるんだって?」
太田先生は気負いなくそう言った。私は咄嗟に念珠をつかみ、この人の出方をうかがったが、気配に敵意などは無い。
「アニキも気難しい人だけど、やってることはかなり重要なことだからな。それ絡みで学校抜けるとかもしあれば言えよ。どうにかしとくから」
「あ、あの、先生は、その、ウチの先生とはどういう?」
「お、ウチの先生だって? アニキ慕われてんなぁ。クロイのアニキには、ここに入った当時にそっち絡みでお世話になってから、ちょいちょいお互いに頼み事をする仲ね。助手してんならわかると思うけど、アニキとはそういう関係の先生、ちょこちょこいるんだわ。俺もそのひとりね、ま、だから平坂の状況はちょっとはわかるから、無理せず頑張れって話な。ほんじゃ!」
先生は、それだけ言って、手をヒラヒラと振りながら教室を後にした。
大人でも、あんな風に裏表のない人がいるのか。私はそんなふうに思いながら、太田先生の背中を見送った。
昼。太陽はまだ高く、部活の声も賑やかな校舎の中を一人で歩く。
今日は、先生から頼まれた祓えを行えば後は自由時間とされていた。たまには、アパートの部屋の掃除でもしようか、そう考えながら祓えを行う場所をめざしていたら、そっちの方向から誰か走ってくるのに気づいた。
女子だった。制服のスカートを翻して、軽やかに走る様は陸上選手をイメージさせた。私の横を走り抜けて、校舎の方へ走っていく。
私は、その人が通った後に違和感を覚えた。ほんの薄くだけど、瘴気に近い腐った匂いを嗅いだ気がしたからだ。
今日私が祓う場所は、学校の中で野外ステージと言われている場所の裏手にある桜の巨木だった。この学校にある龍穴の封印の一つで、ほかの桜の三倍近い幹の太さと花の咲き方をするので、昔から学園の七不思議の様に扱われてきた木だそうだ。実は、幹の中に神様を象った像を入れているそうで、そこを中心に穢れが溜まっていくために、三ヶ月ごとに祓えをする必要があった。
いつも通り、出来るだけ人に見られないようにステージの裏手の林に進んで、桜の木の幹を確認しようとして、その異様さに気付いた。
写真だ。誰の写真か分からないけど、たくさんの写真が木の幹にピンで止められている。その写真は、何故かみんな人の写真で、縦に真っ二つに切られた上で、目の部分がなかった。しかも、いつもの穢れの淀みでなく、瘴気が湧き始めている。
さっきの女子からした妙な気配はここの気配だったんだ。
しかも、この異様さはマジナイである可能性が高かった。私は、先生に指示を仰ぐために、スマホの通話で先生を呼び出した。本当は、この状況を写真に取ってしまった方が楽なのだけど、こういう場所でとると写真に映らなくて良いものまで映り込む。
「なんだね、助手君。ぼかぁ神聖なる昼寝の最中なんだがね」
「あの、祓えの件なんですが」
「何? 今日の奴は僕の指示なんていらんレベルだろう」
「違うんです、祓えの場所にマジナイのようなものを施した跡があるんです」
「何?」
先生は、この一言で電話口の向こうで目を覚ましたらしい。細かな説明を要求されたので、その通りに見たことをできるだけ細かく伝えた。
電話口で先生は、ううむという唸り声を上げた。
「助手君、一度地理歴史科資料室まで上がってきたまえ。あと、参考のためにどれでもいい。写真を一枚持ってきたまえ。話に聞いただけだが、君が触れても問題ない筈だ」
私は、それだけ言って切られた電話に渋々従って、適当な写真を選んでハンカチを使って取ると、地理歴史科資料室を目ざした。
資料室はいつもと違って鍵を開けた状態になっており、私が軽くノックをして扉を開けると、先生は部屋の中で様々な本を漁っていた。
「先生、持ってきました」
「む? うむ、ご苦労。こちらに貸したまえ」
先生は本を漁る手を止めて、手招きをした。私は、自分のハンカチに包んだ写真を見せた。
「直接触らず。うむ、君も覚えてきたな」
そう言うと、先生はしげしげと写真を眺めると、黒縁の丸メガネの弦を左手でなぞりながら口の中で何かを唱えた。
先生は、いつも掛けているメガネそのものを咒具としている。先生が霊的なものの正体を暴く時に使う「照魔鏡」と同じものがメガネとして加工されており、右のレンズには見鬼の才を補助する術式が、左のレンズには見た術式を分析したり記録したりする術式が込められている、らしい。どこからどこまでが本当かは分からないのだけど。
「こいつは、間違いない。気配自体はかなり弱いが咒物化している」
メガネの奥で先生の淀んだ色の目が険しく細められる。
「いや、しかしひどく弱いな。これでは術式そのものは見えない」
先生は写真そのものをまじまじと見た。
私も観察を進める。
写真自体は不自然に細長い。誰かの腕が肩にかかっている女の子が、ポーズを撮っているものだった。多分、ツーショット写真を半分に切って、それをまた半分に切って、そして目の部分が更に切られているヘンテコな状態だ。
二つ目の瞼を開けて見てみる。
私には先生が見ている術式は見えないが、写真から極うっすらと漂っている瘴気はわかる。とは言え、先生曰く並のマジナイ屋より霊的感覚が鋭い私が持っていても特に何も感じなかった程度の薄さだ。瘴気がどこかに糸のように繋がっているわけでもない。
「写真に何も刻まれていない、書き込まれてもいないところを見ると、何かマジナイを発動するための言霊を掛けたのだろう。何をもたらすものかは分からないが、写真を切って貼り付けるなんぞ、ろくな術式ではないだろうな」
先生は大きなため息を吐いた。
「新しい生徒も入ってくるこの時期に、こんな物騒なものに流行ってもらう訳にはいかんぞ」
先生は、いつも胸ポケットに刺している万年筆を素早く取り出し、メモ帳に何かを書き留めている。
「しかも、霊木であるあの大桜の周りに瘴気が出始めているのだろう?」
「間違いありません。この写真だけならかなり薄いんですけども、こんな写真があと、ざっと十五個くらいは刺してあったので」
「……早急に手を打つことにしよう」
先生は、机の上にあった御札の束を掴んで私を伴って外へ出て、例の大桜の方へと歩き出した。
再び大桜の前。先生は桜の状況をつぶさに観察する。
「ふむ。桜そのものは瘴気に汚染はされていない。これなら、咒物を取り除いて入念に祓えを行えば機能は即時回復するだろう」
そう言って、持ってきた御札を木の幹の写真に被せるように貼っていく。
そして、左手に持った鈴を二度鳴らした後で、言霊を乗せた声を響かせて真言を唱えた。
『おん くろだなう うん じゃく』
札が先生の言霊に反応して、青白い炎を上げて燃え盛る。ただし、これは見鬼の才のある人間にそう見えているだけ。普通の人には、何も変わりない御札が見えているだけだろう。
霊的な炎に包まれて、写真から出ていた薄い瘴気は焼き尽くされてしまった。写真たちも、込められたマジナイが焼かれて単なるヘンテコな写真に戻った。
すかさず、私が先生から習った祓詞を唱え、大きく柏手を二度打つ。
場の雰囲気は一気に淀んだものから澄んだモノに変化する。祓いは成功だ。
先生を見ると、幹に貼り付けられた写真を丁寧に一枚ずつ剥がしている。どうやら、写真を集めているようだ。
「そんな写真、どうするんですか」
「分析を細かく掛けてみる。見顕しの法はまだ大して試してもない。マジナイとしては弱い上に何のマジナイかすら分からん。だが、問題はこの数だ」
桜の幹を撫でながら、先生の表情は益々険しくなっていく。
「正確に数を勘定したら、全部で二十三枚もある。助手君、確かに君の見立て通り、たかだか薄い瘴気を出す程度の咒物であっても、これだけ重なるなら霊的な障りを生み出すだろう。霊障の深刻化前に未然に防げたことを喜ぶべきだろうよ、しかし」
先生は手の中の写真を見詰めながら言う。
「マジナイを誰かが流行らせている。しかも他人を呪うかもしれないマジナイを。そしてそれを鵜呑みにするバカがこれだけ沸いている、ということが、より深刻なのだよ」
「何か噂を知らないか、塚本さんたちにも聞いてみます」
「僕も調査を急ごう……これで終わるとも思えんし、ほかの祓えの必要な場所も一度点検すべきだろう、付き合ってくれたまえ、助手君」
足早に歩き出した先生を追って、私も走り出した。
第三幕 昼休みのクラス
二年生になって、昼休みは何か変わるのか? この疑問への解答はNOだ。
少なくとも私にとって、昼休みは周りがガヤガヤして過ごし辛い時間帯に変わりなく、週に一回くらい塚本さんたちが私のそばでご飯を食べながらだべっている時間。一人でいる時は、クラス中の噂がよく聞こえる時間でもある。
「次の授業ってなんだっけ?」
「え、たしか古典じゃない?」
「うえー、俺古典ダメなんだよ、呪文みてえで眠くなる」
「お前いつも寝てんじゃねえかよ」
「いつもじゃねえよっ、クロ先の授業は起きてんじゃねえかっ」
「ありゃ授業じゃねーじゃん」
近くの席の男子と女子の会話が耳に入ってくる。
適当に朝詰め込んできた、名付けて「昨日の夕飯の残り弁当」を食べていた私の側に、いつの間にか女子が二人立っていた。
「ねぇ、言いなよ」
「……えぇ」
「言わないとさ、ね」
「うぅ、ねぇ、言ってよ?」
「ウチが? でも」
「だってぇ」
何かもぞもぞしながら話していて、一人がどこかへ行ってしまった。もう一人も、私の方をちらりと見たあと、後を追って駆け出した。
私は首を傾げながら、二人組が走っていった方向を見た。名前はまだ分からないけど、いつも一緒にいる人たちだった。私なんかに何の用だったんだろう? そもそも用だったのかすら分からない。
それに、何故か今の光景から先生との雑談を思い出してしまって、私は余計に首を傾げてしまった。
「モーモっ、何ふくれてんの?」
席の周りに今度は、塚本さんたちが集まってきた。
「あ、モモちゃん今日はお弁当だね! うーん、モモちゃんのお弁当やっぱり美味しそうだなぁ」
新井さんが興味津々といった風に私の夕飯の残り弁当を見つめる。
「ユイっち、それ以上食うと太るよ?」
それを見た笠原さんが冷静に突っ込んでいた。
「うわぁ! 食べないよォ! それにワタシ、太ってないもん! 太ってないよね、モモちゃん!」
私は丁度、失敗したきんぴらごぼうを飲み込もうとしていたせいで、もごもご口を動かしただけで答えられなかった。でも、新井さんは別に太ってもないし、私みたいな痩せっぽちと比べれば、抱き心地は良いくらいなんじゃないか。
「あーん、モモちゃんも無視しないでようっ」
半分泣きそうになりながら、目を潤ませる新井さん。それを見て意地悪く笑う笠原さんと、なだめる塚本さん。まったく、いつも通りの光景だった。
「人のつながりは、薄くなってもいないのかな」
「ん、どうしたのモモ?」
「あ、いえ。先生との雑談を思い出してました」
「んん、またクロ先生のお仕事が始まったの?」
「……ええ。それで、塚本さんたちに聞きたかったことがあるんです。知り合いが沢山いる皆さんだったら、知ってるんじゃないかって」
私のこの言葉を聞いた三人は、わざとじゃれ合うようにして私を囲んで距離を縮めた。話し声が漏れないようにする、ココ最近ではお決まりの「セルフ防音室」の完成だ。三人が、妙に私の体をぷにぷにしているが、気にしてもいられない。これもいつもの事だった。
「で、モモは何が知りたいの?」
「最近、学年とか、学校の中とかで、妙なオマジナイが流行ってませんか」
塚本さん達は顔を見合せた。
「オマジナイ、また流行ってるの?」
新井さんが小声で呟く。
「みんな、アタシらの時に痛い目見たの忘れてんのかよ」
笠原さんは、怒りを隠そうともせず呟いた。
「どんなオマジナイなの? 言ってくれたら聞いた話とか、危なくない感じで調べられるかもだし」
塚本さんは、二人をなだめながら協力を申し出てくれた。
私は、できる限り自分の見た状態を細かく塚本さんたちに伝えた。
伝え切ると、塚本さん達は私からちょっとだけ離れて顔をしかめた。
「なんか、キモイね」
「うん、すげえ不気味っつーかさ」
二人はそんな反応をしていたが、新井さんは何かを考えているふうに黙っていた。珍しい反応だった。
「あの、新井さん?」
私が顔をのぞき込むと、新井さんは私の頬をふにふにと揉んだ。そして、私が嫌がって距離を取ろうとするのに抱きついて、耳元に口を近づけた。
「モモちゃん、もしかしたらワタシ、知ってるかもしれないの」
新井さんの口から意外すぎる言葉が出てきて、私はビクッと身体を震わせた。
塚本さんたちも何事かと新井さんの方を見る。
新井さんは、私から離れて手招きをする。自分の机の中からスマホを取りだして、周りの人に見られないように素早く操作している。
私たちは、机を隠すようにみんなで集まって、新井さんのスマホを見た。
画面には、ショート動画の配信アプリであるTick Tackが映っている。
音はミュートしてあったけど、再生されている動画には字幕がついていた。
その動画は、黒いローブを着て、白い目だけを隠す仮面をつけた妙にハイテンションな人が、オマジナイを紹介する動画だった。
動画の中の人は、どうも長い髪をして、スカートを履いてるらしいことは分かった。
私は、注意して字幕を追った。
「はーい、皆さんのお悩み解決! お助け魔女のUAです♪ 今日は、イヤーなトモダチとバイバイできる、そんなオマジナイを教えちゃうぞっ♡」
私は顔を上げた。
「新井さん、この人の、この動画って?」
「あのね、モモちゃん、ワタシね、もともとオマジナイとか好きなのねっ。それでね、もう、自分では怖いから試さないよっ? ためさないけど、色々知りたいから、こういう動画とか、出してる人をフォローしてるのね?」
新井さん曰く、この動画を出している人は「お助け魔女のUA」と名乗っていて、この白いマスクと黒いローブで全身を隠すような妖しいスタイルと、動画のコメントなどに曰く、かなり効果のあるオマジナイをショート動画の中で紹介することで、最近チャンネルの登録者数を増やしているらしい。
動画のタイトルとサムネイル画像だけ、ざっと見せてもらった。紹介してるのは、緊張を和らげるオマジナイ、よく眠れるオマジナイなど、先生の授業の中の「魔女」……生活の知恵を司る人々の姿と重なって見えた。
「でも、この人のムービーの中で一番伸びてるのが、この「イヤなトモダチとバイバイできるオマジナイ」なの」
その時、予鈴のチャイムが鳴った。
「新井さん、そのムービー、後でgrapeで共有してもらっていいですか?」
「うん、わかった、やっておくね」
新井さんは、素早くスマホを机の中に入れ込んだ。
その時、私は嫌な視線を感じた。
パッとそっちを振り向くと、さっき私に話しかけようとしていた二人組がこちらを見ていた。二人組は気まずそうに私から視線を逸らして、二人で手を繋いだままどこかへ行ってしまった。
第四幕 マジナイ処 鈴鳴堂
その日は、珍しいお客さんが店に来ていた。
ベージュ色のジャケットとスラックスに身を包んだ、がっしりした体つきの男の人。短く刈り込んだ髪に、広めの額、意志の強そうな太い眉と真っ直ぐな眼光、真一文字に結んだ口。
お客様用のソファに座っているのは、今年の一月、鬼の事件の時に知り合った刑事さんだった。たしか、名前は周藤さん。
注文されたアメリカンコーヒーを机に置くと、軽く笑って「ありがとう、平坂さん」と会釈する。怖そうな外見に比べて、優しくて礼儀正しく、真面目な人だった。
一方、この店の主は、ボロボロの作務衣を来てソファに寝そべり、脚をソファから放り出していびきをかいている。この、二人の大人と言われるもの間に横たわる大きな落差はなんだろうか?
「先生、お客さんが来てますよ」
先生の前のテーブルにコーヒー濃い目のミルクコーヒーを置いて、そこら辺に置いてある雑誌を丸めて先生の肩を小突いた。
「ふがっ!? きゃくぅ? ……たいしたよーけんでないならぁ、きみがきぃてくへたむぁへよぅ」
フケがちな頭をバリバリ掻きむしりながら、先生は唸った。
「三条警察署の刑事さんがわざわざ来てくださったのに、つまらない要件な訳ないと思いますよ!」
このやり取りを見て、周藤さんは苦笑していた。
「先生は相変わらずのようですな」
「本当に困ってるんです!」
私は雑誌を丸めたもので、先生の頭を思い切り叩いた。
「いたいっ!」
「いい加減に起きて下さい! 周藤さんが見えてるんです!」
「んがっ」
空気が鼻から間抜けに吹き出す音を出しながら、私のだらしのない師匠兼店長は周藤さんが店に入って二十分後にようやく起き上がった。
「ご健勝のようで何よりですな、先生」
「いやぁ、失礼しました……ちょっと最近研究が行き詰まっておりましてな」
体をバキバキと鳴らしながら、周藤さんに向き合った。
「本日のご要件は如何様で」
目の前に置いた気付け用のミルクコーヒーを一息に啜ると真剣な顔付きになった。
周藤さんは、胸ポケットからタバコを出すとすぐに火をつけて吹かし始めた。
「タバコを吸わずに居られない様なお話ですか」
先生は周藤さんに灰皿を進めながら、自分もタバコに火をつけた。
「ええ、まあ、またなんとも話しづらいお話でしてね」
周藤さんは、まるで機関車の様に規則的に煙を吐き出している。
「先生、学校の方で妙な事は最近起きておりませんか?」
「そうですな、起きてはいますが、あれはなんと言えば良いのか。未遂になるのでしょうかな」
「未遂?」
「妙なマジナイが流行り出ておるようで。助手君が調べてくれたのですが」
先生は自分のスマホを周藤さんに見せる。私が伝えたショート動画が、今度は音付きで流れる。
「はーい、皆さんのお悩み解決! お助け魔女のUAです♪ 今日は、イヤーなトモダチとバイバイできる、そんなオマジナイを教えちゃうぞっ♡」
改めて聴いてみると、なにかの機械を通して加工された声だ。元が高そうな女の子の声、だとは思うけど。
「も・し・も、アナタにイヤーなことをしてくるトモダチがいたら、写真を一枚用意してね♪ そして、目の部分を入れながらァ半分にぃー、ちょっきん! 半分はァ、パワーのある場所へお願いしながら置いてきちゃおう♪ そして、もう半分は~? メンバーさんにだけ、おっしえちゃうよ~ん!」
動画はそれで切れた。
「このショート動画投稿用のアプリケーションには、大手の動画サイトのUtubeと連携されとるようでしてね。この配信者はそっちにもマジナイ系のチャンネルを持っていてだいぶ人気のようですな」
先生はスマホを馴れた手つきで操りながら周藤さんに説明する。周藤さんは顔をしかめる。
「ははぁ、私はどうもそういうモノがよく分かりませんで……よく捜査でも聞くのですがね、どうにも」
「周藤刑事の年齢ではまだそれでも、こういうものに多少は触れておいででしょう?」
「合わんのですなぁ、そういう文化が。部下にも小馬鹿にされておりますが、理解をしようにも何から理解すれば良いのか」
そうか、周藤さんはスマホと一緒に人生を過ごしている人ではないのか。
私だって、先生に色々皮肉を言われるけれど、スマホとネットと一緒に生きている。お気に入りの動画配信者だっているし、こっそり応援しているVライバーの子だっている。クラスの話に耳を傾ければ、どこからか昨日見た動画やショートの話が聞こえてくる。真似をしてる子だって見かける。私たちからすれば、これが社会と繋がる為の窓という子も多そうだ。
「そうですなぁ、しかし周藤刑事。子供の頃はテレビのヒーローやらお笑い芸人やらの真似っ子くらいなすったんじゃありませんか?」
先生は周藤さんに語り出す。
「そう、ですね。私の子供の時分にはライダーなんか流行ってましてね。みんなでキックの練習はしましたわ」
「八時のコント番組の真似をした事は?」
「いやいや、それよりは「ええ感じ」の方が流行りでしたからなあ。みんなでキャラの真似をして、よく怒られたもんですわ」
「それと同じですよ。今の子らはテレビの代わりに、この小さい子窓だと言うだけの話ですわ」
「ふうむ、なるほどねえ」
周藤さんはその説明を聞いて納得したらしく、先生の操作するスマホに視線を向けていた。
「して、周藤刑事。このマジナイ未遂事件には、内部犯か、それとも外部犯か分かりませんが、このマジナイを流行らせたUAなる配信者が絡んでいます。校舎内で実際の被害は出ておりませんが、これ以上の騒動になる前に手を打ちたいのですが、ご協力を願えませんか」
周藤さんの表情が、眉根を寄せ、口を真っ直ぐに結んだ暗いものへと変わっていく。
「手遅れ、でしたな」
周藤さんははっきりそう言った。
「手遅れ、ですと?」
先生は身を乗り出した。
「実際の被害が出ていると仰るんですか?」
声が震えている。周藤さんが関わった前回の事件は、ひどく陰鬱なものだった。だからこそ先生は最大限の警戒を払っていたのだろう。
「そうですね、この高校の生徒の被害者は、今の所はおらん、ですが。ふむ、その、大和学園大学国際関係学部の学生数人が、不可解な事故に巻き込まれ、重傷を負った者がおります。中には、重体となったものも」
先生は、力を失ってソファに深くうずまる形になった。
私たちの高校は、大和学園という大きな学校の一部だ。学校の魅力の一つに、内部試験を突破すると様々な学部の揃った大和学園大学へと進学できる、という仕組みがあった。特に三条市には、駅から隣接する場所に十階建ての大きなビルがあり、そのビルは丸ごと大和学園大学国際関係学部の持ち物だった。三条高校の生徒は多く、この学部へと進学していく。決して無関係とは言えない場所だった。
「……何があったか教えてくださいますか、周藤刑事」
先生はタバコを咥え、吹かし始める。
「丁度一か月前の事です。三条市の山間の交差点で交通事故がありました。事故自体は、信号無視をした車が、普通に通行しようとした車と激突した、というものです」
周藤さんは吸っていたタバコを灰皿で揉み消した。
「ですが、不可思議なのは、信号無視した車に乗っていた者は、すべて大和学園大学国際関係学部のとあるゼミに参加している学生たちであったということです。また、友人たちに事情聴取を行うほどに、事故を起こした学生たちが交通法規を無視するような人柄でないことがわかるんですよ。それに」
周藤さんは懐から出した写真を机の上に置く。
事故を起こした学生さんたちの首を移した写真だった。
「この首の部分を調べさせてもらうと、何かに首を絞められた跡が見つかったんです。今回は死人は出なかったのが幸い、被疑者の何人かから話を聞けましたが、信号のすぐ側まで来た時に、見えない何かに首を掴まれて意識が遠のいた、とのことです」
先生はじっくりとその写真を眺める。私も傷をよく見てみると、人の手ではない。細長い、まるで蛇のようにも見える指のようなものが、どの首にも三本の筋を残しているようだ。
「これと、先生方の追っているものが同じかどうかは分かりませんが、タイミングが良すぎるとは思いませんか?」
周藤さんは、腕を組んだままソファに深く沈み込んだ。
「その、UAとかいう人物の動画は見られんのですか?」
須藤さん自身も情報が無さすぎるのだろう。先生をじっとみたまま動かない。
「……呪いの関連や、怪異の発生は調べてみましょう。ただ、試しにこの配信者のチャンネルのメンバー、まあ有料会員ですな、その会員限定の動画の続きを探してみたのですが」
先生の枯れ枝のような指が、スマホの画面を撫ぜる。
「駄目でした。非公開動画となっておるようです。これさえ見ることが出来れば、このマジナイの機能や対抗手段のおおよその検討を付けられるのですが……」
「その眼鏡を通して見れば分かる、というものでも無いんですか?」
「そこまで便利でもないですなあ」
先生は大きな煙の塊を吐き出す。
「例えば、すぐ目の前に咒物があって組成をじっくり分析できるなら、その咒物に直接「式」が刻んであるなら、視ることや観ることが可能になります。しかし、今回の写真は違う。確かに瘴気を発しているが、その大元が分からない。推測の息を出ませんが、僕の手元に無い側、つまり、切られた部分の方になんらかの咒の材料となる要素があるんでしょう」
「つまり、目を含めた半分ですか」
「ええ。目というのは魔法やまじないでも非常に意味がある」
先生は宙に目線を向ける。何かを追うように目が左右にゆっくりと動いていくが、これは頭の中の記憶を漁っている時の先生のくせだった。
「古今東西、目を利用する術は多いのですよ。例えばほれ、そこの壁の絵をご覧なさい。あれに書いてあるのは「ブッダの智恵の眼」という、ネパールやインドに伝わる魔除けです。他にも、あの青いガラスの目玉は西アジア地方の邪視避けの護符である「ナザール」というものです。邪なる視線、こいつには呪いと同様の効果が発生するという」
先生は周藤さんの目を真っ直ぐに見る。
「邪視とは、悪意を込めることで見るだけで他者に影響を与える。西洋の怪物コッカトリスは、見た相手を死に至らしめるといい、ギリシア神話のゴルゴーン三姉妹の末娘であるメドゥーサの視線は、見つめた相手を石化するという。今回の件と関係があるかは、分かりませんが」
周藤さんは思わず後ずさろうとする。
「せ、先生はその方法をご存知なんでしょう?」
「そりゃあねえ。ですから、念の為にお守りを格安で差上げときましょう」
先生は、周藤さんの手に素早くあるものを滑り込ませた。周藤さんはそれを見ると、顔を多少赤らめた。そして、私からは見えないように固く握りしめてしまった。
「邪視避けには、昔から卑猥なものを持つと良いと言いますんでな。インド産のタントラ仏……要はヤリ仏のペンダントです。持っておいでなさい。本来なら五千円ですが、相談料込みで二千円にまけときます」
先生は片頬を釣り上げて、ケタケタと笑った。
私はため息をついて、大人二人の子供のようなやり取りを見ていた。
「分かりました、先生。私の方ではこの動画投稿者の過去動画などを調べて貰えるよう、サイバー犯罪対策室に問い合わせてみます。また妙な事件が持ち上がった時は、寄らせてください」
先生は周藤さんが帰ったあと、二階へとこもり切りになった。どうやら、残しておいた写真たちをより深く調べるため、全力を尽くしているようだった。
第五幕 午後の教室
「はい、そんじゃ今日の授業の残り半分は、教え合いにすっから。自分でちゃーんと解いてから、周りのヤツと答え合わせするんだぜ」
ザワザワと教室が動き出す。太田先生の数学Ⅱの授業。前半は先生が問題を解説してくれて、だいたい後半は皆で教え合いながら答えを探していく。
もちろん、真面目にも取り組むけど、ちょっとしたお喋りだってする。太田先生は、そうした細かいところは気にしない人だった。
「新井さん、スマホは大丈夫、でしたか?」
先日、昼休みに新井さんがスマホを使って調べ物をしているのが、何故か太田先生にバレてしまっていた。学校のルールに則って、三日の先生預りになった間、流石の新井さんもしょげていた。朝と放課後に掃除をしていた。私も暇だったので手伝ったからよく覚えている。
「ん、ちゃんと太田ちゃん返してくれたよっ。でも、うーん、モヤモヤするゥ」
新井さんを塚本さんが小突く。
「もー、その話はしないの。しょーがないじゃん」
「でもでもでもぉ」
新井さんはぷぅと頬を膨らませて、机に顔を置く。新井さんは、誰がそのことを太田先生に告げ口したのかを気にしていた。もちろん、太田先生は誰が言ったかなんて言いはしなかったけど、このクラスでは似たようなことが続いていた。
例えば、体育の持久走でサボってズルをしていた子達がバレてしまって走り直しをしたり、授業の小テストでカンニングした子がすぐに見つかったり、そして、スマホをこっそり使っていた子が見つかってしまったり。
「そーだよ、ユイっち。そんなの気にしたってしゃーないよ。だって、分かんない奴にイライラすんだもん、余計に疲れるし、もう聞きたくないし?」
笠原さんも新井さんの頭をポンポンと撫でながら、自分のノートとにらめっこしていた。
「モモっち、ここ解けた?」
「……聞かないでください」
私も、みんなの話を聞きながら、教科書とその解説とにらめっこしながら先生の出した例題に苦戦していた。
「でもなぁ。ウワサ聞いちゃって、気になっちゃってるんだもんっ」
新井さんはふくれっ面のままノートに書き込みをしていく。
「ウワサなんて当てにならないって、ウチらが一番知ってんのに、コイツめ」
笠原さんはふくれ面をぷにぷにと突きながら嫌な顔をした。去年の初め、自分たちがウワサの渦の中にいた事が苦く思い出されたのだろう。
「でも……気になっちゃうよ? ユリアちゃんの話」
新井さんはちらっと視線を投げかける。
教室の後ろの方の座席。セミロングヘアの女の子が、もう一人のショートヘアの女の子と問題を解きあっている。
セミロングヘアの女の子が、宮内結璃亜。ショートヘアの子が、鷺坂来瑠美。この二人は、ほかの何人かの女の子と一緒にいるのも見たことがあるけど、大抵二人で一緒にいる。そういえば、前に一度私に話しかけようとしてた子達はあの二人だったか。ほとんど関わりがないので、正直印象も何も無い二人だ。
噂については私もたまたま耳に入ってしまった。ここ最近、教師の目が無いはずの場所でのルール違反がバレているのは、宮内さんと鷺坂さんがチクっているから、という。確かに、よく見ると太田先生のそばにいることも多いけど、そんなのは単なる推測だろう。
「モモだってそうだったし、アタシらだってかなり言われて、やだったんだから、噂なんか信じちゃダメ」
塚本さんも頬をぷにぷにしながら言う。
新井さんもさすがに懲りたらしく、ぷううという音を立てて口から息を吐き出した。
「わかったよぅ」
「うん。素直でよろしい」
微笑ましいやり取りに、私も思わず笑いが漏れていた。いつからだろうか、こんな風に人と雑談をしている自分に、違和感を感じ無くなったのは。そんなことをぼぅっと考えていた。
「……!?」
その時、背筋を這い回るような嫌な気配が教室の中に急に生まれた。しかも、その気配は異様に殺気立っていて、強い悪意を感じた。それがあまりに強すぎて、私は思わず吐きかけた。
「モモっ、どうしたの!」
塚本さんが慌てて私の背中をさする。私がこうなることの意味がわかっている笠原さんと新井さんは、周りを見渡した。
私も吐き気を必死に抑えながら、急いで二つ目の瞼を開けて周囲を観察する。
こんなに強い、敵意か殺意は感じたことなんかない。父も母も臨戦態勢に入り、いつでも敵意の元に喰らいつきそうに気配を強めている。
私は出来るだけ早く教室中を見渡して、それの元に気付いた。
質問に来た生徒に、笑いながら答える太田先生。
その太田先生の目から、どくどくとドス黒い瘴気が溢れ出ていた。それは段々と量を増やし、先生の周りでとぐろを巻くようにして徐々に形を現していく。
それは、まるでムカデのように見える、得体の知れない化け物だった。まるで人の顔のように見える目鼻が付いている。口のように見えるところから、しゅうしゅうと瘴気を漏らす。ふしくれだった、足なのか手なのか分からない器官をわしゃわしゃ鳴らしながら、そいつはするすると教室の上の方へと登っていく。
「あれ、は……なに」
口から言葉が勝手に漏れる。その間にも、その謎の化け物はするすると蛍光灯のカバーの付け根まで体を伸ばすと、その天井と繋がる細い柱の部分へと入り込み、思い切りその細い柱を破壊した。
「先生っ!」
私は咄嗟に大声を上げた。
「へっ?」
太田先生の軽い声と、女の子たちの悲鳴とが重なって聞こえた。
大きく、派手な音を立てながら、蛍光灯カバーが丸ごと先生の頭上に落ちてきた。あまりにも急すぎて、私は父と母に指示も出せず、札も切れず、ただ目の前のことを見ているしか出来なかったが。
ばこん!
という、大きな音を立てて、カバーは先生の上で一度跳ねた、様に見えた。そのまま大きな音を立てて割れ、蛍光灯もカバーもぐちゃぐちゃに床に叩きつけられた。
教室中が騒然となる。みんな青い顔をして、塚本さんと笠原さんは急いで先生の所へ向かっていた。新井さんは硬直して動けない。私は何かの痕跡がないかどうか、瞬時に周りを見渡した。でも、呪いの痕跡や、何者かが咒を打った気配もない。父と母の敵意に対する昂りも治まっている。
「太田ちゃん! 大丈夫なの?」
太田先生は、自分の体をパンパンとはたき、怪我の確認を済ませるとぐしゃぐしゃに割れた蛍光灯と、蛍光灯カバーをじっと見つめた。
「オレは大丈夫だよ! おーい、皆は大丈夫か? 」
この場にそぐわない軽い声を出して、太田先生はクラスを見回した。クラスは、男子も絶句し、女子はパニックになって声を上げている子が多かったが、宮内さんだけが、妙な反応をしている。口元に手を当てて、怖がっているような素振りだったが。私のこれまでの事件での経験がその視線のありかに目を走らせた。他の人の視線は、壊れた蛍光灯に注がれているのに、彼女だけが怪我をしていないことに驚いたように、太田先生に注がれていた。
私は席を立って、太田先生のそばへと寄った。
「先生、さっきのは」
「ああ、これこれ」
太田先生は腕をまくって、私に念珠を見せてくれた。二つ目の瞼を開けていたせいで、作り方の癖と込められた呪力の流れがよく見えた。間違いなく、うちの先生の作った災い避けの念珠だった。
「黎のアニキがうるさく持っとけって言うもんだから、身につけてたんだわ。いやぁ……こういうことがあるんだなあ。正直すげえ怖かったわァ」
声が微妙に震えている。生徒たちを安心させるように何とか振舞おうとしている姿勢が見えた。太田先生からは特に呪いの気配などはしていない。体調も傍から見て変化があるようには見えなかった。
「怪我がなくて、良かったです」
それだけ伝えて、席に戻る途中。わざと宮内さんの方に視線を向けてみた。私の視線に気づいた宮内さんは、バッと顔を勢いよく背けた。
「休み時間になったら、事務員さん呼んでくるからさ、それまでは触んなよ! みんなが怪我したらイヤだからな」
太田先生は、いつもの笑みを取り戻してクラスを落ち着かせるようにみんなに声がけをした。
「モモっち、これって」
私が席に着くと、笠原さんが顔を寄せて聞いてくれた。
「偶然じゃないよね?」
塚本さんも同じように顔を寄せてくる。
「ええ。あんなもの、見たこともなかったけれど……多分、ノロイなんだと思います。でも、変、なこともあって……それは先生に話してみないと分からないです」
「でも、怖いよっ。どうしたら」
新井さんの視線は落ちてきた蛍光灯に注がれている。
「こういう時は下手に動くと術者に気づかれます」
私は声を潜めて、でも鋭く言う。
「今回は、相手の正体が分からないんです。なんで、アレが太田先生の中から出てきたのか。なんで太田先生に怪我をさせようとしたか、しかも、一歩間違えば死んでしまうような怪我を」
不安がる三人の目を見て、言う。
「大丈夫です。だから、落ち着いていてください」
そう言えば、この三人にこれだけ喋ったことってあるんだろうか、と思ってしまった。仕事モードに入っていたせいかもしれない。
急に三人は私に抱きついてきた。
咄嗟のことで何も出来ない私に向かって塚本さんが呻いた。
「モモぉ、急にイケメンすぎぃ。カッコよォ」
「えぇ……」
第六幕 石井川特殊診療所
「お久しぶりっすねぇ、センセ」
診察室に入った僕を、煙草を咥えながら、石井川女史は片手を緩やかに上げながら出迎えた。
三条市の商店街をぬけて、住宅街に入った辺りに、くすんだクリーム色をした立方体のような建物が立っている。表の看板に「石井川特殊診療所」とだけ書かれたその建物の主が、僕の目の前に座す三条市でも指折りの若手監察医、そして警察内で手に追い切れない怪異絡みの特殊事件に駆り出される医師、石井川女史その人である。
「今日はどうしたんすか? 腰っすか、肩っすか? 見たとこ、センセは不健康ですからね。ちゃんと体のメンテもした方がいいっすよ」
キィキィと耳障りな音を立てる事務椅子を回して、彼女は眼鏡越しに僕の体を診察して見せた。なかなか目の鋭い人だ。最近肩こりと腰痛が酷くなっていることを一発で当てて見せた。
「ご忠告痛み入るところですがね、今日はそっちの事をやりに来たんでは無いのです」
僕が勧めた煙草を受け取ると、石井川女史は流れるような手つきで今吸っている煙草で火をつけ、美味そうに煙をふかした。ここまで見事なチェーンスモークを見たのは初めてだった。
「勿論、周藤さんから聞いてますよ。例の交通事故の調査ですよね」
「左様。周藤刑事から事故そのものの原因が、怪異では無いかと相談を受けたものでして」
煙草を咥えたまま、彼女は机の上に立てられたファイルの中から一冊抜き出して僕に手渡した。
「どうぞ、センセ。そこの診察用の椅子で悪いんすけど、座ってじっくり目を通してくださいな」
座り心地の悪い椅子を無駄に回しながら、僕はファイルを読み込んだ。
今回の事故原因は、大学生たちが乗っていた車の前方不注意であると、衝突された側のドライブレコーダー、並びに大学生たちの乗っていた車のドライブレコーダーの双方の映像から確認できるそうだ。
「ドラレコの映像はこちらで見れますか?」
「そりゃあ無茶っすよ。警察の方の証拠物件ですからね」
と言いながら、彼女は自分のスマホを僕に見せてきた。
「ここにゃ、コピーしかないっす」
彼女は、丸っこい顔にイタズラ心と悪意が半々に混じった薄ら暗い笑いを浮かべて見せた。
僕も口の傍だけを上に上げて笑って見せた。彼女はとても有能な人だ。
「画像には、その手の何かは写ってないんすよ……というか、霊的なモノってこういう映像に残るんすか?」
「そうですなあ……一遍見せてください」
動画が再生される。前方の道路の映像が主で、車内カメラなどはなかったようだ。確かに、周りは竹藪、見通しは効かないようだが。
「こっからです。話し声が聞こえてますでしょ?」
「ふむ、確かに」
何を話しているかまでは判然としないが、車内で談笑をしている様子は分かる。が、その声が急におかしくなる。
「こりゃあ、喉を締められてます?」
「ええ。声の感じと、ほら、バタバタ音が聞こえるでしょ? 呼吸ができなくなってもがいてる感じですね。で、ガシャーンと」
映像から何かわかるかと思ったが、これでは何も分からない。分かったことといえば、車内で異様なことが起きていたという部分だけだ。
「ふうむ。なるほど。ああ、さっきの質問ですがね、石井川女史。多くの心霊映像は作り物ですが、ごく稀に映像に残ってしまうものはあるようです」
「ほう?」
「我々マジナイ屋の同業者の中に、事件解決の手法としてそういう映像を主に使う連中がいるんですよ。ただ、彼らはそういったものを映像記録に残せるように専門の機器を用いるんですがね。普通の映像に残るほどの霊的存在であると、異様に存在感がある、そう、鬼だのなんだの、もはや霊感のようなものが無くても人に認識されるほどの存在なら残るでしょうな」
「なるほどねえ。その口ぶりだと見たことがあるんですね」
僕は眉間に皺を寄せながら答える。
「ええ。二度三度見たいと思える楽しいもんじゃないことは確かですよ」
もう一度事故の報告書に目を通す。全員怪我の程度はあれ、一命は取り留めた。衝突された車の側の運転手などは、むしろ軽傷で済んだのだという。
「この事故を起こした子らを直接視る事は出来んですか」
「やっぱりそうきます?」
「そうきますねえ。実際その子達に何らかの咒的な痕跡が残っているなら事件の全容に近づけますぜ? とはいえ、その子らに僕のような胡散臭い人間が面会できるかどうか」
「センセ。そこはご安心。そういう患者ってのは気味が悪いせいで大きな病院じゃあ面倒見たくないんですよ。そうすると、ウチみたいな弱小診療所にお鉢が回ってくるですよ」
石井川女史は煙草を揉み消して立ち上がる。
「二階です。ご案内しますよ」
診療所の二階には、処置室の他に薬品倉庫があり、その隣には十二畳程度の部屋があり、簡易ベッドが二つ置かれていた。
「ウチはちょっとした処置の後、患者を二、三日寝かせておくくらいのスペースがあるんすよ。今回はそこを利用して、この子達の様子を見させてもらってます」
そこには、重体と重症だった大学生が横たわっていた。
「特に、重体の運転手だった子は完全に抜け殻状態でしてね。重症の子の方は、ある程度は会話は出来ますよ。でもあの日のことを思い出すと今でも半狂乱になって暴れちまうんで。あんな形に軽く拘束させてもらってます」
まず、重体だったという大学生に近づいてみる。薄く空けられた眼には、意志を感じられない。
「全身打撲並びに、右腕と左足の骨折、肋が二本逝ってます。腰周りの骨も大分砕けてましてね。相当な衝撃がかかってたんでしょう。ただ、脳味噌には特に異常はないらしいので、これだけ意識が戻らないってのはおかしいんです」
僕は顔を近づけて、また二つ目の瞼を開き、眼鏡に咒式をかけながら観察を始める。全身の気の発散している量が生きている人間よりかなり少ない。まるで消え入る前の蝋燭のような状態だ。そう、これは魂の状態的には「死んでいる」と言っていい。
「こいつは、我々の業界では死んでる、と言えます。お医者の先生の言う脳死とかとはまた別になるんですが、魂が死んでいる状態だ。つまり、意識の根っこになる部分と、人間を動かしている気力の部分が消えているので、会話もできなければ意識があるようにも見えない。その部分を咒で補う治療法もありますが、ここまで弱っていると話は別だ」
「つまり? この子は魂的な死体だと?」「ええ。遠くない未来に心の臓も弱りきって本当に死んでしまうでしょうよ」
僕は、もう一人の患者の方へと歩み寄る。傍目に分からなかったが、ショートカットの女性だった。窓の方を見つめている。
「やぁ。こんにちは」
「ひっ!?」
彼女は急に現れた真っ黒い異様の人影に驚いたようだ。
「あぁ、驚かなくてもいいっすよ。この人も専門家のセンセイなんで」
石井川女史がフォローを入れたおかげで、彼女のこわばりが抜けたようだ。
僕は手近かにあったパイプ椅子を引き寄せて、彼女の顔が良く見える位置に座った。二つ目の瞼を開けて眼鏡に咒式を掛けてみると、瘴気の跡が見えた。顔の部分あたりから薄いモヤのような色の悪い何かが見えている。見ようによっては煙草の煙のように見える薄靄があるのだ。それが顔を覆ってしまっている。石井川女史をすぐ側に寄せて、囁く。
「咒の痕跡がありますな。しかも、今はかなり弱いですが、瘴気……つまり、人の霊体を害する気が彼女の顔の付近にあったというか、これは……彼女の中から漏れている、ように感じます。僕の才覚だけではそれまでしか分かりませんが」
「ノロイっすか? ……この子は助かりますか?」
石井川女史の表情が曇る。
「確たる自信はありませんが」
僕は、横たわる女性の顔の前に手をかざした。
『諸余怨敵皆悉罪滅、諸余怨敵皆悉罪滅、諸余怨敵皆悉罪滅、諸余怨敵皆悉罪滅……』
日蓮尊者がかつて用いたと言われる、憑き物や魔を暴く秘術を掛ける。言霊を繰り、何度も彼女に染み込むように。
「ひっ、ひぐっ、ごぼっ、がっ、あっ」
途端に、彼女の体が大きく跳ねて、体の中でなにかが蠢き出す。
僕はもう片方の手で、石井川女史を下がらせて咒を掛け続ける。女性の手が強ばり、体が跳ねる。拘束を千切ろうとするように体がのたうつが、咒をかけ続ける。
気配が集中してくる。眼鏡越しの僕の目に、瘴気が目の辺りに集中してくるのが見えた。
「センセイっ! 一体何が起きてるんです!?」
「この娘の中の咒の大元が暴けるかもしれんのです! もしも観たいと言うならば、これを!」
袖の中に仕込んでおいた簡易式の照魔鏡入り眼鏡を石井川女史に放り投げる。彼女は意図を察して眼鏡をかけ直すと、ぎゃあっ! と声を上げた。
「なんすか、この気持ち悪いの!」
「それが瘴気です! 今この娘の目の位置に瘴気が集まって来ているんです」
一度繋いだ気の流れが安定し、咒式が彼女に注がれ続け、彼女にかかる呪いを暴く。体の震えやびくつきが治まり、今は頭だけがガクガクと震え、遂には目から瘴気が噴出し始めた。
『オン・クロダナウ・ウン・ジャク』
僕は自らの手に烏枢沙摩明王の真言を纏わせて、吹き出す瘴気に突き出した。本来瘴気には物体としての感触は無い。しかし、この瘴気の中にはまるで生き物のように脈打つナニかが混じっている。僕はそれを掴んで、思い切り引きずり出した。
石井川女史は、もう一度ぎゃあっと悲鳴を上げた。照魔鏡入眼鏡のお陰で、僕が掴んでいるものがくっきりと見えていたのだ。
それは、「その少女の顔をもった、巨大な百足」としか形容できないようなものだった。僕も今まで、こんな憑き物は見たことは無かった。それに、この化け物が放っている気配は、信じられないようなものだった。
空いている左手で、眼鏡の弦を撫でながら、口の中で咒を紡いでこの存在を記録させていく。
「なんなんすか、そのバケモン!」
「……何でしょう?」
「分かんないんすか?!」
「こんなもの見たことがない。しかも、細かく後で分析せんと分かりませんが、こいつからは妙な気配を感じるんですよ」
僕は、それがポロポロと脆い砂細工のように壊れ始めるのを見た。
「こんな術式、見たこともない。内側から無自覚に、不特定多数に掛けられる? いや、同じゼミ生となると特定されているのか? それにこいつからは、この女性の気を感じるんですよ」
「は?」
「つまり、なんと言うか、この呪い的存在はこの女性の魂から作られた可能性がある、という事です。しかも、瘴気に混じって掴みづらいですが、屍の気配がする……本当に、何なんだ、これは」
僕は懐にある何も書かれていない札を左手で素早く取りだし、崩れていく謎の呪の妖を紙に染み込ませる。幾重にも霊木と霊草の繊維を混ぜ重ねて漉いた特注製の紙である。紙に呪の霊威の欠片が染み込んで、紋様を描いて行く。札に咒式が染みていく。だが、壊れかけの呪に過ぎないそれから得られたのは、虫食いだらけで酷く不完全な式だけだった。
「駄目か、これでは完全には分からない」
僕の嘆きと共に、呪の核は完全に崩壊して形を持たなくなった。今一度札に目を通すが、記憶を探る限りこの札に描かれかけた式はない。どこかの術者が開発した全く新しい呪の形……考えるだけでも恐ろしい。
「とりあえず、石井川女史。応急処置は完了です。これで彼女の体の中の呪は一度取り除いた。もう命の危険はない、筈です」
「歯切れが悪いっすね、センセイ」
「そりゃあ、こんな見た事もない呪に出くわしてはね。この処置の方法が正しいのか間違っているのかすら分かりやしないのだから」
僕は急ぎ店へ帰ろうと考えていた。すぐにでも、この呪を解き明かさねば。それだけで僕の頭は満たされていた。
第七幕 午後~放課後の教室
授業中に起きた謎の落下事故のせいで、その日の残りの授業には皆全く集中出来ていなかった。片付けそのものは早くに終わったけれど、不自然な事故の話をコソコソと続けていた。そのせいで、自覚のない悪意がずっとさざ波のように教室を揺らしている。
私のひどく苦手な感覚だ。
何度となく念珠を握りしめ、呼吸を整える。一瞬楽になっても、また悪意が押し寄せてくる。そんなことが何度も続いて、普段の何倍も疲れてしまった。
塚本さんたちは、私を気遣って声をかけてくれたり、耳を塞いでくれた。彼女たちはこんな時に、何かを話していても状況を悪くするだけだとよく知っているからだ。
でも、残り多くの人は?
「やっぱり、みんな、あの話を辞めない……なんで……」
塚本さんが軽く指を噛む。
「仕方ないですよ……あんなことが起きたのに、原因は全く分からないんです。それに、うちの学校には妙なことが起こりやすいんです。このクラスの中にも、私たちが知らないだけで妙なことに巻き込まれたことがある人や経験したことがある人は多い筈です」
私は、気疲れこそしていたけれども頭は冷えていた。さわさわとした無自覚な悪意の波の中で、唯一、波が立っていない場所を私は感じていた。
「やっぱり、何かあの二人は知ってるのかも知れません」
私の視線はクラスの一角、宮内さんと鷺坂さんのいる場所に注がれる。
二人は、クラスのほかの人たちの会話の中に加わっていない。あんな事があった後だ。普段話さないような子達が集まって話している中で、あの二人だけはこの話をしていない。と言うよりも、他の子達が話しているような無意味な原因探しや混乱をしていない。あの事件があった瞬間の宮内さんの反応もそう。
「モモっち、やけに断言するじゃん」
笠原さんがゆるく私の耳に手を当てて、気遣わしげに私に語り掛ける。
「なんでそう思うの?」
私は、少しだけ勇気を出して笠原さんの手に触れる。笠原さんの少しびっくりした反応が、自分の手から伝わってくる。
「私は今まで、たくさんの悪意の波を見てきたし、浴びて来ました。こんなこと、あんまり話しても不幸自慢ですけど……。でも、私のこれまでの経験と、先生との一年間の経験が今は皆さんの役に立てそうだから。その経験で培ってきた「感覚」と私の経験から来る「感覚」が、あの子たちは違うって教えるんです」
もう一度視線を二人に向ける。二人は他の人間に聞かれないように、気づかれないように額を寄せて小声で何かを話している。
私は、笠原さんの手から自分の手を離して、塚本さんたちに軽く笑いかけてから、宮内さんの席に向かった。
「あ、の。宮内さん」
宮内さんと鷺坂さんは、酷くびっくりして私を見た。この反応。多分、私についての色んな噂を知っている反応だ。最初に私が話しかけると、多くの人は怯えた反応になる。でも、この怯え方はそれ以上の何かがある気がする。
私は態度を変えず、極力穏やかに話すように心がけた。そして、前に一度彼女たちが話しかけてこようとした事を思い出した。
「この前は、ごめんなさい。何か、私に話そうと、してましたよね? 急な、事でビックリしてしまって、ちゃんとお話、聞けなくて」
二人は、また少しの間、額を突合せて話をした。こういう反応はあまり見た事がない。
「ううん、全然気にしてないよ」
先に口を開いたのは鷺坂さんだった。
「あの時は、ユリアが相談があるって言ったんだけど、寸前で怖くなったらしくて」
そう言って、宮内さんを見る。
「……そう、なの。ごめんね。ワタシ、あんまり話してない人と話すの、得意じゃなくって」
宮内さんは少しつっかえながら、私から少し目を逸らしながら答えた。
「そう、だったんですか。大丈夫、です。私も人と話すのは、その、慣れるまですごく大変なので」
できる限り、宮内さんと視線を合わそうとするが、できない。逆に鷺坂さんがグイグイと話してくる。
「ほら、ちゃんとあの事話した方がいいでしょ? 平坂さん、せっかく話を聞きに来てくれたんだよ?」
「そう、だけど、でも」
「もう、ユリアぁ」
鷺坂さんのなだめるような声に、宮内さんがつっかえながら喋り始める。
「……あのね、その、平坂さんって。オマジナイには詳しいんだよね?」
「詳しいというか、そういう知識のある先生についてアルバイトをしています。オマジナイについての相談なんですか?」
「うん、その……できたらね? 人に知られたく、ないなあって」
「良ければ、放課後に話を聞きます。この教室を使いたいって太田先生にお願いすれば、多分使わせてくれると思うので。それでいいですか?」
「う、うん! じゃあ、お願い、します」
それだけ約束して、私は一礼して離れた。そしたらまたすぐに、二人は額を近づけて話をし始めた。
「ねぇ、どうだった!」
新井さんが興味深そうに私の顔を覗き込んできた。
「話をしてくれるそうです。元々、なにか私に、と言うかうちの先生に相談したいことがあったみたいなので」
「アタシたちも手伝おうかっ!?」
新井さんが食い気味で聴いてきたけれど、すかさず塚本さんが新井さんの首根っこを掴んでたしなめる。
「ダメだよ。こっから先はモモの仕事だもん。下手にウチらがいると邪魔しちゃうって、知ってるよね」
「でもでもでもぉ」
「ユイ、だめ」
私も新井さんに告げる。
「そうですね。ここからは危ないこともあると思うので。私たちマジナイ屋のお仕事です。新井さんの応援があるだけで、私頑張れますから」
そう言ってみると、三人が少し頬を赤らめながら私を見つめた。
「なーんか、最近のモモっちってイケメンじゃね?」
「そうだよねぇ。モモが悪い子になっちゃってるぅ」
「なんか、アタシ、ほんとにドキドキしちゃった」
私は嫌なのだけど、先生のキザな所が感染してきたんだろうか。私は酷く唇を歪めた、しかめっ面になってしまった。
放課後。太田先生に断ってクラスの鍵を預かった。塚本さんたちが、悟られないようにクラスの他の子達を追い出してくれた。今は、私と、宮内さん、そして鷺坂さんの三人しかこの場に居ない。念の為に気配を父と母に探ってもらったが、誰かに聞かれているという心配も要らないようだ。
「……あの、ね。平坂さん」
宮内さんがおどおどと話し始める。
「一度かけたオマジナイって、その、えっと、ねえ、やっぱ怖いよクルミ」
隣にいる鷺坂さんの腕をつまむ。私も怯えやすいというか、人見知りして話ができない方だけど、宮内さんの態度は少し度が過ぎているように感じてしまう。
「平坂さんがちゃんと聞いてくれてるんだよ、ちゃんと話そうよ」
「話すだけだったら、クルミが話しても一緒でしょ? 話してよォ……」
涙目で鷺坂さんに訴え始める。鷺坂さんも、いつもの事だとでも言うように肩をすくめて、軽くため息をついたあとで私に向き直る。
「あのね、平坂さん。誰かから掛けられたオマジナイを消す方法ってあるの?」
「掛けられたオマジナイを、ですか」
私は考える。これまでの先生との授業を思い出しながら、解答を探す。
「あります」
私の言葉を聞いた時、宮内さんの表情が見違えるほどに明るくなった。
「でも」
続けて私は言う。
「それを行うためには、掛けられたオマジナイがどんなものなのか正確に知る必要があります。そして、可能なら掛けている人間が誰かを特定することも必要です」
宮内さんの顔が再び曇り出す。
「オマジナイを掛けられた心当たりがあるんですか?」
私は、喋り出そうとした鷺坂さんを手で制した。
「これは、宮内さんから聞かないと意味が無いんです。鷺坂さんが話してくれたとしても、それは伝言の結果だから、正確な情報かは分からないんです。私たちオマジナイを行う者は、それをとても嫌います、オマジナイを消すオマジナイを作るのには、宮内さん自身の言葉がどうしても必要だと、考えてください」
宮内さんにきちんと説明をした。宮内さんは今にも泣きそうな目で私を見つめる。
「あ、あの、えっと、あの、うぅ」
目からポロポロ涙を零し、しゃくりあげながら宮内さんは喋り始める。
宮内さんは一年生の頃まで、女子陸上部に所属していた。そこで仲良くしてくれる友達に出会ったらしい。怪我がち、休みがちだった境遇で、部活に上手く馴染めない宮内さんに似た境遇のその子とは、よく話していたようだ。でも、その子は怪我が悪化して段々と部活に来れなくなってしまった。それを境に宮内さんも段々部活に行けなくなり、顧問に言い出せもせず退部出来もせず、という状況らしい。そして、怪我を治療した友達は部活へと復帰して宮内さんが居なくなったことに気づいた後、態度を変えたらしい。
それまではgrapeなどでも話していたが、メッセージを送っても無視されるようになり、更には面と向かって裏切り者、と言われたらしい。
「そんな、時にウワサ、聞いちゃって。その、オマジナイ、の。それで、その子がオマジナイをしてるって、ウワサも、聞いちゃって、こわくて……」
「じゃあ、実際にかけられたかは分からないんですか?」
「でも! だって! ワタシが部活に行ってないのは事実で……。それで、オマジナイを掛けたって聞いて……。だから」
私は言葉を失った。
咒が放たれた場合、その人に何らかの異変が起きる。例えば体の痛みなどを伴う不調だったり、大切にしていたものがなくなったり、不注意でなくても事故に巻き込まれたり、など。その人を害するような何かが増える傾向にある。強弱の差はあれど、そういうものだと教わった。事実、これまで見てきたお客さんの多くがそう言った変事にあっている。
でも、これでは。宮内さんのこれは、実際に咒の被害なのか、彼女自身の思い込みか分からない。
「ワタシ、運がないから。たぶん、今度もきっと失敗してる……。友達との間は、いつもそうだから……」
「ねえ、平坂さん。調べてもらうことって、オマジナイを消してもらうことって出来るよね!?」
言葉少なになった宮内さんを庇うように鷺坂さんが聞いてくる。
「んん……難しい、ですかね」
「……なんで?」
宮内さんが虚ろな目で私を睨んだ。
「ねえ、なんで? ワタシ、本当に怖いのに。だって、あの子はオマジナイをしたって聞いたのに!」
急に宮内さんは感情を露わにして喰いかかってくる。私はため息混じりに答えた。
「確認したわけじゃ、ないんですよね?」
「確認って」
「それを、その噂をあなたに教えてくれた人に、正確に確認したわけじゃないですよね?」
「でもあの子が呪うのなんてワタシ以外いないもん!」
「本当ですか?」
「何!? 結局、アンタもワタシを信じないんでしょ!? ねえ!?」
宮内さんは手につかないほど取り乱して泣き出す。隣の鷺坂さんを見ると、私を恨めしそうな目で見たあと、ため息をついた。まるでこれがいつも通りだと言うかのように。
「すみません」
私は、それしか言葉が出ない。先生のように言霊に霊威があればまた違うのか。
「でも、呪われてもいない人に、オマジナイを消すオマジナイを掛けても逆効果なんです。むしろ状況が悪くなります。だから、その人が本当に宮内さんを呪っているという決定的な証拠がどうしても必要なんです」
私はようやっとそれだけ伝えた。
鷺坂さんが宮内さんの背中を擦りながら、廊下へと連れていった。少しの間だけ廊下で何かを話す声が聞こえたが、足音がひとつ教室から離れていく。
再び教室の扉が空くと、そこには鷺坂さんだけが立っていた。
「ごめん、平坂さん」
さほど悪びれてもいない顔で彼女は事務的にそう言って、もう一度私の前に座った。
「今度はウチの話を聞いてくれる?」
私は少し考えたが、友人である鷺坂さんも何か知っていることがあるかもしれない。
「はい、お聞きします」
そう告げると、鷺坂さんは少し伸びをして、ため息をついた。
「ユリア、どう思う?」
「どうって?」
「そのまんまの意味。あの子どう思った?」
私は急な質問に言葉につまる。
「そう、ですね。難しい人、なのかなって」
「優しいんだね、平坂さん。面倒臭いって素直に言ってもいいのに」
薄く皮肉げに笑いながら鷺坂さんが言う。
「あの子とは中学から一緒なの。でもね、あの子友達とはこういうトラブルばっか起こしてんの。その度に周りの子に迷惑かけんだよね。そのくせ、さっきみたいに自分はさも被害者ですって顔するからさ。最後はみんな離れてっちゃうわけ」
一緒にいる友人とは思えない感想だった。
「じゃあ、鷺坂さんはなんで一緒にいるんですか?」
湧いてきた言葉が口をついてでた。
「それでも友達だから? あの子の面倒みるのウチしか出来ないし。あの子ウチがいないとなんも出来ないし、喋れないし? ウチが友達やってなきゃ、みたいな?」
私は、この人たちの関係性が分からなくなった。そもそも私には友達などがいたことがない。ようやく高校に入ってできた塚本さんたちとのお付き合いも、多分私がマスコット的な扱いをされているだけではないかと思う瞬間があるほどだ。だから、私が友達というものを語るのもおかしいだろう。でも、そんな関係の基準になっている塚本さんたちの繋がり方と、宮内さんと鷺坂さんの繋がり方は全く違うものだった。
「でね、さっきのオマジナイの噂は本当。ウチが友達から聞いたから。さっきの話に出てきた陸上部の子が、オマジナイをするんだって友達に漏らしてたらしいから」
「相手が宮内さんというのも?」
「ううん。友達は相手のことは言ってないよ? でも、多分ユリアでしょ? 」
あの勘違いの元凶はこの人か。
「オマジナイが流行ってんのも本当。UAって人がやってた、嫌な人にバイバイするオマジナイ。それを試したって」
「……え、待ってください。UAの?」
「そうだよ? 平坂さん知らない?」
繋がってしまった。こんな所で繋がるなんて……。
「最近は、そのオマジナイを試す人が多いんだってさ。場所は確か、狂い咲きの桜がある辺りで、呪文まであるんだって。それを唱えて木に写真を張りつけてくるんだって。面白半分で行った子がいてさ? その子が、ユリアっぽい写真が貼ってあるのを見た、なんて言うからさ」
「写真があったんですか?」
「らしいよ? 陸部の女子の試合用ユニフォームは胸の部分に名前を入れるところがあるからさ、それで分かったんじゃないの?」
「そう、ですか」
もしも写真から判断したのであれば、まだ先生が保存している。見せてもらうことはできるし、この件を相談することも出来るだろう。……もう少し上手い手を考えることも。
それに、目の前の鷺坂さんをもう一度見やる。この人の言葉から考えるに、宮内さんは人から恨まれやすい性分の様だ。本質を見極めることはまだ出来ないけれど。
「分かりました。少し、調査してみます。何か分かれば、またお話します」
「よろしくね、平坂さん」
特に感謝をした風でもなく、ヒラヒラと手を振りながら鷺坂さんは教室から出ていった。
第八幕 マジナイ処 鈴鳴堂
「ちがうっ、やはりこれも違うっ!」
店の扉を開けると、本の山がいつもより高くなっていて、更に散らかり具合がいつもより増していた。ホワイトボードにはいくつかの御札と咒物だった写真が貼り付けてあり、一個、咒式が欠けた御札に大きく赤い丸が付けてある。
先生は左手で本を幾つもめくったり、眺めたりしながら、右手で札を書き付けてはホワイトボードに貼り付けて、赤丸が着いた札と見比べて「やはり違う」と呟いた。
「先生、何かわかったんですか?」
「ん、おお助手君か。そちらはどうだ」
私は荷物を適当にカウンターに置いて、教室での出来事を、そして放課後の一件を出来る限り詳細に説明した。
先生の表情が徐々に渋くなって行く。
「僕の方は見ての通りだ。周藤刑事の言っていた事件の関係者から、呪いの本体を摘出することには成功した。だが」
ホワイトボードをコツコツと叩く。結果は振るわなかったらしい。
「君の目で見た情報が得られたことがせめてもの救いではあるのだがね。太田君に渡した念珠が役立つとは予想外だったが」
先生は目の前のガラステーブルに置いていた写真の山を撮りあげると一枚ずつ捲りながら観察していく。
「おい、見たまえ助手君」
一枚の写真を手渡される。そこには、体は半分で目は欠けていたものの、確かに太田先生が写っていた。ラフなジャージ姿でこちらにピースしている。背景から、サッカーコートの様に見える。
「それに、これもか」
もう一枚、先生が渡してきた写真は、陸上部のユニフォームを来た女子の写真。髪はセミロングで細身。そして、目の部分は欠けているが顔は確かに宮内さんだった。そして、なにより。鷺坂さんの言う通り、胸の部分に大きく「宮」という字が見えた。
「確かに宮内さんの写真ですね……とすると、ここにある人全部、太田先生のように命を狙われる可能性があると?」
先生は頭をバリバリと掻き毟る。
「仮にそうだとすれば、これはある種のテロ行為に近い。こんな簡単な殺人呪法などあってたまるものかっ!」
先生はそう言いながら、ホワイトボードを叩く。
「これだ、ここにある咒式さえ完全であれば手立てもある。わかっていると思うが、咒式が分からず打ち消しや祓えをしても見当違いな結果になることは知っているだろう? 虱潰しで、生きている咒式を摘出するしかないか、しかし」
「先生、だとするなら太田先生からは摘出できませんか?」
「何? そうか……この咒式は、一度殺し損ねた少女の中で生きていた……だが、その事実が本当ならば、この咒式は……確実に相手を呪殺するまで何度でも発動されるということ……だとするなら」
先生はそこら辺に放り出されたスマートフォンを素早く操作した。
「ああ、先程はどうも。周藤刑事よりも貴女の方に先に知らせるべきだと、ええ。可能性に至らなかった僕が馬鹿でした。あの車の他の同乗者はどうなりました? ふむ、ふむ、何人かは、ふむ、では、総合病院への伝手をフルに使って下さい。残りの人間にも施術が要ります。手配をよろしく、では」
一度通話を切ると、再び通話を繋ぎ直す。
「……周藤刑事? お疲れ様です。僕です、ええ、そちらの進展は……なるほど。こちらは――ええ。承知しました。進展し次第ご連絡しますが、今回の関係者との面会の件は――わかりました、早急にお願いします。事は一刻を争います、では」
また電話をかけ直す。最後は太田先生らしかった。
「……やっと繋がった、おい、太田君。君今日の夜は? 嫁さんが居ない? 飯は一人で食う? 左様か。ではウチに来たまえ。何? 飯は何か? そんなもんね、後で決めりゃあいいんだ、仕事がひと段落ついたんなら早く来い!」
太田先生に電話をかけると、乱暴にスマホを放り投げた。
「この呪いに対処できる保証はありますか?」
「まったく分からん」
先生は、苦虫を噛み潰したように唇を歪めた。
「宮内君のケースでも、医院の患者と同様に摘出はできるとは思うのだが、相手に返すのはほぼ不可能だろう。つまりは、咒式を殺すことしか出来ない。この咒式は初めて見るものだ。人を殺す以外にどんな能があり、どんなかけ方をし、故に術者に何をもたらし、奪うのか。返した時の反応すら予測できない。そもそもこの呪いは返せるのか? もし咒式を殺したのなら、術者は探知できるのか? 僕の手元にある中途半端な術式からでは何も分からない。それに、あんなに簡単な見顕しの咒法に反応するほどの強力な咒式なんだぞ、これは。ノーリスクで打てる式のはずがない。それをなんでUAは拡散するような真似を? 意味がわからなくなってきた……」
頭を抱えて息をつき、思い切りソファに倒れ込むように座った。
「咒式の摘出方法はわかったのだから、地道に治療を繰り返すしかない。そして、可能な限り呪いのサンプルを得るしかない」
先生は虚空を睨む。
淀んだ目が天井の一点を捉えたまま動かなくなる。先生が何かを深く考えている時の動作だった。
「こんなに簡単に、人は人を呪うのか」
先生の口から言葉が漏れる。
「先生」
私は、そのあまりに弱々しい呟きに思わず反応してしまった。
「これだけの、禍々しい呪いを、こんなに大量に放って、そして。この術者の望みが分からない」
「望み、ですか?」
私の声が聞こえたのか、先生はゆっくりと首肯する。
「良いかね、助手君。本来どんな術者でも、特に僕の様なマジナイ屋ならなおのこと、術を使う時に望むものがある。それが、己の平穏にしろ、他者の幸福にしろ、仇の抹殺にしろだ。そこに明確な思念が介在する」
先生の眉間のしわがいっそう深くなる。
「しかし、このUAという術者は何が望みだ? 君には分かるか助手君」
そう問われたけど、分からない。
「これだけの人を巻き込んで、オマジナイを広げて、これだけの人を傷つけて、この人が望んでいるもの、ですか。分からないし、分かりたくないですよ」
「因みにUAはそろそろ殺人者に格上げされるぞ。最初の事故の加害者のひとりは魂が壊れて死んだ状態だった。近い将来、肉体も死ぬだろう。それを、UAは、そして、本当に彼らに術をかけた連中は知っているのだろうか」
先生は動かない。
咒は、人に影響を与える。良い影響も悪い影響も、極端に。だからこそ、咒を使うものは責任を負う。自らの放つ咒が、人にどう作用するかを知り、自ら何を奪うかを知り、ひとつの咒について、どこまでも知り尽くさなければいけない。それが、マジナイ屋というものだと先生は言う。望むと望まざるとに関わらず、マジナイ屋は人に関わるだけで影響を与えるのだと。
私たちが今相対している敵は、それが感じられないと言うのだろう。まるで愉快犯の様に、もしくは無邪気で無知な赤子の様に振舞っている。自らの術が、何をもたらすかを知らない様に……?
「あの反応……」
私は昼間の宮内さんを唐突に思い出した。彼女は術をかけられたと言って私のところに来た。でも、あの時の反応は、自分のかけた術を見てしまったという、こんなことになるとは思わなかったという驚愕では無いのか?
「助手君」
いつの間にか先生は私を見ていた。
「推論や仮説を立てるのは大切な行程だが、妄想と飛躍は捨てるべきだ。それを産む先入観もな」
私の考えを透かして見るように先生は言う。
「君の話を聞くと状況証拠的に宮内君と鷺坂君が怪しいのは確定だろう。だが物理的な、もしくは霊的証明は何も無い。それも治療してみれば分かるかもしれんがね」
そこまで言うと先生はソファから体を起こして、机の上に置いてある紙束をこつこつと指で叩いた。
「これから、この店には続々と呪いに犯された人間が集結する。宮内君の治療と調査は正直、その後だろう。それに、何か関係があると言うならば」
先生の淀んだ目が、一瞬、とても濁った風に見えた。
「呪いを返す、という手もあるがね?」
先生は汚い色の歯をむき出して歪に笑った。
夜の七時を回った頃に、太田先生が店にやってきた。
「アニキィ、昼のことを説明するって、何知ってんすか? うちのモモを変なことに巻き込んでんじゃないっすよね?」
いつもの軽妙さの中にほんの少し真剣さを混ぜた太田先生の言葉を、うちの先生はカラカラ笑って受け流す。
「うちの店にいる限り、彼女の身の回りでは変なことしか起こらんさ。というか、現に君の体に変なことが起きてるんだろうに、人の心配とは相変わらず呑気というか、お人好しは治らんね、太田君」
店の中に入ってきた太田先生に、素早く先生は歩み寄って目の位置に左手をかざした。
「へ?」
『しょよおんてきかいしつざいめつ、しょよおんてきかいしつざいめつ』
困惑する太田先生を他所に、先生は普段「見顕し」――怪異の正体を露わにするときに使う咒法を太田先生の顔に向けて掛けていた。
私は示し合わせていたように、咒符に使われる霊紙を準備し、構える。
「アニキィ、これ、はっ、がっ!? いてえ!?」
太田先生が大きく体制を崩す。目の位置から大量の瘴気が吹き出し、店の中の魔除け達が一斉にそれを吹き払おうと鳴り出した。
「辛抱したまえ、もうすぐ……そこっ!」
先生は溢れ出た瘴気の中に躊躇無く右手を突っ込んで、一気に引き抜いた。
「助手君!」
私は素早く霊紙を掲げる。先生の右手には、昼間見たのと同じ化け物がしっかりと握られている。先生はそれを、私が持っている霊紙に無理やり押付けた。
『けんしきじん、ふうじん、けんげん、じゅしき、じゅそ』
私と先生は、それぞれに咒を重ねる。私は先生から指示された咒式を顕にする咒を懸命に唱えた。先生も、呪いの怪物を霊紙に押し付けつつ、全く同じ咒を唱える。言霊が混じって、怪物を縛り、霊紙からも鎖のような物が伸びて怪物に絡みつき、飲み込んでいく。
何かが破裂するような音がして、霊紙が私の手から離れた。
床に落ちた紙を見ると、先生がホワイトボードに貼った咒符よりも幾らか正確な式が刻まれた札が出来上がっていた。中心部分に、ぎざぎざした渦巻きのような模様が描かれ、その上下にかすれたり消えたりしているが何らかの咒文が描かれている様だ。
太田先生は呻いてはいるが、体に怪我などは無い。先生は札を取上げて見ると、思い切り口の端をねじまげた。
「かなり正確な咒式が写し取れた、流石に助手君の霊力と素質の賜物と言うべきだろう。僕ではここまではやり切れない」
ホワイトボードに新たな札を貼り付けて、最初の壊れた札と見比べる。
「この作業を、可能な限り続けていくぞ。太田君には、約束の通り夕飯を食わせてやろう、助手君、有り合わせのものでいいから、インスタントラーメンでも茹でてやりたまえ」
太田先生は、いてぇ、と低く呟いて立ち上がった。少しフラフラとしながら手探りで椅子にたどり着き、そのままゆっくり腰を下ろす。まだ肩で息をしている。
「アニキィ、つまり、俺は呪われてたんすか?」
「そうなる」
先生は素っ気なく答えた。
「しかも、君を命に関わるレベルで害そうとするとんでもない呪いがな」
先生は札から目を離し、太田先生を素早く一瞥した。
「呪われる心当たりはあったのでは無いかね? 君の左手の薬指に関わるのではないか?」
私も改めて太田先生の左手を見ると、確かに綺麗な指輪が嵌っている。そういえば授業中に、ついこの間結婚したのだと話していたのを思い出した。そして、クラスの噂話も。
「太田先生は女の子からの人気が高いんですよ。結婚をしたって報告をした後に、許さないと呟いた子がいたと思います。でも……その子が呪いをかけたなんて証拠はありません」
「それで呪いまでいくの?」
太田先生は一つため息をつく。
「理由としては充分すぎるぞ、太田君。君が思うよりも、恋心というのは重く苦しいものなのだよ。人間の根源的な欲に基づく感情だ。舐めると痛い目にあう」
先生は札から目線を離さずに言う。
「古来、恋に患って化生に落ちたものは数知れんよ。呪いが身を焼き、鬼になることもあるのだ。確かに、教師に対する恋情は疑似恋愛的な側面を持つものだが、中には本気になってしまう者がいるのだよ。それを甘く見たな、太田君」
先生は、太田先生の方に向き直る。
「しかし、君に掛けられた呪いは摘出に成功したぞ。ただし中側から掛けられる呪いであるから、相手が二度三度と呪いをかけられる手合いであると防ぎようもなくなるのだが」
先生は、真新しい念珠を太田先生に手渡した。
「まけておくよ。持っておきたまえ。守りの念珠は幾つあっても良かろう」
先生は太田先生に念珠を手渡すと、ひっひっと引き付けるような高笑いをした。
「命あっての物種とはよく言ったものだな、太田君。貴君も良く良く、悪運の強い男だなァ」
「そりゃないっすよ、アニキィ」
なんだか、不思議な関係の二人だった。過去に一体何があるんだろうかと勘繰ってしまうが、聞いてもどうせ答えてくれないだろう。結局、太田先生は私が作ったピラフとインスタントラーメンを食べて、先生と軽口を叩きあった後に帰って行った。心なしか、普段の先生よりも太田先生と話している時の方が気安い感じがしたのも、不思議だった。
第九幕 回想~放課後の学校、クラスにて
私は、あれから三日をかけて先生の咒式解読に関わった。患者さんのところに赴いたり、呪いを掛けられた疑いのある子をお店に呼んだりして、その度に見著しの咒を使って札への転写を続けていった。周藤刑事にも協力してもらって追跡調査もしたのだけれど、もう一度呪いをかけられた子はいなかった。太田先生も、あの夜から後は何事もなく、クラスも少しづつ日常を取り戻していた。
だからこそ。
私の悪寒や予感は止まらない。
先生も、集まっていく咒式を調べながら、今度の事件は根が深いのだと呟いた。
事実、狂い桜の幹には以前より大量の呪いの写真が貼り付けられ、瘴気が強く漏れだし始めていた。先生は写真を可能な限り集め、生きている呪いの解析も始めていた。そして、残った瘴気は力技で払っていった。
「人を呪うという意味を知らん奴が多すぎるっ!」
先生は、感情も顕わに嘆いた。
私もこれには同意した。
塚本さんたちが集めてくれた情報も、かなり役に立った。今まで分からなかった写真を咒物にする方法「ノロヰコトハ」が分かったからだ。呪いをかけようとしている子を発見した塚本さんたちが詰問した後説得して聞き出してくれたらしい。
写真を狂い桜に貼り付ける前に、写真を切りながら唱えるのだそうだ。
『モカリナル ワレノコトノハ
ミタシタル ウツロノウツハ
ミササキニ ササクサカスキ
ワカナケキ カセハヤユキテ
トラヘタリ ナレノタマノヲ』
先生にこの言葉を伝えると、盛大にため息をついた後、ホワイトボードに向かって文字に起こした。
「殯なる、我の言の葉。満たしたる、虚ろの器。御陵に、捧ぐ盃。我が嘆き、風馳や逝きて。捉えたり、汝れの玉の緒」
店のホワイトボードに踊る文字は、馴染みの薄いものばかりだった。
「これは一種の葬送の咒だな……」
自分で書いた文章を眺めながら、先生は一人つぶやく。
「殯と言うのは、かつて日本で行われていた葬送儀礼だ。遺骸が完全に骨になるまで、殯宮にて祀り、その間は亡き人を悼む。亡き人が常世に辿り着くことを確かめるまで、かつては長い時間を要したのだよ。御陵と言うのは、天皇家ゆかりの者たちの墓のことだ。今でも全国各地に御陵と呼ばれるものが残っているが、やんごとなき一族のために研究は多方面から進んでいない」
先生はそこから三行目、四行目を睨み付けた。
「どうも、問題となるのは。呪いの発動に際して疑似的な葬送儀礼を行っている点にあるな。普通、生きている人間の霊魂に葬送をしても無意味だが……。一方で、お前の玉の緒……命を捉えているぞと趣旨の異なる咒言を発している、この箇所だろう。こんな歪な作りの咒は見た試しがない。これでは、無理やり彼岸に魂を送り出そうとするような……」
それから、私の見鬼の才を使いながら先生は咒式の足りないところを埋めて、札を完成させた。その式は、私が知っているどんな呪より悪質なものだった。
「以上が、宮内さんに掛けられた疑惑のある呪の研究状況です」
放課後の教室に、私と二人が向かい合って座っている。
私の説明を聞いていた対面の宮内さんと鷺坂さんの顔に、夕日が照り返る。
そのせいか、二人の顔は血の気がなく、白く見える。
「え、ねえ、ワタシ死ぬの? ねえ!」
「貴女に術が掛けられているなら、ですけれど、多分それはないと思います」
「ちょっと、どういうことなの平坂さん?」
二人に詰め寄られる。でも、私は怯むこともなかった。今回に関しては、無造作にかけられているとしか思えないこの呪に対する怒りが上回ってしまっていた。
「今までの間に呪いを掛けられている人を治療してきました。その結果分かったのは、呪が完全に掛かっている人は、一週間前までの時点で呪が発動している、ということです」
二人の目が私から逸れる。
「回収した写真には、確かに宮内さんが含まれていました。でも、術者が正式に呪を放って居ないなら、不幸な目にも死ぬような目にも遭わないですよ。安心、してください」
宮内さんは椅子の上で蹲り、荒く息を繰り返した。鷺坂さんは宮内さんの背を撫でながら、私を睨む。
「さっきからさ、平坂さん。なんか言葉がチクチクしてるよね? 何? ウチらのこと何か疑ってるの?」
あからさまにイライラした態度を取られると、妙に頭の芯が冷えてくる。先生の癖が移ってしまったのだろうか。
『しょよおんてきかいしつざいめつ』
私は右手を宮内さんの方にかざしながら、先生が行っていたのと同じ「見顕し」の咒を唱える。面食らう鷺坂さんを他所に、私は咒を唱え続けた。
『しょよおんてきかいしつざいめつ』
今までの治療を行った人たちであれば、この咒を掛けると目の部分に瘴気が集中してきた。何事にもなっていない人は、特に何ともない。
ところが、この二つと違う反応が宮内さんには現れた。
「やめてっ!」
という、宮内さんの声と共に、私の掛けていた咒が掻き消された。咒に込めた気の流れが無理やり分断されるような感覚が右手に流れ、私は咄嗟に手を引っ込めた。
この反応には見覚えがある。
「なんで宮内さんが、「咒避け」を持ってるんです?」
宮内さんは体をびくりと震わせ、鷺坂さんは宮内さんを庇うように前に出る。
「その咒式が籠った道具は、この地域ではウチの先生くらいしか作れない。もしくは、「誰か」から買いましたか?」
「それとこれとは関係なくない?」
「鷺坂さん、アナタじゃなくて宮内さんに聞いているんです。ねえ、宮内さん。一体誰から買ったんですか?」
強く出てくる鷺坂さんを目線で制する。
私には、父も母も憑いている。一介の女の子に出遅れることはないんだと思えば、嫌だった力すら私を助けてくれる。
宮内さんは荒く息を繰り返すだけで、こちらの問いには答えない。
「ユリアが嫌がってんじゃん! やっぱり平坂さんも他の奴らと一緒だよ! アタシらの敵なんだ!」
鷺坂さんは宮内さんの前に立つ。
「強い言葉は意味を持ちません」
私はゆっくりと椅子から立ち上がり、左手の念珠に手を添えて二人に向ける。
「宮内さん、私はアナタの依頼にちゃんと応えたいだけです。何も気にするものは無いはずです。ちゃんと答えてください」
いつでも父と母を呼べるように気を体の中に巡らせる。
「アナタが本当に聴きたかったのは、自分にかけられた呪いを解く方法だったんですか?」
宮内さんが、涙を流した顔を私に向ける。でも、口は歪に笑みを作っていた。
「え、へ、へへ。バレちゃった?」
掠れた声で宮内さんは言う。
「こんなこと、本当はワタシ、でも、知らなくて、言う通りのこと、ワタシ間違えてなくて、だから、クルミも、良いって、だから、ワタシ」
訳の分からない自問自答を口から漏らした後、急に場の雰囲気が重く冷たいものに変質した。
『マカカセ フキテ エヤミ ヨヘ (禍風吹きて、疾病呼べ)』
宮内さんの口から冷気のように鋭い言霊が発せられ、瘴気が私の足元から一気に吹き上がる。
『さんばら、さんばら!』
私は咄嗟に、先生に習った災禍避けの咒を放っていた。湧いてきた瘴気を一気に打ち祓い、宮内さんと鷺坂さんを転ばせた。
二人は驚いた様に私を見上げる。
「取って付けた様な呪は、本職には効きません。アナタが咒避けを持っているのと同じように、どんな咒を掛けられてもある程度対応できるように、備えくらいはしてるんですよ」
私は父と母を心中で念じて呼んだ。
私の左右の空間を切り裂いて、巨大なオオカミの姿の霊体である父と母が姿を現す。
宮内さんはひぃぃっ、と甲高い引き付けたような悲鳴を上げ、鷺坂さんも後ずさった。二人とも、父と母がしっかりと「視えて」いる。
「ぐおおおおおう」「ぐあああああう」
父と母の咆哮に二人は慄く。
私は二人を観察することを辞めなかった。だけど、観察する程に違和感が出てくる。
自分の正体がバレそうになって短絡的に放った、お世辞にも強いとも言えない呪。父と母の出現に混乱して何も出来ずに泣くだけの人。この二人が今回の事件に深く関わっているのは間違いない。でも、この二人が何人もを殺すような呪詛師にも見えない。それにしては、使っている呪は異様に強力だ。
だとするならば。
「もう一度、聞きます」
私は両脇に父と母を従えて、言葉に霊威を乗せて問う。
『アナタ達は誰から呪を買ったんです』
霊威が空気を震わす。父と母の唸りと重なって、声の大きさを何十倍にもしたように錯覚させる。
目の前の二人は、ひたすら怯えるだけ。
宮内さんは強く鷺坂さんに縋り、鷺坂さんは言葉なく涙も鼻水も流しながら父と母、そして私を見上げるだけ。
しかし、私は見逃した。
宮内さんの手の中に、いつの間にか札が握られていて、そこから黒い影が一気に吹き出て二人をくるんだ。
呆気にとられた私が父と母をけしかける間もなく、影はずるりと床に落ちた。水面に波紋を残して沈むように、二人の姿も消えていた。
「っ……」
私は歯噛みした。
今まで何度も、それこそ何度となく術を使う人間を先生と共に見てきた。でも、彼女たちには術者たちが持っていた「雰囲気」が何も無く、単に怯える生徒にしか見えないのに、あと一歩追い詰められない。
珍しく、私はイライラしていた。大きく息を吐いて気持ちを落ち着ける。父と母はまだ冷静でいる。念珠も腕に噛み付いては来ていない。まだ私も感情の手網を手放していない。それを時間をかけて確認した。
そして気持ちが落ち着いてすぐ、先生にこの事を電話で報告した。
先生に手酷く皮肉を言われたのは、想像の範囲内のことだった。
第十幕 死ガ二人ヲ別ツ迄
店に辿り着くと、そこには完全武装を整えた状態の先生と周藤さんが待っていた。
「ご報告はさっきした通りです」
私は俯き気味にそう言った。
「独り仕事としても及第点はやれんぞ、子供の使いじゃないんだ。例え咒避けを備えていようと拘束する手段はあったんだ、それこそ父と母を使って縛っておくとかな。まあ、頭に血が上って取り逃すのも? 若さの特権であるなあ助手くぅん?」
先生は煙草の煙を吐き出しながら言った。
「しかし、君の手落ちとばかりも言えんな。詰めてみろと言ったのは僕だ。そして、奴ら「縮地」の札を持っているとはね」
周藤さんは首を捻る。
「逃げられたというのは抵抗されて逃がしたというのではないんですか?」
「いえ、そんなことは助手君相手には不可能です。彼女は非力に見えますが、術を使えば周藤刑事を軽く捻れる程度の身体能力を獲得できます。たかが普通の女子高生二人に遅れなど取りませんよ。今回は、まあ、ゲームっぽく簡単に説明すると任意の地点間をワープする術があるのです 。そいつを使われた。仮にそれを使われると、余程熟練した術者でもない限りは追跡することすら出来んでしょう。残念ながら、近頃の術者でそんな芸をする人間はいませんでね、助手君にも教えちゃいない技術ですよ」
先生は、完成した咒式の書かれた札を周藤さんに示しながら、より細かい説明をし始めた。
「この咒式は、術をかけた相手の魂を利用するのです。擬似的に葬送儀礼を行うことで、術をかけた相手を「死んだ」ことにするのです。そこで」
咒物となった写真を指し示す。
「半身の写真が使われます。その写真には目の部分が付いていて、これが本当に窓の役割をする。もう片方の写真、今僕の手元にあるこの写真ですが、こいつは飾りです。目付きの写真の方を「死体」に見立てて、魂の半分を先に葬送儀礼で冥府へ送り出してしまうのですよ。しかし、それでは半端なんです。冥府へ行こうにも行けず、安らぎも得られん。だからもう片割れを探し出して連れて行こうとするんですよ」
「その、ええ、魂の、片割れ? どうなる訳です?」
確かに、この理屈は分からないだろう。
「ええと、マジナイの世界では、死んだ人の魂は正しい作法で送らないと、土地に居着いてしまったり、人間でない怪物になってしまったりする、と言うんです」
私は周藤さんへ補足の説明をした。
「中途半端な葬送をして魂魄が狂ってしまうと、中国の昔話では死体は狂って殭屍という怪物になると言います。日本に昔あったモガリの習慣も、死んだ人がこっちの世界にもう一度やってこないように完全に肉体が死んだことを確認して、その人の霊を送るものだったそうです」
周藤さんは、眉間に皺を寄せてうんうんと唸り初めてしまった。それもそうだ。この魂だの魄だのというものの理屈は、普通の生活をしている人には理解しづらい問題だろう。
「ひとつ分かったんですが、つまり今度の犯人たちは素人が持ちえない知識を持っているという事ですね?」
ようやく口を開いた周藤さんの言葉に、先生は満足気に頷いた。
「そうです。縮地は緻密な地脈、龍脈の流れに関する知識が必要で、この呪に関しても葬送儀礼や魂に関する技法など、ひどく高等な霊魂に対するアプロウチができる術者でなくてはものに出来ない訳ですな。しかし」
先生の視線に促された為、私は続ける。
「二人と対峙して、実際に咒のやり取りまで行いました」
周藤さんは、目を大きく見開いて私を見る。
「そ、それは本当かい」
「本当です。そこで詰めを誤って逃がしてしまったんです。まさか、あんなに高度な術を使うなんて、本当に考えられなくて 」
「もうそれは良い。助手君。僕の手落ちでもある。実際、今僕の頭の中に浮かんでいる同業者の中で縮地を使う術者なんて誰もいやしない。僕でさえ、知識はあるが使う機会には出会ったこともない。君の所感を周藤刑事に伝えたまえ」
「……はい。あの二人、宮内結璃亜と鷺坂来瑠美は、とてもでは無いですがプロの術者とは思えません」
私の断言に周藤さんはふむと唸った。
「正体がバレた、でいいのかな。その時に咄嗟に呪を放ってきましたが、それは酷く拙くて、私が出した「弾除けの咒」で簡単に防ぐことが出来ました。しかも、罠みたいな物もなかったですし……。ですが、宮内さんに咒をかけた時に弾かれたんです。その時の咒避けは、先生のものと同じくらいの精度で威力でしたけど、先生のものとは、その、作りというか、何か感触が違う気がして」
「つまり、相手はプロの様な技術を使うくせに素人なんだね」
先生は頷く。
「誰かが、彼女たちに咒を提供しているのでしょう、特に呪を販売している節がある。こんなことをする連中は、僕らの業界では一つしか居らんですよ」
私も、二人を問いつめた時点で確信した。このやり口は何度となく経験している。
「行商人」が裏で手を引いている。
だけど、なんのために?
「ところで周藤刑事。お助け魔女のUAに関してはどこまで掴めました?」
先生は、周藤さんに促す。
「あ、ええ。ウチのサイバー対策室だけでなくて、警視庁さんのサイバー対策室にもご協力を頂いて、ようやく色々分かりました」
持っていたファイルから、判明した事実をまとめたプリントを出してくれた。
「この、チャンネルと言うんですか? この運営は、このUAとかいう人物はやっとらんですね。企業が運営母体となっているチャンネルでした。その企業も調べてみましたが、ええ、「有限会社 羽々商事」ですね。東京の神田に本社があるとの事でしたが、住所は確かに存在していましたが、廃ビルの一部屋が指定されていましてね? 俗に言う、ダミー企業と言う奴なんでしょうか」
「この、呪を広めた大本の動画はどうです?」
「そちらも突き止めました。八方手を尽くして貰って、削除前の配信動画のデータを何とか入手しました。ご覧下さい」
私と先生は、周藤さんのスマホに保存されていた動画を見させてもらった。
動画では、実際の呪の為の手順を視聴者の悩みを聴きながら解説する、というものだった。コメント欄は小さく映っているだけで、内容までは分からなかったけど、定期的にUAが読み上げていたため、場の雰囲気は分かった。視聴者もこのオマジナイには半信半疑だったけれど、今までUAが伝えてきた数々のオマジナイを実践してきた熱心なメンバーは、かなり熱を持って配信を聞いていたようだ。
その中で、呪の最終段階はみんなでは出来ないから、「仕上げまで」やりたい人は、ここまで送ってね! と住所が掲載されていた。
「これは、このダミー会社が用意したであろう転送用のメールボックスが指定されていました。こちらも調べまして、転送先まで特定しています。転送先はこの三条市になっていました」
「あの、周藤さん。なんで、その、警視庁って帝都の警察ですよね? なんで協力を?」
私は周藤さんの話を遮って聞いた。嫌な予感が話を聞いている最中からしていたからだ。
「うん。その、東京でも何件か、本県で発生した様な事件が起きていました。先生からのご指示で調査を進めていたのですが」
「配信動画サービスという不特定多数の人間が利用するもので広まったマジナイだ。僕の管轄で起きた以外の事件が発生していても何ら不思議では無い。不本意ながら、僕の業界のネットワークでも他県の状況を調べてみたのだよ」
先生と周藤さんは、二人とも苦虫を噛んだように顔を顰めた。
「残念ながら、帝都では複数件の変死事件として処理されていました。他にも、複数の県で死亡事件が発生していました。唯一、西都周辺では多くの術師がいたとの事で、未遂で済んだケースも多少あったようですが」
「全国で言えば、その配信が行われてからの変死報告は数千件に及ぶが、うち我々のような業界の人間が出ばった事件は五十五件にも及ぶ。その内の約九割が、被害者がどんな人間であれ、命を絶たれる、という結末を迎えている」
先生は、まるで自分の気持ちを吐き出すかのように荒い息を大きな音をたてて点いた。
「今回の一件は、広域的な呪の拡散として、日本のマジナイに関わるもの達が一斉に危険視した。そして、いち早くその元凶とされるものにたどり着いたのが我々だったという事だ。業界の諸君は、僕らに幕引きまで期待している様だ」
先生は動画を見終わると、私に支度をするように促した。周藤さんも、ジャケットを一度脱ぎ、中に装備していた拳銃を改めて点検していた。
「助手君、今回の敵は「悪意無き大量殺人者」だ。今までの連中よりもタチが悪いぞ。もはや理由などどうでも良いし、通じもしない。我々の仕事はテロリストの討伐になってしまったのだよ」
私が簡単に身支度をし、咒符のケースに補充を済ませたところで、店のウィンドベルが音を上げた。
「先生、平坂さん。署から応援が来ました。今回は出来るだけ術者の身柄を確保し、今回の事件を終息する方法を引き出せということで上から指示が来ています。指定の住所までお送りしますので、お乗り下さい」
私は、人生二度目のパトカーに乗り込んで、宮内さんたちの下へと向かった。
「なんなんですか! うちの娘が何をしたって言うんですか! 訳が分かりません、うちの娘はねぇ、真面目にやってきてたんですよ! それが、何! 警察! 宮内さん、アナタなんて事してくれたんです!?」
「そんな、鷺坂さん! あなたの娘さんがウチの子を唆したんじゃないんですか! ウチの子はこんな大それた事出来る子じゃないんですよ! それなのに、自分たちだけ逃げるんですか? 私たちに罪を押し付けるんですか!」
パトカーでたどり着いたのは、住宅街の中にある何の変哲もない一軒家だった。その家の前では、警官が二人の女性の前でオロオロしていた。
「……なんです? あのみっともない大人共は?」
先生は臆面もなく言う。
「はぁ、所轄の報告ですと今回の被疑者の保護者です」
「ふむ」
先生は無精髭を撫でる。
私は、思わず耳を塞いだ。二人の大人の口から盛れる言葉は、聴いていて心が黒くなるような言葉ばかり。相手を非難する言葉、相手をなじり、貶し、自分は悪くは無いのだと保守に走る。まるで、全ては周囲がひたすら悪かったかの様に。
先生は無言でパトカーから降り、真っ直ぐに保護者たちの下へ向かって行った。
先生の異様な姿に、保護者がたじろぐ。
「貴女方の醜さを、娘たちは確かに受け継ぎましたよ」
先生はそう切り出した。
「鷺坂さん。貴女、卒業した小学校と中学校から、貴女と娘がブラックリスト入りの要注意人物として高校に申し送りになっているのをご存知ですかな? 自分の娘のこと以外全く考えておらず、担任教師や周囲の教師を一方的に敵視しているとね。先程からのご発言も、娘さんを庇われているんじゃあない。娘を育てた自分のあり方が否定されるのを恐れているのですな。なんと醜いことか。良いですか、娘も一人の人です。貴女が何でもかんでも束縛して指図して、貴女の生き写しのようにすればするほど、娘さんは単なる貴女の心の写し鏡にしかならない。娘さんはたしかに真面目ではあるが、裏での評判、友人間の評判を本当にご存知か? 何も非のない人間などおると? それでは、例え娘さんに非が無いことであれど、ひたすらに娘に不幸を植え付けるだけですな。……今はご自身の心の健康と、その回復について考えなさるほうがいいでしょう」
鷺坂さんの保護者は絶句した。何か言い返そうとした彼女の目を、先生の冷たく鋭い目が射抜き返して、彼女は怯えすくんだ。
「宮内さん、貴女もだ。物分りのいい母なんぞ演じても底が透けていますよ。子は躓くことで成長する。貴女のしてきたことは、ゆっくりと心を萎えさせ、貴女への依存を生ませている。なんでも他人がどうにかしてくれると、貴女の娘に植え付けた。その結果、クルミさんの操り人形のように見えて、周囲の人間をいつの間にか自分のペースで振り回し続けるワガママで卑怯な人間が生まれてしまった。それを否定はしやしません。しかし、貴女の態度もそうでしょう。ふむ、ご家庭のこととご自身のこと、天秤の両側に乗っけて考えるのは自由ですが、出来もしない天秤考えはおよしなさい。貴女の再婚した若い父親は、貴女に内密に娘に対して何をしているか、それをこそ知るべきですね」
宮内さんの保護者は、呆然と先生を見た。
先生の偽千里眼と、場の雰囲気に二人の保護者は飲み込まれてしまい、帰って来れなくなってしまっている。
先生は、言霊を乗せて『喝ァッ!』と唱え、大きく柏手を打った。
二人はその場で昏倒した。
混乱する所轄の警官に、二人を託して先生は家の中へとズケズケと入っていく。私も、それに慌てて続いた。
家の中は何人かの警官が入り込んでいた。
「上の方で、今日のために捜査令状が確保されていた様なのです」
「事態を重く見て、超法規的な動きが取られたということなんでしょうな」
先生は警官に確認した。宮内さんと鷺坂さんは、二人で宮内さんの家にいる所を警察の訪問によって身柄を確保される寸前までいっていたらしい。
ところが、警官たちが二人を宮内さんの私室から出そうとしても、どうやっても扉が開けられなくなってしまっているそうだ。ピッキングでも開かず、強引な破壊も受け付けない。
「なるほど、見せて下さい」
先生は扉に立ち、鑑定を始めた。
「助手君、君も見てくれ」
私も二つ目の瞼を開けて扉に手を触れて調べてみる。普通の人の目には付かないように隠蔽の咒を施された大量の咒符で覆い尽くされている。私が見ただけでも、盗難避け、災難避け、刃傷避けなど、ありとあらゆるものを寄せ付けないように札の種類もバラバラにしてある。
「なんてずさんだが強力な式なんだろうなあ」
先生は無造作に香炉を取り出した。
『おん あぎゃなえい そわか』
実際の火と、霊的な火を両方ともした香炉は、いつもと違い煙ではなく炎を灯していた。
『おん くろだなう うん じゃく』
不浄を焼き尽くす烏枢沙摩明王の真言とともに、香炉の炎に息を吹きかけると、火が瞬く間に扉を覆い尽くし、表面の札を全て焼き払った。
改めてドアノブに手をかけて、ゆっくりと動かすと、今度は抵抗もなく開こうとしていた。
「皆さん、ここからは我々マジナイ屋が引き受けます。相手は手負いの獣と同じです。大人数で殺到すれば何をしてくるか分からない。ですから、少数、僕と助手で参ります」
現場にいたのは、よく見ると「真蛇」事件の時に来てくれていた周藤さんの部下の方たちだった。訳知り顔で頷いて、私たちに場を任せてくれた。
「行くぞ、助手君」
先生の後に続いて、ゆっくりと扉の中に入った。
扉の中は、奇妙に広く、そして薄暗かった。
間違いなく、あの家の中の場所とは違う。まるで、大きなマンションの部屋の中のような空間が広がっていた。
部屋の真ん中の大きなダイニングテーブルには、ハンディカムや大きな丸い照明機材など、配信者の部屋を撮影した動画で見たようなものがたくさん置いてある。そこには、UAの動画で見たマントと仮面が置いてある。
「敵の本丸はここで間違いなかったな、助手君」
「先生、あの扉は? それに、この部屋は」
「話に聞いたことはあるんだが、龍脈でなくとも、地脈でいいらしいのだが。地脈の二地点間を結び、扉などを仲介する咒物として行き来する、西洋由来の魔法があるんだそうだ」
先生も、警戒と同時に興味深そうに室内を見回す。
「助手君、試しにスマホの位置検索機能を使ってみてはどうかね」
「へ?」
「いいから使ってみたまえ」
先生に促され、懐からスマホを取りだしてみた。普通にインターネットが繋がる。
「え、GPSが動いてます、えっと、え、帝都です……荒川区の、マンション?」
「位置情報に誤りはないだろう、僕のスマホもそうなってるからね」
いつの間にか先生もスマホを取り出している。素早く指でタップしながら操作を繰り返しているところを見ると、周りに聞かれないように文章で周藤さんに連絡をとっているのかもしれない。
「因みに助手君、人の気配は感じるか?」
「そうですね」
私は神経を、見えずとも傍に控えた父と母に添わせる。この部屋とは別に奥にもう一つ部屋がある。そこに、三人の気配がある。
「奥の部屋に気配が三つあります。でも、隠している気配すらないですよ。まるで」
「まるで誘っているように、かね? じゃあ、誘いに応じることにしよう」
先生を先頭に、部屋を横切る。部屋そのものに咒的な仕掛けは特にない。奥の部屋に続く扉を開けると、中にはベッドや本棚などのある寝室だった。
そこに、宮内さん、鷺坂さん、そして、顔を覆う咒を書き付けた布を付けた、細身で襤褸を纏った人影。
「ハァ、早いデスネ」
人影からは、どこかで聞き覚えのあるような女性の声が漏れ出した。
「流石ハ先生。やはり、こういう商売は頭の周リの早い人二任せないといけませんネェ」
大袈裟に両手を横に出し、肩を竦めて見せた人影に、先生は言う。
「「行商人」か? 見ない顔だな?」
「おヤ? 我々の区別などつくのですカ?」
「いつも我々の前に来る「行商人」の振る舞いは、もっと周到だ。お前の振る舞いは、何から何まで妙に穴がある」
「まるデ、先生方を誘ウ様ナ?」
その声に、先生は身構える。私も、二つ目の瞼を開けて改めて「行商人」を観る。
まるで、大蛇が体を取り巻くようにどす黒い瘴気がまとわり付いている。しかも、その瘴気の気配に覚えがあった。
口から、言葉が零れ出た。
「津田沼さん――?」
「あラ、嬉しイ。お弟子サンは覚えていてくれたんデスネ?」
「へ、な、何、アンタたち、知り合い……?」
事態に困惑していた鷺坂さんがようやく口を開いた。宮内さんはただオロオロしているだけだ。
「アナタにハ関係ないことでス。それにアナタ方は失敗したでショ? だかラ、我々としてモこれ以上の援助ハ不可能でス」
津田沼さん、先生のかつての弟子だった人は、鷺坂さんにそう告げた。
「え、援助、打ち切り? 」
宮内さんが、ゆっくりと顔を津田沼さんに向けた。
「なんで、だって、ちゃんと目標は達成して、それに、予想以上だって」
「でモ、バレましたヨネ? 一番バレてはならなイ人達ニ。しかモ、バれるタネはユリアさン、アナタが撒きましタよね? ですかラ、我々の商売ハ今回はコレでおしまイです。もちろん、広告役としてノ「UA」の役割モ不要です」
「え」
宮内さんの問い掛けに、津田沼さんは冷笑と共に応えた。
「リオナ君。では既に無いな。契約違反として回収されたか?」
「先生、ソコは企業秘密でス。お察しの通リ、記憶や意識はアル程度、彼女ヲ利用して居マすが、我々が欲しかっタのは彼女ノ呪術の才ですかラ」
先生は、津田沼さんに対して剣印に結んだ手を突き付ける。
「おヤ、気の早イ……。今ハ、アナタ方との対決なんテしたくありませんヨ。我々の実験ハ終了しましタ。成果は予想以上ノ物がありましタが、使った広告塔が不良品でしタ。次ハもう少し懸命な方法を取らせて頂きましょウ。デハ」
そう言うと、「行商人」津田沼さんは影がゆらりと揺らいだかと思うと、その場から忽然と姿を消した。
「先生っ!」
「追っても無駄だ。追跡も効かんよ。奴らの隠行と縮地は我々のそれより何倍も高度だよ」
先生は結んでいた剣印を解いて、視線を訳も分からずに呆然としている二人に向けた。
「で、君たち二人が今回の主犯かね、連続殺人鬼の宮内君、そして、教唆役の鷺坂君」
先生にそう言葉をかけられて、宮内さんは思い切り絶叫した。
二人を、歪んだ部屋から連れ出し、元の家へと連れ帰るのは造作もない事だった。二人とも全く抵抗をせず、持ってきた気の運用を封印する咒が書かれた布で両の手を縛られる時にも、ただ手を差し出しただけだった。
部屋の外では周藤さんと部下の皆さんが待っていた。
先生は、二人を引き連れてそのまま外に出て、警察署まで連れていってもらった。
三条警察署の第一会議室が、臨時の聴取室として使われた。
そこに、先生と私、周藤さんと記録係の人が入り、二人への事実確認が始まった。ただし、周藤さんが何を聞いても二人ともだんまりを貫いたため、周藤さんが警察自体の許可があるので、と先生にその役割を任せてしまった。
「ふむ。とは言え聴くことはほとんどないですよ、周藤刑事」
「それでも確認は必要でして」
先生は渋々腰を上げて、二人に向き合った。
「さて、先に鷺坂君に聴いておきたいのだがね」
先生は、威圧するでもなく、同調するでもなく、普段と変わらない調子で淡々と聴き始めた。
「最初に「行商人」の話を持ってきたのは、君かね、それとも宮内君かね」
それを聴いた宮内さんは、すがるような目で鷺坂さんを見たが、鷺坂さんは一瞬その目を見て、俯いた。
「ユリア、です」
鷺坂さんは小さかったがはっきりした声で言った。
「U Tube の配信者になれるって話を聞いたから、どうしようってワタシに相談に来ました」
「ふむ、宮内君。君はどこで話を聞いたね?」
「え? え、あ、あの、あ、インスタのDMに、あの、配信者募集のフォーム、あって」
「それに応募してみたと? 理由は?」
その問いに、宮内さんは顔を挙げた。
「それは、バズりたくて」
「なに?」
周藤さんは、意味がわからないようだった。
「若者のスラングですな、周藤刑事。SNSやインターネット上で、周囲の耳目を一時的に集めることを言います。スマートフォンの通知が鳴り止まず、ブンブンとなり続けるのが蜂の羽音の様だと命名されたんです」
「それが? 人を殺すマジナイを広めた理由が注目されたいから、の一つですか?」
「そうなんでしょう?」
宮内さんは、力無く項垂れた。
「だっ、だって、オマジナイ、は、友達とバイバイ、するだけって……。指示に従って、従っていれば、何も問題ないって、あの、人達、言って、だから」
周藤さんは一度は拳に力を込めて立ち上がったが、大きく息をついて脱力して席に着いた。
「彼女は、周囲に認められ、賞賛される快楽が欲しかった。それに、鷺坂君は協力していた。例えば、これはうちの太田という教員に聞いたんですがね。その二人はよくクラスの仕事を手伝ってくれる生徒だそうで。その他にも、周りの生徒の様々な不正の証拠を探しては、それを教師に告げて回るような自警団的活動も行っていたようです。そっちは、教員からも生徒からも評価は散々だったようですがね」
「……だって、おかしいじゃないですか。ちゃんとやってるアタシたちがバカを見て、適当やってたりルール無視してる人達が評価されて……それで正しいんですか! ねえ!」
先生に鷺坂さんは食ってかかったが、正直無駄だと思ってしまった。鷺坂さんの言っていることは正しい。正しいのだけれども。
「無論、それで良かろう筈もない。だが、他者を落としても己の価値は上がらない。貴君らにはその視点がない」
先生はそれだけ言った。それだけで、鷺坂さんは黙ってしまった。
「宮内君、君は「行商人」に取引を持ちかけられ、広告塔である魔女「UA」として活動し、相応に承認欲求を満たしてきた訳だ。さぞ気持ち良かったろう、画面越しの賞賛は。それが例え、作り出されたキャラの役を演じていたとしても」
先生は宮内さんの目を見つめていた。
宮内さんの目にはもう、意思も宿っていないように見えた。
「正直、楽しかった、です。みんなにも。頼られて、あんなこと初めてで。みんな、ほめてくれて、ありがとうって、えへ、えへへ」
周藤さんは呆れたようにため息をついた。前代未聞の呪術連続殺人の犯人が、ただ目立ちたいだけの女子高生などとは思わなかっただろう。
「そして、君は与えられた役を徹底してこなした。残念ながら、鷺坂君には呪の適性がない事から、その部分は完全に君の独壇場だ。正直どう思ったね」
先生は宮内さんとの対話を続けた。
「……嬉しかった。いつもクルミが守ってくれて、それも嬉しかったけど、初めて独りで出来ることがあって、皆のありがとう、も、わたしに来てたから、それも、すごく嬉しかった。クルミじゃなくて、わたしにくれる、言葉が」
俯いていた鷺坂さんが、背を小さく丸めた。まるで苦痛をこらえているようだった。
「そして、言われるがままに呪を打ち、はじめて三条でかけた相手が我が校の関係者だった。かける相手はどう選んだ?」
「え、普段は、あの人たちが、持ってきました。それを選んで」
「太田君を呪ったのは?」
「それは」
宮内さんの言葉を鷺坂さんが遮る。
「アイツ、アタシ達の味方みたいにしてて、陰でアタシらをバカにしてた。だから、死ねばいいと思った。結婚して幸せそうなのも、イラついた」
「太田君は、言葉は軽薄だが彼ほど生徒思いの人間を見た事は無い。君たちのことも行先を彼なりに心配していた。気を回しすぎて、視野は狭いところはあるけど、真面目に人の道を考えられる、ちゃんとやり直せる奴らだと僕に頼んでいたが? 一体、君は何を聞いていたのだね、鷺坂君?」
鷺坂さんは、ぐしゃぐしゃに歪んだ顔を先生に向けた。
宮内さんも、ただオロオロしている。
「結局君達は、何も見えてもいないし、考えてもいなかったわけだ。お互いの考えすらよく分からなくなっていたのだろうに。そんな中で、自分がかけた呪がどんなものかを知り、恐ろしくなって専門家に助けを求めに来た。まさか、自分自身が呪の対象になっているとは思わずにね。実際は宮内君の写真はあれど、咒物にもなっていない単なる切られた写真でしかなかったよ」
宮内さんは、言葉なく先生を見つめた。
「宮内君、君は呪を知らずとはいえ実行した。実行の証拠は調べればいくらでも出てくるだろう。君はこの時代に名を残した呪殺者として裁かれる。鷺坂君、君にはその共犯者としての罪がある」
先生はそれだけ言うと、
「もういいでしょうな、周藤刑事」
と言って、会議室を退室していった。
煙草が苦い。
胸にわだかまる気持ちを吐き出すように煙を吐くが、気分は何も変わらない。
あれだけの呪をばら蒔いていたのは、目立つことに取りつかれた承認欲求の暴走した少女とその友人だった。それでは、術の追跡など出来るわけが無い。「行商人」は今回も、手を下したわけでなく、人の心に漬け込んで暴走させただけ。
しかし、奴らの実験には大いに成果があった。今でも多くの人間が潜在意識下で人に作用する非科学的な方法を求めている。そして、SNSや動画配信サービスは顧客を集めるのに効率的な道具だと理解した。これから、奴らを捉えるのはさらに難しくなり、我々前時代の遺物はまだまだ居場所を失わずに済むのだろう。
まるでタチの悪いマッチポンプのようだ。仕組まれているような気色の悪さが奴らの影には付きまとう。
煙草の一本目はすぐに灰となってしまった。二本目に火を付け、吸う。
考えがまとまらない。
人を殺す呪の価値が変わった。人の命の価値も、変わっている。どこか軽く、人が重さを捉えられなくなっている。まるで虫けらを始末するように人の死を願う人達がいる。冗談と思ったのだろうか、いや。彼らももしかしたら、死ぬとは思ってもみなかったか。
二本目すら灰にし、三本目を吸おうとしたところで、血相を変えた周藤刑事が現れた。
「先生、やられました!」
「どうしたのです?」
様子がただ事では無い。
「あの二人、呪われていたのです!」
僕の足は思考を置き去りに走り出していた。会議室まで階段を駆け上がる。
部屋の中では、既に助手君が大口真神を口寄せて、宮内君と鷺坂君の目から現れたどす黒い化け物を食い殺さんとさせていた。
「助手君、術を壊すな!」
助手君は今にも飛びつきそうな父と母を僕の指示で咄嗟に推し留めた。
「それは魂の半分だ。下手に殺すと後に障りが出るぞ!」
「先生、止める方法は無いのですか!」
「咒避けを持っているのなら、それが弾く筈だが」
「持っていません! 彼女たちから咒避けの気配がしないんです! もしかしたら、「行商人」が」
僕は歯噛みする。奴らのことだ、いらなくなったコマを処分するつもりか。
結界で封じても意味はなく、ここまで顕現してしまえば術を殺すしかないが、それは彼女らの半分をむざむざ殺すのと同義だ。今までのように術を摘出する訳にもならない。彼女らの目を窓にして、絶え間なく瘴気が吹き出し、呪の怪物はその姿を酷く鮮明に、輪郭を明瞭にしていく。
僕は札入れに手を伸ばし、咒符を手に取る。
『式神壊崩、魂魄清浄、急急如律令』
急拵えで作った反駁の咒を放つ。だが、化け物に届く前に咒が掻き消される。有り合わせの情報だけで作った咒符だ。式の根本を捉えられていないのだろう。
化け物は、宮内君と鷺坂君に絡みついて、鎌を首に当ててすぐにでも殺そうとしている。
「なん、で? なんで」
宮内君は、手を差し出して鷺坂君を探す。
「ユリア、がアタシから、離れていく、から。ユリアは、アタシの、アタシがいないと、ダメなのに」
鷺坂君もふらつく足取りで宮内君を探し、手に触れた途端にそれを握った。
「あ、あ、クルミが、ワタシにいじわる、して、ワタシをいじめて、だから、ワタシがじゃまになったの?」
宮内君がその手を強く握る。
僕は、体を巡る全ての気を集中して言霊に載せる霊威と変えた。
このままでは二人とも呪に殺される。呪を殺す役を助手君には任せる訳には行かない 。
『シュリ・マリ・ママリ・ママリマリ・オン・クロダナウ・ウン・ジャク』
一切の不浄を焼き祓う不浄金剛烏枢沙摩明王の真言を叩き付ける。
二人を中心に、穢れを祓う青色の霊威の炎が吹き上がる。
これが単なる呪であれば、呪だけを焼いて人は焼かない。
だが。
この呪は人の奥深く、魂の中に根付く。そしてこの二人は、計らずも呪に長く触れ、その穢れを背負っていた。
二人の体が、霊威の炎を受けて一気に燃え上がった。呪諸共に燃え上がり、二人は炎の中にいて、お互いがお互いを抱きしめるように折り重なり、更に炎が大きく燃えた。
終幕 マジナイ処 鈴鳴堂
私はあの日の夜を、そしてそれから数週間を忘れることは無い。
先生は、あの日。二人の生徒を私の代わりに殺してしまった。もしも二人から化け物が出て直ぐに私が父と母に食わせていたら。
先生はそれでも、首を横に振った。
「マジナイの世界にいれば、いずれこのような事も君の手に委ねられる瞬間はある。だが、今では無い。本物のマジナイ屋ではない君は、まだ人の生き死にをその手にする必要は、無い。人の命を奪う感覚だけは、経験しないなら、その方が余程……」
先生はふぅっと煙草を吹き出しながら言った。
これまで、先生が事件の終わった後使い物にならなくなっていたことを私はこの人の怠惰と煮えきらなさによるものだと思っていた。でも。
太田先生は、先生に詰め寄って、先生を責めた。そうするしか無かったのだろう。それ以外、誰に怒りをぶつければいいのか。
先生は何も言わなかった。何も言わずに頭を下げていた。
二人に関しては、急な転校として処理された。そのお陰で、あることないことまた噂が広まっていった。私はそれに耐えられずに、また屋上通いが増えた。塚本さんたちが付き合ってくれるようになったし、話も聞いてくれた。
でも、私たちが二人を殺した事実は、そして、あの二人が無自覚に大量の人を殺した事実は、変わらない。
「この事件で最も満足し、最も安らかな終わりを迎えたのは、鷺坂君と宮内君なのかな」
先生はソファに沈みながら呟く。
「二人は死ぬ時まで最も仲の良い友達と一緒だったのさ。ご丁寧に、お互いに呪いさえかけて。両思いだとも証明したわけではないか。なぁ、助手君……」
人と人のつながりとは、やはり変わってしまっているのだろうかね?
先生の問いかけが、私の空っぽになった胸に重く沈んで行った。
……人に拾われ、もう百年目。わたしゃお前に惚れ申す。
厭なら厭と申すべくそろ。度胸定めてせにゃならぬ。
お前もその気でいやしゃんせ……
了
四の話、楽しんでいただけましたか? このお話が貴方の退屈を一時でも忘れさせることができたなら、これほど幸いなことはありません。
このお話は、執筆開始から完了までどのお話より長くかかりました。そして、オチをどうするか延々と悩み続けたお話でもありますが、とある現実の出来事が、このお話のオチを生むことになりました。
無自覚な悪意ほど怖いものはない、と僕は思います。特に、自分の正義を持っている人の中で、その正義が絶対だと信じている人ほど、周囲との認知のずれは深刻になっていく気が致します。ともすれば僕自身も、僕の理想や正義が一般的なものだと恐ろしい勘違いを引き起こすのですから、本当に始末に負えません。普段無意識に放っている言葉は、いったい周囲にどう捉えられているのか。考えすぎると人と会話をすること自体が怖くなって参りますね。
さて、今回のテーマは「友情」な訳ですが、僕たち世代の感じる友情と現在の友情は大分形を変えているようです。そのギャップは、未だに僕の中で埋めることができません。
彼でなくてはダメ、彼女でなくてはダメ、という割に、彼や彼女が困っているときに真に手を差し伸べているか、というとまた違う。友情の大切さを謳う社会のわりに、他者への廃絶は過去最高のレベルで進んでいるような。いつでも人と繋がって居るのに、その繋がりが酷く薄いような。何とも捉えどころのない関係性が蔓延しているような気が致します。
また、SNSでの賞賛も、薄い理解ではありますがテーマとして利用しました。今やいいねの数や、リツイート、リポストの数、フォロワーの多い人物の発言がもてはやされる時代で、誰もがインスタント有名人になれてしまう、と言えるでしょう。しかし、その賞賛の実はどんな感情が含まれるのでしょうか。昔から、有名人の発言というのは面白いほど社会に影響を与えますが、同時に面白いほどの憎悪も稼ぎます。偶像、アイドルとは、堕ちた者は抹殺されるのが世の常。これは実は古代から変わりません。変わったのは、昔は偶像に成れる者は資質やきっかけが巡ってきたごく少数の人々に過ぎなかったものが、今や多くの人にそのチャンスが巡ってきた、ということです。
誹謗中傷は、決してあってはならない行いである、と僕は感じていますが、かつてより偶像はその誹謗中傷を一身に受ける存在でもあったのです。つまり、賞賛と誹謗は常に表裏にあるということです。この矛盾は未だ解消をされていませんし、ついこの間まで単なる人だった方が、急激にこの激流に投げ込まれたとして、上手く賞賛と誹謗を躱して取り込む偶像の役をこなせる訳もないでしょう。
今回の悪役となった少女たちは、ある意味で「堕ちた偶像」を演じ、その咎を自分たちで受けたのですが、この結末で良かったのか? という疑問は、湧いてしかるべき疑問であると僕も思っています。
でも、僕の中ではこの二人の幕引きは、この形しか在り得なかった、とだけ申し上げたい。
あの少女たちには、世界は、周囲は、友人は、そしてお互いは、どんな風に観えていたのでしょう?
僕にとっては、永遠の宿題になってしまいました。
長々と硬いことを申しましたが、本編はどうぞ肩の力を抜いてお楽しみください。このお話はあくまでもフィクション。数ある作り話の一つに過ぎないのです……。