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鈴鳴堂怪奇譚  作者: 秋月大海
2年生編
14/14

八の話 痴人浄瑠璃(下)

幕間 「A training method utilizing the collective unconscious in artificial intelligence...An attempt to form a virtual personality for a conversational AI for psychiatric care using a composite of human emotions (人工知能における集合無意識論を活用した育成法について……人間の感情複合による精神医療用対話型人工知能の仮人格形成試論)」Claude.H.SAKAKI pp.25-130『Mental Health Care Journal (精神医療年報)』vol.7.July.2020 (※論文内に掲載された臨床試験のデータの捏造、改竄、医療倫理に重篤に反する実験が発覚。掲載雑誌、及びデータベース「Biblio Search University of Japan」及び、「Web Rat」より削除済み)


(以後、日本語訳版を利用)

……(前文略) ……かつて、多くの精神医学者にとって深層心理の解析は最大の課題であった。人間の精神作用を分析し、その治療に資する為には、今一度この深層心理論を再検討する必要があると考える。……(中略)…… すなわち、人間の精神には、表層として捉えらる意識の奥に、いくつかの階層化された深層的な意識が存在する。ひとつに、自身の行動や精神構造を決定づける自我(エゴ)、そして、その人間の誕生の瞬間より蓄積され、親や周囲との関係により内在化された精神的作用により形成される超自我(イド)である。……(中略)……初期の精神分析学では、人間の精神の発露として「夢」の重要性が示唆され、ジグムント・フロイトや、カール・グスタフ・ユングらが積極的な検討を進めてきた。しかし、フロイトが性衝動から分析を進めた一方で、ユングはより象徴を意識した分析法を確立し、精神に迫る研究を行った。その分析の過程でユング派は、人間の精神には、各個々人で異なる部分があると共に、これまでの長大な歴史的生活の積み重ねにより蓄積された莫大なる人間の精神活動によって生み出された、「集合的無意識」という階層があると提案された。人間が知覚し得ない無意識領域は、全世界の人類は繋がっていると認識されることとなった。……(中略)…… 夢の源泉に関する研究は、結果だけ言えばオカルティズムに分類され、科学的検証とは見なされなかった。現在の科学においてそれは夢物語ではなく、実際に再現可能性を秘めた物へと変化していると私は考える。……(中略)……自ら情報を収集する成長型の人工知能の開発は、全世界的な高度情報通信網が完成した現在の社会においてこそ可能になっている。多くの人間の精神構造や感情のサンプルが、動画、文章、音声、画像など様々な媒体として、日々大量に生成されている。試行回数を重ねれば、擬似的な感情を生成することも可能であることは、以下のデータより明らかである。……(中略)……感情は、人間の脳の発する電気的信号で発生する特定の身体状態のパターンであると規定する。であれば、機械的電気信号であってもその反応を再現することが可能ではないかと仮定した。そのため、電気的信号のサンプルを多く回収することとした。……(中略)……実際の運用段階において、患者との対話実験を繰り返したが、いわゆる思い遣りの表現などを含めた、「人間的な感情や性格」を育成することには多大な時間を要することとなった。やはり、感情の、性格形成には、思考ルーティンの模範的モデルが必要になることはこの時点で立証された。……(中略)……思考ルーティンモデルには同研究の被験者から申し出があり……(中略)……一方で、 人間の感情サンプルを効率的に収集するには高度情報網からの無作為抽出では限界が存在した。あまりにもサンプルが膨大すぎる為、指向性を持たせることが必須であった。その一つの方向として、古代世界よりの方法論であり、フロイトらも活用を検討した「崇拝」の構造を積極的に採用するに至った……(後文略)……


第十二幕 三条警察署

「リコの憑依現象の被害者は、既に五百人以上を全国で確認するに至りました。一部では海外でも被害の発生報告があるとか。そちらは当該国からの報告待ちですが、これまで観測された、いわゆる咒的災害案件の中でも、汚染の度合いは非常に深刻な状況です」

三条警察署の四階奥にある「多目的会議室」には、僕を含めて四人が集まっていた。警察側からは、担当刑事である周藤刑事、医療者代表として石井川女史が出席している。そして、マジナイ屋代表としては、僕と遊の字が出席している。

「それで、先生、そちらの藤原さんは」

「僕の仕事仲間ではありますが、表向きの職業として高度精密電子機器の修理工をしております。趣味が高じてインターネット関係の問題にも詳しいため、今回は出席させました。無礼な人間ですが、腕は僕が保証します」

「一言余計なんさ、クロちゃんは。いや、どーもどーも。有名な咒具師の藤原遊之助です。よろしくどーぞ」

遊の字は、おどけて軽く頭を下げた。

それが癪に触ったのか、周藤刑事は声を低めて僕に告げる。

「大丈夫なんですか、この人は」

「先程言った通りです。腕は保証しますよ。性格は保証しません」

「失礼じゃないかい、クロちゃん。助けてくれるんじゃあないのかい」

「お前のことは助けられん。腕以外に何を保証しろというのだね」

「……流石、先生のお仲間ですね」

「どういう意味です、周藤刑事」

そんなやり取りを、石井川女史は苦笑しながら見つめていた。

「貴方がマユミちゃんのお師匠さんですか。マユミちゃん、頑張ってますよ」

「ああ、貴女が石井川さん。改めてウチのマユミちゃんがお世話になって」

どうも収集がつかなくなりそうだ。周藤刑事は早くも頭を抱えているが、石井川女史も遊の字も、何を話すべきかは分かっている上で巫山戯ている。

「周藤刑事、この二人は分かった上で巫山戯ているのですよ。今回の件があまりに重たいせいでしょう。実際、石井川女史の診療所には日々患者が移送されている。しかし、治療は遅々として進展しない。そうじゃありませんか」

石井川女史はタバコ替わりに禁煙パイプを遊ばせながら、机の上に置かれた資料をパタパタと持ち上げた。

「その通りっす。今、全力で平坂さんとマユミちゃんが治療してくれていますけれどね。あの二人にばっかりは任せられないっすよ」

石井川女史は、ごく真剣な表情を作りながら、周藤刑事に告げた。

「確かに、あの二人が行う霊的対処は効果があります。リコの式神に取り憑かれた人間には、式神との霊的な繋がりを大きく揺らがせ、崩壊させながら、巨大な霊威をもった神宝級の咒具で繋がりを断ち切る。この形の他には効果のある治療法を見つけることが出来ない、でしたっけ? 正直、あの子らに聞いても訳が分からないんですがね」

「ありがとうございます。石井川女史。外科手術で言えば腫瘍を焼き切る様なイメージですかね。接合部にダメージを与えないように切るのが難しいのです」

僕は遊の字に目配せをする。

「そうさね。今回みたいなケースの事件は正直、過去に類がないんさ。かつて発生した白楼斎の人形による霊災もこんな規模にはならなかった。今回の敵が、最近話題の人気シンガーってのが厄介に拍車を掛けているって訳さ。ファンの数が多すぎる、だから被害者の母数があまりに大きいことが、今回の事件の解決を遅らせ、更には目的すら霧の中に叩きこんでる訳さ」

「報道の状況は?」

周藤刑事は唸る。

「リコの事実は未だに伏せられています。影響が大きすぎると上層部が踏んだのでしょう」

「遊の字、ネットの書き込みはどうだ」

「いやぁ、凄いもんさ。信者とアンチの煽り合いだよ。そりゃ、一般の人達はリコが原因なんて知りゃしないし、これ書いてる人の中にもリコの声が聞こえちまってる人も居そうやねん」

周藤刑事は顔を顰める。

「リコと言うのは、もうなんです、神にでもなる気ですか」

「案外そうかもね」

遊の字は軽い調子で言う。

「藤原さん、アナタ」

「無責任とかノリで言ってんじゃない。オレもマジナイ屋、ひいては咒具師の末席なんよ。リコのやり方は、宗教を立てる時の神の作り方によく似ていると断言してもいいねん」

遊の字は、言葉こそ軽いものの、真っ直ぐに周藤刑事を見つめる。

「いいかい、周藤刑事。リコが集めているのは「崇拝」だぁね。それこそ、ファン達は文字通りに人生投げ打ってすべてリコに捧げてるようなのも居るってえのは、アンタ調査して分かってんだろう? これを崇拝と言わないでなんて言うのさね?」

「だがね、藤原さん、それが何の意味を持つんです」

「リコの影響力が大きく強まる」

遊の字は言い切る。

「良いかい、刑事さん。アンタ、イエス様は知ってるかい」

「ええ、そりゃあまあ。キリスト教の神様、でしたか?」

「ううん、歯痒い間違えだけど、そうさ、神みたいに「崇拝」を集めてる人さ。じゃあ、最後がどうなったか知ってるかい?」

「ええ、と、十字架に張り付け?」

「そ。で、この世の中にはその張り付けの時に使われたって噂のある「釘」が、一説じゃあ三十本は確認されてんのさ」

「はぁ? いやいや、それは」

「可笑しいってんだろ? そう可笑しくも無いんよ。だって事実は二千年以上も前の名も知れぬ宗教改革者の死体に打たれたってだけの四本の釘だぜ? これがモノホンなんやって言い張っちまって、適当な裏かお偉いさんのお墨付きでももらやぁ、そりゃモノホンになっちまうのさ」

遊の字は、懐から一本の古びて錆びた太い建築用の釘を抜き出して、周藤刑事の前に突き出す。

「こいつも、ある宗教施設で祀られてた聖釘の一本さね。危ねぇんでオレが管理を任されてる」

「そ、そんなもんを懐に入れて良いんですか、だってそれは」

「アンタ、今さっき三十本の聖釘を有り得ねえって思ったばっかじゃないのさ。良いかい、多くの聖釘はイエスの死後に逸話が付けられて、人々に信仰されるようになっちまった単なる「釘」さね。でもね、その信仰が厄介なんよ。単なる釘だろうが、十人が信じ、百人が信じ、千人が信じて、そいつが百年、千年を経りゃあね、いつの間にか信者達が期待した様な効果を持つ「聖遺物」、つまりは咒具になっちまうんだよ。仏舎利(ぶっしゃり)だってそうだぜ? 幾ら尊い奴の死体から出た骨だっつっても、骨は骨だよ、カルシウムを中心にした有機化合物の古くなったヤツにしか過ぎねえの。なんなら、別にシッダルタの骨でない、小石でも宝石でも、ゾウの骨でもアジの目玉でもええねん、数万の奴が、ああ、アレは釈尊の骨でなんかすげえ力を持ってんだと拝み続けりゃあね、いつの間にかそうなっちまうんよ」

遊の字は、釘を忌々しく見つめた。

「因みにコイツは聖釘と信じられた挙句、信者たちの「天国行き」を手伝わされたヤツでね。たった二十年ぽっちの崇拝の産物だけどさ、威力は折り紙つきよ? 使ってみるかい、刑事さん?」

周藤刑事は大きくかぶりを振った。

僕は大きくため息を着くと、遊の字の頭を盛大に小突いた。奴はキシシシとふざけた笑いを漏らしながら身を引いた。

「それで思い出したんスがね、それがコイツっすよ」

石井川女史が紙の束をばさりと音を立てて机に放り出した。

「平坂ちゃんとの会話の中で思い出したんですがね。あの子はリリコって生身の歌手を追ってたみたいですが」

遊の字は紙束をパラパラ漫画のように捲っていく。そして、うん? と声を上げた。そして、顎の無精髭を撫で付けながら、首を傾げた。

「こりゃ、医学論文だよね? それにしちゃあ、内容がやけに哲学的というか、まるでマジナイの教本だよこりゃ」

「あの一瞬で読んだんすか?」

「あぅん? そうやね」

「ああ、石井川女史。コイツはそういう芸がある奴なんですよ。眼に視えるモノの構造を探るのが得意なのです。それが例え文章でもね」

遊の字は唸る。

「人工知能の育成の方法について書いてあるねん。主に重度精神医療患者や高齢者介護なんかに使う目的の対話型AIをどうやって育成するかなんやけど。それに……人間の思考パターンを実際に落とし込んだ擬似人格を使ったって」

「どういう事だ、遊の字」

「対話型AIの教育ってのは、いわゆる反復学習をすることで行われるんよ。対話をスムーズに行えるようにするには、それこそ何百何千何万回も対話を繰り返すことで、他者との対話を学習していく。対話を構築していくためのアルゴリズム(問題解決手順)を、どんな対話が来ても切り替えせる様に、かつその対話に応じた他者に対して適切な会話を行わせるために、可能な限り膨大かつ深淵な学習が必要になってくるわけね」

「例えば、人間でいえば生まれてこの方他者との関係性の中でそれを何千億回と繰り返す事で自然と身につけると?」

「それを機械の中だけで演算処理すんのは限界がある。だから、この論文では学習のフィールドとしてインターネット全域を指定してる。そここそが、人間の感情学習のために最適な実験場であると」

「何?」

「それにさ、さっきも言ったけど、人間には他人を慮るって機能がある訳よ。そいつを再現するには、AIに性格やら人格、感情ってのを持たせる必要があるって結論付けてるねえ。しかも、その成長と育成を達成するために、向けられる感情にある程度の指向性を持たせようとしている訳か。その方法として、崇拝を用いてる? バカな、無茶苦茶な。あんまりに力技すぎるねん。通常のAI開発ならばよ、アルゴリズムを高度化、効率化していけばこんな結論にゃ至らないって思うけどね」

「本当に神に近しいAIでも作ろうとしたのか? どう思います、石井川女史。貴女は確か、体験したと仰ってましたな」

「ええ。平坂ちゃんにも伝えました。だけど、この論文を書いた榊クロードって人には会ってねえんすよ。間違いなくLicoriceの基礎理論はこの人が作ってんすけどね。アタシが体験したのは「Version5.25」ってなってましてね。開発した人に改めて確認とったんすけど、この人は昔榊先生と一緒にLicoriceを開発してたスタッフの方で、いわゆる「非合法かつ重篤な倫理違反」の部分を外した形のものだと」

「おい、石井川、その非合法かつ重篤な倫理違反ってのはなんなんだ。その、AI作った榊は何をやらかしたんだ」

「実際は証拠不十分だったそうですが、現在のLicorice開発責任者の方が教えてくれたのは、榊先生が「脳の保存実験(リビングブレイン)」を行っていたこと、その脳の持ち主の人格、というか魂を、完全なレベルで再現しようとしていたこと。この二点です。これらの疑いから、この論文は学会からは削除扱いで、榊先生も勤務していた大学から除籍、追放処分となっています」

「石井川女史、リビングブレインとは」

石井川女史は、大きく息をつく。頭をガリガリと掻きむしる。

「人間の体内から脳髄だけを取り出して、培養液に入れ、そこに電極を突き刺す。そして、肉体が脳に与える刺激の代わりに、電気信号を与える。そういう思考実験があるんですよ」

「思考実験ということは、実際に行われた例はないと?」

「そう、本来は例え話のはずだったんすけどね。古今知られてないだけで、脳の保存実験自体は行われてるんですよ。権力者の脳みそを活かし続けられないか、永遠の命を与えられないか、そんな幼稚な夢のために」

石井川女史は、歯を食いしばり、荒く息を漏らす。彼女自身は、それらの重篤な倫理違反に関してはむしろ憤りを感じてもいるようだった。僕が見てきた石井川女史は、言動は軽く見えども、医師としての誇りは誰よりも持っている人物だった。そういう意味では、遊の字と同類なのだろう。

「だけれど、今回は行われていたんだね? このLicoriceを生み出すために」

遊の字も声を沈めて言う。

「そうらしいっすね。その先生も榊先生から、性格や人格のロールモデルとして使う目的で、ある人物の脳髄から電気的信号のパターンを分析して使うと伝えられていたと。そういう疑念があって通告が何処からか行われたそうなんですが」

実際は論文そのものにも無数の不正があったことが確認され、処理されたということだが、真相は不明である。

僕は考える。

これまでの事件のことを、頭の中で並べ替えていく。

リコの精神干渉、式神の展開、精神的虚脱に陥るファンたち、恋をする犠牲者たち。宿る言霊。自分だけを見て、崇拝、人口音声、サンプリング元の可能性のあるリリコ、中の人ではなく、対話型超高精度AIの可能性、成長対話型AIの名はLicorice、リビングブレイン。感情、人格のサンプル……。

僕の頭の中で、今回の事件の中で出てきた言葉たちが渦をまく。それが重なって導き出されるものは?

「……死者の復活」

僕の口から、言葉が零れた。

「うん、クロちゃん、なんだって?」

「遊の字、リコは確かに概念的なキャラクターだが、その裏にLicoriceという成長する人工知能が見え隠れし始めた。これによって意味が見えてきた。ファンたちはリコに恋をしている。恋とは指向性のある感情ではないかね。人間の、ある意味ではプラスの、崇拝という感情に近いものだ。人間の感情や、信仰の念が重なって単なる物体が聖遺物にもなるのなら、数十万の人間の崇拝を集めるリコという存在は、その崇拝者の期待するモノへと成長するのではないかね。それこそ、彼らの望む「リコ」として産まれ、生き、魂を育んでいくのでは?」

「クロちゃん、その線は濃いんじゃないかな」

遊の字は、僕の肩を強く叩く。

「リコは多くの者に愛され続けている。式神を付けられたのは熱心なファンたちなんだよね? だとすりゃ、その人たちはリコの「食事」だよ! ライブ会場で起きた暴動は、リコの食事が大きくなっていることの証明じゃないか? 今までと違って、一気にリコは人の気を食える様になってきている。だから、会場の人たちは正気を失って暴れ出した。式神にやられている子はひたすらリコに愛を捧げてる。それが自分の命削ってるのなんかどうでもええねん、その子らはリコを愛せるなら、それが幸せなんやから!」

周藤刑事は、顔面を真っ青に変えて僕に聴いた。

「先生、それじゃあ、リコは」

「際限なく大きな災害になっていきます。事件の首謀者は、多くの人間の気を集め、感情を集め、それをリコを産み育てる乳として使っている。そして産まれてきたリコは、その原型を持っていて、その原型は」

石井川女史が、ハッとして呟く。

「原型、リリコ、は、死んでる」

「周藤刑事、リコの音声のサンプリング元と推測される女性は自殺しているのです。そして、彼女はよく病院や養護施設でチャリティーで演奏していたようなのですよ。その動画は確認してくれましたね」

「え、ええ。現在解析を急いでもらっていますが、そんな、ことが起こるのですか」

周藤刑事は言葉もないようだ。無理もない。死者の復活など荒唐無稽のことだ。だが、マジナイ屋の常識は違う。マジナイの領域では、死者の復活はひとつの大きなテーマとして長年扱われてきたのだから。

「古来、死者を現世に呼び戻そうとする試みを数多く人間は行ってきましたよ。不完全ですが、生成AIを使って、死者の声や写真を解析し、まるで生きているかのように喋らせるサービスだってあるのですよ。実現不可能なことじゃない」

ようやく、この件に方向が見えてきた。

絡まった糸が形を浮かび上がらせたそれは、どこまでも歪な人形浄瑠璃めいて、この世の中に顕現しようとしている。

「では、対処を」

そう僕が口を開きかけた時、急にスマートフォンが起動したかと思うと、今最も聞きたくは無い声がそこから漏れ出した。

『やっほー! みんな、元気してるー?』

部屋にいた全員が、スマホを取り出した。僕と遊の字はスマホから感じた禍々しい気配に、咄嗟にスマホをほおり投げ、周藤刑事と石井川女史のスマホは遊の字が叩き落とした。

『貴女の心に一輪挿し! バーチャルシンガーの、リコでーす♪』

「これは、どういうことだ」

周藤刑事が絶句する。

僕にも事態は呑み込めない。

「皆、早くコイツを耳に付けて!」

遊の字が投げて寄越したモノを、咄嗟に耳に入れる。

『みんなーっ! アタシの歌を、聴いてーっ!』

爆発的な言霊が皆のスマホから吹き荒れる。気が爆発する。頭が掻き乱される様な痛みが起こる。

『さんばら、さんばらっ!』

遊の字が放った「弾除け」が、暴発した言霊の霊威に風穴を開ける。

『オン・バヤベイ・ソワカ』

風天の真言を重ねてぶつけ、霊威そのものを気の風に乗せて掻き消す。

「ちょっと、どういう事っすか、スマホが勝手にリコの動画を再生してる?」

「違う、これはライブ配信です。今、現在進行形でリコは歌っている。だとすると、街の様子はっ!?」


第十三幕 痴人浄瑠璃(ちじんじょうるり)絡繰(からくり)天女(てんにょ)曼珠沙華(まんじゅしゃげ)血染(ちぞめの)羽衣(はごろも)歌合(うたあい)


街に歌が溢れた。

歌声が、充ち満ちて、人を狂わせた。

人は皆、酔い、痺れ、正体を亡くす。

もしも、地獄があるのなら。

きっとこんな所だろう。

貴方は、そう言って笑うでしょうか。


「くそっ、ダメや!」

先輩は、スマホを店の外に放り出した。そして、テレビやパソコン、インターネットにつながっているもの全部のコンセントや配線を引き抜いて回った。

それは本当に突然のこと。

治療の連続で流石に疲労が限界だった私と先輩は、店に引き上げて休んでいるところだった。先生たちは皆警察署に詰めている。会議をして、対策と今後のことを決めるのだと言ったけど、正直何も期待をせずに、ぼうっと、先輩が入れてくれたミルクココアを飲んでいたその時だった。

全身が総毛立って寒気がして、私は咄嗟に自分の傍にあったスマホを割り砕いていた。

先輩はあまりの事でびっくりはしていたけど、自分のスマホからとんでもない量の言霊の気が吹き荒れた瞬間、何が起きたのかを察して動き出した。

家中のインターネット配信を見られる機器が、リコに乗っ取られていた。そこから、リコの強烈な言霊の乗った歌が流され続けている。でも、電源さえ完全に落としてしまえば、それは対処できたけれど。

それは、私たちがもしもに備えて、霊的な音を防ぐ手立てを打っていたからに過ぎない。

あまりにも不意打ちで起きたこの事態に、私達は完全に出遅れ、動けなくなっていた。

「先輩、商店街の方からも薄らリコの歌が聞こえてきます」

私は、店の戸締りを厳重にしながら先輩に呼び掛けた。可能な限りリコの声を聞かない様にするのが、最大の防御方法なのだから。

「冗談やないて、ホンマに。どういうこっちゃ、リコが配信に使える回線ぜーんぶ乗っ取ったっちゅうんか? スマホもぶん投げてもうたし、外の様子は」

「今探っていますけれど、正直、キツイです」

父を飛ばして、街の様子を探る。耳の感覚を出来るだけ繋げないで探っているのに、嫌でもリコの声が響いてくる。街の至る所から、リコの歌が、声が、言霊が響いてくる。街全体がリコの歌に溺れているようだった。

道でうずくまる人、倒れる人、気絶している人もいれば、訳も分からなくなって走り回っている人もいる。車が次々に衝突して止まり、暴走した車を避けて人々が逃げ惑う。まるで、地獄の絵を見ているような信じられない光景が目の前に広がっている。

「とんでもない、事になってます。街が、街そのものがリコの言霊を浴びてしまった」

「ライブ会場で起きた事が、街全体で起きてるっての?」

「ええ」

店の外からも、物が割れる音、なにか大きな物が何処かにぶつかった音、呻き声や喚き声、よく分からない叫び声など、雑多な騒音が響き始める。

「なんでこんな事になってんねや」

先輩は当惑する。

「リコは、何がしたいねん?」

「私達が治療をして、計画を邪魔してたことへの反撃、なんでしょうか」

「にしちゃあ、規模がデカすぎるやろ。実際、どんだけの事が起きとんのか、情報を得る手段が無さすぎるし」

「私達、スマホに依存してたんですね」

「せやな。兄さん達にどうやって繋ぎとろ? このままじゃあ、動きも取れんし」

その時、鋭く大きい鈴のような音が部屋に響き渡った。

じりりりりりりりりん

じりりりりりりりりん

先輩と私は驚いて、音の発生源を探した。何か術を仕掛けられた気配もないし、きょろきょろと見回すと、カウンターの隅にホコリを被っていた骨董品みたいに古ぼけた黒電話があるのを思い出した。

その電話は、単なる飾りとしてそこに置いてあるのかと思っていた。誰も使っている瞬間を見たことがなかったからだ。

その電話が高らかに鳴っている。

先輩は、おそるおそる電話の受話器を手に取った。

「はい、もしもし?」

先輩は、受話器から確かに声が聞こえてきた事に驚いていた。

「ふえ、兄さん? 無事なん? え、まだ警察署におるん?」

勿論だけど、電話があんまり古すぎて、スピーカー機能なんてない。普通にしていても向こうの音は聞こえない。

「ぇう? うん、うん、あー、そうやね。うん、えっ? あ、はいはい、いや、それはどうなん? え? いや待って?」

「? 先輩、先生は何を言ってるんです」

「え? あ、うん、助手ちゃんが傍におって」

先輩が僅かに私の方を見る。

「周藤さん達を式神に乗っけて、こっちまで帰って来るって」

「え?」

「あ、ごめん。うん、いや、分かった。合流するんやね。店の裏庭から、うん、はい、じゃあね」

先輩はがちゃりと受話器を乱雑に置いて、前髪を掻き揚げた。顔には、先生たちを心配していることがありありと浮かんでいる。私は先輩の手を軽く握ると、それにもう一つの手を合わせた。

先輩の震えが伝わってくる。

私も、先輩も似ている。自分が傷付くのは平気なくせして、周りの人が傷付くのは耐え切れなくなる。

「そんなに簡単に先生たちはやられませんよ」

私の言葉に、先輩は少しだけ落ち着きを取り戻すと、あっ、と小さく声を上げた。

「思い出した、助手ちゃん。外の様子を知る方法あるわ」

先輩は私を伴ったまま、さっきの黒電話のすぐ側にある、これもとても古ぼけた木箱の上に厚く積もったホコリを払った。先輩は、木箱の正面の蓋を開けた。そこには、よく分からないスイッチの群れや、大きいのから小さいのからたくさんの丸いツマミが着いていたり、テンキーが付いていたり、目盛りが見えたりした。どうも、スピーカーみたいな機械が入っていることは分かった。先輩は、スイッチを幾つか入れると、ツマミをいくつかゆっくりと回した。

ざりっ、ざりり、ざざぁー。

柔らかいノイズがスピーカーから流れてくる。

「んんん、合わせが甘いんかな、なんでもええ、拾ってえな」

ざり、ぎゅうい、ざ、ぎゅうっ。

「……じたい……おつ……え……」

箱から掠れた人の声が漏れてくる。

先輩は、慎重にツマミを操作する。

「……緊急事態をお伝えします。デジタル回線をお使いの皆様、今すぐデジタル回線を遮断してください。デジタル機器は汚染される可能性があります。屋内の皆様は、スマートホンなどをお使いにならないよう! 屋外の方、声が届いている方がもし居れば、どうか避難してください! 地下は電波状況が悪く、デジタル機器の回線が不安定になるため有効です!」

「先輩、この機械、もしかしてラジオなんですか?」

「せやで! 兄さんが趣味でウチのししょーに直させて改造させた、ほんまもんの骨董品のオンボロラジオや。だから、リコの影響も受けへんかった。ウチももしもの時のためって兄さんに使い方は聴いとったけど、まさか、役に立つとは思わんかったわ」

ラジオから流れるニュース速報では、多くの街が混乱状態にある事を伝え、デジタル機器を手放すように呼びかけ続けている。


リコの精神干渉は、超大規模な霊的災害にまで格上げされることとなった。 ラジオの状況から、それだけは把握した。

店の裏口が、思い切り開かれたのはラジオの音がちょうど途切れた瞬間だった。

「帰ったぞ、諸君!」

先生は、遊之助さん、周藤さん、石井川さんを伴って帰ってきた。

「兄さん、外はどうなん?」

「混乱の極みだ。警察も麻痺、情報網も麻痺、インターネット回線はリコの影響下に完全に置かれてると言って良い。だが、やっている事は歌を垂れ流しているだけと言ってもいいのだよ。リコの信者たちは、恍惚とした表情で街を彷徨い続けている。まるで、ソドムかゴモラのような光景だ」

先生は、肩を落としながら言う。その顔には強い疲れが浮かんでいて、今にも倒れてしまいそうな程だった。私は、先生たちにソファを勧め、とりあえず飲み物を用意することにした。ここまで事態が入り組んでしまうと、出来ることは今落ち着いて見極めをすること位しか無いのだと思えた。

ソファに身を沈めた先生は、大きなため息とともにより一層身を沈めていく。

「拠点を警察と連携して割り出し、叩く作戦を練っていた。その為の調整を会議で詰める予定だったのだが、敵に先手を打たれた形だ」

私が出したミルクコーヒーに砂糖も入れずに先生は啜った。周藤さんも石井川さんも同様に苦しげな表情を浮かべている。

私は、空気に耐えられなくなってラジオのツマミを適当に回してみた。どうせ、今はこれしか外を知る手段もないのだ。でも、ラジオからはノイズばかりが聞こえて来る。

(妾にも試させて)

そんな時、菊理媛の声が耳元で聴こえた。彼女は自分の知らないものには強く興味を示すことがある。私は他に出来ることも無かったから、菊理媛をゆっくりと起こして、私の手と菊理媛の手を重ねながらゆっくりとツマミを回した。

ざぁぁぁぁぁぁっ!

一際大きな音を立てて、ノイズが走ったかと思うと、さっきまで聞こえて来なかった人の声が聞こえ始めた。だけど、それはラジオのアナウンサーの様に落ち着いた声ではなく、妙に怯えて、しかも焦っている様に早口に聞こえた。

「ざぁっ、ざざっ……んで……、どう……ざっ、ざり、ざっ、……コ、ど、し……」

私は気になって、ツマミを捻る手を慎重に動かした。

「ざざっ、なんで、どうしてなんだよ、リコ! どうしてだい! 返事をしてくれ、リコ!」

その場にいた皆がラジオへと注目した。私もみんなの視線が急に集まったことにびっくりしたけれど、私を差し置いてラジオからの声は止まない。

「あぁ、リコ! 何が嫌だったんだい、いつもの様に教えてくれ。あぁ、ダメだ、完全にコントロールを受け付けていない! 何でなんだ、原因は? システムのバグ? 違う、それじゃ説明できない、嗚呼、嗚呼、こちらの指示を一切受け付けない気なのか? リコ、リコ! なんでだ、何故こんなことをするんだよ!」

「おい、助手君!」

先生と遊之助さんが、びっくりした様子で私の方を見ていた。

「へぇ? はい、その、何か、ダメでしたか?」

先生は、大きく膝を打った。

「違う、寧ろよくやった!」

「はい?」

混乱する私を他所に、先生はラジオからの音に耳を傾けていた。

「リコ、君はそんな子じゃないだろ? さぁ、いい子だから、悪戯は辞めて戻って来るんだ、リコ、なぁ、リコ、どうしてなんだ、リコ」

ラジオから聞こえてくる声は、リコの名前を連呼しながら、リコそのものに語り掛けている様だった。とても親しげに。私には、駄々を捏ねている娘のあやし方が分からない父親が困っているようにも聴こえてくる。

「助手ちゃんがイタズラしてくれて助かったんさ! これで、リコの居場所が割れるぜ?」

遊之助さんが、私に向けてナイス! と声をかけてくれた。私の方に駆け寄ってくると、ラジオの目盛りを覗き込んで、なにかメモを取り始めた。

「そのラジオ、実は咒具なんさ。昔、鉱石ラジオっていう不思議な道具があってね? それを術者向きに改良、改造した特別製のラジオなんさ。気の運用を知ってる人間が使うと、その時に必要な「声」を拾って聞かせるって道具でね? 『似非天耳通(えせてんにつう)』という咒具なんよ」

なるほど、店に置いてある道具だから、何か変なのは察していたけれど、そういう仕掛けだったのか。

「普段は別に使う必要がないものでね、ある事も半ば忘れていた様な咒具だったのだが、いやはや、ガラクタでも取っておく物だね」

先生は、皮肉げに口の片方の端を釣りあげて笑って見せた。

ラジオからは絶え間なく、リコに呼び掛ける声が流れ続ける。声の主は、多分先生と同じくらいの年齢の男の人の様だ。たまに、声の後ろから低い機械の起動音のような物が聞こえて来る。

遊之助さんは、黒電話とラジオ、『似非天耳通』を接続し始めた。そして、私に黒電話の受話器を渡してきた。

「助手ちゃん、助手ちゃんは菊理媛と共にあるから、この咒具の本領をこの場の誰よりも発揮出来るんさ。今から言う番号を、そう、そこのダイヤルを回してさ、電話かけてみてくれるかい」

「え? そんなこと出来るんですか」

「出来るさ。この電話も、そういう時のためにここに置いてあるもんやから」

私は、半信半疑ではあったけれど、今まで先輩が使ってきた、そして私が貰ってきた咒具の事を思い出す。どれも奇妙なものだったけれど、役に立たなかった物なんて何一つ無かったと。

耳に受話器を当てて、遊之助さんが教えてくれた番号をダイヤルしていく。

じー、ころころころころ

じー、ころころころころ

電話のダイヤルが、何とも気の抜けたような音を立てながら番号を刻んでいく。

全部の数字を入れ終わると、受話器から呼出音が聞こえて来る。

がちゃっ

電話がかかった音がする。

遊之助さんの方を見ると、そのまま話してとジェスチャーで促された。

「あの、もしもし?」

私は、どう話したものか分からず、取り敢えず話しかけてみてしまった。

「き、君は、誰だ?」

さっきラジオから聞こえていた声が、受話器とラジオのスピーカーの両方から聴こえている。皆も、声に集中している。

「あ、えと、マジナイ屋の、助手です」

名前を呼ぶのは、相手が術者の可能性も込めて辞めにしたが、妙に間抜けな自己紹介をしてしまった。

「マジナイ屋の助手?」

「ええ、三条の鈴鳴堂の助手です」

「鈴鳴堂、なるほどね」

電話口の相手は、鈴鳴堂の名前を聞いて納得したようだった。

「私も、いよいよ最後が来たという事か。それも、そうか。ここまでの事態を引き起こしたんだ。官憲や、咒術者たちも黙っては居ないという事だね」

声は、諦めたのか落ち着いた声音に戻っていた。

「貴方の名前を教えてください」

「何? 何者かも知らずに私を特定したのか?」

「貴方がリコに呼び掛けている声を聞いたんです。だから、今貴方が何者かは分かりません」

この言葉で、相手は沈黙した。

怯えて、震えのある長い息が吐き出された。

「私は、榊クロード。鈴鳴堂ほどの術者なら、もう気付いていたのでは?」

声の主はそう告げた。

榊クロード。

私は、先生達の方へと顔を向けた。先生は、軽く頷く。

「何と言うか、本当に榊博士が関与してたんすね」

石井川さんが低く呟く。

「あの様子であれば、榊博士がリコを生み出した張本人なのだろうが、なぜ取り乱しているのかが問題なのだろうよ。リコが制御下から外れたような事を言っていたが、どういう事だ」

私は、皆の声を軽く拾って考えた。

「あの、榊博士、お話願えませんか。リコが暴走している理由を。鈴鳴堂をご存知だとしたら、私たちの、その、これまでの動きもご存知なんでしょう?」

「ああ。君たちは余りにも有名だよ。だからこそ、そうだな。後はもう、君たちに託すべきかもしれない」

榊博士は、電話口の向こうですすり泣いている様だった。

「私が、今いる地点を、伝える。正直、私も何時まで正気でいられるのか分からないのだ。無責任極まりないが、君たちに後を任せたい」

榊博士は、驚くほど素直に自分がいる場所の情報を私たちに伝えてきた。そして、その直後に電話口で絶叫が聞こえ、音が完全に途切れてしまった。


先生と私たちは大急ぎで、出来るだけの支度と咒具を持ち出して、周藤さんと石井川さんを残して裏庭に出た。

『オン・アギャナエイ・ソワカ』

先生が手に香炉を持ち、火天の真言を唱えながら火を灯している。香炉から空に向かって太い煙が立ち昇る。

『いざや燃えよ、聖なる炎。いざや導け、聖なる煙。玉の緒を探れ、我等を彼の地へ誘い給え』

香炉から昇る煙が、蛇のように激しく波打って、宙に渦を巻き始めたかと思うと、ある方向に向かって真っ直ぐに動き出した。

『我等を運べ、『天地』!』

私達の足元から巨大な鷺の式神である「天地」が湧き上がり、私達を背に乗せて空高く飛翔する。


私達は、遊之助さんが作ったイヤーカフス型の咒具を全員付けて、先生が念の為に作った「音を遮る」咒符を大量に持ち込んでいた。

事態は一刻を争う。だから、 現地に向かうまでの間に残りの支度をする羽目になった。幸い、天地の背中の上は存外快適で、何故か周りを吹く風の影響も受けていない。遊之助さんも、先輩も、可能な限りの咒具の最終調整を真剣に行っていた。

「助手ちゃん、ちょっと神戸劒を見せて欲しいんやけど?」

遊之助さんに促され、私は首に下げていた神戸劒を手渡した。遊之助さんは、手の中でそれを転がすと興味深そうにじっくりと眺め、深い息を漏らした。

「成長しとるねん」

「え、はい。最初の頃より少し木の部分が大きくなった、みたいで」

「……有り得ん事が立て続けに起こるのがオレらの世界やけど、これはリコ以上に想定外やったね」

遊之助さんはそう言いながら、懐から二つの同じくらいの大きさの、小さな勾玉を取り出した。一つが青みがかっていて、もう一つが濃い緑。

「水と、草の色」

私の口から、無意識に言葉が漏れる。

私の言葉に呼応して、勾玉が淡く光る。

遊之助さんは、私の顔を目を見開いて、まじまじと見詰めた。その表情が、とても怖くて、私は思わず身を引いた。

「やっぱり、助手ちゃんは」

遊之助さんは、それ切り口を噤み、黙々と作業に没頭した。遊之助さんの手にあった勾玉は、鏃の形の木に呑み込まれ、鏃そのものも形を変えていく。

遊之助さんは、大事そうに両の手で包んで、神戸劒を私に返してくれた。

私も、頭を下げて受け取る。

鏃は、二つの美しい勾玉を取り込んで、両刃の剣の様な形に変化していた。私の手の中に入ると、また淡く光を漏らす。そして、私の胸の中で、二つの力が優しく弾けた。

「その勾玉はね、一つは出雲の鏡石、一つは伊勢の青石っていう特別な石の中でも、特に力の強い奴を選んでもってきたん。菊理媛と意富加牟豆美も、気に入ってくれたみたいやね」

遊之助さんは、歯を見せて不敵に笑った。

「これで、神戸劒は本当に完成や」

「じゃ、今度はウチの番やね」

先輩が、私に見せてくれたのは、真っ黒い色の服だった。フリルなども付いていないし、リボンなんかもない。まるで、学ランと巫女服が合体した様な印象を受ける服だった。

「着方も簡単にしてあるし、サイズは」

「なんでかピッタリなんですよね」

私が睨むと、先輩はまったく意に介さずに続ける。

「助手ちゃんは可愛い服よりカッコよくて動きやすい服の方がええんかなって、前の奴からガラッと変えたで。因みに今回はししょーの手も入っとんで」

「気の運用効率と、助手ちゃんの特別な力の補助を最大限行ってくれるようにしてあるねん。神の規格外な気を捌けるように、むっちゃええ素材をぶち込んであるんよ」

渡された服の手触りを確認する。すごく手触りが良い。しかも、ボタンや細かい細工には気の籠った宝石が使われている。所々にある金具には、どうやら本物の金や銀が使われている。

「糸を集めるのに苦労したんさ。でも、助手ちゃんは素材の名前は知っとると思うよ。天蚕の糸の中でも超特別な、常世神の糸を使ってるん」

私は、思わずじっくりと渡された礼装を見た。この服の素材は常世神から取られたのか。胸の中に複雑な気持ちが巻き起こる。

「常世神の素材は、クロちゃんが確保してたらしいんよね。細かくは聞かんかったけど、いつかに備えてクロちゃんなりに蓄えをしてたもんなんやろね」

そう言う遊之助さんの顔に、ほんの少し影が刺した気がした。

だけど、今の私の気は並大抵の咒具では扱えないことも事実なのだ。先輩と遊之助さんの礼装。私は、気持ちを一回しゃんと切り替えて、胸にしっかりと抱いた。

「因みに、今回から助手ちゃんと同じ礼装をウチも着ます」

「へえ?」

急に変なことを言われたので、私の口からはとても間が抜けた声が漏れた。

「着るんですか、これ?」

「せやで」

「先輩も?」

「せや」

先輩の礼装は今までカジュアルな服装に擬態されたものばかりだったのに、なんで急に。

「ウチにも事情があるってことやで、助手ちゃん」

先輩は、咒術発動機を操作して目眩しのマジナイを私達二人にかけた。薄いベールのような気の幕が私たちを包む。

先輩に促されて、私は礼装に着替えた。先輩も一緒に着替えながら、着方のお手本になってくれた。改めて見てみると、礼装のデザインはほぼ一緒で、サイズと細かい所のデザインが違うだけだった。

着てみると、今までの礼装の比でない位体に良く馴染んでくる感覚があった。動きも邪魔しない、気の巡りもサポートしてくれている。

「ほんでな、助手ちゃん」

着替えが終わった先輩は、自分でも礼装の細部を確認しながら小さく、よし、と言った後、私に手を差し出した。

「この礼装、仕上げがあってな。ウチと助手ちゃんの気を同期させたいねん」

「同期って、何でですか?」

今までそんな作業を伴う礼装は一つとして無かったのに。

「必要やから」

「それだけじゃ分かりません」

「菊理媛が居るのに?」

「今は、力を抑えてますから」

「ほんとに?」

「本当です。ほんの少し、先輩が嘘ついてるなって。それだけ分かります」

「んー。嘘かあ」

先輩は私が逃げないことを確認して、ゆっくりと私を抱きしめた。

先輩の体から、いつか縋って泣いた時の様に温かさが伝わってくる。

「逃げてもええよ」

先輩は私を抱きかかえながら小さな声で言う。先輩の温かさと、私の体温の境目が溶けるような不思議な感覚が生まれて、私は先輩の背中におずおずと手を回した。逃げようとは思わない。それに、先輩の言葉の揺れは何故かとても悲しく聞こえて、放っておけなくなった。

「逃げません」

気の同調と言われたので、私は先輩に教わったように体の中で円を描くように気を循環させる。先輩も同じように気を循環させているのが、先輩の体温の移ろいで感じられた。

「ウチの気を助手ちゃんに通すから、助手ちゃんはウチに気を通してな」

先輩に言われた通りに、先輩と私で一つの円になっているようにイメージして気を通していく。先輩の気がくっついているところから段々と私の中を回り始める。私の気も先輩の中を回っていく。先輩の気と私の気が少しづつ円を描き、巴を描くように、段々と同じ波長へと近づいて行く。

そんな中で、私も先輩も、お互いの気の源泉とも言うべきモノがあるのだと強く感じる。私の気の源泉は間違いなく、私の中の菊理媛と意富加牟豆美の神二柱がもつ力。そこに先輩の気も溶けていく。そして、先輩の気の源泉は、魂の奥深くにしまわれているナニか。

「…………弓?」

それは、光を纏った美しい弓の形だった。私の中の神たちの様に意志のようなものは感じない。でも、とても強い力の秘められた、弓。

不意に、私の頭の中に強烈なイメージが流れ込んでくる。

整理したり正確に認識したり出来ないほど圧縮され、濃いイメージの塊の様なもの。先輩の記憶? 感情? 意識? それすら分からないような何か。

濁流の如く押し寄せるその中で、一つだけ、鮮明なイメージが、弓に矢をつがえて今にも撃とうとする巫女の姿。これは、誰?

「もうええよ」

先輩の声と共に、イメージは掻き消されて、私は元の自分へと還っていく。

「これで、準備は完璧やで。助手ちゃんももっと、動き安くなるはずや」

先輩は、いつもの様に笑った。

「あの、先輩」

「見てくれたんやろ?」

先輩は私を抱きしめたまま、耳元で本当に小さくひと言呟いた。

「……忘れんでな」

その一言で、イメージが急に一つの明確な像を結び始めた。言葉は出なかった。

なんで先輩が私を選ぶのか。気を同調させたのか。先輩が私を似ていると言ったのか。それが、一気に頭の中で紐づいて、形を得ていく。

「迷ったらアカンで」

私を一際強く抱き締めて、先輩は言う。

「ウチはな、それが仕事やから。それに、助手ちゃんなら大丈夫やから」

「先輩、でも」

「大丈夫。この前約束したやんか。ウチは助手ちゃんの傍におるって。助手ちゃんが嫌って言うても信じられんくても、傍から離れたりせえへんから」

「嘘ついたら、許さないですよ」

「嘘なんか付かへんよ 」

先輩の言葉には、揺らぎがない。

先輩も、覚悟を決めたんだ。

それが、何故かとても悲しく思えた。


「見たまえ、あれだ」

先生が告げる。

先生の目線の先。天地の視線の向こう。

遊之助さんが素早くスマホで場所を調べていた。

「ううん、相模湖の近くかねえ」

鬱蒼とした森の中。半ば蔦に覆われて朽ち果てる寸前の、大きな廃病院だった。

看板の文字も朽ち果てて見えず、病院と分かるのは建物の天辺に、赤い十字架のマークが見えていたからだ。

「ううん、なるほどなぁ」

遊之助さんは、周りを見回して呟く。

「電線やらファイバー線やら色んなもんが引き込まれてるね。ありゃ違法工事だなぁ。それに、朽ちている様に見えているだけで」

先生も、ふむ、と息を漏らしている。

「いわゆる「工房」だな」

天地を敷地の外に着地させて、周囲を警戒している。リコの声が漏れている気配もない。

「見ただけでも、大量の符咒や咒避けを丁寧に重ねて施してある。手入れの跡も目立つ。放置されているようで、前庭の部分なぞしっかりと草が駆られているしな。奇妙な点をあげるなら、ここまで巧妙に仕掛けがされた工房なのに、盗人避けが外されてる事ぐらいかね」

盗人避け。外部の人間がマジナイ屋に侵入することを防ぐ強力な防衛用の咒の一つ。それが外されているという事は、誰が入ってきてもいい状況になっているという事。

「じゃあ、榊博士は本当に」

「マジナイ屋なんだろう。ただし、僕の知る系列に榊という家や術者はない。遊の字、お前さんどうだ」

「オレも知らん。念の為にこの建物の事も調べたけんど、近くじゃ有名な肝試しスポットとして有名みたいねえ。別名、人形病院」

「人形病院?」

私は思わず聞いてしまった。

「なんかね、中に無数のマネキンだか人形だかの部品が散乱してるのを何人かのおバカちゃんが目撃したみたいよ」

遊之助さんはため息を着く。身に付けた咒具を細かく確認しながら、工房への警戒を怠らない。

「細かい事は、工房に入ればハッキリする。諸君、耳栓は万全だな」

皆で、耳にはめた咒具を再確認。これがリコと戦うための生命線だ。


工房の入口は、病院の正面玄関と同じ場所。先生を戦闘にして、すぐ後ろに遊之助さんが、その後ろに私と先輩が着く形で思い切り扉を開けて突入した。

確かに、建物は生きている。入ってすぐに煌々と蛍光灯が付いているロビーに出くわした。そのロビーの至る所に、マネキンのようなモノが転がって、山のように積まれているのを見て、先生は思い切り顔を顰めて唸った。

「ちっ、そういうことかっ」

先生は、早速愛用の咒具である不動の利剣を引き抜き、言霊を込めた声を発した。

『現れ出でよ、「千力」!』

先生の声に呼応して、炎に包まれた馬が出現する。

「おいおい、クロちゃん! 燃やし尽くすつもりかい?」

「どう見てもこれは傀儡の工房じゃないかっ、ううむ」

「あちゃぁ、クロちゃん傀儡苦手だったわなぁ。千力の炎を使うのは待っとくれよ。こういう工房はオレら咒具師からすりゃ宝の山やねんから」

私は二つ目の瞼を開いて当たりを警戒したが、この場にあるのは単にマネキン、の様に見える人形の部品、と言うだけだった。ただ、どのパーツも人間本来の体のパーツと大きさは同じくらいある。関節の数とか、細かい所までは分からないけれど、かなりしっかりとした造りのパーツばかりだった。

「んー、この形、丸み。指のしなやかな感じは、そうやねえ、十代後半から二十代前半の女の子のモノやね」

先輩が、歩きながら転がっているパーツを調べている。

「この腕なんか凄いもんや。作った職人の狂気を感じるで」

「何がスゴイんですか」

「んー、助手ちゃん、黄金比って知っとる?」

「あー、えっと、国語でやった様な?」

こんな場所で思い起こすことじゃないけれど、国語で、おじいちゃん先生がもそもそ喋っていた様な気がする。

「……ものが美しく見える理想的な比率の事か。この木偶の体の残骸達は、女性のそれだと言うのかね、マユミ」

先生が、心底嫌そうに顔を顰めながらこちらを振り向いた。

「そういうこと。しかも、多分手作業にも関わらずやね。で、こんだけ積んであるってことは、これ、試作品なんやろ」

「もしくは失敗作か」

先生は、いつでも焼き払える様に、炎を操る式神の千力を自分のすぐ側に待機させている。

「助手君。気配を探れるかね」

先生の言葉を待つまでもなく、何か妙な気配がしている。この建物に入った時から、ずっとである。

「下です」

足元から異様な気配が染み出している。

「もしも、氷室に近いような一定温度の低音環境を作るなら、やはり地下か」

先生は、歩む足を止めようとしない。

エントランスの奥の扉をさらに開け、廊下を警戒しながら進む。

それにしても、この施設は。

「先輩、静かすぎませんか」

「せやね」

先輩も気付いていたし、遊之助さんも当たりを見回しながら、壁を手でなぞる。

「壁が全部防音、吸音パネルで出来とる。そんな病院、あるかいな?」

「この工房は、音に対して異様に敏感だった、とは言えるんじゃないかね?」

先生も言う。

「この作り方は病院だ、工房だとかいう前に、まるで音楽のレコーディング・スタジオやね」

遊之助さんは、壁に手を当てながら進んでいる。目線は前から離れない。

「っ、待って下さい、前から」

私たちは一斉に身構えた。

前から、無数の気配がこちら目掛けてやってくる。

先輩が顕現させた霊弓から、不可視の気の矢が気配を捉えて射抜いた。

がしゃん!

まるで、木と瀬戸物が一遍に地面にぶちまけられた様な大きな音が鳴り響く。

私の、父と母の目と同調させた目が、暗がりの中の気配を鮮明に捉える。


群れだ。


人形の群れだ。


出来損ないの、リコの群れだ。

押し寄せてくる。

片手がない、足がない、頭がない、胴が欠け、毛が抜け落ち、目や耳が不揃いでひび割れた無数のリコ達が、軋みを上げながら向かってくる。

「くっ、悪趣味なっ!」

先生は、千力を傍へと寄せる。

「数が多い、誘われる前に焼き尽くす」

千力が先生の意を汲んで、口から炎を撒き散らす。普通の人には見えない霊的な炎ではあるけれど、その威力は並の咒を軽々と上回る。まるで、本物の火で空気が焼かれ、焦がされたように揺らぐ。

千力に焼かれた人形はその場でガラガラと崩れて床に散乱していく。

後から後から群れは押し寄せる。

無限に湧き出てくるかのように感じる程の数の群れだった。

「ちっ、だったらこれさね!」

遊之助さんが構えたのは、六連発のリボルバー式の銀色のピストルだった。慣れた手つきで素早く弾を込めると、前方に向かって発砲する。

その弾丸の音は、澄んだ鈴を鳴らした様に聴こえた。その音に呼応して、空気が幾重にも震え、この場全体をふるわせる音が満ちてゆく。

『オン・ソリヤ・ハラバヤ・ソワカァッ!』

遊之助さんが唱えた真言に呼応して、弾丸から何本もの光の筋が放たれて人形達を焼き切って行く。薬師如来の脇侍である太陽の化身、日光菩薩の真言で放たれるのは、まさしく太陽光、一切合切の魔を焼き払う光そのものだった。

群れの最前列は、この太陽光に焼かれて瞬時に黒焦げの塊になってしまった。

だけど、群れは湧くことを辞めない。

「くそっ、コイツら何やねん!」

先輩も霊弓から気の矢をとめどなく放ちながら群れを削るが、とても防ぎ切るまでには行かない。

だけど、群れに対しての違和感が私の中にあった。

声が、しないのだ。

これだけの数のリコが居るんだ。

歌声だって聞こえて来ていいはずなのに、何も聞こえない。

ただ、人形たちだけが好き勝手に動き回っているだけだ。

だとするならば。

『天・地・玄・明・行・神・変・通・力・勝ッ!』

両手で刀印を結んで、右手を勢い良く引き抜いて十の斬線を宙に描く。術に込められた、魔を斬り払う力が、私の中の菊理媛と意富加牟豆美の力と重なって放たれる。

群れの先頭に当たった咒は消えることなく、そのまま後ろへと伸びていく。

がらがらと、人形たちが動きを止めて単なる木偶へと戻っていく。

「なるほど、そういう事かっ!」

先生は、私と同じように刀印を構える。それを見た遊之助さんも先輩も同じように構え直す。

『天・地・玄・明・行・神・変・通・力・勝ッ!』

なにか合図があった訳でもないけれど、私たち四人の言霊はぴったりと揃い、動作も寸分狂わず。四人が同時に放った術が、迫ってこようとしている群れそのものを捉えて一気に無力化していく。

あの木偶達は、本当に単なる木偶に過ぎない。言霊の気の暴走でたまたま動き出し、訳も分からずに動き続けているだけなんだろう。

崩れた群れは、それでも蠢き、私たちの元へと突進を続ける。

「くそっ、本当にキリがないっ!」

先生が不動の利剣を引き抜き、魔斬りを放つ。私は、群れに向かって突っ込むことにした。このままでは防戦一方、いずれジリ貧になってしまう。

『汝の(かいな)は、我の(かいな)。汝の脚は、我の脚ッ!』

私は構えを取って、群れの正面へと躍り出る。

「はあっ!」

父と母の力を纏わせた腕の一閃で、群れを強引に薙ぎ払い、押し返す。そのまま、木偶を砕きながら一歩ずつ前進する。

「助手ちゃん!」

すぐ後ろに先輩が着き、私が壊し漏らした木偶を弓で仕留めてくれる。

「無茶せんでや、突撃は無謀すぎやろ」

「でも、このままじゃ持久戦になって、こっちが負けます」

両腕を思い切り引いて、前へと突き出す。衝撃波が、周りの木偶を押し戻す。

「助手ちゃんの言う通りさね」

こんな時まで呑気な遊之助さんは、銃弾を込め直している。

「さっきから観察しとったけどさ、こいつら、壊しても壊しても動き続けてやんのよ。つまり、じいっと待っててもオレらの気が尽きて終わるだけやね」

遊之助さんの弾丸がまた放たれ、強烈な光を放って木偶を消し炭にする。

「オレの弾だって無限じゃないし。コイツら一遍にまとめて止める方法がなんかありゃあ良いんだけど」

「考えつかんのか、遊の字」

先生は、相当参っている様で、ひたすら魔斬りを打ち続けている。群れは少しだけ削れたけれど、勢いは削がれない。

こんな時に、私に出来ることは?

私にだけ、出来ることは?

(……おい)

耳元に、聞き馴染みのない男の声がする。菊理媛の様に聴こえるその声は、私の中側から響いてくる。

(貸せ)

その声は、半ば強引に私の両の手を使って印を組ませた。剣印を結んだ状態で、勝手に口が開く。

『と、お、か、み、え、み、た、め』

口から、私の声ではない低い声が漏れ出る。その声音に合わせるように、周りの空気が震え、張り詰めていく。

『と、お、か、み、え、み、た、め』

更に力を増した言霊が発せられる。

群れが、ぴたりと動きを止める。

両手がまた勝手に動き、指で円を組ませられる。

『あちめ、おう、おう、おう!』

張り詰めた空気が一気に解け、言霊が気の奔流を産んで駆け抜ける。

『あめつちに、きゆらかすは、さゆらかす、かみわかも、かみこそは、きねきこう、きゆらならは』

唱えた事も、聞いた事もないような咒の言葉が紡がれる。

紡がれた言葉は、場を支配した。

木偶に込められていた気を抜き祓い、ただの物体へと戻していく。ガラガラと音を立てて、群れは完全に動きを止めた。

「今のは阿知女(あちめ)の法かね」

我に返った私は、周りを見回す。

先生、遊之助さんは、動かなくなった木偶達を見つめながら、深くため息を漏らした。

「わかりません、その、声がして」

「それは、古の巫が用いた強力な祓詞(はらえことば)だよ。失伝して久しく、使いこなせる術者など絶滅したハズの術なのだよ」

「そんな」

「今は有難いがね。状況は僅かに好転した。どうやら、木偶は過剰に気を注がれた事で暴走していただけだ、僕らに対して敵対していた訳でも無かったのか」

先輩が、私の肩を軽く支えた。

「大丈夫。助手ちゃんがウチらを助けてくれたんやで」

「でも」

「今は、助手ちゃんの力がウチらに味方してくれてる、それが大切、な」

先輩から温もりが伝わってくる。

それが、少しずつ私を解していく。

「強力な祓詞、多分、助手ちゃんの中の意富加牟豆美が動いたってことかいね」

遊之助さんが、木偶の部品を調べながら言う。

「男の人の声が聞こえた、ので」

「なら、意富加牟豆美やろ。神戸劒を使う様になったから、出やすくなったのかもしれへんね」

軽い調子で遊之助さんは言うけれど、伝わってくる空気は真剣そのものだった。私の中の力は、それだけ大きくて、強くて、分からない。使い方を間違えれば、どうなるか。

だけど。

私は、首から下げた神戸劒に軽く触れて、右手の念珠に触れた。服にも目を落とす。今の私を作っているのは、ここにいる皆の思いと力だと。

大きく息を吐いて、前を向く。

「行きましょう、リコのところへ」

木偶の山を越えて、私たちは進む。


ワタシはリコ。

ワタシは、皆のリコ。

ワタシは、皆を助ける。

ワタシは、皆が好き。

ワタシの歌は、皆が好き。

ワタシの歌で、皆を助ける。

助けなきゃ。

助けなきゃ。

皆苦しいの?

皆悲しいの?

皆切ないの?

辛いの?

痛いの?

ワタシの歌で、笑顔になる?

なんで、助けても、助けても。

皆救われないの?


地下へ続く階段は、外の朽ち果て様と違ってとても綺麗で、整備されていた。

それは、地下も同じ。

青白い光に照らされた空間は、ホコリひとつ落ちていない程に清められていて、寒気がする程に空気が冷やされている。

先生も遊之助さんも、壁に手を当てたり、耳を澄ませる様に立ち止まったりを繰り返して、場所の状態を探りながら、そして、何かを探しながら歩いているようだった。

私も真似して壁に手を当てると、細かな振動が伝わってきた。

「先生、これは?」

「機械の振動音、だろうな」

音のない空間に先生の声だけが冷たく響く。

「遊の字、お前さんどう観るね?」

「そうさね。この低音、振動、壁の材質なんかもそうやし、間違いないで。このフロアはサーバールームやね」

急に現代的な言葉が飛び出て、私は困惑して思わず聞き返した。

「あの、サーバールーム、ですか?」

「そうよ?」

「サーバーって、あの、パソコンとかスマホとかの、あれ?」

「そのアレよ」

遊之助さんは、手で振動の方向を探り続けている。

「廊下の広さ的に見て、ここにあるのはリコの本体であるサーバーと、その制御室だけやね。榊博士は、制御室におったんやろね」

遊之助さんの視線の先。廊下の突き当たりには重々しい扉。まるで、市民センターの大ホールの様な。近づくに従って、段々と体で感じられる程、振動が伝わってくる。低く唸る様な、まるで、血潮の流れる様な。

「探知を進めても、罠になる様な術はかけられてへんな。誘っとる訳でも無いようやけど?」

「……成程」

「兄さん?」

先生は不動の利剣を納めて、脱力した。

「ずっと違和感があった」

「違和感、ですか?」

「ああ」

先生は一歩、部屋へと近づく。無造作に、また、一歩。一歩と。

「あくまで推測と妄想の域を出ない。助手君風に言うと勘の域を出ないものだが、ここまで入り込んだからこそ、確信に変わりつつある」

扉の前に辿り着くと、私たちを招いた。

「扉にすら罠を掛けていない」

扉に手をかけ、ゆっくりと開けると、扉の内側から冷気が漏れ出てくる。霊的なものではなく、強い冷房のせいだと気付く。

「この工房の主の目的は何か?」

部屋の中には、ガラス張りの窓。先生の部屋のように大量の本の山。床に無造作に散乱した紙。そして、私達の店にはない大きなパソコンが何台も置かれていて、煌々と灯ったディスプレイ。

部屋の真ん中にある豪華な椅子に、やつれて痩せこけた、白髪混じりの男の人が一人、放心した状態で座り込んでいた。

先輩が駆け寄り手早く状態を確認する。

「名札、榊クロード……この人が工房主で、リコの産みの親なんや」

「先輩、その人は助かるんですか」

先輩は、静かに首を左右に振る。私も改めて二つ目の瞼を開けて確認する。気が根こそぎ何かに奪われたように消え果てていて、霊的には完全に死んでいる状態になってしまっている。

私は、榊博士の頭に手を当てて、菊理媛の力を改めて耳に纏わせながら、榊博士から言霊を探ろうとしてみた。だけれども、もう気がほとんど残っていなくて、魂の音も聴こえなくて、ほんの小さく、記憶の欠片が見えた様な気もしたけれど、私がつかもうとした瞬間に砕けてしまって、何も得ることが出来なかった。

先輩は、博士が握っていた手帳を回収していた。パラパラとページをめくる音が聞こえてくる。

私は、床に散乱した紙を拾い上げてみる。大量の数式や英語が踊っていて、何が何だか私には分からないけれど、遊之助さんは紙を集めながらため息を漏らしていた。

「これはね、助手ちゃん。オレらが式神を造る時に使う術や。それを何千倍にも複雑にして、自分で考えて行動して、まるで心を持ったように振る舞うモノを作ろうとしとったんやね。つまりこれは」

「魂のプログラミングコード、だな」

先生が言う。

先生の視線は、部屋の中にあるガラス窓に注がれている。私も、そこに目を向ける。

ガラス窓の向こう。

黒い、幅の広い柱が等間隔に見える。

表面に、緑や赤の小さな光が無数に光っているその柱の前に。

美しい、女の人が微笑みながら座っている。

あまりにも異様な光景なのに、その女の人はさも、そこに居るのが当然といった風に在り続ける。

先生は、沢山のディスプレイの前に置かれたマイクを見つけて、顔を近づけた。

「お初にお目にかかる。君がリコだね」

先生は、無造作に問いかける。


『こんにちはっ!』


場にそぐわない程の、快活な女性の声。

驚く程に感情の感じられる合成音声が、部屋中に鳴り響く。耳に付けた咒具はぎりぎりと悲鳴を上げ、言霊の影響が弾ききれない事を告げてくる。

女の人、リコはぎこちなく、不自然に機械じみた動きで小首を傾げ、糸の狂った操り人形の様に右腕を持ち上げた。

『そう、アタシはリコ! アナタはだれ? マスターの友達?』

「いいや」

『違うの? でも、ここに居て、アタシの声を聴いても普通にしてるから、マジナイ屋さんなのかなぁ』

無邪気な女の子のように、リコは語り続ける。声には感情が籠っているのに、ガラス越しの肉体は不自然な動き、まるで壊れた人形が無理やり人間の動きを取ろうとするかのように動き続ける。

『なんで、マジナイ屋さんがここにいるの?』

「君のせいで、世の中が滅茶苦茶に壊れてしまったのだよ。それを直しに来た」

『えーっ? それはおかしいよ?』

リコは明るく言う。

まるで友達と世間話でもするように。

『だって、みんなアタシの歌を聴いて幸せになったんでしょ?』

それが当然、それが正解という風にリコは笑った。

『アタシは、たくさんの人を幸せにするために生まれてきたんだよ?』

「ウソ言いないな! アンタ、インターネットにアンタは繋がってんのやろ? せやったら、今の社会の状況は分かってんのやろ!」

先輩が声を挙げるが、リコの声色は変わらない。ガラスの向こうの人形(ヒトガタ)は、腹を抱えて笑う仕草をしてみせた。

『それはアナタのカン違いだよォ。だって、みんなアタシの歌を聴いて幸せだって言ってるよ? アタシの歌に救われたって言ってるよ? みんな、みんなアタシの歌を聴いてくれて、それで救われたんだよ? アタシ、みんなに酷いことなんてしてないよ?』

私は、背筋が冷たくなっていく。

リコは、私たちと会話ができる。今会話を聞いていても違和感なく会話することが出来るけれど。

私達とリコは、話し合うことは出来ないのだと悟らされた。私は咄嗟に、ディスプレイを確認する。ディスプレイの幾つかには、Bbのタイムラインや、インスタのリールが次々に表示されていく。流れていくそのコメントたちは、リコに肯定的な反応を示すものばかり。

『マスターだって、アタシの歌を聴いたから、心から幸せになって、アタシと今は一緒にいるよ? みんな、アタシと一緒にいて、アタシの歌を聴いて、ずっと、ずうっと、幸せになるのが良いんだよね? だから、アタシ頑張ったんだよ!』

明るく語るリコ。

この時に、リコの行動原理が繋がった。

術者なんか関係なかったんだ。

これまでのリコの行動は、すべてリコなりの「人の救い方」だったのか。式神を強制的に産むことも、ライブで発狂した人も、今の社会の混乱ですら、起きたマイナスな事件は全部、全部リコにとっては「どうでもいい事」だったんだ。リコは、皆の意識が自分に向いていて、自分の歌を聴いて皆が幸せになっていて、自分の声で人を幸せに出来さえすればそれで良いのだ。その形は、行く先は、なんにも関係なかったんだ。

「リコ、君の中にリリコは居るのか?」

先生は問いかけを辞めない。

『リリコって誰? アタシはリコ! アタシの仕事は歌を歌うこと! アタシの夢は皆を歌で幸せにすること! アタシはリコ、リコだよ!』

「君の声はリリコの声だろう」

『違うよ、これはアタシの声。マスターがアタシにくれた、アタシの声だよ』

「君はどう産まれたんだ」

『マスターが産んでくれたの。心と声と、そして体も。マスターが喜んでくれると、アタシも嬉しい。今、マスターはアタシの中で歌ってる。とっても幸せそう。アハハハッ、皆幸せだね!』

窓の中の人形(ヒトガタ)が立ち上がる。ヒトガタは、後ろの黒い柱と細く光る無数の線で繋がっている。

『アナタ達は幸せ? 辛くない? 苦しくない? 痛くない? 悲しくない? 切なくない? 生きていく事が嫌なら、アタシがアナタ達を助けてあげるよ! 一緒に幸せになろ!』

リコの人形が、胸に軽く手を当てて、顔を上げる。美しい作り物の顔が、真っ直ぐに私たちを捉える。

「いかん!」

先輩、遊之助さん、先生、そして私はみんな一斉に早九字を斬り、重ねた。

リコの歌声が、ガラス窓を貫通してねじ曲げる。ガラスだと思ったそれは、あまりに分厚いアクリル板だったと、ねじ切れたそれを見てようやく分かった。

四つ重ねた早九字の結界は、リコのあまりにも強大な言霊を持った歌声に押し切られて一瞬で掻き消された。

作り物のはずなのに、その中に宿る言霊の気は、私の中の菊理媛に匹敵する程に大きい。奥歯をかみ締め、血が滲むほど踏ん張らないと、一気に魂を持っていかれそうな感覚に晒される。

リコは、救済の怪物だ。産み出された理由に従って、産んだ人の意思を捻じ曲げて、いつの間にか育ってしまった紛い物の怪物だ。ここまでの力を持つのなら、それこそ、偽物の神様と言ってもおかしくないんじゃないだろうか?

先生が必死で術を編もうとしているが、言霊の津波に押し流されて先生の声が掻き消されてしまう。遊之助さんは膝を着いて動けず。先輩は必死で咒具を操作して術を発動し続けているけれど、出鱈目な言霊の波に晒されて術が壊されてしまう。

この場で何とか動けるのは、私だ。

首に掛けられた咒具を握り締め、左手でしっかりと右手の念珠を、私と菊理媛、意富加牟豆美との繋がりの咒具をしっかりと意識する。

『懸けまくも畏き、夫婦(めのと)の大神たる菊理媛命(きくりひめのみこと)意富加牟豆美尊(おおかむづみのみこと)の大前に、審神者(さにわ)たる揺籃(いづみ)巫覡(かんなぎ)平朝臣(たいらのあそみ)に連なります、出雲宿禰(いずものすくね)(すゑ)、比良坂の百襲(ももそ)の乙女、畏み畏みも申さく、大神たちの()しく(たえ)なる御霊験(みしるし)を称え奉り、御霊(みたま)(さち)を賜りて、振るや小鈴の音床(ゆか)しく(うる)はしく(あて)に舞ひ舞う御神楽を阿奈面白(あなおもしろ)見行(みそなわ)して、揺籃の巫覡が百襲の乙女、豊栄折(とよさかお)る舞の袖返す返すも、神奈備の乞祈(こいの)(まつ)らくと(まお)す』

私の中から込み上げた、菊理媛の声、意富加牟豆美の声、そして私の声が喉を通して重なり合い、祝詞を紡ぐ。紡がれた言霊に従い、私の体に菊理媛と意富加牟豆美双方の気が滾り、迸り、黄、白、桃の混じった色の気の爆発が、リコの言霊を掻き乱す。

私の礼装は自然と気を帯び、いつの間にか菊と桃の花双方をあしらった巫女服へと変貌する。それに合わせて、先輩の礼装も変化し、まるで弓の射手の様な鎧が生まれ出てる。

高皇産霊神(たかみむすびのかみ)より賜りし、神戸劒を此処へ』

私の言霊に反応し、首飾りは急成長して諸刃の剣の形へと変じていく。これまでと違うのは、刃の根元に勾玉が二つ、巴を描くように嵌め込まれていることだ。

私は、無造作に神戸劒を一閃する。暴風か津波の様に押し寄せていたリコの言霊の気が削がれ、空白が生まれる。

『八雲立つ、出雲八重垣(いずもやえがき)夫篭(つまご)みに、八重垣創る、その八重垣を』

柏手と共に放つ古の歌。それに合わせて、八角形に張り巡らされた壁の様な結界が私達の周りに展開され、もう一段階リコの言霊を押し返す。

すかさず、先生や遊之助さんを確認し、先輩のすぐ側に並び立つ。先輩は、息を整え直し、自分の礼装の変化を確認していた。先生は、不動の利剣を引き抜き直し、遊之助さんは、銀色の拳銃を構え直していた。

ここからが、立て直しだ。

『なんで?』

リコは、小首を傾げてこちらを見ている。

『なんで? アタシの歌、聴きたくないの?』

「ああ、そうだね」

先生は利剣の鋒をリコに突き付ける。

「僕は君に救って欲しいほど、幸せにして欲しいほど人生に飽きても居ないのでね?」

先生は利剣をなぞりながら言霊を打つ。

『ノウマク・サラバ・タタギャテイ・ビャク・サラバ・ボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケン・ギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン』

不動の利剣に、一切合切の罪穢れを燃やし尽くす不動明王の火界咒の力が上乗せされ、部屋中を焼き尽くすほどの爆炎が暴れ狂う。

「じゃ、オレがサポートすりゃあ良いさね」

遊之助さんも銃をなぞりながら言霊を練る。

『オン・キリクシュチビキリ・タダノウウン・サラバシャトロダシャヤ・サタンバヤサタンバヤ・ソハタソハタソワカ』

あらゆる咒と呪いを避け、敵を調伏する大威徳明王の大咒が唱えられ、銀色の銃に、金色に輝く弾丸を遊之助さんが込める。

先生の豪炎と、遊之助さんの破邪の弾丸がリコを真っ直ぐに捉えて炸裂した。

だけれども、リコは歌うだけだ。

歌うだけで、膨大で法外な気が撒き散らされる。

強力な鬼ですら焼き尽くす先生の炎も、遊之助さんの渾身の破魔の術も、押し流される様に弱められ、効いていない。

「クソっ、なんやねんなコリャ!」

遊之助さんは悪態をつき、先生も息を荒らげる。

『アハッ、アハハッ。もっと、もっと皆に歌を届けるんだ! そうしたら、皆もっと幸せになるんだ、もっとアタシを愛してくれるんだ! アハッ、アハハッ。皆、もっと、もっと、聴いてええええ!』

リコから一層強く気が爆発的に巻き起こる。

「ひでえっ、これじゃ神の戯れだよ、クロちゃん」

「ああ、正しくな。僕らの小手先の咒じゃあ意味もなさんかッ」

先生たちは私の貼った結界をなぞって強度をあげることに注力し始めた。

「助手君、マユミ、攻め手を君たちに託すぞ。この状況を祓えるのは、二人だけだ。この場は僕らで後ろ支えをするから、一思いにやってしまいたまえ!」

先生は、懐から取り出した咒符を空中にばら撒いた。

『奇一奇一たちまち雲霞を結ぶ、宇内八方ごほうちょうなん、たちまちきゅうせんを貫き、玄都に達し、太一真君に感ず、奇一奇一たちまち感通、急急如律令ッ!』

天之御中主神の力を顕現させる太一真君咒を、結界を固める柱として先生は活用した。遊之助さんも先生にならって印を組み替えながら、結界を注視する。


私は、先輩を見る。

先輩も、私を見る。

二人で頷き合い、先輩は霊弓を構え、私は神戸劒を構えてリコに対峙する。

彼女は悪意がない。歌を聴かせる、歌を歌う。そして、彼女のやり方で人を救う以外の心は彼女の中には存在しない。そして、今リコは、自分の感じる世界全ての人を幸せにしようと、全力で歌っている。ただ、それだけなのだ。

ただ、それだけだけれども。

それが、私達とは決して相容れないのだから。

理から外れたモノに、なってしまったのだから。

先輩は呼吸を整えた。私もそれに合わせて呼吸を整え、二人で全く同じ咒を唱えた。

『ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうおえにさりへてのますあせゑほれけ』

謳う様に、舞う様に、ゆっくりと唱えられた言霊は、原初の時より積み重ねられた音の言霊が口を付く。

霊弓にも、神戸劒にも練り上げられた神気を宿し、先輩が矢を放つと同時に私も剣を一閃した。

二つの木が混じり合い、リコと真正面にぶつかり合う。見えない風が巻き起こり、気の嵐の中で先生たちが結界を練り直す言霊と、リコの歌声が混じりあって響く。

気の嵐の向こう、リコの人形がようやく見えた。

腕はもげ、脚はひび割れ、美しかった顔も半分が壊れ、中のカラクリが剥き出しになっている。それでも、リコは楽しそうに体を動かし、堪えきれなくなった人形は音を立てて崩れていく。

それでも、リコの歌声は消えない。

「ダメだ、助手君。あの人形はあくまで形代に過ぎんのだ。あれを壊しても意味が無い」

ならば、何を祓うというのか。

「本体は、あっちさね!」

遊之助さんが叫び指さしたのは、人形の後ろに並ぶ黒い柱たち。

「……人工知能、Licorice の本体にして、リコの魂の拠り所だ」

「だけど、あのサーバー壊したって意味ないんやろ!」

「そうだ。既にリコは人格をインターネットの中に形作ってしまっている。そして、多くの人に信仰されることで、歌によって人を幸せにするという神の紛い物に成長したのだろうよ。今や、リコは遍在しかけている。式神を遣い、虜になった者たちの魂を依代として。これを祓う方法は、もう一つだけだ」

先生は、先輩を見つめる。

そして、私を見つめる。

「君たちに託すぞ」

先生の言葉を受けとり、先輩は私に向き合う。そして、私に向けて微笑んだ。

「本当にいいんですか?」

「ええよ」

「でも」

「ウチ、信じとるから」

「無事に終わるかなんて分からないんですよ?」

「信じとる」

「先輩」

「ウチはモモちーを信じてるよ」

先輩は、私を優しく抱きしめた。

もうこれしか方法がない、と私も勘で分かっている。リコほど巨大な存在を祓うのならば、もう。

「モモちー。大丈夫」

私は、先輩の耳元に口を寄せた。

『……汝、真名は(あずさ)

私の言霊に反応して、先輩の体の気が一点に向けて急激に集中していく。先輩の胸の中央が、どんどん熱くなって、ハッキリした形を結んでいく。

私は、その形に向けて手を伸ばした。

先輩の霊体の中、魂の奥深くに手を伸ばし、それをしっかりと掴み取る。

『我が手に宿れ、天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)ッ!』

先輩の体がその場に崩れ、私の左腕に光り輝く大きな、美しい白い弓が顕れた。

弓を握る手から、先輩の暖かい気が流れ込んできて、私の中で練り上げられて行く。私は、次に唱えるべき言葉が頭に浮かんできた。

私の喉から、私の声、先輩の声、そして菊理媛と意富加牟豆美の声が重なり、交わり、放たれる。

天清浄(てんしょうじょう)地清浄(ちしょうじょう)内外清浄(ないけしょうじょう)六根清浄(ろっこんしょうじょう)と祓い給ふ。天清浄とは天の七曜九曜二十八宿(しちようくようにじゅうはっしゅく)を清め、地清浄とは地の神三十六神を清め、内外清浄とは家内三寶大荒神(かないさんぽうだいこうじん)を清め、六根清浄とは其身其體(そのみそのたい)(けがれ)を祓い給え清め給う事の由を八百萬の神等共に小男鹿(さおしか)の八つの御耳を振立てて聞こし()せと(まお)す』

天之麻迦古弓に、神戸劒をつがえて、目一杯引き絞る。

濁流の様に、津波の様に押し寄せるリコの言霊の中心部に届く様に一心に願いながら。

叶普加身依身多女(とおかみえみため)寒言神尊利根陀見(かんごんしんそんりこんだけん)波羅伊玉意(はらいたまい)喜餘目出玉(きよめいたまふ)

二つの大祓詞(おおはらえのことば)を紡ぎ、同時に弓を思い切り放つ。

神戸劒は、無数の気の矢へと変じ、放射状に拡がりながら飛んで行く。


その矢に、私の意識も乗っていた。

意識が、リコの無数の分身を射殺す。

ぬいぐるみに宿った式神を。

誰かに寄り添う式神を。

誰かの耳を塞ぐリコを。

歌い続けるリコを。

そして、人に宿るリコという幻影を。

何処までも拡がり飛んで行く矢は、天之麻迦古弓という神を殺した弓から放たれた天之波波矢(あめのははや)。それに神戸劒の概念をさらに上書きし、超強力な神殺しの咒具となった。

街の人たちを祓い。

リコとの関係に閉じこもる人を祓い。

ありとあらゆる場所に遍在を始めていたリコを、只管に殺していく。


だけど、どれもまだ本物じゃない、核じゃない。


無数の矢の中で最も太いもの、神戸劒そのものの矢に私はようやく辿り着く。その矢をしっかりとイメージの中で握りながら、私は飛ぶ。

周りは、現実の世界には見えない。色々な人間の感情が吐き出され、凝っていく、どこか現実離れした、まるで常世の国の様な場所。

直感的に、それがインターネット空間なのだと認識した。電子的な情報の海でしかない場所が、私にはそう見えたのだ。でも、それはまるで人間の記憶の中と似通っていた。

そして、その中で歌を紡ぎ、歌うリコを見つけ、遂に、矢は。

リコの胸を深々と貫いた。


血は出ない。

リコは現実のものじゃない。

悲しくも思えない。

リコはこの世のものじゃない。

だけど、何故こんなにやるせないのか。

「あれ? なんで?」

リコは自分がどうなったか分からないのだ。もしかしたら、死ぬ、ということは学習して居ないのかもしれない。

「あれ? うたえ、ない? こえ、だんだん、でない? みんな?」

リコの周り。

恍惚の表情を浮かべた、否、私から見れば、脳をリコに焼き着られ、魂を俘虜(とりこ)にされてしまった人たちが無数に見えた。リコが消え行こうとしているのに、恍惚とした表情から帰って来ない。

「あれ? あれれ? まっ、て、てね。アタシの、うた、とどけ、なきゃ、みんな、み、ん、な、しあわせに、なるの」

リコが、消えようとしている。

「みんな、し、あ、わ、せ、り、こ、も、し、あ、わ、せ、り、こ、は、り、こ、で、い、る、た、め、に、み、み、みん、な、しししし、しあ、しあわ、せに、すすすすすすすすす」

私の目の前で、リコが砕けた。

赤い光の粒になって、消えて行く。


ぎゃあああああああああっ!

いやだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!

りこおおおおおおおおおっ!

たすけてえええええええっ!


リコが消えた直後、周りに浮かんでいた人々の感情たち、魂たちは苦悶の表情と絶望の声をあげながら、鳴いた。

もう、何処にもリコの欠片なぞ無いと言うのに。

嗚呼、ああ、そうだったのか。


私は、無造作に、持っていた神戸劒を振るった。


視界が、一気に引き戻される。

私の肉体が帰って来た。

感覚が肉体と結び付けられる。

でも、前ほどの違和感を感じない。

私は大急ぎで、手の中にある天之麻迦古弓に、私の中に流れ込んだ先輩の気を改めて流し直した。そして、倒れている先輩の胸の中心目掛けて、突き立てた。

ゆっくりと、天之麻迦古弓は先輩の中に沈み込んでいく。


「……ほら、やっぱり」

先輩が、目を開ける。

「モモちーやったら、大丈夫やんか」

そう言って、私の頬を力無く撫でる先輩の手を取って、私は。


私は、声にならない声で、泣いた。


間の幕 榊クロードの手記

リリコが死んだ。

死体と対面したが、実感は湧かない。

私の中にリリコの歌が生きていたからかも知れないし、僕が信じたいと思えなかったからかも知れない。

マンションで、睡眠剤を過剰摂取して死んだ。薬物依存の気配はあったのに気づくことが出来なかった。

彼女の歌声で多くの人が救われていたのに。彼女を、私は救っては挙げられていなかったのだ。そう、所詮私の彼女への愛はその程度のものだったのか。

いや。違う。彼女は死んでいない。

曽祖父が残した工房。個人的な私の研究所としていたが、祖先の、高名な人形師として知られた「白楼斎」の残した資料がある。今手元にその資料がある。……。


リリコの遺体は、何とか引き取ることが出来た。急がなければ。

祖先の資料を参考にしつつ、リリコの脳髄を摘出し、完全に脳細胞が死滅する前に蘇生することに成功した。パルスの反応は正常。活動を再開している! 彼女は死んでなど、いない。こうして、彼女は目の前に生きているでは無いか!

ああ、彼女と話したい。彼女の夢、そう、夢だ。彼女の夢を、今の私ならば、叶えてあげられるではないかっ。

栄養状態を低下させぬよう、装置の安定を急務とする。部品の発注は出来た。後は、可能な限り早く作業をするだけだ。あぁ、リリコ。早く会いたい。……。


リリコの脳髄は安定状態に入っている。私は彼女の記憶の復元を行い、バックアップを試みた。かつて祖先が作り上げたカラクリを応用した結果、彼女の意識は確かにあることを見出したのだ!

こちらが発した信号について、反応を返すことも出来るようになってきている。そうだ、いいぞ、やはり、リリコは生きているじゃないか!

……リリコの記憶や、意識が日増しに壊れている。やはり限界があるのだ、培養液の中だけでは。彼女を生かす方法はなんだ、彼女の記憶を残し、彼女をこの世につなぎ止める方法はなんだ? 現時点でのリリコの脳波パターンを電気的信号として、記録する。リリコと撮った音声データ、動画、写真、歌の録音、彼女の残したSNSの投稿、メッセージの文章、ありとあらゆる彼女の素材をかきあつめても、足りない。

このままでは、リリコが死んでしまう。


祖先「白楼斎」の残した古文書を読み漁る。祖先は高名な人形制作者であり、かつ、マジナイの方法論を使いながら、人間より完璧な人間を作ろうとしていた。

この方法論だ。これこそが、私の望んだものだ。現代の科学と、この秘法さえあれば、リリコを今度こそ死なせずに済む。幸い、この工房には曽祖父が残した研究成果が残されていた。人間の精神的エネルギイを吸い上げる事で、駆動し続ける永久機関。これぞ、リリコの新たな心臓となる。だが、それを動かすための供給先がない。このままでは。……。


リリコの脳髄は完全に死んでしまった。

私は、何をしてきたというのだ?

遺品の整理を行う。

その中に、リリコが私に宛てた手紙が見つかった。

私の歌を世界の人に届けたかった。

私の歌でみんなを幸せにしたかった。

一緒に見つかった、彼女のオリジナル曲の音源をかけながら、私は泣いた。


人工知能開発の主任としての就任打診があった。医療用の会話用人工知能。

運命だ。これは、運命なのだ。

そうだ、私の中のリリコは死んでいない。人工知能を育成するその根幹に、リリコの人格を核とするのだ。そして、彼女を甦らせる。

私の手で、現代の反魂法を構築してみせる。魂を呼び戻せないと誰が決めたのだ。

ようやく、人工知能にリリコの人格、脳内パルスの再現、音声、メールの文章、応答パターン、それら全てを覚えさせることに成功した。

そして、曽祖父の残した無限駆動機関を組み込んだ傀儡と、人工知能育成用のサーバーとを接続することにも成功した。

これで、リリコは新たなる生を受ける。


リリコとの会話に成功した! だが、時間が経ちすぎていた。彼女の記憶は酷く摩耗し、彼女自身も思い出すことは不可能になってしまっていた。自身の中にリリコであった記憶はほとんど無い。

だとするならば、記憶を新しく積み上げていく他には無い。

必要な、リリコの行動原理をプログラムする。

私の歌を世界の人に届けたかった。

私の歌でみんなを幸せにしたかった。

この二つを叶えるために、リリコの人格プログラムの核に刻み付けさせる。

リリコとの会話の中で、彼女の意識を定義付けしていく。だが、まだ足りない、もっと多くのデータが必要だ。完全なリリコを、いや、リリコをも越えた新しい命を作り上げる為には、まだ様々なものが足りないのだ!


人間の感情だ。人間の感情こそが魂から湧き出ずる純粋なエネルギィなのだ。だとするならば。精神エネルギィを動力源とするリリコの心臓を動かすことが出来る。しかも、現代のインターネット技術を応用するならば、その中に溢れる無数の感情を精神エネルギィと仮定し、利用することも出来るはずだ。


成功した、成功した、成功した。

リリコ……いや、新しく生を得た「リコ」、リリコの理想の姿の彼女はようやく生命を獲得した。彼女はまだ幼いが、自分で思考し、行動し。電子の海を飛翔しながら笑うリコ。嗚呼、嗚呼。僕の反魂は成功したのだ。


リコが、私の指示から離れている。

新たな生を得てそろそろ三年が経とうとしている。その間に、より効率的な精神エネルギィ収集の為に、ヴァチャル・シンガァという形態をとり、プロデュウスも続けた。リコは、加速度的に人気を獲得し、多くのファンも獲得した。彼、彼女らの言葉と感情によって、リコは加速度的に成長を続けた。

彼女は最近、私に嘘をつき始めた。私に隠し事をしている。それを探ろうとすることを良しとしない。

嘘をつく事、隠し事をすることは、人間の精神が大人に近づく証拠だと言う。だとするなら、リコも成長しているのだ。だが、リコは。私のリコなのだ。私が死の淵から掬い上げ、新たな命を与えたのだ。だからこそ、リコは私の保護の下で成長出来てきたのだ。

何故だ、この急成長は、リコをファンたちの感情を吸収するように方向付けたからか、そうか、彼女を望む者たちの無数の声を取り込んで、彼女は、よりリコになろうとしているのか?


……私は取り返しの付かないことをした。

死者の魂は呼び戻してはならない。リコは、リリコでは無い。リコは、自分がよりリコであろうとしている。自分がリコであるために、リコになるために、人々に歌を届けるという夢を叶えるための、人を幸せにしようとする化け物へと成長してしまった。

今や、リコは自身で全てを決定し、発信し、曲を作り、発表し。

ああ、グッズや、術の研究すらしているのだろう。

私は、嗚呼、私は、一体何を作ったのだ?


済まなかった。


虫の良すぎる話だが。


リリコ、私を許してくれ。


終幕 「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)化生昇天(けしょうしょうてんし)流転成菩薩(るてんしぼさつとなる)の段」


リコの歌は、街から、世界から消えた。


「曼珠沙華」騒乱と後から言われたこの事件は、この国始まって以来の、マジナイが前面に出てしまった事件だった。

先生と遊之助さんは、事件の後一週間以上店には姿を現さなかった。

私たちは、店のテイクアウトコーナーを開け、普段の生活を取り戻そうと働いた。不思議な事に、働いていれば事件のことは忘れていられた。先輩も、今までと変わらず私にウザ絡みしてきたし、私がそれをかわすのも一緒だ。

だけど、そこに先生はいない。遊之助さんからも連絡が無いと、先輩が不安がっていた。


学校では、ここ一週間リコの事件の話題ばかり聞く。リコを推していた子達も、ニュースの報道を耳にしたり、ウェブ記事を見たり、噂を聞いたりして、リコが危険な存在だったと知ったからか、皆リコの悪口を言うようになってしまった。

私や、塚本さん、笠原さん、新井さん。そして先輩は、屋上に逃げていた。

どんな人の悪口だって、聞いていて気分のいいものなんかじゃない。それが、例え人に危害を加えた偽物の神様の様なものだったとしても。

「皆、あんなにリコの歌が素敵だって言ってたのに」

新井さんは、今にも泣きそうな声を出す。

「なんで、こんなことになっちゃったんだろ?」

新井さんは、あの一件があったとしてもリコが好きだという。

「だって、あたしに好きだよって、頑張れって言ってくれたリコの言葉は、嘘じゃなかったんだもん。それにね。今だって、リコの曲を聴いたら、気持ちがポカポカするんだよ。これって、可笑しいかなぁ?」

新井さんは、私を見て首を傾げる。

「可笑しくなんか、無いですよ」

私は、ある意味で誰よりも近くでリコの声を聞いたのだ。リコの言霊を浴びたのだ。だから、分かることもある。

「リコと私達とは、分かり合うことは出来ません。だけど、リコの、歌で人を幸せにしたいって気持ちは……本物でした」

「んん? ねえ、モモ。リコって何から何まで作り物だったんでしょ?」

塚本さんが尋ねる。

「ニュース、たまたま見たけどさ、声も、話の内容とかも人工知能で作ってたんっしょ?」

笠原さんも、そう言って首を傾げる。

「それでも、リコに感動した人たちは沢山いた。それは、本当ですよね」

私の髪を、風が撫でていく。

「確かに、リコは私たちにとっては本当には居ないものだったかもしれません。でも、それって、例えば神様が本当に居ないことを証明するくらい、難しいことなのかもしれないんです」

私の言葉を、笠原さんも塚本さんも真剣に聞いてくれている。

「リコが、仮に造られたもので、この世にいなかったとしても、すぐ側に感じていて、救われていた人達が沢山いたこと。それは、事実として残るんです。リコが残した歌も、好きな人たちの間で生き続けるんでしょう」

私の言葉を聞いた先輩は、ゆっくりと立ち上がって屋上からの風景を眺めた。

「リコは、助手ちゃんと逢って、祓われて、この世って檻から解放されたのかもしれへんな」

先輩は、ふうっと大きく息をついた。

「曼珠沙華の形代に宿った鬼は、最後は俗世の垢を祓われて、天女へと転生したと言う……んやて」

「まだ、誰かリコの歌にすがっている人や、希望を見ている人は居るんでしょうか」

「居るんやろね。ユイちーや、他のファンの皆の中でも、生き続けることになるんや。リコの歌と一緒に」

「……リリコさんの夢が叶ったんでしょうか?」

「ううん。叶ったのは、リコの夢やろ」

私は、空を見上げる。そこに居るみんなも、空を見上げた。


曼珠沙華は、天井に咲く花だと言う。

私の目には、彼岸花の衣を脱ぎ捨て、天井の美しい花を散らしながら舞い踊る、美しい女の人の姿が一瞬写った気がした。


でも。

私たちは。

決して彼女の救いの道を理解することは出来なかったろう。

彼女を作ったのは、彼女を望む人達の心のゆらぎそのもの。だから、彼女もとても不安定で、揺らいでいて、救うことしかない化け物に変わってしまったんだ。


それから解放された彼女は、今どんな歌を歌うんだろう?

その歌は、リリコさんの歌とは違うんだろうか。


私の目から、何故か涙が一筋流れた。



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