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鈴鳴堂怪奇譚  作者: 秋月大海
1年生編
3/12

二の話 女怪曼荼羅

 このお話は、正義のお話。友情という不確かなモノを信じた可哀そうな女の子の話。

 観様によっては。狂った人殺しの話。鬼ごっこの鬼だらけの世界のお話。

二の話 

女怪曼荼羅

~乙女トマジナイ屋、鬼ト見ヱル~


第一幕 マジナイ処 鈴鳴堂

「まいったなぁ」

ボロボロの作務衣の上にほつれの目立つドテラを着て、二人がけ用のソファに寝そべりながら、この店の主、黒井(くろい)(あきら)先生は、唸っていた。

「いやぁ、本当にまいったなぁ」

「何回も言わないでも分かりましたよ、先生。何にまいったんですか」

私はカウンターから身を乗り出して、エプロンに入れたハンカチで手を拭きながら先生に問いかける。

さっきから、ボサボサの白髪混じりの頭をばりばりと掻いては、枯れ枝のように色の悪い手足を投げ出して、うんうん唸ってばかり。

流石に、うるさかった。

「助手君、あのハゲダヌキが仕事をしろと仰るのだよっ」

この先生の言うハゲダヌキとは、私の通っている、そして、この先生の勤務している丘の上の高校、大和学園三条高校の校長先生のアダ名である。

頭の毛を綺麗に剃り上げ、いつも後光が刺すほどにピカピカに磨いていて、しかも背がちっちゃくて、丸っこく太っている。垂れた目でニコニコしているので、生徒もマスコット扱いしてるくらいだ。

ただ、この人の言うタヌキは、悪口としてのタヌキ……喰えない人だと言いたいらしかった。

「先生は高校教師ですから、学校のお仕事をサボっていて怒られるのは当然じゃないんですか?」

私は普段の憂さ晴らしに、皮肉たっぷりに御相手することにした。

「ううむ、まいったなぁ、その方がまぁだマシかも知れないよ助手君。あのハゲダヌキ、言うに事欠いて、マジナイ屋として働けといってきたんだぞぅ?」

「……マジナイ屋として、ですか?」

話が見えなくなった。

「そうだよ、助手君。あのハゲめ、僕が色々と助けてやった恩義も忘れて、今じゃあお大尽気取りなんだからいい気なもんだっ。誰のおかげであの学校の霊障が抑えられているんだと」

「はいはい、先生が真面目なのはよく分かってますよ。分かってますから、校長先生からの厄介事を教えて下さい」

「なんだぁ? 助手君はやる気なのか、意外だなあ」

「違います」

私は、思い切り溜息をつきながら言う。

「どうせその厄介事に私も巻き込まれるんですから、早いところ内容が知りたいだけです」

先生は、ふはっと鼻を鳴らし、腹の辺りに重ねていた新聞をバサバサと机の上に落として、起き上がった。

「聞いたら後戻り出来んぞ、それでも聞くかね助手君」

「話を聞かせておいて今更ですよ、先生」

先生はニヤリと笑って、新聞の事件欄を抜き出し始めた。私を手招きでテーブルの方に呼んで、座るように促した。

私はお客様用のソファに腰かけてテーブルの上をのぞき込む。

新聞は、全部この県の地方紙で、古いものは半年前の日付、一番新しいもので、一か月前の日付だった。


タイトルは

「女子高校生(十七)、行方不明」

「高校生数名集団失踪? 家出の線で捜索中」

「無職の少女数名(十六~十九歳のグループか)、足取り知れず」

「高校生失踪(女、十六)、捜索打ち切りか」

「高校生(男、十六)、部活帰りの失踪」

「○○工場工員(十八歳男性)失踪、行方判明せず」

「無職の男女数名(十五~十九歳)、同時に行方不明。家出の疑いで捜索中」

失踪事件ばかりが集まっていた。よく見ると、記事にある地名は三条のものばかり。この辺りでこんなに失踪や行方不明があるのか。


「この記事がどうしたんです?」

「これが、今回の依頼に大きく関わる内容なのだよ助手君」

先生は、あまり見せない渋い顔をして私を見た。

あぁ、本当に厄介なのか、今回の依頼は。

私は覚悟を決めて、聞くことにした。

「良いかね、ハゲダヌキの依頼はこうだ。これらの事件に、当校の関係者が関わっている可能性がある。秘密裏に調査をし、怪異の場合は祓ってくれ」

「はぁ?」

私は、あまりの事の大きさに絶句した。

行方不明事件に関わっているかもしれない人間がうちの学校にいて、それを調べる?

「それは警察の仕事では?」

「その通りだ。だから僕も抵抗したんだよっ」

先生は、心底不愉快そうに鼻から空気を吹き出して、歯ぎしりした。

「でもねぇ、どんなに警察が調査をしても事件の真相が掴めないんだとっ。職務怠慢ではないかとなじってやったら、これは、怪異の可能性があるのではないか、と、県警の上層部も判断し始めているらしいとか最もらしいことを仰っていたよっ。ハゲダヌキの知り合いが県警のお偉いさんにいて、教えてくれたんだそうだよっ」

「それで、先生にお話が来たと?」

「この界隈で怪異の専門家は僕しかいないんだとっ。研究が忙しいから無理だと言ったら、この依頼を受けないとクビにしてやると脅迫されたんだっ! 横暴だ、独裁的だっ、労基法違反だァっ!」

マジナイ屋に労働基準法なんて効くんだろうか? と言う疑問が湧いたが、先生が相当イヤイヤに、無理やりに依頼を受けさせられたことはよく分かった。

正直、この店の稼ぎだけでは先生は生活なんてできず、教師としての仕事が生命線なのだ。色々無茶をやっているが、首をチラつかせられるのは効くらしい。

「ともかく、調査をすれば良いんですよね? その、事件に関わってそうな人? を探すんですか?」

「ううう、そうだよワトソン君!」

こんなシャーロック・ホームズなんていてたまるか、と思いながら、原作のホームズって、こんなだったなあと思い始めた。

「いいかね、ワトソン君! 我々は誰だか「わかりもしない」怪異の発生源「なのかもしれない」人間を、三千人規模のマンモス校である我が校から探し出さねばならんのだっ! 教員なのか生徒なのか関係者なのかもわからんっ! 今のところ手がかりはこの新聞記事だけだぞっ!」

「ぇぇ……」

私は、素直に引いた。


第二幕 大和学園三条高校 昼休み

「今日、クロ先生休みだったねぇ」

私の机にもたれ掛かりながら、塚本さんは、ニコニコしながら私のほっぺをぷにぷにしている。

「どうしたのかなぁ、ねー、モモ?」

正直恥ずかしいのだけど、悪気なくやられると、嫌とも言えない。

「今日もモモのほっぺはぷにぷにだねぇ」

塚本さんの友人たちも、今日は塚本さんに付き合って私のそばに居る。

落ち着かない。ココ最近、人に囲まれずにいたから、余計に。

でも、彼女たちから敵意は感じなかった。

「モモちゃん、やっぱカワイイね」

ある子は頭を撫で。

「モモっち、肌スベスベじゃん、やばっ」

ある子は手を撫でていて。

こそばゆかった。

「うぅ、や、やめてください」

この声で、みんなパッと私から離れる。

入学したての頃、皆から「死神」と呼ばれた私を、ここまでちゃんと扱ってくれるのは、有難いことではあったけれど、マスコット扱いされてる気もして。嫌な気もした。

塚本さんたちは、学食で買ったサンドイッチを食べながら、私を入れたグループで今日はご飯を食べる、と言った。このクラスの中でも、彼女たちが私には一番気安かった。いつも一緒にいる訳では無いけど、たまにこんなことがあった。明るいギャルの様な子達といるのは場違いな気もした。でも、心底嫌でもなかった。

「モモ、あのさ」

塚本さんは、私に向かって真剣な顔を作って、近づけた。

「な、なんですか?」

「みんな、あの話、いい?」

「……うん」「ミナっちが良いなら」

「ありがと。あのさ、モモ。相談があるの」

この三人は、実は、この学校に入学して直ぐに依頼を受け、それを解決したことがある。それからの関係だった。たまに、おかしなことがあると、私に知らせてくれた。

私も、真剣にそれに答える。

「……どんな、相談ですか」

「その、ウチらさ、あの」

いつも元気な塚本さんたちの顔が、沈んだ。

「見ちゃったかもしれないんだ」

私は、顔を引きしめた。この子達は、空気を読まないことがある。ベタベタ触ってくることもある。でも、嘘は言わない。信じられる訳では無いけど、言葉は好きも嫌いもホントのことが多い。

そんな彼女たちが「見た」、と言うならば、それは怪異の可能性が高い。

「……どこで見たんですか?」

「商店街抜けてさ、もっといったところにマンションが並んでるとこあるの、分かる?」

「あの古い団地ですか? 真ん中に公園みたいなのがある」

「そう、そこ! その公園なの。この前の土曜日に、皆でお昼食べて、カラオケ行ったの。帰りがすんごぉく、遅くなっちゃって、そんで、その公園を夜に横切ったんだけどさ、そこで、見ちゃったの……」

「何を、見たんですか?」

皆が、顔を見合わせて、顔を寄せてくる。

ビックリしたが、大きい声で聞かれたくはないからだと分かって、私も我慢して顔を寄せる。みんなの香水と汗の匂いがはっきりわかるくらいの距離で、塚本さんは、囁いた。

「…………ヒキコさん」

そう言って、バッと顔を元の場所までもどした。

「んん?」

私は、その名前に聞き覚えがなかった。でも、塚本さんたちの顔は真剣だ。

周りに見られないように、こっそりと机の中のスマホをいじって調べてみる。


……ヒキコさん。雨の日の深夜に、人気のない公園などの場所に現れて、人の死体を引きずるという女の姿をした化け物。一説には白い着物やレインコートを着ているなど。妖怪や都市伝説の類として語られる。


「あの、本当に、その、それを見たんですか?」

私はだいぶ困惑をした顔をしたようで、塚本さんたちは目をうるませて訴えた。

「嘘じゃないようっ!」

「あの、疑ってるんじゃ、ないんです。この、特徴がものすごい、ですよね。本当に、これだったんですか?」

「うん!」

「モモっち、マジなんだワ。ウチもバッチリ見ちゃって、思い出してもすっげえ怖くって」

私の手を撫でていた、細身で長身の笹原さんは、自分の体を抱いて震えた。

「マジなの、モモちゃん! えっと!」

私の頭を撫でていた、背が低くて快活な新井さんが、私にもう一回顔を近づけた。

「あれ、本物かわかんない、マネキンかなにかかもしんないけど、重たいものを引きずる、ズルズルって音がしてて! 引きずってる方の人が、黒い長い髪してたの! えっとね、白いレインコートみたいなの来て、フード被ってたから、顔は見れなかったけど、細い感じだったし、あれ、女の人だよ絶対!」

ひそひそと、でもしっかりした声で新井さんは言う。

「んんん」

「あー、うなってるぅ、やっぱり嘘だって思ってんのぉ?」

「安心してください。嘘だなんて思ってない。むしろ、信じたから困ってます」

私は腕を組んで、真似したくない先生の真似っぽく、ふむ、とうなった。

「あの、気付かれた感じはなかったですよね?」

この確認は、とても大事だ。

怪異も幽霊も、ひいては妖怪もだけど、自分を認識した相手に付きまとう習性があるものが多い。どうにも危険なモノらしいし、気付かれていたら対策を立てないといけないけども。

「あ、気づいてはないよ」

笹原さんが言う。

「うちら、門限破って電話口でママがブチ切れてたからマジ焦って走っててさ。その状態で、うーん、二十メートルくらい離れた場所に見えた感じだから、そのまま怖くて止まんないで走ったし、怖すぎて悲鳴すら出なかった感じだし……分かってもらえる? モモっち?」

「なるほど、わかり、ました」

私は、腕組みを解いてもう一度皆に告げる。

「何か分かったら、皆さんに伝えますし、今の話は先生にも伝えます。また、怖いことがあったら伝えてくださいね」

三人は、ホッと息をついたあと、一斉に抱きついてきた。

「モモっ、カッコイイ! 愛してるぅ!」

このノリだけは受け入れられなかった。


第三幕 三条市警察署

「わざわざ来ていただいてありがとうございます。 自分は、本件を担当させていただく捜査一課、周藤(すどう)と言います」

人が四人やっと入るかという衝立に囲まれた応接スペースで、僕を出迎えたのは歳の頃四十代後半くらいの、少し額の広い、いかめしく四角い顔をした男だった。太い眉、大きく見開かれた目に、まっすぐな眼光、潰れ気味の鼻、真一文字に結ばれた口。広い肩幅を明るいベージュ色のジャケットでおおった周藤刑事は、短く刈り込まれた頭を軽くかきながら灰色のバインダーに挟まれた資料を差し出した。

「自分はこういうことは分からんもんでして、その、先生は今日は学校関係者としていらした訳では無いと?」

「ええ、そのとうり。私はハゲダヌキ……失敬。校長の命令で派遣された、あー、なんですかね、わかりやすく申せば、お化け退治の専門家であります」

目の前に灰皿のあることを幸いに、私は自家製の巻きタバコを吸いながら周藤刑事と向き合う。

ボロボロのスーツで来るのも失礼かと思った僕は、いつもの黒紬の上からインバネスを纏い、ソフト帽という出で立ちだったが、周藤刑事は非常に丁寧に応対している。他者を外見だけで判断しようとしないこの刑事は、信頼しても良い人間だろう。

「上層部も、その、怪異と言う奴の関与を疑っておるのですが」

周藤刑事は当惑を隠さない。無理もない事だ。

「その、先生、良ければ授業をしてくれませんかね」

「授業……怪異についてですか?」

「ええ。それが分からんと、私はこの仕事についていけそうにないもので」

「ふうむ、心中お察しします」

こんな真面目な人間を急に怪異事件に突っ込むとは、上層部も何をしたいやら分からない。せめてレクチャーくらい済ませて欲しい。

「その方があとの危険もないですしな。ようございます」

僕は資料を閉じたまま、じっと周藤刑事を見た。遊びで言ってるわけでなく、職務のために学ぼうとする姿勢がはっきりと見えた。

「では最も触りの部分だけお伝えしましょう、周藤刑事。怪異とは、「あるはずのないものがある」ことや、「起こるはずのないことが起こる」ことを言います」

「あるはずがないものがある、おこるはずのないことがおこる、ですか」

「ええ」

僕はどう例えたものか、と思いながら話し始める。

「時に周藤刑事。ツチノコはおりますかな」

「はぁっ? ツチノコ? いや、おらんでしょうな」

「ふむ、ではツチノコの姿はご存知か」

「姿ですか? あー、寸胴な蛇のようなもんですか」

「ふむふむ、ではツチノコというのの特徴などご存知ですか」

「特徴、うん、子供の頃ですか、テレビでやってましたねぇ、二メートルくらい飛んで、毒があるんでしたかねえ」

「もう一度お聞きしますが、本当にツチノコはおらんですか。周藤刑事は本当に詳しくご存知のようだが?」

「え、いやいや、こういうのは、ほら、雑誌社とかテレビの作りもんでしょう?」

「ふむ。では周藤刑事。あなたの友人。家族、部下。そういった人達が、口々に、みんな一様に、ツチノコを見たっ、ツチノコはおるっ、と言いましたら、貴方どうします」

「皆がですか?」

「そうですな、冗談言いそうにない上司と、貴方のご家族全員はともかく見たと仰るとしましょうか」

「ううむ、そう、そうなるとですなぁ? いやぁ、しかし、ううん」

僕はここで、少し劇薬を盛るとこにした。丹田に力を込め経絡に気を巡らせて、言葉に霊威を乗せ、周藤刑事の頭に直接声を響かせるイメージをしながら告げた。

『では、目の前にツチノコが現れたらどうなさいます?』

応接スペースのテーブルの上。

焦げ茶色で、寸胴な、まるでしゃもじをのっくんだような、蛇の姿があった。

「え? うひひひゃぁ!?!?」

素っ頓狂な声を出して、周藤刑事は椅子から転げ落ちて後ずさった。

「こここここ、これは、こ、これはつつつつつつ、ツチノコっ!」

「周藤刑事。よくご覧なさい、こりゃ本当にツチノコですか」

「寸分狂いないツチノコではありませんかっ! この、この形、この、姿! 私が知っているこの、ツチノコっ!」

「なるほど」

私はツチノコのしっぽを持ち上げ、周藤刑事の前に突き出した。

周藤刑事はもう一度悲鳴をあげかけて、そのツチノコをじっと見つめ、うん? と唸った。

「先生、これはツチノコでは無いですな」

「今は何に見えますね」

「……茶色いスリッパですな」

そう、周藤刑事の目の前にあるのは、茶色い色をしたお客用のスリッパである。さっき僕が履いていたものを、インバネスに隠して持ち上げて、急に机の上に出しただけに過ぎない。

それに、僕の言霊をかけて認識をそらさせてもらっただけだ。

「……いや、しかしさっき、自分は確かに、ツチノコを見ましたよ」

「それが「怪異」の正体です。周藤刑事。一見矛盾する「あるはずのないものがある」「おきるはずのないことがおきる」状況に一番関わってくるのは、人間の精神や、意識または想念と言うやつが、頭と心に妙な作用をした場合なのですな。こんな現象がですよ、例えば、一気に数十人規模で起こったと思ってご覧なさい」

「あぁ、一人一人があるはずはないと知っていたとしても、皆が一斉に見てしまったら、本当にいるように感じてしまいますな」

「そうです。僕のように、意識的にそれを起こせる人間がこの世には何人もおります。そういう連中が、お化け退治をしたり、イタズラを引き起こしたりして、その度に周藤刑事のようにマジメな方が被害に遭われておると」

周藤刑事の顔が一気に渋くなった。僕は慌てて咳払いをして、話題を移した。

「そうして、ごく稀に、ですが。周藤刑事が仰ったような状況の中で、実体から人間の想念が離れるという現象が起こります。複数人が怪異を認識してしまった場合はそれが本当に起きやすくなる。最悪の場合は、スリッパからツチノコが離れて動き出す。つまり独立した想念が形を得て暴れ出すんですわ。これを、我々の言葉で「ヒトリアルキ」というのですが、こうなったものは非常に危険です。形を与えた人間の想念の姿の通りに動き出すのです。これがツチノコなら、六尺の跳躍を見せた上に、人を瞬時に殺す毒をもつ化け物が生まれよるわけですね」

「ははぁ、なるほど……わかったような、気がしますわ」

この人は、かなり頭の回転が早い。仕事をする相手としても申し分ない。一般人ではかなり貴重な部類の人だろう。

僕は、ひとつ安心をして、周藤刑事が出してくれた資料に目を通し始めた。

資料は、事件にまつわる調査報告書と、大量の写真が入ったらしい封筒だった。

「協力者として捜査に参加していただける、という事でしたので、用意をさせてもらったもんです。相当、酷いものも含まれていますが、ご理解を願います」

「ひどい? 失踪事件では無いのですか……あぁ、酷いと言うとあれですか、何人かは残念な結果に終わったと?」

周藤刑事は、鼻の頭に思い切り皺を寄せる、非常に渋い顔をした。

「あぁ、いえ、実はあれ、報道管制を引いとるんです。本当はもっと色々えげつない事件なのです。写真を見る時は、ご覚悟を願いますよ」

「……拝見します」

僕は、まず封筒の中の写真を見た。

眉根が寄るのをはっきりと感じた。信じられないような、惨たらしい写真がいくつもあった。

高校生ぐらいの男子、そして女子の、三十人に及ぶかという数の、惨殺死体の写真であった。中には裸体の写真もあった。手首から先や、足首から先、唇、腕、脚、目玉などの体の一部がえぐり取られたり、切り取られたりした遺体の写真が相当数。それ以外には、全身をめった切りにされて、臓物を撒き散らしているようなものもある。体の一部の皮を剥がされたものもあった。

「連続失踪事件では無いのです、今回の事件は。そう、無差別連続殺人及び死体遺棄損壊事件……これが真相です」

「これは……まず確認しますが、これらすべてを警察の皆さんは同一犯とお考えなんですか?」

「ええ」

「……根拠はありますか」

「うん、凶器の形状がすべて一致しとるんですわ」

「ご遺体の傷が全て同じと……こちらの、一部を切り取られてる子達と、切り裂かれてる子達も同じという訳ですね? 似ている形状のもの、ではなく、全く同じと?」

「ええ、その通りです。この件の検視官によれば、それぞれのご遺体にたくさんの傷は着いておるのですが、その形状を分析してみると、使っている道具は数種類あれど、形状はどのご遺体でも同じという事です。市販品との同定までは至っておりませんが、一種の手術器具のようなもの……メスや鉗子、骨の裁断用の鋸などでは無いか、との事です。また奇妙なことに、裁ち鋏を使ったような傷がほとんどのご遺体についております」

僕は一度、写真から目を離した。

とてもでは無いが、ずっと直視することなど出来ないものだ。尋常ではない、犯人の強い負の意志を感じる写真だった。

「そこまで分析が進んでおられるなら、その他の遺留品なども分析が進んでおるのでは無いですか」

「話が早くて助かりますよ、先生。文書の方の資料の、ええ、五ページから一覧を乗せております」

僕は、ざっと目を通した。

「うちの学校の関係者という目星は、ああ、なるほど」

通学カバンや制服に使われているものと同様の繊維片が複数の現場で発見されていた。決定的なものは、ある現場で発見された被害者のものでは無い「校章」だろう。

「この赤色の校章ですと、三年生のものですな」

「ええ。ですから、藁にもすがる状況ですが、生徒が犯行を行っている、ないし、生徒と同じものを手に入れられる人間の犯行を疑っておるのです」

「なるほど、よく分かりました」

この犯罪、確かに、尋常でない部分が多すぎる。意味不明な一部を切り取られた遺体、まるで快楽的な殺人のような切り裂かれた遺体。このどれもが同一犯の犯行? にわかには信じ難い。

「しかし、怪異との関わりを疑われたのはどう言った部分で? 確かに、見た限り普通の犯罪ではないようですが、上層部のお歴々は何を持って怪異の関与があると?」

「ううん、そこなんですよ」

周藤刑事は腕組みをしてから唸り、自分のタバコを取り出して火をつけようとした。私は、自分のライターを差し出し、彼のタバコに火をつけた。

「あ、これはすまんですな」

「いえいえ、で、何が根拠です?」

「うん」

周藤刑事は、大きく煙を吐き出しながら語った。

「資料の、ええ、十ページからまとめさしてもらったんですが、この捜査に当たった何人かの刑事が、出くわしとるんですな」

「ほう、いわゆる、オバケに?」

「ええ、都市伝説っちゅうんですかね、最近では。それに出くわしとるんです」

「ほう」

私も自分のタバコに火をつけようとしたら、周藤刑事が火をつけてくれた。有難く頂戴し、タバコをふかす。

資料に目を通すと、確かに聞き込み中、事件現場に駆けつけた時などに、色々なものを目撃しているようだ。

ある人は、死体をどこまでも引きずるレインコートの狂女。「ヒキコさん」。

ある人は、マスクをつけた、真っ赤なドレス姿の笑う狂女。「口裂け女」。

またある人は、足や手などの部品を現場から持ち去る狂女。「カシマさん」。

「ううん、こりゃあ、なんとも節操がないですねぇ」

煙を吐き出しながら、僕は頭を抱えた。

「先生、この都市伝説っちゅうのも怪異なんですか」

「ええ、いやあ、よほど質は悪いですがねえ。普通の民話やら何やらはね、話されていくうちに洗練されるもんなんですよ」

「ん、洗練ですか」

「ええ。余計なディティルが剥がれて、伝えやすく、語りやすくなってくるものなのですよ。良く聞いてみると、生活の知恵やら、語られなかった歴史の断片が隠れていることもある。ばあさまの昔語りなどは、傾聴すべきものと感じておりますよ。ところが、都市伝説と言うやつはものすごい速さで人の口から口、耳から耳に伝染します。その過程でありとあらゆるディティルが追加されて、酷く歪な姿になることも多い。物によってはアナザーストーリーやサイドストーリーが出来てしまうこともありますぞ。口裂け女なぞ、典型ですな」

「口裂け女は私も知ってますよ。いやいや、一時期見ただなんだと騒ぎになっとりました。自分も、小学校の頃に友達から聞いた覚えがありますよ。その、手術の失敗で顔が崩れたとか、べっこう飴やらポマードに弱い、いう、あれですか」

「んん、周藤刑事、ご理解が早くて助かります。そのとうりですわ」

僕は話の区切りに煙を思い切り吐いた。

「だからこそ、怪異になって「ヒトリアルキ」になるものも多いですがね、粗製濫造。人がいる限り噂は止みませんからな。その速度は年々早く、広がる範囲も広大になってきている。故に多くの人間にイメージが共有されますでしょう? 下手をすると、ポコポコと雨後の筍のごとく湧いてきますよ」

「タケノコですか」

「ん、ああ、失礼、ふざけた物言いでした」

「いえね、ううむ」

周藤刑事は二本目の煙草をふかす。大の大人が口を重くし、タバコを更す時。それは言い難い事柄がある時だ。

「自分の班とは別の班が、実は犯人と思しき人物と接触したのです。通報を受けて現場に駆けつけた、そう、先週の日曜日のことです。三条市北側の、山沿いの林の中のことでした。深夜に異音に気づいた土地の持ち主から通報があり、警ら中だった別班が駆けつけたのです」

「何を見つけられたのです?」

「遺棄されたご遺体ですわ。今回のやつは、めった切りの方でした」

僕は、何を語るべきかと思案顔になり一度話を切った周藤刑事の次の言葉を待つ。

「……恥を忍んでお話しますが、その時に現場にいた、屈強な鍛え抜かれた刑事数名が、犯人一人に滅多刺しにされましてな……私の友人も、重傷なのです」

「……彼らは何か言っていますか」

「ええ。見舞いに行った自分に、比較的傷の浅かった班のひとりが打ち明けてくれました。あれは人間でなかった、と」

その人物は、真っ赤な、返り血で染ったレインコートを身にまとい、黒い長い髪をだらりと垂らした、若い女だったという。

耳まで叫んばかりの笑みを浮かべながら、手に持った、大きなハサミのようなものを振りかざして人間ではありえない関節の使い方、体の動かし方をしながら襲いかかってきたという。拘束しようとした警官は軒並み弾き飛ばされ、身動きを封じられて一人ずつ滅多刺しにされて行った。

傷の軽かったものは、威嚇射撃をして難を逃れた人物なのだ、と言う。

「彼が自分に言いました。あれは、確かに口裂け女だった、とね」


第四幕 ふたたびの鈴鳴堂

「いらっしゃ……あぁ、先生、おかえりなさい」

いつもよりゲンナリした顔をした先生が帰ってきた。お客様用ソファにいる、私と、私の隣にいる塚本さんの姿を認めると、ふはっ、と鼻を鳴らした。

「塚本君か、いらっしゃい、汚いところで愛想の悪い店員しかいないが、ゆっくりして行きなさい。僕は疲れたので寝ることにするよ。その前にせめて、助手君、こんぶ茶をくれないか」

「確かに汚いけどぉ、モモはアイソは悪くないよー。このツンツンがいいんじゃん。わかってないんだぁ、先生って」

「塚本くぅん、ぼかぁ疲れてるんだよ、君の皮肉で更に疲れさせないでくれたまえよ」

先生はインバネスと羽織を乱雑に脱いで放り投げると、紬を着替えもせずにソファに倒れ込んだ。本当に疲れているようだ。

「助手君、こんぶ茶はうーんと、あつーくしてくれぇ、気付けが欲しいぞぼかぁ」

「はいはい、濃いめの熱めですね。塚本さんはおかわり飲みますか」

「うん、同じフラペチーノねー」

私はカウンターに引っ込んで飲み物をもう一度用意する。塚本さんは律儀にちゃんとお客様として来てくれた。あの相談の後、どうしても気になることがあったので、直接先生に伝えたくなったのだと言う。

でも、とうの先生が役立ちそうにない。

「はい、昆布茶ですよ。火傷しないでくださいね。塚本さん、はい、どうぞ」

「ありがとう助手君、うあっちぃ!」

「熱めですからね」

「洒落にならないよ、これはっ!」

「ご注文通りに作っただけですよ」

「確かにねっ」

先生はフーフーしながら昆布茶をすすり出す。

「んー、モモのドリンク、やっぱおいしー! 常連になっちゃおっかなぁ」

塚本さんの素直な言葉が今は嬉しかった。

先生は昆布茶で人心地着いたのか、ソファの上で起き上がり、塚本さんの方を見た。

「塚本君、それで今日は何の用かね。占いは相談込みで三十分二千円から、相談は三十分千円からだが」

「んー、そっちじゃないんだよね」

塚本さんは、制服のポケットからスマホを取り出して操作する。

「先生さ、ツービーわかる? 」

「ツービー、ああ、BLUE BIRDかね」

BLUE BIRD。今や日本の多くの人が利用する、ソーシャルネットワーキングサービスのひとつだ。私は面倒くさくて使ってないけれど、先生は確か占い系のアカウントを持ってて、商売をしていると聞いたことがある。

「うん、そのツービーで周りの学校に行った子とつながってんのね? その子たちが、結構やばいもん見ちゃってるらしくて、それだけ言いに来たの。ツービーだけじゃなくて、grapeのストーリーとか、あとさ、インフォにも!」

grapeは、私も使っているショートメッセージアプリで、インフォはインスタントフォトグラムという、写真投稿専門のアプリ、だったっけ。

「んん、嫌な予感がする」

先生は、熱い熱いと喚きながら昆布茶を飲み干し、塚本さんと向き直った。

「教えてくれたまえ」

「わかった。まず、北高の友達ね、「この前の土曜日に、カシマさん見たかもしんねぇ……」。芙蓉高の友達のは「やばいやばいやばい、ガチホラーじゃん! あれ、ヒキコさんってやつ?」 南高の子は、「マジやべぇ、ママに聞いた口裂け女見たかもっ、ガチこわっ」」

「……どれも信頼性にかける情報だなぁ、画像もなしだもの。さすがSNS」

「んもう、じゃあこっちはどうよっ!」

塚本さんは、インフォの自分と繋がっている友達の最近の投稿一覧が見られるページを開いて先生に突きつけた。

「どれ、ど」

先生は、顔から表情をなくして写真を見つめていた。

その顔があまりにも恐ろしかったので、私は思わず声をかけた。

「先生、どうしたんです」

「これはまずいぞ」

「え?」

先生は塚本さんの手からスマホを取り、私に見えるように掲げた。

そこには

無数の、女の怪異を写真に収めたものが並んでいた。

あるものは、口裂け女。あるものはカシマさん、あるものはヒキコさん、あるものは……。写真には、ボケているものも多いが、どれも黒い長い髪を無造作に垂らした、薄気味悪い女の写真が大量に乗っていた。しかも、その一つ一つが微妙に特徴が違う。あるものは真っ赤なドレスと大きなハサミ、あるものは、マネキンか、死体か、真っ赤でグズグズの塊から人間の足が生えた物体を引きずる、白いレインコートの女、あるものは、両手に人間の手足のようなものを抱えた、赤いドレスの女。表情まで見えている写真は流石になかったが、ここまでの画像が並んでいるのは見たことがない。

「これは不味い、本当に不味いことになったぞ……異常だ……ここまで多くの人間が怪異を認識している……それほどの怪異だとっ!?」

先生はスマホを塚本さんに返しながら、ボソボソと何かを呟き、目を泳がし、更にいつもより大きな音を立てながらボサボサ髪を掻く。

「ねぇ、モモ、先生どうしたの?」

「怒ってる。それに、すごく悩んでる」

「えっ」

普通でない様子、そして、人殺しという嫌な言葉。私は意を決して聞いた。

「先生、今日はどこへ行っていたんです? 例の厄介事で何かわかったんですか? この写真、もしかして厄介事に関わるんですか?」

「そうだとも! 助手君、これは、これはっ」

先生は「ああっ!」と声を上げて、怯え始めた塚本さんを見た。そして、大きく深呼吸をし、話し出す。

「塚本君、君もコレらしいものを見たのかね」

「み、見ちゃった。その事を、今日の昼にモモに相談してて」

「他の誰かに言ったかねっ! ツービーやら他のSNSに書き込みはしたかっ!」

抑えようとしているようだが、先生の焦りは目に見えて伝わった。

「モ、モモ以外には言ってないよぅ。書いてもないよっ。だって、怖いし、信じて貰えないじゃん……」

「んん、ああ、すまない」

先生は力なくソファに倒れ込んだ。目が虚ろだ。

「君たちは前の経験がある。妙なことは触れずにいることを知っているものな」

ため息と共に先生は起き上がり、力なく項垂れた。

「事態は思った以上に深刻だ。詳しくは……言えんが……。ただ、このまま行くと、被害者がどんどん増えることになるぞ。あまりに目撃者が多い、噂が広まるのもあまりに早い。これでは、怪異が、怪異が押し寄せてくるぞ」

「え、なに? どういうこと先生」

「塚本君、君たちが前にやらかしたことを覚えてるね」

「んぐっ、もうしないよっ、反省もしてるってば!」

「責めてはないよ。あの時のことを思い出してくれたまえよ」

「あの時……ワタシたちがやった、「オマジナイ」が、すごい当たって、皆にやり方を教えちゃって、それで、やった子達も、ワタシ達も、ひどい目に、あっ」

「思い出してくれたね。この手の都市伝説系の怪異の恐ろしいところは、噂によって引き起こされる負の感情の連鎖によって、幾らでも産まれてくることだ。君たちのものはまだ対処しやすい部類だったが、今回の連中は違うぞ」

先生は、店の中にある本では比較的新しい種類のものを出してきた。黒い表紙の、都市伝説を簡単にまとめた辞典みたいな本だった。

「今回のことがあって調べ直そうと思って買っていたものだが、見てしまったなら塚本君、君も知っていた方が良い。助手君、授業の時間だ」

私は、店の隅に置かれた移動式黒板をソファの方まで近づけた。先生はチョークで、本を片手に持ちながら黒板に文字を並べていく。

「今回確認されている都市伝説は、まず、ヒキコさんだね?」

塚本さんが頷く。

「それ以外には、カシマさん、口裂け女。他には何か出ているという情報はあるかね、塚本君」

「ちょっと待って、えっとね、一週間くらい前のやつで、メリーさん? が出てる」

先生は、そこで一度ピタリと書くのをやめて、聞き返した。

「間違いないかね? メリーさん?」

「うん」

先生は、四つの名前を黒板に記した。

「この四つの都市伝説、怪談か。これはもう枝葉が広がりすぎて実像がわからなくなりつつあるが、原点と共通点に関してまとめておこう」

カシマさん、の下に説明事項が書かれる。


・女の怪異の場合あり(本名はカシマレイコ?)、服装不明(血まみれの軍服、その場合は男の怪異か?)

・手足の欠損、火傷、傷が根底

・問(足はいるか、手はいるか)と撃退法(言問ひ、名前の由来を解く)

・失敗=殺される

・一九七二年~存在


「こんなところか。夜寝ている人間のところに現れる。足を寄越せとか、腕はいるか、など聞いてくる。この時に適切な答えをせねば、体の部分を奪われて殺されるという。カシマという言葉が名前であり撃退法という」


次に、口裂け女の説明を先生は書こうとし、止まった。ブツブツと文句のような声が聞こえ、また動き出した。


・女の怪異、赤いドレス

・口の傷? 欠損?

・問(私キレイ?)と撃退法(ポマードと唱える、べっこう飴を投げつける)

・失敗=殺される

・一九七九年~存在


「これも都市伝説という言葉の広がりには大いに貢献したものだ。話の中では本名がカシマレイコと紹介している場合もあると収集されている。上のカシマさんとの繋がりを感じるものもあるな。話の拡大時期もかなり近い。現代風の怪談というやつだ」


次に、ヒキコさん。

「これは今までの都市伝説に比べても新しいものだよ」


・女の怪異(本名は森姫妃子)、白い着物(今回はレインコート)

・顔の傷、ひきこもり、いじめ

・問(私の顔は醜いか)と撃退法(鏡を見せる、引っ張るぞ!)

・失敗=殺される

・ニ〇〇一年~存在


「要素は複雑化し、バックボーンの設定も割としっかりとしているが、現代風にアレンジされているね。因みに、大方の話では出現するのは雨の日、となっているらしいが、この前の土曜は雨だったかな」

「雨は降っていなかったと思いますけど。傘を持って行った記憶は無いですよ先生」

「あ、待って」

塚本さんが話を遮った。

「あのね、モモ。夜の十時頃は雨が降ってたの。思い出したの。すごく強い雨じゃなかったから、忘れちゃってた」

「となると、出現条件にも当てはまるな。こちらが持っている情報ともハマる」

先生はふむふむと頷いて、最後の項目のメモを始める。メリーさんだ。

「これは、ここまでの三つとは違う要素が多いぞ」


・女、もしくは人形の怪異

・電話が鍵

・追いつかれると殺される

・かなり古い。海外の民話に原型が確認されている。


「さて、諸君。整理しよう。怪談ごとの共通項は何か?」

先生はくるりとこちらを振り返る。

「助手君、まずは何が共通だね」

「女の怪異という点が共通ですね」

「うむ、これらの怪異は、端から化け物として核を与えられたものではなく、最初は普通の人間だったものが、様々な経緯を得て怪異化したものが多いようだな。だから実体を持つのかもしれないが。では塚本君」

「なんか、トラウマみたいなやつがあるの多いね」

「ふむ。言い得て妙だね。身体欠損やら顔の傷やら、命に関わることか、コンプレックスにまつわる原点(オリジン)を持つものが多いね」

「他には、関わると、死ぬ、ですか」

「そうだな、助手君。これらの怪異は関わると命を狙われるという、最悪の特徴がある。そのために、この撃退法というのがあるんだがね」

「パンピーのワタシらでも倒せるってこと?」

「倒すというか、追い払うが正しいな。口裂け女のポマードとか飴ちゃん投げるとか、カシマさんは名前を呼ぶ、ヒキコさんには鏡を見せる、などまあ色々ある。メリーさんにもシュークリームをあげるとかいう対処法はある」

「なんか……変なのばっかりですね、先生」

「まぁ、なあ。口裂け女やカシマさんは、小学生くらいの子達を中心に全国各地に広まった話だからなぁ、発想力は小さい子供のそれなんだよなぁ」

先生はバリバリと頭を掻く。

「だが、今回のやつはそんな可愛いものでは無いぞ。本物の人殺しの怪異とみて良いね。まずは、上三つだ。」

黒板を小突きながら先生は言う。

「こいつらに、もしも我々が遭遇したら、取るべき道はひとつ、逃げだ」

「逃げ、るんですか? 一般の人ならそうでしょうけど、先生なら祓えませんか?」

私は疑問を口にした。 先生がこれまで怪異を祓うのを見てきた。これらだって、祓えない訳はないはずだ。

しかし、先生はため息をつき、私をメガネをずらして睨んだ。これは、回答を間違った生徒を見る先生のポーズだ。

「残念ながら助手君。こいつらは怪異としては甚だ危険極まりないんだよ。こいつらは基本動作がやばい。怪異は基本特性にあった動きをしてくるが、こいつらは質問だ」

「その質問中に祓う、とか無理ですか」

「そう簡単には行かんよ。もしも、質問に答えなければ奴らは襲いかかって来る。ついでに質問に失敗しても襲いかかってくる。誰か囮でも立てないとぼかぁ咒式を組めないし、咒を唱えられない」

「げっ、無理ゲーってやつじゃん」

「そう。死にゲーまっしぐらなんてゴメンだし、囮役を立ててその人が死んだなんて言ったら後生が悪すぎるっ。こいつらを祓おうとしたら、動きを封じ込めるレベルの攻撃をして足止めするか、結界にでも閉じ込めないとならない」

「なるほど」

「しかもこいつらは、特定の人間でなく不特定多数の人間、特に自分が認識した人間を徹底的に攻撃してくるし、実体があるからこそ霊障でなく物理的な被害を受ける。そういう風に作られた怪異だからね」

なるほど、説明を聞けば聞くほど厄介極まりない。出くわしたら、躊躇なく逃げるくらいしか手がないのか。しかも、画像が大量にでまわってしまっているということは。

「怪異がこれだけの人達に、霊能なんてない人達にもはっきり見えているってことは、それだけ強力な怪異ということですか? そうでなくても、これだけ多くの人の噂にのぼっているということは、先生が仰った通り、怪異が押し寄せて、くるんですか。一般の人にも見えるぐらい強烈な、人殺しの怪物が」

「そういう事だ、助手君。非常に重たい事態だぞ、これは。目撃者が増えて、噂が広まる程にヒトリアルキが加速する。だが、怪異の共通点である、女の怪異というのが打破の鍵にもなるかもしれんぞ。場合によっては……」

先生はそこまで言って、言葉を切った。

塚本さんは不思議がったが、私はさすがに分かった。先生は例の厄介事について、既に何か情報を知っているが、この先は塚本さんには聞かせられないことなのだ。

先生は表情を変えず、塚本さんを見つめる。

「時に、塚本君。メリーさんの書き込みはどうなっている? どんな書き込みがされているね?」

「待ってよ、先生。えっとね、「昨日から無言電話やばいの草。メリーさんの電話とか? だったらこえーわ(笑)」とか、あ、でもこれ……「昨日、知らない女子から電話かかって来てビビった。grapeとかじゃない奴で。番号公開するな! ○○○-△△△△-××××。けっこーえろい女の声で興奮したわ。大人版メリーさん期待」とか。でも次のが「おい、マジでやばい、みんな、あの番号にはマジでかけんなよ! フリじゃねえぞっ!」……その次は「なぁ、こういう相談ってどこにすりゃいいんだ? 警察? なんかこの番号ガチストーカーみてえなんだけど」……そっから先、返信ないや。このアカウントは、あー、北高の男子だ」

「塚本君、彼は知り合いか?」

「んーん、違うっぽい。でも、友達とかに頼めば連絡先はゲットできると思うけど、どうする?」

「……頼めるかい、出来れば彼と話をしたい。だが、それ以上のお手伝いはしないでくれよ」

先生は、まっすぐに塚本さんを見て、悲しそうに微笑んだ。

「わかってるって。だいじょーぶっ!」

「そういえば、先生、メリーさんの説明と、他のものを分けたのは何故ですか?」

先生は、黒板に大きく線を引いて、メリーさんを他と明確に分けた。

「理由かい、単純だ。他のものは不特定多数の人間を襲う怪異なのだが、メリーさんは特定の人間しか襲わない怪異だからだ。この噂が同時に混じっているのが違和感が出るレベルでね」

先生は、片手の本を閉じて、話す。

「メリーさんの怪異は、電話や、今はメール、grapeなどのSNSを通じて発生する。元々は、捨てられた人形が、捨てた人間に電話をかけて近づいてきて、最後には、うん、結末は書かれない場合もあるが、基本は殺される。また、この怪異は別バージョンに、交通事故にあった少女の霊が犯人に復讐をする、というものがあるのだよ。つまり話の中に、恨みを買った側と恨みを持った側がいるのさ」

「わかりました。本当に全然系統が違う怪異なんですね」

「うむ。だから、思うのだが……」

先生は、渋面を作って、静かに呟く。

「メリーさんの怪異にあっている子達は、怪異の核になった何者かと関係のある子では無いのか、とね」

先生は、もう一度塚本さんに向き合う。

「塚本君、今日以降、笠原君も新井君も、気をつけて生活してくれたまえ。君たちは気づかれてはいないが、この状況だ。いつ何時、巻き込まれんとも限らない。ぼかぁ、知り合いが無駄に巻き込まれるのは嫌だからね。一応、簡単な魔除の念珠をこさえるから、持って帰ってくばってやりなさい」

「わかった」

「当分、夜遅くに遊ぶのも控えてくれたまえ」

先生は二階の私室兼工房へと登って行った。

「モモ、ありがとう」

「いいえ。むしろ、来てくれて良かったです。その、本当に気をつけてくださいね」

「うん、何かあったら、スグにモモ達に知らせるし、危ないこともしないから安心して」

塚本さんは、ニコッと笑った。

十分も経たずに二階から先生は、三人分のコハクとメノウの念珠を持って降りてきた。

「普段はひとつにつき三千円もらうところだが、今回は非常事態だ、ツケで構わんから持っていきなさい」

「ん、ありがと先生」

塚本さんは、念珠を受け取ってドリンク代を払って、帰っていった。

姿を表に出て見送って、店の中に戻ると、いつになく真剣な顔をして先生が店の黒電話を使っていた。

「ええ、色々と調べ直してわかったんですわ、ええ。くだらんと思わずに、上役の方にそうお伝えください。ええ、見回りを徹底してお願いします、はい、どうも」

受話器を置いて、私を見た先生の顔は、これまで見た顔の中で一番焦っていた。

「助手君、塚本君から情報を重ねて貰ったら、直ぐに私に報告してくれ」

「はい。先生はどうします?」

「警察にも協力をさせてもらいながら、校内の情報を集めてみよう。噂も含めて調査をする必要があるだろう」

「私も動きますか」

「いや、君は動くな。自分の体質を忘れちゃいかん。今回は、どう足掻いても洒落た結果にはならんからな」

私は、左手の、先生が作った念珠を握り締める。確かに、私が動けばそれだけリスクは高まるのだ。私自身のこの「体質」は、今回は助けにならない。

「君はむしろ普段通りにいてくれるだけで、向こうから釣れる可能性もある。こちらも連絡がすぐ取れる状況にしておく。何かあればすぐに伝えたまえ」


第五幕 午後の高校~夕暮れの図書館

「いよぉ、天海君。今日も盛況かね」

午後の売店。校舎の一階にあるこの売店は、ノートなどの文房具、体育シューズやワイシャツの他、軽食や飲み物なども売っている。コンビニ程度の広さがある店内は、気さくな売店のお姉さんが一人いて、いつも生徒たちと話をしたり、店の商品を並べたりしていた。

お弁当を作りそびれた私は、人が減った頃を見計らって、残り物の菓子パンを見繕っていた。

そこに、先生がやってきたのだ。売店のお姉さんと親しげに話し出したのを見て、少し驚いた。

「おや、平坂君。間食は太るぞ」

「余計なお世話ですっ! それにこれは、今日のお昼ご飯ですっ!」

「クロさん、あんた相変わらずだねぇ」

売店のお姉さんは苦笑し、私のパンを受け取って会計してくれた。その時に小袋を一緒に渡した。

「それね、新商品のラスクなんだよ。良かったら感想聞かせてね」

「あ、ありがとう、ございます」

「君も相変わらず生徒には甘いね、天海君。まあでも、それがおかげで盛況なのは何よりだ。今日も大概売り切れかね」

「まあね。ここの生徒はみんないい子さ。お陰でやりがいもあるよ。で、なんだい今日は。まさか、教師の未練をいじりに来たわけじゃないよね?」

「そんな話はせんさ。やりがいある仕事がある事こそ、人生の幸せではないかね。そう思わんか、平坂君」

「急に振らないでください」

先生とお姉さん……天海さんは顔を見合わせてニヤッと笑った。ああ、なるほど、この人は先生と同類なのかもしれない。

「一応紹介しておこう。この天海君は僕の大学時代の友人でね。僕のようなやる気のない教員志望と違い、真摯に教員をめざしていたのだよ。ただ、生徒に関わるより良い方法を探っているうちに、売店の販売員になってしまったという、そういう人さ」

「アンタが教師を続けられてる方がアタシにとってはよっぽど不思議だけどね。昔から脱線が多いのも変わらないけどね。さぁ、用があるんだろ、さっさと言いなよ」

先生は、頭を軽く掻き、私を一度見てから話し始めた。

「この店の、あるものの販売歴と、誰に売ったのかを教えて欲しい」

「はぁ? 売り物の記録を見たいのかい? 誰に売ったって、そんなのいちいち控えてないよ。サンドイッチだって日に何百と数分で売れちまうんだからさ」

「いや、僕が知りたいのは校章さ」

「校章、かい」

私は、それが今回の事件と関係あるものだと分かった。一教員が、売店にそんなことを聞くのも妙だからだ。

「そうだ。校章やら制服やらは事務が発行する購入手続き書をここに出さなきゃならんだろ? ただ、事務では記録が多すぎる上に購入記録は一纏めにされちまってるからね。逆にここなら、几帳面な君のことだ。購入物ごとの記録があると踏んだんだがね。ここ半年分の記録だけ、ちょいと調べさしてもらいたいのさ」

「何か厄介事かい」

天海さんも、どうやら先生の裏の顔を知ってるらしい。天海さんは私の方に視線を移すと、得心したように頷く。

「そのお嬢さんはお弟子さん、て訳だ」

「そんなものさ。見せてもらえるかね」

「待ってな。他ならぬクロさんの頼みだ。今見せるよ」

天海さんは、レジブースの下側にあるノートを取り出した。そこには、商品毎を分類した見出しが付いていて、しっかりと整理されているのがひと目でわかった。

「いいかい、校章をこの半年で買った生徒は全部で、ああ、五人だね」

「ふむ」

先生はノートを天海さんから貰って、ページに乗っている名前を見た。

その内、先生は三年生と記された二人の名前だけを、自分の分厚い黒革の手帳にメモした。

相澤(あいざわ)由香(ゆか)

(かわ)(しま)()()

名前をメモすると、先生は天海さんに聞く。

「この二人の生徒は、よくここに来るかね」

「ん、そうだねえ。ユカちゃんはよく来るよ。目立つ子でね。彼氏と居るのもよく見るけど、彼氏が頻繁に変わってるよ」

「ほう。こっちの子はどうだい」

「いや、正直悪いけど、印象に残ってない子だねえ。よく来る子なら無口な子でもほぼ分かるんだけど、この子はそもそもこの店自体にほとんど来てないんじゃあないかな」

先生は、ふむと唸って、短い礼を言って立ち去った。

その時に、昼休み終了五分前の予鈴が高らかになった。

私は、お昼抜きで五限を迎えることに絶望した。


三年職員室は、この時期は入試対策でバタバタとしている、という訳でもない。一月後半間近になると、進学コースの生徒たちは大半が推薦と内部入試が終わり、進路が確定した状況になる。共通入試担当の、特別進学コースの先生方がバタバタと動き回り、進学の先生方は三年生の「後始末」に入る。

だから、僕のような部外者が入り込んでいても、まあ、誰も気にはしない。

「あっれぇ、クロイ大先生! まったサボりっすかぁ?」

扉を開けてすぐ、三年進学担当の、小崎先生が快活に話しかけてくる。がっしりとした、絞られた体。良く日焼けした顔に浮かぶ不敵な笑み。どんな時でも自分のペースを崩さない男だった。僕は、他の人間が疎んじる、この軽妙で不遜な態度が気に入っていた。

「いやいや、小崎大先生。今日は立派な仕事をしに来ましたぞ。ちょっと女子生徒の素行調査をやってましてね。もし知ってたら、教えて欲しいんだが」

僕は、彼を捕まえて、職員室奥の給湯室へと引っ込んだ。

「おっ、こんなところでする話ってことは、愉快じゃない話っすね?」

「いつもながら理解が早くて助かる。この二人だ。一人は、相澤由香。もう一人は、川嶋夢唯というんだが」

名前を出したところ、小崎先生は神妙な顔になった。

「この二人で間違いないっすね?」

彼の軽妙さが失せていた。これは、本当に愉快でない話が聞けそうだ。

「まず、相澤というのはどんな生徒だね? クラスを調べたら進学コースで、大分男付き合いが派手だったらしいってのは聞いたんだが、僕もそんなに名前を聞かない生徒だったんでね」

「まあ、ふつーに表では、カッコが派手なだけで、友達思いの奴って評判しかないっすからね。両親もふつーに、企業の営業さんと専業主婦で、進学先も大和学園の国際関係学部なんで」

「ああ、まあフツーか」

「だけど、こいつ前々から生徒の間では評判悪かったんすよ」

小崎先生の良いところは、その洞察力と包容力にある。彼は生徒の悩みには真摯に応じることが知られており、生徒が多く相談に行く。運動系部活の先鋒、サッカー部の副顧問ということもあり、運動系部活の生徒やその友人も多く訪れている。外見の印象より、よっぽど「物知り」な人物だった。

「うちのクラスでも、こいつのグループに目をつけられると、割と陰で酷くいじめられるって評判で。でも、賢い奴なんで、俺らにしっぽは掴ませなかったんすよね」

「なるほどね。女帝かね」

「相変わらず表現がコフーすね。まあ、そうっすわ」

「最近はどうしてる?」

「ん、それが……」

小崎先生は、僕を手招きして声を落とした。ここからは部外秘の情報か。

「不登校、なんすよ。ここ一ヶ月」

「はぁ? 不登校かね」

「うす。まじな話。家庭訪問に担任行ったらしいっすけど、当人には逢えず終いらしいっすよ?」

「原因は?」

「生徒の噂だと……オフレコにしてくれます?」

「もち」

「オッケっす。川嶋に復讐されたんじゃって」

ここで、もう一人の人物の名前が図らずも出た。

「話の流れだと、川嶋は相澤のいじめに合っていた?」

「うす。川嶋は、家が両親とも医者の、

まあ金持ちの娘さんっすわ。で、両親むっちゃプライドが高いんすよね。特進なんすけど、担任の先生がタジタジになる位過保護で有名で。川嶋自体は、おとなしーくて、じみーで、なんつーか、両親のあやつり人形みたいな子っすよ。絵に書いたようなマジメちゃんってやつで、ある意味、相澤と逆の方向で生徒の評判悪かったっすよ? 成績とかむっちゃいいんすけどね、なんつーか、すげー暗くて、反応も鈍いし。クラスでも浮いてます。あ、後は美人っすわ。それも、周りのイライラを募らせたんだと思いますよ」

「ほう、ほうほう。非常に有益な情報だったよ、小崎大先生。収穫はたっぷりあった。焼肉はマジでボーナス出たら奢るよ」

「うげっ、報酬払いまでの先がなげえ」

「期限を儲けなかった君の落ち度だよ。ありがとう、先生。情報は有効に使わしてもらうよ」

職員室を出ようとすると、小崎先生は入口まで送ってくれた上、

「クロイ大先生! あの二人、お願いします!」

と、大きめの激励を送ってくれた。

彼なりに、二人の運命には思うことがあるのだろう。

僕はひとつ頷いて、その場を後にした。


私は、結局六限が終わるまでパンにありつけず、ふらついたのを塚本さんたちにちょっと心配されながら放課後を迎えた。

教室で、ラスクだけ食べてから動こうと思っていると、塚本さんたちが私の周りを囲むいつもの姿勢でいた。

「せんせー、鍵、ワタシが持ってくから」

塚本さんはそう言って、念入りに周りを確認すると、教室の鍵を内側から掛けてしまった。

「ミナっち、やりすぎじゃね?」

笠原さんが言うが、塚本さんは一言

「バレても、他の子に聞かれてもヤバい話、するでしょ?」

とだけ言った。笠原さんも新井さんも、真剣な顔をしている。

私は、かなり甘い粉砂糖がたっぷりまぶされたラスクをサクサクと食べきり、水筒のお茶を飲んで一息ついてからみんなと向き合った。

「あのね、モモ。昨日話してた北高の男の子なんだけどさ」

塚本さんは、探ってくれた情報を報告してくれた。

「マジで今回のやつ、ヤバいかもしんなくて、すぐモモに知らせようと思ったの!」

塚本さんたちは、それぞれ私の机の近くに、座った。塚本さんが正面、新井さんが左側で、笠原さんが右側。

「モモっち、あのね、ウチのツレに何人か北高の子がいてさ、ミナっちが言ってた子を探してもらったんだけど、その人、上級生だったんよ」

笠原さんが、長い髪を耳にかけながら話してくれる。耳の、尖ったピアスがきらりと光った。

「北高の友達が色々教えてくれたんだけど、その人、北高の中でもやばいグループの人達でさ、軽く半グレに片足突っ込んでるような人でさ……モモっち、半グレってわかる?」

私は知らないことを伝えた

新井さんが言う。

「あのね、半グレって、ようは激ヤバい人らなの。例えば、その、えっと、クスリに手ぇ出しちゃったりする人いるし、バイク乗り回しちゃう人いるし、カツアゲとか脅しとかする人もいるし! 女の子にひっどいことする人もいるんだよぅ」

なるほど、社会的に宜しくない人たち、というのはよく分かった。

「三条にもそいつらの仲間が何人かいたんだけど、そいつら、今やばいらしいんだよ」

笠原さんは、スマホを教室の外から見えない角度で素早く操作して、顔をしかめた。

「そいつら、最近学校に来なかったり、休みまくったりしてるんだって。その北高の上級の人も、先週の土曜日から不登校になっちまってるらしくてさ。ツレに聞いてみたんだけど、変な噂が立ってんだって」

「どんな噂ですか」

「ん、メリーさんに取り憑かれた、連れてかれたんじゃないかってさ。それ以外の、その人とつるんでた人らも、何人かメリーさんに目ぇつけられて、連れてかれたんじゃないかって、話が出てたよ」

私も、言葉がなかった。連れてく……あの世に連れていかれたってことか。

「これ以上はやだったから、もう調べるのもよして、クロ先の言う通りにじっとしてるわ」

笠原さんの左手首には、先生が昨日編んだ魔除の念珠が嵌められている。

よく見ると、新井さんと塚本さんの手首にもだ。

「へっへー、モモちゃんのも先生の念珠でしょ、おそろっちー」

新井さんはふにゃっと柔らかく笑った。

「だからね、ウチら大丈夫だよ」

「いい、モモ、無理しないでよ。ワタシ、モモになんかあるの、すっごい嫌だから!」

三人は、三人とも私の手を握ってくれた。

私は、どうしたらいいか分からずに困惑してしまったけれど、三人は、優しく笑っていた。


三人にお礼を言って、私は図書館棟へと向かった。

この学校の図書館は、ここ周辺の地区の図書館の役割も兼ねているらしく、やたらと大きい。四階建てのビルのような、白い外観の建物で、色々な本が収められている、らしい。たまに先生が調べ物をしに篭っているくらいだから、本当に色んな本があるのだろうなあ、とは感じた。


皆には、川嶋さんの事は言わなかった。もしも言ってしまうと、塚本さんたちは調べてしまうだろうから。そんな所まで巻き込むことは出来なかった。


私は、図書館の一階にある自習室を目ざした。何となく、足が向いてしまったというのが正しいのだけど、天海さんのまとめた売上ノートの中にあるクラスをみると、川嶋さんは特進の生徒らしかったから、図書館の一階の奥にある自習室に篭っているかもしれなかった。

そろそろ、進路を決める本番の時期、多くの特進生は学校に遅くまで残って勉強している。

おしゃべりしながら勉強したい、友達の多い人達は教室にいた。でも、そういうのが嫌な人達は、図書館に逃げていた。

それを期待していたのかもしれない。


自習室の入口は、木戸になっていて中は上手く見えないようになっていた。しかも、中の机は仕切りのあるタイプのもので、生徒の顔なんてほとんど見えなかった。

一通り確認して、私は帰ろうとした。


「どうしたの?」

背後から、女の子の声がした。


私は、その声を聞いた瞬間、全身が総毛立ったのを感じた。「父」と「母」が私を守ろうと動く気配を胸に感じて、とっさに左手の念珠を強く握った。

人の気配じゃない。こんな冷たくて、重苦しくて、吐き気を誘うような気配を漂わせるものは、「鬼」以外ない。

平静は装えない。冷や汗が吹き出す。

ゆっくりと自分の後ろへと振り向く。


地味な人だった。

時代遅れなぐらい真っ黒な、綺麗な黒髪は三つ編みに整えられていた。

病的に白い肌。薄い縁のメガネの奥には、虚な黒い瞳。薄い唇にはなんの感情も浮かんでいない。

校則どおりの形の制服に包まれた体は、腕や、足を見てもかなりほっそりとしていた。

手に持っているのは、参考書。これから自習室に入るところだったのかもしれない。

制服の襟には、真新しい三年生の色の校章。


でも、この人の気配は、人間のそれじゃない。何度か先生との仕事の中で感じてきた、「鬼」の気配。それもとびきりに、濃くて、重かった。どう見ても生身の人間なのに、その人は、間違いなく「鬼」だった。


「あ、あ、の、自習室、に」

口が乾いて、上手く言葉が出ない。

「入りたかったの? だったら、図書館の入口の名簿に自分のお名前を書いてこないとダメよ?」

その人は、穏やかな口調で、少し首を傾げながら言う。まったく邪気も何も、感情すらも感じない機械のような声だった。

「あ、ありがとう、ございます」

それだけ言って、私は一目散に逃げた。

もしも、今回の怪異にあったら逃げろ、その先生の言葉が体を突き動かした。

単なる変な奴と思われて終わっただろうか。いや、その前に。

なんであんなモノがうちの学校にいるのだろう?

私は兎も角走った。走って、走って、走って、気がついたら「鈴鳴堂」の前で息を切っていた。

急いで扉を開けて、閉める。

そこで、肺の中、お腹の中から息を全て吐き出して、へたりこんだ。

この店の中は、先生が張り巡らした結界で守られている。多少の怪異ならば防げるはずだ。


先生は、いつものソファの上から私を見ていた。

「…………助手君、君から、異様な気配の残滓を感じる」

先生は、私から目を離さずに居る。

「それは、「鬼」の気配だ。それも、死霊の変じたような生易しいものじゃない。人間が生きたまま鬼に変じる時に出る特有の気配だよ……何があったか、きっちりと話したまえ」

私は、その声を聞いて安心したのかもしれない。

意識は、そこでぷっつりと途絶えた。


第六幕 三度の鈴鳴堂~深夜の公園

「おお、助手君。気がついたかね」

私は、痛む頭を抱えながら起きた。

場所は、店のお客様ソファの上。少しほつれた毛布が掛けられていた。

「今は夜の六時半だ。君が倒れたのが四時半だから、ニ時間ほど気を失っていただけだ」

先生は、本を読みながらとつとつと語る。

「君の体に纏わり付いていた瘴気を祓うために大分お香を炊き込めているからかなり煙いだろうが、許してくれたまえ」

私は、何とか体を起こしてソファに座り直した。体が酷く重かった。疲れた時にそのまま寝てしまった後に無理やり起きた時のあの感覚を、何倍も濃く、重くしたような感覚が体と思考を鈍らせた。

「う、あ、ありがと、ござます」

上手く口も動かせない。

「多少は口もきけるようになったか。よし。話せるだけで良い、君が遭遇したものについて教えてくれたまえ」

私は、もつれる舌をできるだけ動かし、喋った。喋った分だけ、言葉が滑らかに出るようになっていった。

先生は、話を全て聞いたあと、ふむ、と大きなため息を漏らし、私と向き直った。

「相手は、確かに人間の姿をしていたのだね?」

「間違いありません。誰も騒いだりしていませんでしたから。声色も何も、間違いなく人間でしたけど、でも、あの気配は……ごめんなさい、思い出す、だけでも吐き気、が」

先生は、静かに頷き、私の言葉を停めさせた。目の前にあったヤカンから、薬草の匂いの強いお茶を湯のみに注いで私に差し出した。

「ゆっくりでいいから呑みなさい」

私は、へんてこな味がたくさんするお茶を少しずつ飲みながら、先生の言葉を待った。

「多分、君が遭遇した人物が我々の目指す「川嶋夢唯」君なのだろうよ。君の「惹き」は凄いからな」

先生は、タバコをふかしていた。いつものタバコの匂いではなく、薬草の匂いの強いタバコだった。

「あれは、何なんですか先生」

「あぁ、助手君は初めて遭遇したんだったね。昨日の内に助言しておいて良かった」

先生は、タバコの煙を吐き切る。煙が私を撫でて消えていく。

いつもはタバコの匂いは好きではないし、気分のいいものでもないが、このタバコの煙が体を撫でた時、不思議と気分が軽くなった。

「……あれはね、助手君。「シンダ」と言うものだ」

「しんだ?」

「漢字だと、「真蛇」と書く。生きながら完全に鬼に成り果てた人間のことだ。別に、「本成(ほんなり)」とも言うがね」

「人間が生きながら、鬼になることなんて有り得るんですか?」

「悲しいがな、ある。前の仕事の時にも教えたろう助手君。人間の想念というのは恐ろしいものだと。あまりにも強い負の想念を抱いた人間の魂はね、肉である魄を保ったままの状態で、「鬼」に変化することがあるんだよ。ココ最近のご時世では、滅多に遭遇しないものになったけどね」

先生は、目をいつも以上に淀ませて、悲しげなため息をついた。

「助手君。今回の事件はきっと、本当に後味が悪いものになる。マジナイ屋をやっていて、関わったことに後悔する事件がたまにあるが、今回のものはそれだよ」

私の目を真っ直ぐにとらえた先生の目には、ハッキリと諦めと悲しみの感情が浮かんでいた。

「鬼になる人間の周りは、鬼ばかりなのさ。人の皮を被った、善人面する鬼ばかり。鬼が鬼を産んで、その鬼に殺される。そんな負の連鎖が起きているんだと、僕は考えている」

先生は、そう言って二階へと引っ込んでしまった。

私は、何故かカウンターに作ってあったサンドイッチを食べて、鍋に貯めてあったスープを呑んだ。

妙に味が濃い、雑な料理だった。


深夜零時を回った、三条の街。駅の近所の繁華街ならいざ知らず、駅から一キロ北に動けばそこは文教区。学校などが立ち並ぶエリアで、人通りなんてない。

そこを抜けて、更に数百メートル歩くと、古びたマンションが立ち並ぶ団地がある。その真ん中には、住民の子供たちが遊んでいるであろう、軽くサビの湧いた遊具が並ぶ公園のようなスペースがあった。

「場合によっては、君の「おおくちまかみ」が活躍するだろう」

黒いソフト帽に、インバネスコート、黒い羽織と紬をまとった先生は、私の前を音もなく歩いていく。

私は、灰色のブカブカのキャスケット帽に、灰色のロングコートの下に制服を着て、スニーカーをはいた格好でその後を追う。

先生は、警察の人と待ち合わせていたらしく、公園には、とても厳つい顔のガッシリとした刑事さんがいた。

「先生、夜遅くどうも。あれ、この子は……娘さんですか」

その人は私を見るなりそう言った。

「周藤刑事、ぼかぁ未婚でしてね。この子は僕の生徒で、僕の仕事の助手をしてくれる平坂君と言います」

私は、さっきの一言がだいぶ答えて、頬が引きつるのを感じながら、周藤と呼ばれた人と向き合った。

「助手、の平坂です」

「先程は失礼したね、お嬢さん。自分は周藤。今回の事件の捜査を担当しているものです」

真剣な顔付きで、周藤さんは私を見た。

「君のような子が、先生の助手なのか」

バカにした声色じゃない。時間のこともあって、単純に心配をしたのだろう。

「見かけにはよらず、彼女は僕の店でも期待の新人でしてね。実力は僕が保証しますよ」

「ほう。いや、先生がそう仰るなら大丈夫でしょうな」

周藤さんは、コートのポケットから懐中電灯を取り出して、灯りを着けた。

「で、この公園を待ち合せに指定したのは、なぜなんです先生」

「この公園で一週間前に、怪異の目撃情報があるんです。となると、また出てくる可能性が高いんですよ」

周藤さんは、黒くて、柄の長い懐中電灯を構えて、私たちの前に立った。

「では、見聞していきましょうか」

「ええ」

先生もそれに続く。私は先生の横に着いた。

この公園は、団地のマンションの谷間に沿って作られているため、見かけよりもずっと奥行きがあった。きっと上からマップで見下ろすと、かなり細長くなっているはずだ。

入口から、ゆっくりと奥へ進んでいく。

「怪異が出る場所は決まっている場合が多いのですよ」

先生は、周藤さんに授業を始めた。

「それは何故?」

「そこに出る意味があるから。これに尽きますね。その怪異の核になった人間や魂にとって理由がある場所のことが多いんですわ」

「となると、今回の公園もなにかの場所であると?」

「ええ。一週間前だけでなく、色々なSNSの書き込みを分析してみると、ここ一ヶ月に渡ってこの近所で女の怪異の目撃例があったんです」

先生は懐から香炉を取り出して、素早く灰と香木、薬草を込めて、マッチで火をつけながら咒を唱えた。

『おんあぎゃなえいそわか……おんあぎゃなえいそわか……』

最初は香炉から真っ直ぐ昇っていた煙が、蛇がのたうつ様にうねり、先生を中心に、私と周藤さんにまとわりつく。

「おひゃあ!? な、なんです?」

初めてのことに周藤さんはだいぶ驚いていたが、先生は咒に集中していて説明する気配がない。

私が解説役か。

「あの、これ、魔除です」

「ま、魔よけ?」

「ええ。それと、これから、この煙が怪異の痕跡を探し出します」

「はあ?」

「えっと、見てて、ください」

先生は、神経を香炉に集める。

『つつしんでかんじょうしたてまつる、とうげつこよい、くろいのけっとう、かずかずのおに、もののけ、あやかし、ちみもうりょうをみあらわさんとほっします……よりてつむげや、おおあさを。よりてつむげや、おおあさを。ちをすべりゆくへびのごと、もののきざしをしろしめせ!』

香炉から、大量の煙が一斉に溢れ出した。周藤さんはものすごく驚いて、声を漏らしそうになったので、私は自分の唇に指を当てて、静かに、と伝えた。

煙の蛇たちは、細長い公園の中をはいまわり、いくらかはそのまま消えていく。でも、いくらかは、煙の尾を香炉から引いて、どこまでも伸びていく。

「周藤刑事、行ってみましょうか」

先生はようやく周藤さんの方を向いて声をかけた。

「先生っ、こりゃなんです!」

抑えていた声が出る。

「助手君が言いませんでしたか? 怪異の痕跡を探す咒です」

「自分は、イリュージョンでも見とるんですか」

「いえ、こりゃ現実ですよ」

今回の煙は「実体」の煙を使っている。霊感のあるなしに関わらず、この煙はみんなに見える。のたうつ様もそう、広がる様もそう。

私はとうに見慣れてしまったが、初めての時は私だってこんな反応だったのだろう。

先生は、すべるように歩き始める。

一番近い煙の筋は、手前側にある遊具に付いていた。滑り台や、ハシゴや、タイヤのブランコがくっついた様な遊具だった。

「助手君、二つ目の瞼を開けて見てくれるかね」

「わかりました」

「二つ目の、まぶた?」

「あぁ、周藤刑事、霊感を使ってみろと言ったんです。彼女は正真正銘の「霊能」持ちの人間ですから」

「は? 先生はどうなのです? お化けの専門家、なのでしょう、見えんのですか?」

「そっちの才能がないのですよ、ぼかぁ。無理やり咒を使って見えるようにしている、というだけです。周藤刑事は、霊感はある方ですかな?」

「いやぁ……自分はからきしでして」

「じゃあ、このメガネをお貸ししますんで、緊急時にはかけてください」

私は二人の会話を横に、意識を目に集中して、二つ目の瞼を持ち上げた。

とたん、ものすごい吐き気がして、その場にうずくまる。必死に口を抑えながら、じっと観る。

ベッタリと、血の跡が着いている、ように見える。それが、どくどくと脈打ちながら、周りに瘴気を巻き始めている。よく観れば、手の跡のようなものが見える。口を塞ぐ手とは逆の手を見つめて、考える。あの手は、私の手よりちょっとだけ大きいくらい。男の人の手じゃない。

これ以上観ていると耐えられない、と思った私は急いで二つ目の瞼を閉じた。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」

私は肺とお腹から空気を全部出して、煙をわざと吸うように意識して深呼吸した。

「平坂さん、大丈夫かい」

周藤さんが私を覗き込む。

「大丈夫、です。ひどく気味の悪い、ものが見えた、だけ、なの、で」

息を整えて、先生に報告する。

「血の跡を観ました。特に、下側のタイヤのブランコあたりにベッタリ着いてます。それが、生き物のように脈打って蠢いています。瘴気も、出始めています。あと、女の人の手形のようなものが、いくらか」

「それの場所はわかるね」

「はい」

私は先生に手の跡の位置を伝え、先生は香炉に左手をかざして、口の中で何かを呟いた。

新しい煙の筋が何本か伸びて、遊具に張り付いたかと思うと、その場で燻った後にぽん、と弾けた。

「周藤刑事、ご覧なさい。これが痕跡の一つ目です。この状態なら写真にも写りますから」

煙が弾けたところに、手形が浮かび上がる。更に、私が見た血の跡にも煙が纏わり付いて、この遊具の禍々しい姿を誰の目にも見えるようにした。

「こ、こりゃあ!」

「あんまり綺麗に掃除がしてあったんで、誰も気に求めなかったのでしょう? それにこの公園、昔から不良共のたまり場として有名だったのですよ。団地の住人から苦情が来たことも数知れずですわ」

「つまり、多少人が騒いだ程度では、住人は警察には通報すらせんと?」

「しかも、苦情は学校に来る。もう学校だっていつもの事すぎて、見回りにすら来やしないわけですよ」

先生は深くため息をついた。

「ここの怪異はヒキコ……実行犯と死体の運び役の筈だ……助手君。この瘴気の気持ち悪さ、君が感じたことがあるかね」

私は、直感していた。

「あの人の、気配とほぼ同じです」

「なるほど、ほぼ黒だな」

「おふたり、なんの話しです?」

「周藤刑事。犯人の目星が着いたのですよ」

「え」

周藤さんは一瞬固まったあと、直ぐに目を見開いて先生に詰め寄った。

「そりゃ誰です!」


ぎゃああああああああああああぁぁぁ!


「……ああ。周藤刑事。向こうからおいでですわ」

先生は、香炉を前に突き出す。

私も、声の方に神経を集中する。

何筋もの煙の蛇がその方向に走る。

これだけの悲鳴が聞こえても、団地の人間は騒ぎ立てもしない。

異常に静かな一瞬の後、その音は聞こえてきた。

ずるっ、べちゃ、ずり、ずり、ざり

何か、なま物を地面に擦り付けながら動くような音。

煙の筋が、その姿を露わにする。


白い、でも足側の裾が赤錆色に染まったレインコート。フードが目深にかぶられているけど、その波打つ黒髪と、その隙間から見える、耳まで避けたような笑み。

両の手は、人間の足首を掴んでいる。

その人は、まだ息があるようで呻いていた。どこにそんな力があるのだろう。うめき声は、男のものだった。

「チ、チチチ、ちりょう、ちりょうハ、シシシシ、しっぱ、ィ。シシシシシ、しょぶ、しょぶん、しょぶん」

掠れた息が多分に混じった、女の声。


「ひっ!」

周藤さんが声を上げそうになるのを、先生が咄嗟に口に手を当てて防ぐ。

私は左手の念珠をつかみ、いつでも父と母を呼べる準備をしたが、先生は目線でそれを制してきた。

「気づかれるな、認識されるな。そうすれば、襲われはしない」

低く、それでも通る声で先生は言う。


「しょぶ、しょぶん、しょぶん、イヒ、イヒヒヒ」

ずり、べちゃ、ぐちゃ。

怪異の全容が見えてきた。

後ろで引きづられている男の人は、真っ赤な血を全身から滴らせながら、引きづられている。血と混じって分からないけれど、作業服のようなものを着ている。全身には切り刻まれた跡。お腹が破かれて、所々から内蔵がまろびだし、皮が剥がれ……。


「うぐっ」

私は吐き気をこらえるのに必死だった。

周藤さんは金縛りにあったように動けず。

先生だけが、動け、口を開ける場所にいた。

「…………頼む『連れされ、荒鬼』!」

先生の声に応じて、私たちの周りを突風が駆け抜けた。それは、怪異の女の周りでごうっと音を立てて鳴り、怪異を掻き乱した。

そして、手から男の足を無理やりに引き剥がし、離れると、その男だけをさらって、風がこちらに吹いてくる。風の中に、長身の、二本角の鬼の姿が見えた気がした。

先生は、香炉を持っていない手の中にいつの間にか札を挟んでいた。

『おんころころせんだりまとうぎそわか、おんあむりたていぜいからうん』

男は先生の足元に放り出され、先生はそこに素早く札をふたつ貼り付ける。札は鈍い光を放ち、その光が男を包んでいく。

「しょぶん? しょぶん、シシシシ、しっぱい? しっぱい、しししししししししし」

怪異の女は、ガクガクと糸の切れた操り人形のような動きを繰り返し、壊れた玩具のように同じ言葉、音を口から出し続けた。

「キシャアアアァアアアァァァァアアア」

それも一瞬のこと、次の瞬間には私たちに向けて踊りかかって来た。

あまりのことで、目に映る光景が異様にゆっくり見えた。

全部の関節をあらぬ方向に曲げた女が、こちらに飛びかかってくる。

周藤さんは、とっさに拳銃を構える。

先生は。

怪異をじっと見ながら、香炉を放り投げ、懐から八卦の形の鏡を取り出した。

『見てみろ、己の姿を!』

力を持った言葉が、怪異の女に叩きつけられる。

鏡から、一瞬強い光が放たれ、女を包むと、女は絶叫して、墜落する。

「ぎやぁああぁああぁ、ひいいいいいい」

声にならない苦悶を上げながら、女は顔を掻き毟る。

先生は、鏡に女を写しながら、女に近づく。周藤さんが、拳銃を構えながらそれに続く。

「ど、どうします先生!」

周藤さんはすっかりうろたえていた。

先生は一言も発さず、姿勢を変えず、じっと怪異を見据えていた。

『……お前は誰だ?』

問いが、怪異にかけられる。

怪異の女は顔を掻き毟るのを辞め、鏡を構えた先生の方に、顔を上げた……。


その顔は、無数の針の縫い跡が残る、出来損なったゾンビのような顔。口はわざと割かれ、目は白濁し、ヨダレを垂らし……。顔の縫い跡からはさっき掻き毟ったためか、行く筋も血が流れていた。

「だれ、だれ、おまえ、だ、だだだどだだどだだだだ」

女はガタガタと全身を折り曲げて震え続ける。

「あたしわたしうちりなえみまこちぃかほまい、ぎ、ぎひひひひひひ」

もはや、言葉としての意味すらない言葉が口から漏れ出す。

『もう一度聞く、お前は誰だ!』

より強い言霊が先生からぶつけられる。

「ぎひひ、ひひ、ひ、ひ? あた、あたし、だれ? だれ? だれ?」

先生は、姿勢を崩さない。

『お ま え は だ れ だ』

「だれ、だだだ、わたし、しし、しっぱい、しっぱいさく、ふ、ふりょう、ひん、くず、ごみ、かす、ひ、ひ、ひやああああああ!」

ぐちゃっ、と、肉がひしゃげる音がした。

女は、ぴくりとも動かなくなった。

「先生っ、せ、説明してくれませんかっ! これは何なんですかっ! これは」

先生は、周藤さんの方に向き直り、答えた。

「これは……人間の、寄せ集め。肉体を持った怪異もどき……ですよ」


第七幕 市立病院

「先生、説明をしてくださいよ……」


ここは、市立病院の検死室前の、控え室。先生、私、そして周藤さんは、あの後すぐに警察に連絡。現場を封鎖してもらうと共に、動かなくなった人間のようなものと、先生の足元の男を病院に搬送してもらった。

そのすぐ後、周藤さんに連れられて、私と先生はパトカーに乗せられて病院までやってきた。協力者兼、状況を説明できる人間だということが、病院に連れてこられた理由だった。

すぐに、女の検死が始まったと知らされた。そして、その間は待てとの事だった。

そんな訳で、私と先生は、周藤さんと深夜の病院で一室に篭っている。

「さて、何からしますかな」

先生は、無精髭を撫でている。嫌なことの考え事をしている時の先生の癖だった。

「まずは、さっきのアレですよ、今検視に回されているアレです」

「アレですか。さっき呟いた通りですよ。人間の寄せ集めです」

「それが分からんのですよ! アレは、だから、人間? まず人間なんですね?」

「間違いないでしょうな。人間です」

先生は、懐から携帯灰皿とタバコ入れを出して、よどみない動きでタバコを一本取り出すと火をつけた。

「先生、ここ禁煙ですよ」

「大丈夫だよ助手君、火災報知器はない」

タバコからは、店で嗅いだものと同じ匂い、先生が炊くお香の匂いがした。

「周藤刑事、重ねて言いますがアレは人間ですよ。ただ言うと、怪異もどきと言いましたが、誰かが意志を持って、複数の人間を解体して、外科的な技術と咒式を混ぜて作った、操り人形です」

「そんな……」

周藤さんは絶句していた。

「狂っているとお思いでしょうな。事実、あれを作ったものは狂気に堕ちていますよ。あれは今回の事件の被害者のご遺体か、あるいは、生きている人間を無理やり咒的手術して作った「肉の殻」に、無理やり魂を作って定着させたもの、と言うのがいちばん簡単な説明です」

タバコの煙が室内に満ちる。

周藤さんは、言葉を失って強ばっていた。

「周藤さん、深呼吸、してみて下さい」

私は、深呼吸するジェスチャーをした。

「そんな悠長な」

「やって、下さい」

少し強めにお願いした。

周藤さんは、訝しがりながら大きく息を吸い、煙を吸い込んで、むせた。

「げっほ、げほっ、げほ?」

「どうです、周藤刑事。落ち着きましたか」

「……妙ですな。気分がすぅっと楽になってきましたよ」

「このタバコは僕の手製の巻きタバコでしてな。薄荷の干したのを細かくしたものに、種々の薬草を混ぜたもんです。気を落ち着かせる作用と、頭をハッキリさせる作用があります。合法麻薬ではなく、合法漢方タバコですわ」

ふうっと煙を吐いた先生は、周藤さんに力なく笑って見せた。

「混乱していてはコレから辛いですぞ」

「しかし、あんなものを見て混乱せん方が不思議でしょうよ。アレは、先生の先程のお言葉を返すなら、人造人間ですか」

「おお、良い発想ですね。周藤刑事のご年齢なら、オカルト版「フランケンシュタインの怪物」と言っても通じますかな。あれか、「ゾンビ」と申すやつです」

「フランケン、ですか。俄然イメージしやすくなりましたわ」

「何より。あの時僕がしたのは、真っ先に人命救助、次に、あの怪異に「実体があるか」の確認、最後に「自我」があるかの確認です」

先生は、周藤さんを見たまま話し始める。

「引きずっていた人間には意識があった。多分、身体をいじくられている途中で要らなくなったかして、処分される途中だったのかもしれんと思いましてね。僕の式神を使って、怪物から引き剥がしました。その時の怪物の反応を見ましたが、風が突き抜けることはなく、風に抵抗して見せました。つまり実体があった。次に、自我の確認です」

先生は、懐から八卦の鏡を取り出して見せた。

「こいつは「照魔鏡」という呪具でしてね。これに怪異の姿を写しながら問答をしていくと、怪異の本当の姿や、核となったものの姿を見ることが出来るのですが、もう一つ」

先生は、私の方を見る。

「助手君、ヒキコさんの弱点を覚えているかね」

「あぁ、鏡、ですか」

「そうだ。ヒキコさんは、己の醜い姿を鏡に移されるのが苦手なのだという。それで動きを封じることには成功した。後は、問いかけだ。自我の有無と、怪異の核を炙り出すのは常に、相手の名を聞き出すことから始まるのだけど、アレは自我はなかった。魂がおかしいと言っても良いけれども、大量の魂が混じりあっておかしくなっていた。それと、あの体の手術痕……そこから、「寄せ集め」という推測を得たのさ」

「お前は誰だ、と問いかけた時、アレは確か、たくさんの人の一人称を口走ってました」

「そうだ。だから、あれは、魂すら寄せ集めの、哀れな存在なのさ」

周藤さんはじっと話を聞いていたが、未だ信じられないようだった。

「それと、周藤刑事からの情報のおかげで、真犯人と思しき人物も割り出しましたよ。助手君も計らずに遭遇し、気配を覚えたので、もう逃がしはせんでしょう」

周藤さんは、顔を上げてこちらを見て、力なくつぶやく。

「それは、誰なんです」

「「怪物」を作りまくっている狂人、否、鬼の正体。警察の睨んだとおり我が校の関係者、特進三年十六組の川嶋夢唯という生徒です」

「名前からすると、女子ですか」

「ええ。品行方正、成績優秀、眉目秀麗にして、ご家庭も裕福な医者の家系ですよ。申し分のない人生を歩んでいるはずの、ただの少女のはず、ですがね」

「仮に、その生徒が犯人としてですよ? 動機は、なんなんです?」

周藤さんは、先生の方をじっと見ていた。どこか救いを求めているようにも見えた。

「動機? はて、そこまでは。まだ何とも。ただねえ、周藤刑事。人間と言うやつは、狂う時には狂い、堕ちる時には容易く魔道に堕ちるものですよ」

先生がこういうのと同じタイミングで、手術服を着た医師が部屋に入ってきた。

「すみません、お取り込み中で?」

「ああ、いや。何かわかりましたか」

「はい、途中経過ですが。しかし、周藤さん。この方々にも聞かせて大丈夫なんです?」

「協力者だ。問題ない。責任はこちらが持つよ」

周藤さんと顔見知りらしいその人は、声色から女性だと分かった。

「どーも。ハジメマシテ。監察医の石井川ついます」

「どうも、マジナイ屋の黒井です。こちらは私の助手君です」

「助手の平坂です」

「これは、ご丁寧にどうも。周藤さんの協力者ってことで、情報はわかる限りお伝えしますけど……その前に質問だけ。くろいさん、すか。お答え頂きたいんですけど、アレが最後に動いてたの何時すか」

「はあ? はっきりとは覚えてませんがね。深夜十二時半頃ですかねえ。そんときは間違いなく動いてましたよ」

「ううん。そっすかぁ。参ったなあ」

「参りますか」

「参りますねえ」

石井川さんは、血で汚れたキャップと手袋、マスクを控え室に備えた鍵付きのゴミ箱に無造作に捨てて、空いている椅子を引き寄せて座った。

「周藤さん、結論から言いますけど、あれは周藤さんたちが動いてんの見てた時にはとっくに死んでましたね」

「なっ、おいおい、確かに自分は動いているのを見たんだぞ?」

「でも、死んでましたよ。検死の結果はそうです。直腸温度から死斑から色々見てみましたけど、死亡推定時刻は、四日前の夜の十時半っすね」

周藤さんは、眼力鋭い目を見開いて、石井川さんに詰め寄った。

「間違いないんだな」

「ウチ、ヘボじゃないっすよ」

肩に係る長髪を後ろへと流して、石井川さんは言う。

「後は、あのご遺体の状況、相当悪趣味っすよ。やったやつの気が知れないっすわ」

石井川さんは、周藤さんと向き合いながらしっかりとした声で語る。

「まずは、身体中の皮膚っすね、これが、適当にズタズタに切り裂かれた後に、縫い合わせてあります。しかも、ご本人とは違う人の皮膚を大量に使って無理やり直した感じっすか。まるでパッチワークっすよ」

周藤さんは再び絶句した。

先生は、一声ふむ、と唸った。

「石井川検視官殿」

「うげえ、なんすかその変な呼び方。そんなら、石井川先生かそこらにしてくださいよォ」

「では、石井川女史。質問いいかね」

「なんなりとぉ」

緊迫した空気が霧散した。

「ご遺体の腹ん中はどうかね」

「お、いい着眼点っすね。同じようにボロボロのズッタズタ。それを無理やり治してありましたよ。なんか、雑にヌイグルミでもこさえる感じの手つき……すかねぇ、例えるならば」

「ぬいぐるみ、かね」

「ええ。普通の医者ならあんな切り傷にはしねえっすわ。まるで、ちっちゃい女の子が、ヌイグルミをビリビリに破いたやつを無理やり治したような。お人形さんをバラバラにした奴を、無理やり治したような。そんな傷跡っすよ」

石井川さんは、肩をすくめてみせた。

「まるで、お医者さんごっこを本当の人間でやってるみたいな傷跡っしたよ」

「なるほど、ねえ。確か川嶋君は医者の家系だったねえ。それくらいの素養はあるんじゃないかな」

先生は他人事のように呟く。

「石井川っ、では傷跡はどうだ? これまでのご遺体もお前が検死してきたんだっ、これまでと同じかっ!」

周藤さんは石井川さんに詰め寄った。

「同じっすよ。はっきり言えます。色んな傷はありましたけど、凶器として使われてるもんは、これまでの鑑定品のリストにあったもんと同じでした。切る時の癖も同じっしたよ。もう一人の男の方の簡単な処置も手伝ったっすけどね。全くおんなじ。鮮やかなもんっすよ? あんだけの傷を殺さずにつけるんだから、もう、相当手馴れてますわ」

石井川さんはそう言って、先生の方を見た。

「先生、タバコあるっすか」

「普通のはなくて、薬草を混ぜた薄荷の巻きタバコなら」

「それでもいいっす、一本くれません?」

「お易い御用で」

先生の銀色のタバコ入れから、するっと一本タバコを抜き出した石井川さんは、机の上に隠してあったライターをまさぐって火をつけた。

この部屋に火災報知器がないのはこの人のせいか。

「んん、いい香りっすけど、タバコの味として最悪っすね、これ」

「手厳しいですねぇ、石井川女史」

「これでも、実家がタバコ屋だもんで」

先生と石井川さんの間に奇妙な関係ができていた。

石井川さんは、ゆっくりとタバコの煙をくゆらせながら、遠くを見つめた。

「その、犯人すか、川嶋って子は」

「重要参考人だね」

「んー、なんなんですかねぇ」

石井川さんは、周藤さんに向き直り、言った。

「周藤さん、早くその子を捕まえてくださいな」

「ん、ああ、それはもちろん」

「礼状だなんだぁ、めんどくさいのは無しで。重要参考人扱いでしょっぴくでもいいんで。外れたら外れたでもいいでしょう、ともかく早いところ保護してくださいよ」

「何、保護?」

「ええ。これ以上、無駄な犯罪を重ねないように。もっと言うと、彼女が死刑にならないように」

「それは」

「もう無理でしょうね。罪状が確定すれば、未成年とはいえ、無期懲役も無理でしょうね、これ。死体損壊罪、死体遺棄罪、傷害罪、略取誘拐罪、殺人罪、殺人未遂罪、監禁罪、後なんでしょうね」

先生は、悲しそうな顔をして言った。

「石井川女史。お気持ちはありがたいが、我が校の生徒はもう、法律で捌ける状態では無いかもしれない」

「はい? なんです? 精神疾患の可能性や責任能力に問題でもあるとでも言うんです?」

「いいや。多分川嶋くんは、善悪の彼岸にもう居るんだ」

「ぜんあくの……ひがん?」

「人間の、良い悪いの基準を一つ飛び越えた向う側。もう既に、人間の法律なんかで裁けない罪を犯してるかもしれないのだよ」

「は? そんな事有り得るんすか?」

「悲しいけどあるんだ。石井川女史。お願いがある。頭蓋を切開して脳みその状態を調べてくれないか。もはや誰のご遺体でもない。略式でやったからここまで早く調べが着いたんだろ?」

「周藤さん、構いませんか?」

「……ああ。もう自分は当に分かりませんよ……。先生がそうおっしゃるんなら、意味があるはずだ」

「わっかりやした。時間はかかるっすけど良いですよね」

「お願い致します」

先生は、頭を下げた。

「周藤刑事。川嶋夢唯の個人情報をわかっている限りまとめた資料をお渡ししておきます。警察でないと介入できん部分ですので、これはお願いします」

「……今日は、もう動けませんね。明日、午前中には任意同行をかけられるように動いてみます。またご協力願えますか」

「ええ。校長命令なのでね」

先生は、タバコを一本くわえてふかした。煙がゆっくりと部屋に満ちていく。

それに紛れるように先生は顔を伏せて、言った。

「これで、明日には状況が動きます。しかし、どうしてもこの事件は、後味の悪い方へ、悪い方へと向かっている……ぼかぁ、それが嫌で、嫌で。仕方ありません」


第八幕 川嶋医院 そして 高校

午前中、私は眠たさを押し殺して授業を受けていた。


相手の鬼に気取られないよう、普段通りに生活すること。それが、何より大切だと先生は眠る前に呟いた。

昨日はあまりに夜遅いため、周藤さんに送って貰って店に泊まった。一階のお客様用ソファに寝転んで、厚い毛布にくるまって、ウトウトしていた。

店に泊まった理由は一つ、一人でいるよりも、先生の結界の中にこもっていた方が安心だったからだ。

先生は帰ってすぐにニ階にこもり、何か準備をしていた。その音が、ずっと耳に残っているのだけは覚えている。


そして先生は朝早く出かけて行った。

私が起きると、店のテーブルに土鍋が置いてあって、中には鮭の混ぜご飯が入っていた。キッチンには、油揚げとわかめの味噌汁が入ったお鍋。

私はそれを少し食べてから学校に来たけれど、眠気は取れないでフラフラした。


「モモ、だいじょぶ? クマできてるよ?」

塚本さんたちが休み時間に顔をのぞきこんできた。

「大丈夫……じゃないです、眠い、です」

「モモっち、保健室で寝てくれば?」

笠原さんが私の額に手を当てて聞いてきた。少し大きい手が、冷たくて気持ちよかった。

「うあ、だいしょぶです。むしろ、保健室は危ないです」

「どういうこと?」

「保健の先生がずっと居てくれる訳でもないし……今回の、その、人とあっちゃう可能性が、上がるんで……先生に怒られたとしても、きょしつが、安全なんです」

舌が回らない。

塚本さんたちは、その一言で納得してくれたようだ。それぞれが私の頭を撫でたり、背中をヨシヨシしたりして、寝かしつけようとするのだけは余計だったけども。


「今日は、助手君はおらんですか」

僕を見ながら周藤刑事は言う。

「あの子は学生なんでね。授業が本分ですわ」

「先生は教員では?」

「ぼかぁ、マジナイ屋が本業なんでね。こっちにいるのが本分なんですよ」

僕と周藤刑事、そして彼の部下数人がいるのは、三条市の郊外にある「川嶋医院」。大きさは市立病院の五分の一以下だが、外科系の医療機関としては三条市の中では中堅どころで繁盛しているらしい。

「外科でもあるし、どうも整形外科なんかも併設してる様ですね。入院用の病床もあるし、勿論手術ができるスペースもあるし、設備もある」

「考えてみたら、今回の犯行にはピッタリなんですわなあ」

僕は無精髭を撫でながら、目の前の立方体のような医院の建物を睨んでいた。

「しかし、普通ならそんな事が行われようものなら通報してきませんか?」

周藤刑事は、拳銃の中に弾丸を込めながら確認してくる。部下の皆さんの動きも同様だ。

「もう。ここ自体が普通じゃないんでしょうよ」

僕は自分の黒縁メガネをなぞりながら、目に神経を集中する。

『識鬼城、識鬼神。急急如律令』

メガネが、二つ目の瞼の代わりを果たす。

医院の中から、隠しきれない「鬼気」が漏れている。黒く淀んだ気の流れが、建物から常に染み出している。

「ふむ。皆さん、この建物で黒確定です。先に申しますが、何かにあったら躊躇せずに撃つことをオススメします。ここから先には人間などおらんと思いなさい。人間を見たと思うなら、それは人間の姿をした怪物と思うことですな」

「しかし、先生。民間人に発砲は緊急事態でも原則禁止ですよ」

「分かっていますよ。しかし、生命の危機的状況を目にするなら判断は変わるでしょうよ」

周藤刑事含め、部下の皆さんに警告して、僕はパトカーから降ろした革の旅行鞄を取り出し、蓋を開けた。

「僕も念の為に備えておきますんでね」

カバンの中から、紫の布に包まれた呪具を取り出して、帯に刺す。札入れの中身を確認し、インバネスに隠す。

「……よろしくお願いします」

医院の入口のガラスの押戸を開けると、清潔に保たれた白い受付スペースがあった。しかし、看護師の女性がひとりいるだけで、患者の姿は見えない。

「すみません、三条警察の周藤と申します。この医院の院長にお話を聞きたいことがあるのですが、呼んで頂いてよろしいですか?」

「初診の方ですか? では問診票をどうぞ」

「は? いや、ですから、自分は警察のものです」

「問診票のご記入が終わりましたら、そちらの待合スペースでお待ちください。番号でお呼びします」

「ふざけとるんですか、アナタは!」

「周藤刑事、下がって!」

ひゅん!

周藤刑事が咄嗟に下がったその鼻先を、鋭いものが掠めた。

「ひっ!?」

「しょし、しょしんのかたかたかたかた、ででででですねねねねねね」

看護師は受付スペースから身を乗り出し、ボールペンを思い切り突き刺そうとしていた。

「もんもししししひひひひしししししきききききにににききききき」

笑顔を張りつけたままで、不自然に関節を動かしながら周藤刑事に襲いかかる。

「これはっ、どうなって!?」

周藤刑事は後ろに倒れる。

『疾く走れよ、雷鳴!』

僕は、言霊を込めて叫ぶ。看護師に向けて行く筋もの雷撃が放たれ、その動きを封じる。

雷撃が、看護師の服を裂き、肉を裂き、無理やりに動きを停めさせる。

『雷鳴、もういい』

僕の肩には、雷をまとった鼬の様な生き物が現れている。

「先生っ! いまのはっ」

周藤刑事の部下も困惑し、僕の方を取り抑えようとしている。

「よく見なさい、周藤刑事。さっき僕が言った言葉を覚えていないとは言わせませんよ 」

周藤刑事は、おそるおそる倒れて焦げた女を見る。

「こ、これはっ、皆、見ろっ!」

二人の部下は周藤刑事に促されるまま女を見た。

女の服の裂け目から見える肌には、無数の乱雑な縫い跡が見えた。

「これは、昨日のご遺体と同じですか」

「そうだっ、この傷跡は間違いない。この看護師も被害者だっ」

僕は、嫌な気配を感じて身構えた。

「医院は開業しているのに、これだけの規模の医院なのに、人がいないとは思ったんですがねえ、皆さん、多分ここにはもう、人間はいないと思われますよ」

札入れから札を出しながら、その場を見回す。

「相手は屍ですよ、皆さん。いつでも銃を撃てる準備がいりますぜ。ここはねぇ、もはや魔窟ですよ」


「モモぉ、大丈夫?」

「うにぁ、らいしょぷ、えす」

意識が、途切れる。

「モモっちぃ、かわいーくなっちゃってる自覚、あるかなぁ」

「……んう」

「モモちゃん、ねむそー。これ、午後の授業無理かなあ」

舌も回らない。みんなが言ってることも聞き取れない。

教室に居ないと、危険なのに……。


一階から、ニ階へ。

ニ階は入院用の病棟とナースステーションになっている。

まずは院長室を探すのが先決だ。

「ここの院長夫妻が、川嶋君の両親だとするなら、弄られている可能性はその二人にもある筈ですよ」

僕は札入れから何枚かの札を出し、肩には『雷鳴』を出したままにしていた。

刑事さん方は拳銃を構えたままだ。

階段を上がり切ると、すぐ目の前にはナースセンターがあった。

しかし、人の気配がない。

「不気味なほど、静かですな」

「もう、ほとんどの患者も、何も、弄られた後なのかも知れませんな」


「当病院になんの御用です?」


突然人の声がして、皆一斉に銃を構え、僕は腰の呪具に手をかける。

階段の上に、看護師服に身を包んだ四十代後半の女性が立っていた。

目つきは鋭く、声も甲高く、よく見ると目の端がヒクヒクと動いている。

見るからにヒステリーそうな女性だが、僕は、これまで調べてきた資料の中にあった、彼女の顔に見覚えがあった。

「川嶋夢唯君のお母様、ですね」

「そうですが?」

「どうも、大和学園三条高校の教員の黒井です。こちらは三条警察の皆様。本日は娘さんのことでお話があって伺いました」

「だとしたら、その皆さんの物騒なことはどうしたのです、病院で拳銃など振り回す必要があるのですか?」

「この病院にまともな人間が誰一人いないからですよ」

「は? 何を言っているのです? この病院は正常ですっ!」

周藤刑事は僕の方を見つめて、次の動きを伺っている。

無理もない。見てくれは完全にまともなのだから。

「周藤刑事。例のメガネ、持っているなら今かけなさい!」

慌てて、周藤刑事は懐から出した眼鏡をかけて。

「う、うぎゃぁぁぁぁああああ!」

思い切り絶叫して母親に銃を構え直した。

「なんです! 大の大人が見苦しい!」

「そりゃ見苦しくもなるでしょう、よっ!」

僕は構えていた札を母親に投げ付ける。

母親の体制が揺らいだところを皆で二階に駆け上がりながら、言霊を撃つ。

『おんからからしばりそわか』

札から見えない鎖が伸びて、母親を拘束する。

『おんからからしばりそわか、おんからからしばりそわかっ!』

言霊の威力を上げて、鎖を思い切り締め上げるイメージを叩き込む。

母親の動きが封じられた所で、照魔鏡をかざす。

『お前は誰だっ!』

「私は、私は川嶋夢唯の母親の絹枝(きぬえ)っ、この病院の婦長ですっ!」

『この鏡の中身を見てもそう言えるか?』

照魔鏡には、人間の姿など写っていなかった。そこには、あの日の夜の怪異もどきとおんなじ、継ぎ接ぎだらけの肉人形が写っている。

「違いますっ! これは私ではない! 私は夢唯の母です! あの子は、もう受験が近いのです、こんなトラブルが知られたらっ」

『トラブルというのは、あの子が連続殺人並びに死体損壊、誘拐拉致監禁を行っている異常犯罪者だと世間に明らかにされること、ですか?』

「は?」

母親は抵抗をやめ、虚ろな目で私を見つめた。

「何を言っているのです?」

『周藤刑事が調べてくれましたよ。今回、三条市の各地で怪異が目撃されていますが、もう一人目撃されていたのは、お母さん、貴女です』

「は?」

『僕達は三条駅北団地の公園スペースで怪異もどきの肉人形に襲われた。その場所は綺麗に、入念に後始末がされていましたよ』

「違いますっ! そんなこと、ウチの夢唯がするはずないじゃありませんかっ! あの子は今有名医大受験の為に夜遅くまで勉強しているんですっ! 私たちの期待を一心に背負って! 私たちは」

『それは貴女の本心ですか?』

「本心ですっ! あの子は私たちの自慢の娘ですっ!」

『そうでしょうか?』

「何を疑っているんです!」

『あの子が不登校になった時、貴女方はあの子に何をしたんです?』

「え」

母親の動きがピタリと止まった。

「ふとう、こう」

口から、壊れた機械仕掛けの様な音が漏れる。

『そうです。今年の五月頃。あの子は一ヶ月ほど学校に来ない日が続いていた。担任が証言してくれましたよ。学校に来たあの子がカウンセラーに打ち明けたことを……。親たちのプレッシャーが辛い、とね』

「わたしたち、は、違いますっ!」

母は目を釣りあげ、頬を張り裂けんばかりにひき、口を大きく開けて叫ぶ。

「私達はあの子に寄り添ったのですっ! いじめの対応をしてくれなかったのは学校の方でしょう!?」

『それを知った時、貴女と旦那様は、「そんなのはお前が弱いからだ」と言いませんでしたか』

「そんなことはいっていってててていないないないないないないないいいいいいいい」

関節がメリメリと音を上げて軋んでいく。口から出る音はどんどんと壊れた機械細工のようになっていく。

『成績が下がったと担任が報告した時、その場で彼女を叱責したことは? 彼女の体に傷があったことを担任が報告した時、貴女方はなんと言いました?』

「あ、あああ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

『そして、あの日、彼女は貴女方に何をしたのです?』

「わ、た、し、は、あ、の、こ、を」

母親は絶叫する。彼女に施されていた呪術的な施術は、僕の言霊に上書きされた様だ。

「この、いいんを、つがせる、りそうてきな、こども、しっぱい、できない、でも、あの子は、しししししっぱい、しっぱいさく、ださく、ごみ、かす、だから、だから、りそそそそそうううてきな、こに、こに、なお、ちちちりょう、し、し、ててててて」

『そして、貴女方があの子から、失敗作と見なされて治療、されたのですね』

「わたしは、わたしたち、わたし、わたち? うひひ、ひひ、しっぱい、しっぱいさく、わたち、まちがえちゃった? うひひ、ひひ、ひ、ママあア゛ア゛ア゛ア゛ア゛、まぢがえぢゃっだよおおおお、ごめ、ごめんなざいいいい、いひひひ、ひひ、やめでえええええ!」

身体中の皮膚が裂け出し、血が吹き始める。

もう十分だ。

『おんころころせんだりまとうぎそわか、おんころころせんだりまとうぎそわか』

手のひらを気が伝い、母親に吸われていく様をイメージする。人間で無くなったとしても、これに今死なれては困る。

「周藤刑事、重要参考人です。確保してください」

周藤刑事は一連のことで呆気に取られていたらしく、しばし惚けていたが、急いで母親に手錠をかけた。

「せ、先生、いまのは」

「ああ、今のが僕の、うん、異能です。超能力ですかね。ぼかぁ咒を使えるんですよ」

「マジナイ、ですか?」

「そう、刑事に前にお伝えした、無いものを在る状態に変える、もしくは、有るものを無いものにする、そういう力です。今のは、有るものを在るべきものに治しただけですがね」

「さっきの、この女の絶叫は」

「この女の人生そのもの。化け物から人間に引き戻したんですがね」

僕は、取り押さえられた母親を見下ろす。

「嘘であろうと、化け物のままの方が幸せだったかもしれませんな」


「すみません」

「あら、川嶋さん。どうしたの?」

「ちょっと具合が悪くて」

「まぁ、貴女まじめに勉強のやり過ぎよ。受験生だからって、コンを詰めすぎたのよ。いいわ、休んでらっしゃい」

「ありがとうございます。でも、ちょっと、本当に気分が優れなくって」

「あら……少し熱っぽいかしらね。大切な時期だから、待ってらっしゃい、担任の先生に早退のお願いしてくるわ」

「ありがとう……ございます」


「あら、また会ったわね?」


「夢唯、大丈夫だったかい」

「ありがとうございます、お父様。お仕事中にごめんなさい」

「いいんだよ、可愛い娘のためだ」

「お友達まで運んで頂いて。これでまた、お勉強が捗ります」

「ああ、そうだ。頼まれていたお友達も家に招いておいたよ」

「まあ、ありがとうございます。これで、ようやく」


「桃、起きなさい!」

「起きて、桃!」



遠い日に聞いた、父と母の声。

私の意識は、一気に現実に引き戻されて、当たりを見回した。

薄闇の中にある部屋は、強い消毒液のような、鼻を指す匂いに満たされていた。体を動かそうとすると、しっかりと太いベルトのようなもので四肢と首とが固定されているのを感じた。

隣から、誰かのすすり泣きが聞こえる。

「ひ、ひ、た、助けてよぉぉ、パパァ、ママァ……」

なにかに怯えるように泣いている。

「あの! 大丈夫ですか!」

この場には不釣り合いな言葉だけど、口から出た言葉は相手の耳に届いたらしい。

「ひっ、よ、良かった、あんた死体じゃないんだねっ」

「今はまだ、生きてます」

その人は、どうやら私と同じくらいの歳の女子のようだった。暗さのせいで顔形は見えないけれど、彼女は私に言う。

「私はっ、相澤由香っ! あんたは?」

「……平坂、桃です」

そうか、隣にいる人が、相澤先輩。川嶋先輩を「鬼」へと変えた一人か。


ばんっ ばんっ ばんっ


大きな破裂音のようなものが響いて、部屋が一気に明るくなった。

私たちの周りの様子が一気に見えた。


手術室。


そして、こつこつという硬い床を歩いてくる人の足音……違う、足音が近づいてくる度に、とてつもなく濃密な、腐り果てた肉の様な匂いを感じた、気がした。

ぱちり、と、ゴムのようなものを人の肌にうちつけるような音。


「あら? 麻酔が切れたのね」


なんの感情も感じないような、機械的な声が、硬い素材の室内に木霊した。


「ひいいぃ!」

相澤先輩は、その姿を見て狂乱していた。もがいて逃げようとするが、しっかりと固定された「手術台」からは逃れられない。


「暴れないで、相澤さん。これからアナタを治してあげるんだから。アナタみたいに、人の道を逸れて、人を虐めて、社会的に不適合なことをする人は、きっと精神病質なのよ。もしかしたら、精神負荷の影響で内蔵も傷んでるかもしれないわ? だから、アナタが綺麗で美しく正しく、世の中のためになれるように、治療してあげるのよ? 嬉しいでしょう?」


古びた皮製の医療カバンを胸に抱え、川嶋夢唯先輩が、相澤先輩を見下ろしていた。


「ひっ、ひっ」

相澤先輩は声もかれ、ただ涙の流れる目を見開いて川嶋先輩を見つめるだけ。

川嶋先輩は、抗菌帽に緑色のマスク、薄いゴムの手袋を填め、手術用の服を着込んだ出で立ちだった。ゴーグルの中に浮かぶ淀んだ目が、まっすぐ相澤先輩の目を捉える。

「人のことを羨んで、妬んで、自分に無いものを持っていることを疎んで、そして人を虐める。ケダモノと何が違うのかしら? 人間的な社会性からの逸脱、倫理観の欠如。犯罪行為への加担と、責任能力の欠如。アナタのお友達もみーんな、同じ精神病質だったわ。でも安心して? みんな私が治療してあげたから……あ、でもダメね。みんな治療してあげたけど、壊れてしまったから。あれはダメね、ゴミ、カス、クズ、失敗作。でも、リーダーで、最初に私を攻撃したあなたは違うわよね? きっと、女王様は立派な人間に戻れるわよ」

川嶋先輩はカバンから注射針を取り出し、同じくカバンから取り出された茶色の小瓶を取り出して、その蓋に注射器を突き刺した。


「ごめんなさいいい、許してよぉぉぉぉ」

相澤先輩は、泣き叫ぶ。

「あんたをいじめたことあやまりますぅ、みんなのまえでばかにしたこと、もちものをかくしたこと、おどしたこと、ふくをぬがしてはずかしいしゃしんをとったこと、おとこにおそわせたこと、ぜんぶ、ぜんぶぅ、わたしがぁ!」

「煩い」

川嶋先輩は、注射器を相澤先輩の喉へと突き刺した。一気に薬液を押し流すと、相澤先輩は絶叫した。


「猿だってもう少し利口だわ」

川嶋先輩は、カバンから次々に道具を取り出していく。たくさんのメス、大小のハサミのようなもの、細長いピンセット、などなど。それを丁寧に手術台の横にある台へと並べていく。

「やっぱり、下等なのね」

おもむろに、大きな裁ち鋏のようなもの を取ると、それを無造作に振るって、相澤先輩の体を切り裂こうとした。

「待って、ください!」

肺から空気を絞り出して声を出した。

「あら? どうしたの、平坂桃さん」

川嶋先輩は、一瞬手を止めたが、迷いなく相澤先輩のお腹を切り開き、抉った。


相澤先輩は白目を向いて、さっきから意識を無くしていて。

川嶋先輩は、きょとんとして首をかしげ、私を見ながらも、再度相澤先輩を切り裂いた。


血飛沫が、川嶋先輩を濡らす。


「な、んで、こんな、ことを」

「あら、聞いていたと思ったけど? アナタも頭が良くないのね。可哀想に。あのね、相澤さんは治療が必要なの。だから、私が治療してあげてるのよ?」

相澤先輩の腹部からは血が溢れ出し続けている。

「ああ、でもこの子もダメだわ。内臓系まで腐食してる。病巣に侵食されてお腹の中が何もかも真っ黒ですもの。この子も失敗作だわ。治療なんてやっぱり無駄なのね。……せめて、ほかのみんなと同じように、社会の役に立つように作り替えてあげなくちゃ。うちの病院のナースも壊れやすいの。その代わりくらいにはなるでしょうから。壊れやすいってことは、うちのナースもみんな最初から失敗作だったわけよね、可哀想」

迷いのない動きで、手術道具を次々に持ち替えながら、川嶋先輩はどんどん「治療」を進めていく。

「この子は顔は綺麗なの。イライラするわ、脳髄には何も詰まってないのに、外側だけ綺麗に整っているなんて。失敗作だわ、ゴミだわ、クズだわ、カスだわ」

さっきと同じハサミで、川嶋先輩は相澤先輩の顔をめった切りにしていく。

「なんでかしらね? この子のように社会不適合の失敗作ばかりが、この世界には溢れているの。ねぇ、真面目で、誠実で、努力家で、正義を信じて進む人間がこの世の中の適合者ではないの? 成功作ではないの? そう努力する人間は報われず、なぜ失敗作ばかり光溢れる道を歩むの?」

「治療」の手をひとつも休めずに、自問のように川嶋先輩は呟いていく。

ひとしきり、相澤先輩を弄り回したあと、川嶋先輩は機械のようにため息をついた。そして「やはりダメね」と呟いた。

「お待たせしてごめんなさいね、桃さん。ようやく、あなたの番」

私は、はじめて、隣に立って私を見下ろす先輩の目の中に感情を見た気がした。

「あ、まずはアナタの拘束を少し解いてあげる。せめて、これから「お友達」になるんだから、説明くらいしなくちゃね」

何を言っているんだ、と思う。「お友達」になる? 私の隣にはグチャグチャに切り裂かれた相澤先輩がいて、私は正直今にも吐き出しそうで。でもこの先輩は、とても「嬉しそう」に上半身の拘束を解いた。


私は手術台の上に起こされた。

先輩は手術用の手袋を脱ぎ、手を消毒したあとで私の手術台の向きを変えた。


首が動かせなくて気づかなかったが、私の寝かされていた台のちょうど頭の上の位置になる場所に、異様に大きな、黒い箱が置いてある。私の生活の中にあるイメージから類推すると、これは、冷蔵庫?


「紹介するわね! 桃さん」

先輩は、黒い箱に近づき、そして、おもむろに、正面に着いた扉を開けた。


冷気が、漏れてきた。

そして、霊気も。


非常に美しい、人間の、女の。


歪に組み合わされた。


冷凍された、死体。


「うっ」

あまりに異常すぎて、混乱が加速し、吐き気を抑えて私は目を背けた。

「これが私のお友達なの!」

先輩は、嬉しそうに告げた。

「と、ともだ、ち?」

「そう、私の、たった一人の、大切なお友達よ!」

川嶋先輩から感情が溢れていた。

とても純粋な、小さい子供が大切なお友達を紹介する時のような、嬉しそうな様子だった。

「色々な人と、今までお友達になってきたけど、どの子も、失敗作だったわ。ダメだったの。でもね、だから私気づいたの。私、エラいから気づいたのよ! お友達がいないなら、作ればいいのよね! だって、今までだって、ずっと、ずっと、ずうっと、私はそうしてきたんだもん!」

先輩は、恍惚とした様子で、己の体を抱きしめながら、「お友達」を眺めた。

「大変だったのよ……色々な子とお友達になったの。理想的な手の子。胸の子。お腹の子。おしりの子。性器の子。お肌の子、お口の子。お鼻の子。それでね、ちょっとずつ慎重に、お友達になってもらって、集めたの! そして、アナタよ、桃さん! アナタの、綺麗な亜麻色の髪……その澄んだ、瞳……あぁ、なんて理想的なんでしょう、私のお友達の髪と、お目目にピッタリな……だから、ね、ちょうだい?」


先輩は、その手で私の髪を弄び、ゴーグルとマスクを外して、私の目をじいっと見つめてきた。

口から盛れる息が、どこまでも冷たい。

体が動かない。

死が、目の前に、迫っている感覚。


どんっ、どん!


これまでと違う炸裂音が響く。

これは……銃声?


ガチャガチャと手術室の入口から音がしたと思うと、ばんっ、と大きな音がして、大きな影が二つ、転がり込んできた。


「くそう! 拳銃で撃っても止まらないなんて!」

影のひとつは周藤刑事だった。前に見た時よりも擦り傷だらけで、しかも頭から出血している。

影のひとつは、四肢から血を流している白衣に身を包んだ男性だった。しかし、顔がこの前の女性のようにひび割れている。つまり、この男性も川嶋先輩の操り人形ということだ。

「そりゃあ、相手は人間じゃないんですからね。だから躊躇せずに、四肢を最初から撃ち抜くべきだったんですよ」

その後ろから、なんとも間延びした、妙によく通る声が響いた。


『やぁ、川嶋夢唯君』


そこに、先生が立っていた。


第九幕 女怪曼荼羅

「先生っ」

私は思わず叫ぶ。

「あら、こんにちは、黒井先生」

川嶋先輩から、感情が消えた。

「失礼じゃありませんか、土足で人のプライベートな空間に入り込んで。それに」

ギチギチと音を立てて、あらぬ方向に関節を曲げて出血している男性を見て、軽くため息をついた。

「私のお人形を壊したんですね、何個も、何個も。教師として恥ずかしくありませんか? 生徒の私物を壊すだなんて」


『それは君の父親だろう?』

先生から、強い悲しみが滲んだ言霊が漏れていた。

「いいえ、これは私のお人形です。ほら、そこにもあるでしょ?」

川嶋先輩は、私の隣にある切り刻まれた相澤先輩を指した。

「人間としての失敗作なのだから、生きている価値などないんです。だったら、社会に役立つための存在に作りかえた方が良いでしょう? お父様は、治療は成功していたのに……壊れてしまって、残念です」

まるで、持っていたおもちゃのひとつが壊れただけ、と言ったように、川嶋先輩は言った。

『失敗作か、社会に適合できないものが、社会から外れたものが失敗作だと? では、君はどうなのだ?』

「私ですか? 私は数少ない成功例です」

川嶋先輩は、迷いなく言う。

「社会の規範を守り、校則を守り、家のルールを守り、道徳に逆らわず、常に心からの真心をもって人に接してきました」

川嶋先輩は、相澤先輩の手術台へと歩いていき、おもむろにハサミをとり。


思い切り、相澤先輩の頭に突き刺した。


「なのに、なのに、なのに! なぜ私は貶められなければならないのですか? なぜ私は辱められなければいけないのですか? 人に疎まれるようなことをしましたか? 人に罵られるようなことをしたのですか? いつだって私は努力してきました、周りの期待に応えてきました、なのに、なのに、なのに!」


抜き去ったハサミを、何度も、何度も、何度も、先輩は突き刺した。


先生は、懐から八卦の鏡を取り出しながら、悲しげな顔のままで、川嶋先輩に近づいていった。

『川嶋君、君は』

「教えてくださいませんか! 先生!」

先生に血や体液のしたたるハサミを突きつけながら、顔面も血塗れとなった川嶋先輩は、叫ぶ。

「私の何が違うのです? なんで私は受け入れられなかったんです? なんで私は虐められて、助けられなかったのですか?」


『君は、君の世界しか認識しなかった』

先生は告げる。

『君の最大の不幸は、君と君の周囲の異常性を確かめさせる存在が、どこにも存在していなかったこと。君たち家族が、周りの人間を拒絶しながら生きてきたこと。君に』


『正しい事ほど、正しくないのだと、誰も教えてはくれなかったことだ』


八卦の鏡を川嶋先輩の眼前に掲げ、先生は告げる。

『 お ま え は だ れ だ 』

「私は、川嶋……」

川嶋先輩の目が、鏡を捉えた。

川嶋先輩に向けて、今までにないほどの強烈な光が放たれて、川嶋先輩を焼いた。

「いやああああああああああああ!」

目が眩みそうになる中で、私は光の中に、人間の形によく似た、「大きな蛇」の姿を見た。


光が引いていく。

あたりの風景が戻ってくる。

血と体液が撒き散らされた手術室の中に、女性の上半身に、蛇の下半身をもった、異形のモノが佇んでいた。


髪は振り乱されて、その額には捻れた二本のツノ、ボロきれのようになった手術服をまとって、ひび割れた皮膚を持った、蛇の尾がのたうつ。


「あ、あ、あ? これは、なに、わたし? わたし、わたしは、え?」

ボロボロにひび割れた顔に、節くれだって捻れた長い爪を持つ手を当て、川嶋先輩「だった」モノは、絶叫した。

「いやあああああああ! ちがう、ちがう、私は化け物なんかじゃない、私は人間、人間の川嶋夢唯、かわしまめいなのぉおぉぉぉぉ」

蛇の尾が感情と共に大きくのたうち、私の乗った手術台も、相澤先輩の残骸の乗った手術台も吹き飛ばす。

咄嗟に先生と周藤さんが飛び込んできて、私は壁には当たらず済んだ。周藤さんは、素早く私の拘束を解いてくれた。

先生は、私たちをかばいながら、ゆっくりと壁際を進む。


「せせせ、先生っ! あれ、あれはなんです!?」

周藤さんは、あまりの展開に理由が分からなくなって半狂乱になっている。

「部下の皆さんにも「射殺」の指示を出してください」

先生の声は、いつになく冷酷だった。

「だから、先生、あれは何です?! さっきまであの子は、異常性はあったとはいえ人間でしたよっ!」

「周藤刑事、メガネを外したから分からんかったんですね……僕には、あれは端から人間には見えていませんでしたよ」

「え」

なんとか手術室から皆で脱出し、周藤さんの部下が作った即席のバリケードまで下がった。川嶋先輩だった化け物は、まだ手術室の中で暴れていた。

「周藤さん、我々はどうすれば」

部下の皆さんも、目の前の事態がすっかりおかしな方向になってしまい、行動に移れないでいるようだった。

「さて、助手君。君と僕の出番だぞ」

「だから、先生! 無視せんで教えてくださいよっ! あれは一体何なんです?」

「そりゃあ、『鬼』ですよ」

「は?」

「ですから、『鬼』。本成とも、真蛇とも言いますが、人間が、心に穢れをため、身を怨みで灼きながら、変じてしまった悲しい、悲しい、哀れな化生です」

「あれが、鬼? じゃ、じゃあ先生、あれは、元に戻らんですか?」

「元って人間にですかね……戻りませんな、あそこまで変化してしまっているなら、もう……善悪の彼岸にいる、人ならざるモノノ怪です、あれは。人間の法では決して裁けない」

先生は、腰に刺していた紫色の袋から、中身を抜き出した。

私も初めて見る呪具だった。

剣、だ。鍔が、フォークのように三つの枝に別れた、金色の剣だった。

「できれば、これだけは使いたくはなかったが……本物の鬼になってしまった者は、どうあっても救うことは出来ないのです、周藤刑事」

先生は、諸刃の刃をゆっくりと指で撫ぜた。

「し、しかし先生、あの娘は元々人間なのでしょう? だったら、裁くのは我々、司法に仕える人間の役割ですよ!」

周藤さんは、先生の前に立ち、見下ろす。でも、その姿からは威圧ではなく困惑の感情が伝わってくる。

「では、周藤刑事、部下の皆さん、もう一度よく見なさい。あれが人間か?」

剣の切っ先を鬼の方に向けて、先生は威圧した。

「あれを捕まえて、貴方達はどうやって裁くというのだ? 善悪の彼岸を超えてしまったあれを誰が罰するというのだ? あの異形が人間なのだと、誰が言えるというのだ? さぁ、言えるものは僕の前に出て来い!」

その場を震わし、鬼すら動きを止めた。

誰も、反論できなかった。


『行くぞ、助手君』

言霊の籠った指示が飛ぶ。

私は、左手の念珠に力を込めて強く握りしめた。

周藤さんたちはその場に釘付けで動けず、手術室の中の鬼は、とぐろを撒いて、僅かに残る人の半身をこちらに向けて先生を睨みつけている。

鬼は、奥にある黒い冷凍庫を守るように、我々に立ち塞がった。


部屋の入口に立ち、先生は一歩、部屋の中に踏み込んだ。

私は息をつき、全身全霊を込めて、父と母へと呼び掛ける。


『夢唯君、その姿になって尚。いや、その姿だからこそ、その「器」を守ろうとしているのか』

先生は剣の切っ先を鬼に向けながら、ゆっくりと言霊を重ねた。

「黙れ、私を助けなかったお前たちに、今更語る事など、ない!」

鬼は、口を大きく開くと、息を一気に吹き出した。鬼の口から盛れる息に、大量の瘴気が載せられ、場の空気を一気に淀ませていく。

先生は剣を一閃した。

瘴気が阻まれ、千切れ、霧散していく。

『博識な君だが、西行法師の著作は読んでないと見えるな。受験に繋がる勉強以外は、何もしてこなかったのかね』

また一歩。

『とくきたれ、おおくちまかみよ、わがこえをきこしめしたまえ』

「ぐおおおう」、「ぐあああう」

私の背後から、巨大なオオカミが姿を現す。今にも敵を喰い殺そうとする二人を、必死に制御する。

『撰集抄にあるのだがね、法力僧として有名だった彼は、高野の山中での修行の日々に、人寂しさから「反魂の術」に手を出したのだよ。人の骨を繋ぎ、()(そう)という霊薬を用いて人間を「産んだ」のさ。しかし、結末は残酷なものだ』

もう一歩。

『その人間の肌は黒ずみ、目は虚ろ。人間の魂を返せずに、骸が動くだけ。西行はそれを疎んで、高野の山に捨てた……では、夢唯君。君の「反魂の術」は成功してきたのかな?』

「黙れええええええええええええ!」

鬼の爪が、先生を抉ろうと大きく振りかぶられる。それを、父が噛み付いて阻止する。

『人間の魂は、魂魄の領域は、今や解明不能になりつつある。信仰も、霊異とも隔絶されたこの世では、魂などという不確かなものは、呼び戻そうとて呼び戻せんのだよ。例え、君の「反魂の術」が、砒霜と乳香を混ぜ、そのものの名も明かさずに秘したとしても、決して戻れやしない。まして、ましてこの世にないモノの魂など、作り出せようはずもない!』

鬼のもう一つの腕が突き出され、それを、母が噛み付いて阻止する。

『君の手術も、反魂の術も、全ては、「失敗作」だっ! 君は善悪の彼岸を超える前に、自らの周りの人間を、きちんと人間として己の中に受け容れるべきだった……』

鬼は咆哮を上げ、とぐろを解いた尾を先生に向けて打ちつけようとしたが、先生の剣が一瞬早くそれを切り払い、尾を切り落とした。

「きゃああああああああっ」

切られた尾の断面から、どす黒く淀んだ血が吹き出す。

先生は、鬼に肉薄した。

『せめて、引導を渡そう。君はもう、既に人間ではない。鬼だ。鬼には、人の法は通じない。外道の法で、君を殺す』

剣に両の手をかけ、先生は言霊を載せる。

『なうまくさらば、たたぎゃていびゃく、さらばぼっけいびゃく、さらばたたらた、せんだまかろしゃだ、けんぎゃきぎゃき、さらばびきなん、うんたらた、かんまん』

先生の途切れない言霊を受けて、剣の刃から、部屋を埋め尽くすほどの霊的な、そして強すぎる力のために周りの実体まで焼き尽くす真っ赤な炎が吹き上がり、一気に部屋の中を焦がして行く。

炎の刃はそのまま伸びて、鬼の胸元を貫き、その後ろに控えた、鬼の「トモダチ」も一気に焼き尽くしていく。

私は、父と母に、『もどれ』と命じた。

オオカミたちは、ふぅっと姿を消した。

鬼は、拘束をとかれ、燃え盛りながら後ろの冷凍庫にしがみつき、燃え上がりつつある、繋ぎ合わされただけの死体を抱きかかえ、絶叫した。

「なんで、なぜ、わたしはっ、わたしはただっ! 良くあろうとしただけっ、良くあろうとしただけなのに、なぜ、わたしは、わたしは、誰にも、誰も、ああああああああああぁぁぁ」

『夢唯君、君は結局、君しか見ていなかった。それが君を鬼にした。そして、君の周りも、皆、鬼だった。それだけの、本当に、それだけのことだったんだ』

先生の声が、鬼に届いたのかは分からない。鬼は、炎の中で、空っぽの死体を抱いて、やがて、影になり、そして。


全てが終わって、全部が焼け焦げて、何もかも消え果てた部屋に、先生はぽつりと佇んでいた。

両の手を合わせて、誰にも聞こえない声で、でも、言霊を乗せた声が。

『おん、あむりた、ていぜい、からうん。おん、かかか、びさんまえい、そわか。おん、えんまや、そわか。おん、しゅちり、きゃらろは、うんけん、そわか』

繰り返す虚しい祈りの声が、かすれ果てて消えるまで。先生はその部屋から動こうとはしなかった。


終幕 鈴鳴堂にて

「先生、今日もおさぼりですか」

「んん」

先生は、店のソファに寝そべって、カビの生えた和綴じの本を読んでいた。

あの事件が、一応の解決を見てから一週間。先生はほとんどソファの上から起き上がらず、ずっと本を読んでいた。

返事は生返事。飲み物も呑まず、食べ物も食べず。


あの事件……三条市若年層連続失踪事件は、被疑者の大半が死亡したとして、捜査も終了したという。

参考人として確保された川嶋先輩のお母さんも、留置所に移送する前に「壊れて」しまって、そのまま石井川さんの下に運ばれて行ったのだそうだ。

事後報告に来てくれた周藤さんは、憂鬱な顔をしながら先生に伝えてくれたが、先生は生返事しかしていなかった。

代わりに、私が話の大半を聞いたけど、聞けば聞くほどに、川嶋先輩の家が歪んでいた事、川嶋先輩の周囲が歪んでいた事しか分からず、困惑するばかりだった。


先輩が小さい頃は、児童相談所から何度も虐待の監査が入っていたけど、ご両親が様々な手段を使って握りつぶしていたこと、先輩に行った異常なまでの英才教育、家を継がせる器としか考えない行為、そして、その母も、祖母から虐待を受けていた可能性があったこと。


先輩の部屋に踏み込んだ周藤さんたちが見たのは、無数に積まれた「ぬいぐるみ」の数々。すべて川嶋先輩の手作りで、不格好で粗雑。それが部屋の壁を埋めるような数、ぎっしりと積まれていたと。


学校で、川嶋先輩のことをちゃんと覚えていた人は担任の先生くらいで、クラスメイトすらほとんど彼女の事情を知らなかった。相澤先輩の話は、誰に聞いても話が出てきたというのに。彼女が虐められていたことすら、ほとんどの人に知られていなかったと聞いた時に、私もひどい無力感に襲われた。


「なあ、助手君。あの子の家に置いてあった呪具は二つだった」

先生が久しぶりに話した言葉はそれだった。

「一つは、人間を丸ごと作り変えることができるような、呪いが込められた手術道具一式の入った革の鞄。あれは、相当古い時代からある呪具だったよ。彼女の母、その母、さらにその母と……ずっと、継がれてきたものだったようだ」

「……先生、あの母親を最初に「治療」したのは、先輩だったんですか?」

「今となっては、分からないね」

先生は、ゆっくりと体を起こして、身体中の骨と関節を鳴らした。

「そして、二つ目は「反魂香」というものだ。これは、ほとんど残っていなかったが。鞄とは別に、彼女の部屋に保管されていた。例の「行商人」のマークもハッキリと見える品だったが……いつ仕入れたかはさすがに分からない。供給がされていないところを見ると、「行商人」にすら見捨てられるほどの「手遅れ」状態だったのかもしれんなぁ」

銀のタバコ入れから取り出した、ハッカの強い匂いのする薬タバコをゆっくりと吹かしながら、虚ろな目で天井を眺めている。

「彼女にとって、「オトモダチ」と言うのは、自分を否定しない、自分の中にある理解者のこと。幼い頃から作り続けた、粗雑なヌイグルミ以外には存在しなかったのだろう。だから、あの子にとっては、自分の周りの人間など全て……鬼にしか過ぎなかったのではないか」

「でも、先生」

反論したかった。でも、何も次に続く言葉が出て来ない。

「結局、今回の事件は、被害者は四十五名に及んだそうだ。被疑者は、川嶋夢唯とその両親二名。そして、その全員が、結局は死亡……僕らが助けた気になっていた、あの若者も結局死んでしまったと言われたよ」

先生は灰の空気を全て吐き出すような深いため息をついた。

「そして僕は最後に、相澤君と川嶋君を殺したんだ」

先生はもう一度、ソファに寝そべった。

「後味が、悪い。結局、僕らは道化役者で、デウス・エクス・マキナの役をやらされたんだ……あのハゲダヌキに」


その時は意味がわからなかったけど、後で調べて見たのだ。

デウス・エクス・マキナ。混乱したお話を、強制的に終わりにする、舞台の上での神様。機械仕掛けの神様。幕引きをするもの。


私も、今回は本当に、後味が悪い、という先生の言葉に同意せざるを得なかった。この話は、救いのない女の子が自ら道を踏み外して、どこまでも被害者を増やしながら転げて堕ちていく話だったからだ。でも。

彼女が殺した人達は、本当に人間だったのか? 相澤先輩の腹の中身は、実は本当に真っ黒で、鬼に変わりかけていたのではないか。それ以外の、人形にされた人たちも、本当は鬼ではなかったのか。


でも、川嶋先輩が、お友達を作るために殺して回った人たちは、鬼ではなかったのでは無いのか。

考えれば考えるだけ、わからなくなる話だった。


……この後、三条市では、女の怪異の目撃談は途絶えることになった。

でも、たまに耳にするのだ。「トモダチ」を探して、彷徨う、ハサミを持った黒髪の、女子高生の幽霊の話を。

その幽霊の噂話を聞く度に、私は背筋が寒くなる。


曼荼羅という、絵のように、重なる円のように、また新しい怪異が人の想像の海から産まれてくる。


無自覚な悪意と、無意味な善意の溢れる想像力の中で、善悪の彼岸から離れた、あの鬼は、今も、生きているのだろうか。  


                                                     了 



 二の話、お楽しみいただけましたか? 貴方の退屈な時間を一時でも忘れさせることができたのなら、これほど幸いなことはありません。

 このお話の原型は、僕が大学時代に「小説研究会」なるサークルにいた時分に友人たちと共作しようとしたリレー小説用に考えた設定資料にあります。当時、僕は京極夏彦先生の小説を読み始めたばかりで、怪異を関連付けて事件の根幹に結び付ける、という話を自分でも書いてみたい、という大それた野望を掲げ、「女の怪」というものに着目し、複数の都市伝説の中で語られる怪異を一人の女の子に集約できないか? と考えていました。その結果誕生したのが、川嶋夢唯という女の子です。

 要素として、口裂け女・ヒキコさん・カシマさん・メリーさんを集約したものの、筆のままに書き上げたこともあり勢い任せにまとめてしまった点は、否めません。元の設定ではここに「テケテケ」が加わり、かつ、メイという名前や行動はホラー映画の『MAY』という作品の主人公からインスパイアを受けました。

 十年以上温めてきたお話に、一つの形を与えられたこと。これも「供養」としては成立しているのかなあ、などと、今は暢気に考えております。


 さて、今回の作品の裏テーマは「認知のゆがみ」です。

 こんな書き方をすると仰々しくなりますが、僕は良く職場で「見える世界は人ごとに違う」と語ります。そもそも、人間の世界と言うのは、「100% 違うけども似通った存在が寄り集まっている」状態であり、そこから「普通」とか「常識」を生み出した訳です。

 ですが、僕は思います。「常識的に振舞う彼の眼には、この世界はどう見えているのかしらん?」と。

 彼は僕と全く違う人生や友人との交流を経て、すぐ傍にいるわけですが、彼と僕とは似た部分はあっても考え方や捉え方はまるっきり違います。

 ですけれど、「違う」からといって極度に排除するのは愚かですし、同様に、「同じ」だから何もかにも同じで言葉は伝わるのだと猛進するのも愚かではないでしょうか? 視点が違い感じ方が違う人間が寄せ集まった時に起きる、予測不能の化学反応こそが、この世を面白くするスパイスなのではないでしょうか。僕は、そう信じて止みません。

 ところが、この現実は「異なるモノを排除する」様にできています。自分と異なるモノは、「悪」になりやすく、「鬼」になりやすい。でも視点を変えると、相手も自分を「鬼」と観ているかもしれません。作中で夢唯が叫んでいる言葉は、そんな僕自身の葛藤を反映させた言葉です。

 夢唯には、この世界はどう見えているんでしょう? 桃には? 晃先生はどんな風に世界を見ているのでしょうか?

 そんなことを想像しながらお話を読んでいただくのも、一興かもしれません。


 長々と硬いことを申しましたが、本編を読まれるときは、どうか肩の力を抜いて暇つぶしとしてお読みください。

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