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鈴鳴堂怪奇譚  作者: 秋月大海
2年生編
11/14

七の話 彼の曲をもう一度

鈴鳴堂怪奇譚(すずなりどうかいきたん) 七の話

()の曲をもう一度

 ~マジナイ屋ト乙女達、日々ヲ歩ム~


明けの幕 或る日のラジヲ~千九百七十年、夏~


ぎゅいっ、きゅーぅいっ、きゅぅぃっ


ざざーっ、ざっ、ざざっ


こんばんは。今日も皆さんの耳と心に癒しをお届けします。

おまっとさんでした! お相手を務めますのは、ご存知、愛川銀之助です。

今日の最初のお便りは、ラジオネーム、お、夕顔さん、常連さんからですねぇ。

「こんばんは」

はい、こんばんは。今日もお便り、ありがとうございます!

「今日は、ちょっとした噂話を聞いて、気になりすぎてお手紙しました」

はいはい?

「銀ちゃんは、ラジヲのジョッキーさんだから、ブルーノートって曲を知ってますよね?」

おー、もちろん知ってますよ。ブルーノート、国産ジャズ屈指の名曲ですよ。ジャズファンの人には、かなり知られてるんじゃないかなぁ。僕も勿論、大好きなんですねぇ。

「そのブルーノートのシリーズは全部で十二曲あるのですが、実は誰にも知られていない十三曲目がある、という噂を聞いたんです。この曲を作った人が、内緒で演奏していたとか、どこかのバーで演奏されてたとか。この曲って、私たちは聞くことが出来ないんでしょうか」

うわぁ、難しいお便りですね。

ええ、僕もブルーノートの十三番のウワサは知ってますよ。でも、やっぱり聞いた事は、ないんです。夕顔さんのお便りにある様に、音源がどこをどう探しても見つからないんですね。色んな人達が探し続けてるのに見つからない。これはどういうことなんでしょう? だからこそ、謎の曲ってことで、神秘的なんでしょうけどね!

では、このお便りに関連して、「ブルーノート十二番」をお届けしましょう。普段ジャズを聞かない皆さんも、聞いてみて下さい。では!


第一幕 お昼休みの教室

「ミナちゃん、何聞いてるのっ?」

新井さんが、小さな体を目一杯伸ばしながら塚本さんを覗き込んでいた。

椅子に座って、目を閉じて、塚本さんはイヤホンで何かを聞いているらしい。ちょっと体が揺れているところを見ると、音楽なのかな、とは思う。

「んー、ミナっち、最近なんかジャズにハマってるらしいのよ」

長身の笠原さんが、新井さんの肩を軽く叩きながら言う。

「ジャズ? なんで?」

新井さんが少し首を傾げた。笠原さんも同じ様に首を傾げる。

「わっかんない。ここ最近急に聞き始めてるからさ」

私は、そんな光景を見ながら、作ってきたサンドイッチを食べていた。今日の具はキュウリとハム、それに昨日の残りのポテトサラダに、先輩におすそ分けして貰ったハンバーグ。

「ねー、モモちゃん。モモちゃんはジャズとかって聞くの?」

新井さんが聞いてきた。

「もごっ、んーっ、そう、ですね」

口の中に残っていたハンバーグサンドを何とか飲み込んだ。

「そもそも、あんまり音楽って聞かないんです、その、推しの、曲くらいは聞きますけど」

実際、私はほとんど音楽なんて聞かない。興味が無いまま来てしまった、と言うのが一番正しい言い方になるだろうか。高校に入るまでまともな人付き合いをした事がなかった私は、正直誰かとの共通の話題になるようなモノに興味を抱くこと自体なかった。

推しのVライバーが出すカバー曲とか、オリジナルの曲とか、U tubeでちょっと流行ってて流れてくる曲を聞くことはあっても、音楽を楽しく聞いたって経験自体も薄い気がする。

「わたしもそんな感じなんだー」

新井さんは、私の机に体を凭れさせながら、塚本さんをじっと見ていた。

塚本さんは、ふう、と息をついてイヤホンを外した。そして、びくっと体を跳ねさせた。私、新井さん、笠原さんの視線が集中してるのだ。それは驚くだろう。

「な、なになに?」

「ミナっち、アンタさぁ、ウチら置き去りにして一人でお楽しみじゃん?」

「うぁっ、ごめんってばぁ。つい聞いちゃって……。いい曲なんだよぅ?」

塚本さんは両手を振って平謝りしている。頬もちょっと赤くなっている。

「ミナちゃん、なんて曲聞いてたの?」

塚本さんは、スマホをそっと出して画面を見せてくれた。音楽の再生画面で、曲名には「ブルーノート 五番」と書かれている。

「最近話題なんだよ、この曲、っていうか、このシリーズ?」

「シリーズ、ですか」

「うん、この曲、同じ名前の曲が全部で十二個あるの。そんでね、同じ人が作ってて、演奏もその人がしてんの」

「へー。でも、ミナっちが音楽にハマるなんて珍しいじゃん。どしたん、急に?」

塚本さんは、笠原さんに尋ねられると、うーんと首を捻った。

「あのね、Tick Tackでショートが流れてて。そのショートで紹介されてたの。紹介してた人も結構有名な人でね、聞いてみたら本当にいい曲だったの」

「ふーん。そんなに言うんだったら後で教えといてよ」

「あ、アタシも知りたいっ!」

「いーよー、じゃ、後でTick Tackのショートと、U tubeの曲紹介動画共有しとくねー」

そんな、他愛ない話をしながら、昼休みは過ぎていく。


第二幕 マジナイ処 鈴鳴堂

「助手ちゃーん、そっちのカツサンド仕上がりそ?」

「はい、もうすぐ。ドリンクどうですか?」

「オッケーやで」

最近、店はテイクアウトのフードメニューを求めるお客さんで賑わっていた。その手のお客さんを店の中に入れるのは、先生が嫌がったので、どうしたものかと思っていたら、先輩がお店の壁を一部改造して、一週間くらいで注文口と受渡口になるコーナーを作ってしまった。

先輩が咒具作成にまつわるハンドクラフトなんかが得意なことや、裁縫や服作りが出来ること、電子機器までいじれることは知っていたけれど、家のリフォームまで出来るとは知らなかった。しかも、いつの間にか調理師免許まで取得していたという。これに関しては本当なのかどうかも分からない。ちょっと万能すぎる気がする。

「はーい、おまちどうさんです。カツサンドと甘めのカフェラテですねー。まいどー」

先輩の明るい接客とフードの美味しさにつられて、お店はびっくりするほど人気になった。

テイクアウトが本格化してすぐは、行列ができたこともあったけど、先輩は絶対に作り置きはせず、「作りたて」の味に拘っていた。ちょっとずつ仕組みを整えて、整理券や受け渡しチケットを作ったりして、お客さんが並ばずにスムーズに料理を受け取れるようにした。ファーストフード店にはない、手作り感を押し出した先輩のお料理は評判になり、固定客までちゃんと着き始めたのにはびっくりした。

テイクアウトコーナーは、私たちがお店にいる間しか開かないけれど、先輩が上手くインスタやbbを使って宣伝しているのでお客さんがよく訪ねて来ている。三条高校の人達も、先生方から生徒さんまで色んな人が来てくれるし、近所のおばちゃん達も訪れる。

先輩と私は、今日も忙しくテイクアウトコーナーを切り盛りしていた。


私たちの先生で、この店の主である黒井(くろい)(あきら)先生は、私たちの授業の時と、先生が出張るしかない依頼の時以外はほとんど二階から降りてこない「二階の住人」なった。店の経営がすっかり潤って、研究に没頭できるようになった、ということなんだろう。店は完全に先輩に譲ったような形になってしまっている。

「はーい、今日の分はおしまいやでー。次は水曜日に開けるんで、また来てやー」

先輩の声が通りに響くと、窓を閉める音がする。

私のマジナイ屋の先輩であり、私のもう一人の先生である黒井麻由美さんは、キッチン周りをテキパキと片付けながら、私たち分の賄いを用意していた。

「先輩、お疲れ様です」

「んー、お疲れ助手ちゃん♪」

賄いは、スパゲティナポリタンと野菜スープだった。

「やっぱり、平和に稼ぐってサイコーやね。ウチ、こういう青春が送れるなんて思いもしとらんかったわ」

ナポリタンを美味しそうにつつきながら、先輩は笑った。

「こんなに店が繁盛するなんて、未だに信じられないです」

「兄さんは経営とかそういうのにキョーミない人やったから。でもウチは、とりあえず兄さんが食べて行けるくらいこの店で稼げるようにするんが目標やから。そしたら、マジナイ屋の方に兄さんも専念できるやろ」

確かに、先生の教師としてのやる気は皆無に等しい。お金が稼げればそれでいい、位の気持ちだと隠しもしていない。

だとしたら、先輩のやり方が先生のためにもなるんだろうけれど。

「それって、私たちで先生を食べさせてく感じになりますよね?」

「あー」

そこまでは考えてなかったのか、先輩はちょっと間抜けな声を出した。

「でも、兄さんならウチ養ってもええ」

「あんなオジサンがヒモなんて、私は嫌ですよ?」

「助手ちゃん、言うやないの」

私も先輩のナポリタンを美味しくいただき、野菜スープで一息を付いた。先生が私たちのヒモ的な何かになるのは置いておいて、私たちの作った料理を美味しいと食べてもらえるのは嬉しかった。そろそろ、私も進路を考える時期が来始めているけれど、こんな生活が続くのも悪くない、と思えるようになっていた。

テイクアウトコーナーからノック音が聞こえる。

「なんや、ちゃんと閉めてあるのにわからんお客さんがおるんかな? ウチ、見てくるわ」

「あ、いいですよ。私が行きます。先輩は休んでてください」

売り子としてもキッチンスタッフとしても、先輩は今日は大活躍だった。まだ私の方が余力がある。

ノックの音は大きくは無いけど、何故か妙にリズミカルだった。まるで音楽の拍子をとっているかのような不思議で特徴的なノックだった。

私は受け付け口を開けないようにして、お店の入口から出て外を見た。


一言で言うと、変な人がいた。

まず、服装は真っ赤でネコちゃんの柄の半袖のアロハシャツに短パン。それにサンダルばき。頭には小さめの麦わら帽子、確かパナマ帽とか言ったか、それが乗っている。

日焼けした腕は毛深い。手には指輪、腕には腕輪がじゃらじゃらと着いている。胴長短足気味な体は、ガッシリとしている。私よりは頭一つと少し背が高いんだろうか。大きなスーツケースと何かわからない大きなケース、それに大きなリュックサックまで背負っている。だけど、旅行者にも見えない。


「あのー、申し訳ありません。今日のテイクアウトコーナーは終わりなんです」

私が声をかけると、その人物と目が合った。

茶髪じみた癖のある長髪を後ろで括り、丸ブチの黒いサングラスで目線が隠れている。口を覆う短い髭。耳には沢山のピアス。

これが俗に言う、ぱーりーぴーぽーな服装なんだろうか。そういうヤバい人に話しかけてしまったんだろうか。

「あれぇ、可愛い店員さんだ!」

私はいよいよ変な人に話しかけてしまったと後悔して、酷く渋い顔をした。

「噂には聞いてたけど、本当にちっこいね。いやぁ、クロちゃんが羨ましい」

クロちゃん? クロちゃんて誰だ?

私はこの人との会話をさっさと切り上げてしまいたくて、語気を強めた。

「あの、御用がないならお帰り下さい」

その言葉を聞いて、その変な人は口をへの字に曲げた。

「あれっ? オレが分かんないかな?」

「少なくとも、知り合いじゃないです」

「本当に知らない?」

「知りません」

「またまたぁ」

「知りません、本当に」

「……ほんとに?」

私の力でねじ伏せることは出来るかもしれないけれど、お店の評判を落とすことも揉め事になることもしたくない。しかし、なんでこの人は知り合いアピールなんかしてるんだろうか。

少なくとも私の記憶の中にこんなぱーりーぴーぽーな服装の知り合いはいない。

「あの、帰らないと警察を呼びますよ」

「ははっ、冗談きついさ、またまたぁ」

「……」

私がスマホの緊急通報ボタンに手をかけたその時、店から先輩が出てきた。

「どしたん、助手ちゃん。えらい時間かかっとるけど、まさかクレーマ」

そこまで言った先輩は、私の傍に立つ変な人を見ると、表情を一変させた。

「なぁぁぁっ!?」

先輩の大声に反応して、私は、何かあったのかと素早く距離をとって身構えたが、何も起こらない。

「よぉ、マユミちゃん。元気だった?」

「ししょぉ!? 何してんねん!」

「師匠!?」

「やぷー」

師匠と呼ばれたその人は、 軽く右手を上げて、真っ白い歯を光らせて笑った。

この珍妙な人が、麻由美先輩の本当の師匠、(ふじ)(わら)(ゆう)()(すけ)だった。

「いやぁ、疲れたさぁ」

多量の荷物を店の中に適当に起きながら、遊之助さんはお客様用ソファで寛ぎ出している。完全に自分の家のようにリラックスしているが、私以外誰も気に留めない。この人とこの店に深いつながりがあるのが一瞬で理解できた。

「何せ、昨日は仙台、一昨日は盛岡だろ? その前の日は八戸だよ? スケジュールが意味不明なんさ」

背負っていたリュックサックからは大量の土産の品が出されている。

「ししょー、相変わらず忙しいなぁ。早いところ帰って来てウチの修行つけてくれんと」

「課題は出してるし、マユミちゃんは真面目にこなしてるんさ。ちょっと趣味に走り過ぎるし、遊びすぎるけど、そりゃオレもそうだしね。この前の助手ちゃん向けの礼装なんか傑作だと思ったけどねえ」

「礼装って」

私は「仙丹」事件の最終決戦で着させられたフリフリな現代的巫女服のことを思い出した。

「見たんですか?」

「そりゃ、見たよ。見なきゃ弟子の腕が評価できんじゃないさ」

「見せたんですか?」

私は、冷めきった目で先輩を睨みつけた。あの格好は私の中の消したい歴史なのだ。それを許可なく人に見せていたなんて、信じられない。

「えー、だってメッチャかわちー格好やし、誰も笑わんよ。な、ししょー」

「そーさ。よく出来てたし似合ってたよォ? まだまだ荒削りだけど、助手ちゃんもマユミちゃんも磨けば光るわけさ」

ナチュラルにさっきから助手ちゃん呼びしてくれている。かなり、正直、嫌だしうざったい。でも、この遊之助さんも底が知れない。まず、寛いでいるように見えて隙が何も無い。多分、奇襲をかけてもいなされそうだという直感が働いた。しかも、全身のアクセサリーは先輩のそれと同じく咒具になっている。しかも、込めてある気の総量は明らかに先輩よりも何倍も多い。

「で、クロちゃんは居るん?」

「誰です?」

「クロちゃんはクロちゃんさね」

「兄さんなら二階やで。待っとって、呼ぶから」

先輩は階段口に立って、先生を呼んだ。

クロちゃん……そういえば、うちの先生の名前は黒井(くろい)(あきら)。黒井の黒でクロちゃんか。あの人もあだ名で呼ばれるんだ。

「んがぁぁぁっ」

間抜けな怪獣のような大きな欠伸を発しながら、先生は一階に降りてきて、遊之助さんの姿を認めた。そして、何も言わずにソファまで来ると、擦れた甚平姿の枯れ果てた先生は、色の悪い枯れ木のような手足をうんと唸りながら伸ばし、白髪混じりの頭の毛をばりばりと掻き毟る。

遊之助さんは、そんな先生を見ても気にも止めない。

「なんだ、来てたのかね」

一頻り体操を終えてから、先生はようやく声をかけた。

「土産を沢山買ってきたよ? マユミちゃんが世話になっとるけん」

「本来オマエが修行をつける話を捻じ曲げたのは僕だよ。そんな気遣いは不要だ」

「オレも食いたかったんさ。ほれ、東北名物のイギリストースト、全種類を買ってきたから、食い比べしよう。クロちゃんも食いなよ」

「なんじゃこりゃ、焼かれてない。トーストじゃないじゃないか」

「でも、この砂糖がたっぷり挟まった、ジャリジャリパンがナイスで美味いわけさね」

「助手君、ぼっとしとらんで、ミルクコーヒーをくれたまえ。遊の字にはブラックコーヒーを。そこの丸に遊ぶの字が書いてある缶の中の豆を使って作ってやりたまえ」

なんだろう、先生がいつになく気安い。

二人の関係がよく分からなかったけど、こう並んでいるのを見るとよく分かる。この二人は似たもの同士で、同類で、友達、なんだろう。

二人にそれぞれ飲み物を出して、私たちは残していたまかない飯を食べてしまうことにした。

先生と遊之助さんは、他愛もない話を続けている。旅先で遊之助さんが何をしてきたかを話す度、先生は相槌を打ったり、馬鹿にしたり、深く頷いたり。心なしか、先生の表情がいつもよりもよく変わるように思う。

「この二人、もういい歳なんよ?」

先輩が、私に寄り掛かりながら言う。

「でも、二人で並ぶとまるで、小学生の男子が話してるみたいに無邪気になるんよね。大人って不思議やねえ」

先輩は、デザートに用意したフルーツヨーグルトをつついている。

「あの、先輩。私、遊之助さんのこと、ほとんど知らないんですけど」

「んぁ? そうやっけ?」

「話には何回か聞いてますけど、直で会うのも話すのも初めてですし」

「せやったっけ……なんか助手ちゃんって、ずーっと昔から一緒だったような気もして……」

「錯覚です。まだ一年も一緒にいませんよ?」

「せやったな……えっと、遊之助ししょーは、ウチの咒具師としての師匠なんや。ししょー自身も、咒具師として有名な人やで」

ああ、そこは聞いた気がする。質は高いけど、変にこだわって作るせいでおかしくて使いづらい咒具が多いんだったか?

「兄さんのインバネスとか、道具箱とか、後は不動の利剣はししょーの作品やな。兄さんは、言霊を使って大体の咒具を使えてまうから、ウチらのモニターというか、実験係をしてもろてんねん」

私は、先輩の琥珀色の瞳の大きな目を覗き込む。この先輩の目も、どう見ても普通の目にしか見えない。でも実際は義眼型咒具である『智慧の眼』なのだ。これも、先生と遊之助さんの共同開発なのだという。

「普段は、それだけじゃなくて精密機械のエンジニアもしてて、それで全国飛び回っとるんよ。確か、半導体? に関する色んな機械を見てるらしいわ。後、トロンボーンの奏者もしとるな」

なんだか、属性盛り盛りな人だ。

「せやから、基本三条には居らんのよ。ししょーの家はほぼ、ウチの家みたいなモンになっとるんよねぇ」

「先輩も独り暮らしみたいなものなんですね」

「家の管理する代わりに好きに使わしてもろとる、感じかなあ」

オジサン二人組は、イギリストーストなるパンにかじり付き、味の感想をこぼしながらコーヒーを美味しそうに呑んでいる。なんというか、変に気の抜ける、だけど、妙な気分になる組み合わせだ。

「しかし、遊の字。お前さんが直で来るなんてのは、何かまた厄介事だね?」

「察しが良くて助かるさ」

そして、嫌な話の流れになってきている。

「クロちゃんは、ブルーノートって知っとるかい」

「ブルーノートですか?」

私は、知っていた単語が出たせいで、つい口を挟んでしまった。

「あの、ジャズの」

「お、よく知ってんね。そーだよ。正しくはブルースなんだけどね」

「なんだ、助手君。君はジャズを嗜むのかね」

「い、いえ、その、塚本さんが好きで聞いてるって、言ってまして」

「ははぁ、成程」

先生は、ため息をついて肩を落とした。

「遊の字、最近のインターネット界隈というのは凄まじいものだね。時も流行りも超越してありとあらゆるものを掘り起こしてみせる。まるで魔法を手に入れた悪趣味な墓荒らしのようじゃないか」

「それには同意するけどね、ジャズ聞いてくれる人が増えるんだから、オレは歓迎しているよ」

「そういうもんかね」

「そういうもんさ」

二人のオジサンは同じタイミングでコーヒーを啜った。

「で、ブルーノートだろ。知ってるさ。お前さんが吹いてたこともあるだろ」

「そうさね。トロンボーンをフィーチャーした曲やからね」

遊之助さんは懐から携帯音楽プレーヤーを取り出して、再生ボタンを押した。

軽快な音楽が鳴り響く。

私も、ちゃんと聞くのは初めてだけど、何となく楽しいような、そんな雰囲気にさせてくれる曲だ。使われている楽器は、全部で、四つくらいだろうか。

「この曲はね、トロンボーン二つ、テナーサックス、それとパーカッションで構成された不思議な編成の曲なんよ。照和の時代の名プレイヤー、淀川(よどがわ)修造(しゅうぞう)の作った曲のシリーズで、今聞いて貰ってんのは七番さね」

曲が続く。先生は、指で拍子を取りながらかなりノリノリで聞いている。先生にこんな趣味があるとは知らなかった。

「この演奏は本人のものじゃないね」

「お、わかる?」

「お前さんの演奏だろう、癖が出とる」

「敵わんなぁ、クロちゃんにゃ」

なるほど。どこかのプロの演奏かと思って聞いていたけど、目の前のこの人が演奏しているのか。

「それでも、ししょーはライブで人を呼べるし、ファンが着くくらいには腕があるやんけ」

先輩はフォローしたけれど、遊之助さんは頭を掻きながら苦笑した。

「それでも、淀川修造に比べりゃ月とスッポンさ」

曲は、段々と繰り返しの旋律になり、少しずつ音が小さくなっていく。そして、余韻を残す形で終わった。

「全部で十二番まである曲の中で、俺は七番がいっちゃん好きやね」

「僕は好みで言えば十番かね。少し物悲しいような感じがなんとも言えず唆るものがあるね」

全部で十二も曲があるのなら、好みがバラけるのも当然かもしれない。塚本さんが聞いてたのは。

「塚本さんが聞いてたのは、確か五番です」

「おっ、五番か。助手ちゃんのお友達、なかなか通さね」

そうなのか? 流石に音楽はわからないので、何が通なのか分からない。

遊之助さんは、残ったコーヒーを一気に煽ると、小さくため息をついて先生と向き合った。

「ここからが本題さ。クロちゃん、十三番のレコードを探してくんないか」

「ブルーノートの十三番をかね?」

「そうさね」

先生は、片眉を釣りあげて口の片端をひしゃげさせる何とも言いようのない表情をして、沈黙していた。

「なんやの? その十三番って」

先輩が溜まりかねて聞くと、先生は大きなため息をついて答えた。

「ブルーノート十三番は、存在しないと言われている幻の楽曲だ。この国のジャズの歴史上、公的に演奏された記録は無いし、音声的な記録もなく、何処かに保存されて居るという話もない。たまにそれだと言う曲も出てくるが、大概が偽物。今まで、何人もの音楽関係者が探索を重ねて来たけど見つかることがなかった、文字通り幻想の中の曲だ」

「なんでそんなもんがあるって話になってるん?」

「公的に演奏された記録は無い。だが、「演奏を聞いたことがある」人間が存在したから、だな。だがな、マユミ。淀川修造の全盛期は今から七十年も前だ。この国が先の大戦を乗り越えたすぐの時期の人間なのだよ? 今更、その演奏を聞いた人間たちが生きているとも思えんし、音が残っていないのだから、これは「ない」としか言えんじゃないかね」

「あの、曲を聞いた人がいるんですね。じゃあ、楽譜は? 楽譜があればせめて再現はできませんか?」

「残念だけどね、助手ちゃん。楽譜も存在しないんさ。だから、この曲は聞くことも出来ないし演奏する手段もない、本当に幻の、ある筈のない曲になってるんさ」

「で、遊の字。お前さんは絵の中の虎を出して捕まえろという訳かね?」

先生は相変わらず形容しがたい表情を浮かべていた。遊之助さんの真意を測りかねているようだった。

「いや、レコードは実在するんさ」

「誰が探しても存在を確認できなかったんだぞ、なぜ断言出来る?」

「聞いた人間がいるからさ」

「だから、そんな人間はもう」

「俺が聞いた」

先生はピタリと黙った。

私も、先輩も、じっと目の前の遊之助さんを見詰めた。

今、なんと言った?

「だから、俺は聞いたことがあるんさ」

「一体、何処で?」

「俺のトロンボーンの師匠がよく吹いてたんさ」

「お前の師匠? たしか」

田中(たなか)(しゅう)(へい)、今生きている世代の中でも有名なトロンボーンのプレーヤーさね」

「なんでお前の師匠がその曲を知っているんだ?」

「師匠も、「昔聞いた」としか」

「楽譜は?」

「なかったさ。修平おじさんも、楽譜は読んでなかった。記憶にある譜面を使って吹いてたわけさ」

「妙な話だな」

先生は腕組みをして顔を顰めた。

「その曲をお前の師匠が知っていたなら、何故採譜しないんだ。そうすれば、もっと簡単に世に残せるだろうに」

「それが妙なんさ」

遊之助さんも腕を組む。

「何度か師匠に、採譜したらどうかって提案してみたけど、「そんな事をしても、偽物になるだけだ」ってさ。そう言えば、録音すら取らせて貰えなかったなぁ」

私も先輩も、顔を見合わせる。

幻と言われた曲は、多分実在する。だけど、それをちゃんと知っていた人は、それを残すことを嫌がっている、ということか。

「因みに、その修平さんはなんて言うてるん?」

「なにも」

「何も? レコードの在処については何も教えてくれへんってこと?」

「というか、もう教えてくれんのさ」

「どういうことや?」

遊之助さんは、それまでの軽妙で明るい雰囲気から、表情を消し、動作を消し、真っ直ぐに先生を見た。

「俺の師匠は、死にかけてるねん。だから、最後に、本物の十三番を聞かせてやりたい。でも、どう探していいか、分からないねん」

先生も含め、私たちは言葉を発することが出来なかった。


第三幕 三条総合病院

私は相変わらず、病院という空間は嫌いだ。人の負の念がどうしても根付きやすい。それが菊理媛の力のせいで何倍にも増幅されて、耳に押し寄せてくる。

今は、先生が会得した方法と私自身のコツを合わせて、大分上手く受け流せるようになったけれど、それでも騒めきは止まらない。

「イヤーカフの出力は気を流す量で調整が効くように改修をしておいたんやけど、燃費はまだ悪いから気ぃつけてな」

隣を歩く先輩は、薄手の七分丈のシャツにスキニーなパンツスタイル。最低限のアクセサリーに偽装した咒具を身に付けていた。

私は、適当に着てきた何年か前に買ったワンピース。中学生の時の服がまだ入ることにちょっとショックを受けたけれど、これしか丁度いい服もなかった。

「ありがとうございます。それだけでも助かります」

私は直ぐに気の量を少し増やして、耳に聞こえる霊的な音を絞った。ざわざわと耳障りな音は少なくなったけど、元の体質が酷くなっているのだから、場当たり的な対処に過ぎない。

「アイデアは悪くないけど、構造の見直しがいるね。咒的回路が複雑なのが燃費を悪くしてるから、そこを弄らなきゃ」

私たちの前を行くのは、先生じゃなくて遊之助さんである。

「クロちゃんが助手ちゃんを任せてくれて助かったさ。これで事態は前進だよ」

「買い被らないで下さい、遊之助さん。空振りになることも多いんですから」


私たちは、今、修平さんの病室に向かっている。

遊之助さんの音楽の師匠である修平さんは、三年前に脳梗塞を患って倒れ、そこから入退院を繰り返していたらしい。脳の機能障害が併発して、うわ言以外はほとんど言葉を喋れなくなってしまっていると。その修平さんを癒すために、遊之助さんはかつての記憶から「ブルーノート十三番」を吹いたこともあったが、うわ言で「ニセモノだ」と言われてしまったという。

「昔からある噂で、ブルーノートには市場に出回らない「オリジナル」のレコードが必ず存在するってのがあってね。だとしたら、十三番だってレコードはあるはず、なんやけど。それを持ってるとしたら、淀川さんの知り合いとか、家族なんだと思うねんけど、オレの分かる範囲にはなかったんよ」

私たちはいつの間にか、個室の前まで来ていた。

スライド式の扉をゆっくり開けると、ベッドに横たわった痩せこけた老人が見えた。体には幾つかのチューブが繋がれ、呼吸器の音、点滴の機械の音、心電図、それ以外のわけも分からない機械の音だけが響いていた。

「修平おじさん、来たよ」

適当なイスを引き寄せて、みんなで腰かける。これだけ人が動いていても、修平さんは起きもせず、動きもしなかった。

半開きになった目には生気を感じず、くすんだ色の肌が痛々しい。

私は、修平さんを二つ目の瞼を開けて観てみる。酷く衰弱しているのが気からも分かる。消える寸前のロウソクのようにすら見える魂が小さく揺らめいている。先輩も、唇をきつく結んで、言葉を発さないようにしている。

きっと、遊之助さんもそれを分かっていて、レコードを探そうとしているのだと強く感じる。

「助手ちゃん、お願い出来るかい」

私は、荷物を手近な机に置いて、修平さんのすぐ側に立つ。右手を修平さんの額にかざし、神経を集中する。

しゃりんっ。

右手を軽く振るう。

菊理媛の鈴が、澄んだ音で鳴り響く。

しゃりんっ、しゃりいいいいんっ。

右手を規則的に振って、鈴の音を響かせる。

『きかせて、あなたのことわりを』

私は自分の耳と菊理媛の耳が重なったのを実感し、それと同時に菊理媛の声が口から漏れた。

かざした右手に熱の奔流を感じ、そこから記憶の濁流がいつものように雪崩混んで来るかと思ったが、その期待に反することが起きている。

記憶が、あまりにも壊れすぎていて上手く読み取れないほどバラバラであった。

「これは……!?」

どの記憶を掴もうとしても、読み取ろうとする前に壊れてしまう。

「どうして、こんなことにっ」

『この人が死にかけているから』

いつの間にか、私の隣に菊理媛が佇んでいる。記憶の欠片を軽く撫でるように触れながら、ため息をついている。

『と言うより、本当に記憶が壊れてしまっている。余程自分の中に留めて置きたくなかったのかしら』

「自分で記憶を壊したってことですか」

『出来るのよ、そういう事も。方法は色々とあるらしいのだけど。それは貴女達の方が詳しいのではないかしら』

「それでも、もう少し探ってみたい、と思います」

『止めはしないけれど、意味があるのかしら?』

「意味なんて、後から探します」

一歩、また一歩と修平さんの記憶の中を進んでいく。どの記憶もひび割れ、かすれ、今までの人達のように聴くことは出来ない。垣間見ようとしても、どれも曇るか、霞むかしている。

どの欠片もそんな状態で、いよいよ諦めようとしたけれど、一つだけ光を放っている欠片がある。私は、そっとその欠片に触れた。


賑やかな場所だ。

ステージの上から、満員の客席が見える。どのお客さんも、笑顔を浮かべ、ある人は家族で、ある人は友達と、ある人は恋人と、そのステージに視線を集めている。

ステージには、若い日の修平さんと、スーツ姿の修造さんがいる。その隣には、若々しい黒髪の女性がいる。みんな、それぞれの楽器をもって演奏している。その演奏に皆が酔いしれている。修平さんから、楽しい感情や誇らしい感情が流れ込んでくる。ああ、本当に修平さんは、みんなで演奏をするのが心から楽しかったんだ。

「それでは、今日最後の曲をお届けしましょう、曲は、ブルーノート、十三番!」


そこで、私たちは唐突に引き剥がされた。

『余程、知られたくないのね』

「私達が潜っていることに気付いたってことですか」

『そう。この人は、今、()(がん)彼岸(ひがん)の境目にいるの。只人とは違う時、違う感覚の中に生きているの。だから、わたし達にも気付いたのね』

「知られたくない記憶、というのは、後ろめたいから、なのでしょうか」

『それだけかしら?』

「分からないんですか?」

菊理媛は、頬を膨らませて拗ねた。

『貴女の仲間と考えればいいの』


記憶の欠片も何も見えない暗い空間から、一気に病室まで意識を戻された。

あまりに急に戻りすぎたので目眩がして、吐きかけて、その場でよろけた。

「助手ちゃん、大丈夫? 何が見えたん?」

先輩が私を支えて、椅子に座らせてくれた。遊之助さんも、じっと私を見ている。

「修造さんと、はぁっ、ふうっ、一緒に演奏しようとする修平、さんと、ふぅ、うっ、くぅっ、確かに、ブルーノート十三番を」

吐き気を堪えながら喋るのに相当体力を持っていかれる。左手の念珠を握りながら息を整えようとするけれど、目眩が酷くて集中できない。

「ほんまに演奏してたんやな。しかも、淀川修造と一緒にか」

「直で、修造さんから、習って、はぁ、はぁ、居るのなら、知ってても、おかしく、ないです、うくっ」

先輩が見かねて背中をさすり始める。先輩の手から気が伝わって、体を巡り初め、大分気分が回復してきた。

「ありがとう、ございます」

「久しぶりちゃう? 助手ちゃんがそこまでダウンするの。何が起きたん?」

「無理やりに記憶から弾き出されたんです。だから、体に感覚、が急に、来て」

「記憶から? そんなこと今まで無かったやん」

「触れられたくない、記憶だったんでしょうか、ブルーノート十三番の演奏をするっ、て寸前で、弾かれたんです」

「なぁ、助手ちゃん。その時の記憶の様子をオレに詳しく教えてくれないかい」

遊之助さんが、真剣に身を乗り出して聞いてきた、その雰囲気があまりに切実だったので、できる限り詳しくその情景を伝えた。

「……多分ね、助手ちゃん。その記憶は誰かに覗き見されたくない記憶なのは確かだと思うねん」

「それだけ、修平さんにとって、後悔のある記憶なんでしょうか」

「逆だと思うねん」

「逆?」

「助手ちゃんには、ないかな。誰にも見せたくないくらい、大切な、自分の支えになっているような記憶って」

「大切な、記憶」

「それは、誰かに踏み躙られたいものでも、土足で踏み込んで欲しいものでもなくて、自分だけの、自分しか知らない思い出にしたいって、ことじゃないかな」

私は、横たわる老人の横顔を見る。

意識もなさそうに、ただ呼吸器の音を連続で鳴らすだけの老人の心に、菊理媛の力を弾くだけの力があった。この人にとっては、ブルーノートはとてつもなく大切な意味のある曲、なのかもしれない。

だけど、その理由を探る前に私は弾かれてしまった。

見られた記憶から類推するしかないのだろうか。

見えたのは、ステージに一緒に立っていた人たち。特に、あの黒髪の女性は誰だったのだろう?

「その人はサックスを持ってたんだろ? だったら、正体は一つさね」

遊之助さんは、懐からスマホを取りだし、私に見せた。画像が一枚映っており、そこには、記憶の中で見た黒髪の女性と一緒に、修造さんが立っている、というものだった。修造さんはトロンボーンを持っていて、女性が持っているのはサックスだ。写真は白黒な上に、下にサインが書かれている。日付は、千九百五十五年七月九日、とある。

「修造さんの奥さんだった、仁美さんさ。年の差二十歳だったかなぁ。結婚当時はニュースになったってよ」

確かに、写真の二人を見比べると仁美さんの方はかなり若々しい。正直十代と言われても通用するくらいに若い。

「私が見た姿は、二人とももう少し歳を取っていたように思います。修平さんが、十代後半くらいの年齢に見えたので」

「修平おじさんは今年で八十歳だから、見た記憶は今から六十年くらい前の記憶なんかね」

遊之助さんも、眉根を寄せてううんと唸りながら腕を組み直す。

「六十年前の情報を手がかりなしで集めようっての? そりゃ、流石に無謀やで」

先輩も、額に指をひたひたと当てて考え込んでいる。

「でも、演奏の時に奥さんと一緒だったって、ヒントにならん?」

苦し紛れにそう言った感があった先輩の言葉は、遊之助さんには違った風に聞こえたらしい。膝を思い切りぴしゃりと打って、明るい笑顔を浮かべた。

「いやっ、ヒントにはなる! ブルーノートは、修造さんが仁美さんと結婚してから後に作られてるんさ! その後、二人は離婚しちまってるけど、そこから先はブルーノートは作られてないっ!」

「じゃあ、ブルーノートは仁美さんのための曲だったんですか?」

私は、ようやく先輩の手から離れ、遊之助さんに尋ねた。

「いんや、それはないよ」

「断言出来る根拠は?」

「使ってる楽器さ」

遊之助さんは言う。

「いいかい、ブルーノートをちゃんと弾くには、トロンボーンが二本、テナーサックスが一本、それにウォッシュボードとスネアドラムが確実に必要になる。ブルーノートを再現するには、どの番号の曲も全部の楽器をそろえる必要があるんさ。もしもだよ、この曲が仁美さんのための曲なら、サックスだけで演奏できるような曲を作るんじゃないかな?」

「えっと、ウォッシュボードとスネアドラムって?」

「あ、えっと、ウォッシュボードは洗濯板を楽器にしたもんで、金属製の爪とかスプーンで波打ってるとこを擦って音を出すねん。スネアドラムは持ち運びもできる小さい太鼓やね」

「ううん? ししょー、なんかだいぶ変わった編成で演奏するんやね、ブルーノートって。ふつー、ジャズの曲やったらトランペットとかサックスにウッドベースとかギターとかピアノとか入れんの?」

「ブルーノートはちゃうんよ。オリジナルに忠実にしようとすると、さっきの楽器だけで絶対に演奏されてんの」

「そのおかしな編成? も、ヒントなんでしょうか?」

遊之助さんは、腕組みして首を捻った。

「そうさね、執拗にその編成で作るってのはなんでやろ。変わった編成やとは思ってたけど、修平さんは「そういうもんなんだ」しか言っとらんかったし。ちょっと音楽雑誌とか、古い時代のヤツを調べてみるしかないのかな」

結局、この時に分かったことは余りに少なく、遊之助さんを病院前で先輩と見送って、私達も店に帰るしか無かった。


第四幕 ジャズ喫茶「ごろわあず」

「では、次の曲です。今日は、新しいお客さんも見えてるようですから、有名なヤツで行きましょうか。お聞きください、『A列車で行こう』!」

軽快な楽器の音が踊り、ステージを見る人達は思い思いにリズムに乗って、好きなお料理をつまみながら楽しんでいる。


私は、先輩とカウンター席に腰掛けて、聞き慣れないけれど、とっても楽しい雰囲気の曲を聞いていた。

三条市の繁華街。その裏通りの半地下になった場所に、「ごろわあず」という喫茶店がある。ここは、店の奥にジャズバンドの為の演奏スペースが設けられていて、プロやアマチュアを問わずにたくさんの人たちが日々、演奏をしているという。五百円の入場料を払うと、いつでもジャズが聴き放題、ということで、三条市のジャズ好きさんが集まる有名なお店なんだとか。

カウンターの中には、ぴしっとしたバーテンダーの様なスタイルの服装に身を包んだ、八十代くらいの老紳士がいた。先輩によると、この人がマスターらしかった。

「すみません。突然お邪魔してもうて」

薄手のワイシャツにチノパンという、ラフだけど清潔感のある服装の先輩がマスターに頭を下げた。

「いや、むしろ歓迎だよ。遊之助の知り合いで、こんな若い子たちがジャズに興味を持ってくれるなんてね。嬉しい限りだよ」

立派な口ひげをたたえた細身のマスターは、穏やかに笑みを浮かべている。

「ジャズのことを知るならここやって、ししょー、いつもゆうとりました。今日はお世話になります」

そう言って頭を下げる先輩に合わせて、私も頭を下げる。相変わらず初対面の人と話すのは抵抗が強くて、上手くできない。

「僕が知っていることも、もう誰に話すことでもなくなってきたからね。聞いて貰えるだけで嬉しいよ。確か、ブルーノートについて知りたいんだったね」

私は、メモ帳を取り出してペンを構えた。こんなことをしていると、マジナイ屋というよりは探偵みたいだ。

マスターは、ゆっくりした口調で語り始めた。


そもそも、ブルーノートを知りたければ淀川修造という男の人生を知らなくてはね。ぜひ、そのコーヒーを飲み終わるまでは聞いて欲しい。

修造さんは、実に謎の多い人なんだよ。

いや、当人は気さくで大らかな人なんだけれど、何せ自分の過去を話したがらない人でね。みんな知らないのさ。ボクも子供の頃に本人に聞いてみたけれど、答えてはくれなかったなあ。うん? それももう、六十年以上昔の話だねえ。だからさ、彼のことを知っている人間は、新宿の裏通りにある小さなダンスホールの小間使いをしていたって所から話し出すんだよ。

そこから、段々と楽器を覚えて、少しずつステージに立つようになったらしいけど。どんどん実力をつけて、大きな舞台や、当時だとキャバレーなんかでも演奏するようなプロプレイヤーの仲間入りをしたんだ。小間使いをしていたのが十四歳頃で、プロ入りしたのが二十二歳頃だと言うよ。世間の知っている修造さんの姿は、そこら辺からだろうね。

だけど、プロ入りして少ししてから、あの大きな戦争がやってきてしまった。修造さんも実際に戦地に言った経験があるらしいけれど、この時代のことはほとんど聞いたことはないよ。余程、ひどい目にあったらしいから。

うん? 奥さんとの話かい? それは戦争が終わって十年以上経ってからだね。なんせ初めての結婚が、もう四十近いときだったからね。

出会いか。僕もよくは知らないけど。なんでも修造さんの一目惚れだったそうだ。ステージで演奏している仁美さんを、修造さんが見つけたんだそうだよ。

仁美さんも、苦労した人でね。その時、二十になるかならないか位だったけど、もう子供さんを一人連れてたんだ。うん。望まない妊娠だ、と聞いてるよ。あの時代はそういう嫌な話も多かったから。でも、仁美さんはその子に愛情を持って接していたし、それは修造さんも同じだったよ。

今演奏されているあのステージでも何回か、修造さんたちが演奏したことがあるよ。懐かしいなあ。修造さんと、仁美さんと、そして、息子さんとも一緒にね。ああ、息子さんとは、そんなに話さなかったなぁ。名前も、知らない。僕と同い年くらいだったなあ。

家族構成かい? 確かね、ええと、修造さんと、仁美さんだろ、で、連れ子だった息子さん、そして、修造さんと仁美さんの実の娘さんが二人いたんだ。


私は、メモを取りながら考える。

マスターは、とても懐かしそうに、楽しそうに想い出を語っている。だとするのなら、やっぱり修平さんの中に見た記憶は、とても大切で触れてほしくない。そういうことなんだろうか?

でも、何処か、このマスターの語る昔話から「悲しい匂い」を私は感じてしまっている。

(この人は嘘はついてないの)

私にだけ聴こえる菊理媛の声がする。

こういう時には、頭の中で考えるだけで向こうには伝わる。でも、今は聞き流してもいいだろう。

(嘘は、ついて、無いの)

拗ねないで欲しい。私は声に従って考える。嘘で無いなら、何かを隠しているのか。

私は、ちょっと深く息を吸ってから、マスターに尋ねた。

「あの、マスター」

「なんだい?」

マスターは聞いた事には答えてくれそうだけど、なんと聞くべきなのか?

「マスター、その、息子さんと娘さんの名前は分からんの? そこまで詳しく知ってはるんやったら、知ってそうやけど」

先輩が代わって聞いてくれた。

「なんか、伏せる理由があるん?」

私は、マスターの言葉に耳を傾けていた。菊理媛もそれを同時に捉えているからこそ、マスターの心の揺らめきが伝わってきた。懐かしさ、楽しさ、辛さ、悲しさ。マスターの声が幾重にも重なって聞こえる。

「いや、知らないんだよ、そう会ったことがないからね」

そうやって、微笑みながら喋るマスターの言葉がぶれて、別の言葉として私の耳に届く。

「修造さんの最後を話すべきなんだろうか、皆との約束、仁美さんとの約束を守るべきなんだろうか」

そんな言葉が私の胸に浮かび上がってきた。修造さんの最後、か。

「あの、修造さんが亡くなって、大分、経ちますよね」

マスターは一瞬、虚をつかれた様に身体をびくりと大きく震わせて、私を見た。

何とか平静を保とうとして、少し息をついてから話し始めたのを私は見逃さなかった。

「そう、だね。六十歳で亡くなったから、今年でもう、五十年近く経つのかなぁ。月日の速さを実感するよ」

「離婚、なされてるんですよね。その、奥さんの仁美さんと」

「千九百七十年だから、亡くなる二年前だね」

「やっぱり」

「うん、何がやっぱりなんだい?」

「やっぱり、マスターが、修造さんとご家族について、とても詳しいのに息子さんたちの名前を知らないのが、おかしいと思ったんです」

マスターは動きを止め、私をじっと見つめる。私は引く訳にはいかないと、ぎゅっと手を握りしめて、マスターを見つめ返した。

「何か、隠していませんか?」

マスターの表情が目に見えて変わった。店の中にはそれなりに人がいて、ジャズの演奏も賑やかに響いているのに、私たちの周りだけが全く無音になったように重苦しい雰囲気が漂った。

「……君たちは、ジャズについて知りたいだけじゃないね。ブルーノートの、何を本当は知りたいんだい?」

「十三番のレコードがどこにあるか」

「……何のために?」

「ある人にどうしても聞かせたいから、です。その人はもう、命を長らえることが難しいのだそうです」

「その人の、名前は」

「田中修平さんです」

マスターは、大きく目を見開いて私を見つめた。

『修平さんが、どうしても十三番を聞きたい、と繰り返して遊之助さんに頼んでいるんです。私たちはそれを叶えたいと思っています』

私は言葉がマスターの心に沁みるように願いながら話した。菊理媛の力に後押しされて、私の言葉には強い言霊が宿った。

マスターは、大きくため息をついて、何かを深く考えているように顔を伏せて沈黙した。

ステージのジャズバンドの演奏は、アンコールに入ろうとしていた。

「君たちに教えられることは無い」

マスターは、私の目をしっかりと見つめながら言う。

「やって、マスター、遊之助ししょーはマスターやったらって」

マスターは、それ以降話しかけても私たちを無視した。

私は、菊理媛を使って聴こうともしたが、先輩が私の腕を軽く掴んで、とめた。


「ありがとうございます。それでは、アンコールにお答えして、曲は「ムーンナイト・セレナーデ」です!」


第五幕 大和学園三条高校 大学図書館

私たちの高校は、大和学園大学という全国に学部のある大きな大学の付属校である。三条駅前の高層ビルが、国際関係学部の本部。だけど、図書館や体育館などの広い敷地を必要とする施設は、私たちの高校と同じ場所にあった。

図書館自体には、前に「真蛇」事件があった時に少し入ったくらいで、中をじっくり見た事は無い。

今回、先生と先輩に同行する形でほぼ初めて中をじっくりと眺めている。

「ここは、大学の附属図書館の中でも無闇矢鱈と蔵書が多いのだよ」

先生は声を落とし、潜めながら言う。

「あまりにも雑多なジャンルの本を無節操に収集所蔵している。僕自身も捜し物がある時には使うくらいだ」

先生と先輩は迷わずに進んでいく。

「ここ数日、この図書館の音楽関連の本を片端から漁っていたのだ」

先生は、図書館の一階奥の部屋に入り込んだ。入口の古ぼけた看板には、「第一集団閲覧室」と書いてあった。

真ん中に机と、椅子が四脚置いてあるだけのその部屋には、二十冊ほどの本が机に積み上げてあった。それに、机にはメモ用紙が散乱している。この部屋の中で先生が研究をしていたのが丸わかりだ。

「で、マユミにも同様の調べ事をさせていたのだが」

先輩はため息をついて先生を指で小突く。

「あんなぁ、ウチかて音楽のことなんてほとんど分からんねんで? なんで楽譜を集めさせたん?」

「そりゃ、必要だからな」

どうやら、先輩も先生のパシリにさせられていたらしい。この部屋に集められた資料の群れを眺めてみる。

古い時代の音楽雑誌と、ジャズの楽譜集みたいなものが中心になっている。

「君たちは「ごろわあず」で情報を収集しきれなかった、と言うよりも、マスターが情報提供を拒否した。逆に考えれば、マスターは当たりなんじゃないか? マスターは何らかの秘密を知っていて、その上でブルーノート十三番を守りたい理由があるんだろう。だとしたら、マスターを揺さぶり、余計な荷物を降ろしてもらうためにも、可能な限り僕ら側も情報を仕入れておく必要があるだろう」

先生はメモを漁り直した。

「今回、ブルーノート十三番を探るに当たり必要になっているのは、作者である修造氏の情報。ブルーノート作成の経緯。これくらいは抑え直さんと」

「あとは、マスターが修平さんの名前を出した時に驚いてた理由が気になんねんな。なんで、あんなギョッとしたんやろ」

「正直、助手君の菊理媛を使うのも手ではあるだろうが、それに慣れてしまうのも問題だ。地道な方法で情報を精査するのにも助手君は慣れておくべきだろう」

そう言いながら、先生は自分の手元にあった埃っぽい匂いの染み付いた音楽雑誌を開いて私に突き出した。紙は茶色く変色していて、触ってみたら破れそうなほど脆くなっている。一体何十年前の雑誌なんだろうか?

「修造氏の最盛期が千九百五十年代~六十年代なのだから、さて、今からだと六、七十年近く前の雑誌なのかね。この図書館も雑多な収蔵書があるけれど、こんなものまであるとは知らなかったね」

先生が私の考えを見透かしたように言う。先生が使う技術、「偽千里眼」。積み上げられた情報から推測した内容を

まるで魔法か何かで知った様に振る舞いながら相手に精神的な揺さぶりをかける技術だ。先生の言霊を使う技術と組み合わせられると、本当に全てが見透かされたように思えてくる。

「一旦、読んでみたまえ。新事実が分かる訳では無いかもしれないが、情報の精査には役立つだろうよ」

先生が指さす辺りの記事を見る。言葉遣いもフォントも古すぎて、内容を頭が受け付けないけれど、どうにか読み込む。

「えっと、記事には『稀代のトロンボン・プレイヤア、淀川修造。ついに結婚! お相手は話題の美少女サキソホン・プレイヤア!』。写真もちゃんと載ってますね。確かにお二人とも、私が記憶で見た顔と同じです」

「この記事を見ると、当時人気絶頂だった二人のジャズ・プレーヤーの結婚ということで、大々的に取り上げられているね。この内容の記事が書かれたゴシップ系新聞の切り抜きもあるんだから、相当に騒がれてたんだろう」

先生は別の雑誌を開いて見せる。

「えっと、こっちは『今大流行のジャズ・シーン。若者たちも虜にする「ブルーノート」の秘密に迫る!』ですか。これは、えっと、対談? の記事ですね」

雑誌の紙面には、笑顔の修造さんと、奥さんの仁美さんの写真がたくさん載っている。インタビュアーの質問に、二人が答える体で記事が書かれている。

私は、記事に目を通す。


インタビュア……ブルーノートの人気の秘訣は、今までにない編成が魅力なんだとか。この、トロンボンとサキソホン、それにウォッシュボオドにドラムスという摩訶不思議な編成は、どうやって思いついたんですか?


修造氏……いやぁ、そいつぁ内緒だよ。企業秘密ってやつさ。ただ、この編成で演奏しないブルーノートは、悪いけども紛い物だね。


仁美さん……主人はブルーノートはどうしてもこの編成でないとダメだって譲らないんです。仲間たちからは演奏しづらいって怒られてるんですけどね。


修造氏……おいおい、この曲は元々俺たち家族のものなんだぞ、他のやつになんと言われようと良いじゃないか。


仁美さん……でも、私たちはそのブルーノートに食べさせてもらってるのよ? それを忘れてはいけないわ。


修造氏……そう言われるとなぁ。弱っちまうよなぁ。


私は記事から目を離す。先輩は別の雑誌の記事を流し読みしながら、考えをまとめているようだった。

「こっちの記事には、ブルーノートは家族のための曲だって書いてあります。だから、編成は変えたくないって」

先輩が呼んでいる雑誌は、その一冊全体で修造さんの特集をしているジャズの専門誌だった。ページを開いて私に見せながら、先輩は言う。

「ここ見て。この記事にもブルーノートは俺たち家族のための歌で、本当は売る気がなかったって書いてあんねん。で、気になったのか記者が聞いてるんよ、家族のための曲って、どういう意味なのかって」

先輩は目線を上げて私をじっと見る。

「修造さんは、この曲は子供たちと、仁美さんと演奏するために作ったって言っとるのよ。楽器の編成は、家族のみんなが演奏できる楽器を寄せ集めたものなんやって」

「遊の字も、編成が独特だと言っていたが、これがその理由なわけだ。しかし、だとしたら家族のための曲をなんで大衆の前で演奏し始めたのかね?」

「この雑誌の記事に書いてあるわ」

先輩は私たちに見えるように雑誌を広げ直す。


修造氏曰く、本来ブルーノートはご家族のために作られた身内の中で楽しむ曲とのことです。しかし、ライブハウスで何度かアンコール曲として演奏する中で徐々に人気を博していき、熱狂的なファンの要望に応える形でレコードに吹き込まれたということです。その後も、ブルーノートは積極的に製作され、現在は六番までが吹き込まれ、我々の耳を楽しませています。しかし、修造氏曰く、「本当のブルーノートは俺たち家族にしか分からねえよ」とのこと。

ファンたちは、この発言と幸せそうなご家庭の姿とを知るにつけ、自然と顔が綻びているということです。


先生は腕を組み、鼻からふはっと勢いよく空気を吹き出した。

「今段階で情報を整理しておこうか」

先生は、机の上に乱雑に散らばったメモを並べ直している。

「ブルーノートは、修造さんたち家族のための曲。それで、何度も出てきて気になっている言葉は、本物のブルーノートとか、本当のブルーノートとか。なんでこんな言葉が出てくるんでしょうか?」

先輩も、先生のメモを覗き込みながら唸っている。

「採譜した物はニセモノになる、編成を変えるとニセモノになる、録音してもニセモノ、本物は家族しか分からない? なんやこれ、なぞなぞかいな?」

先生は、ふがっ、という間抜けな音を出して、椅子を思い切り倒す勢いで立ち上がった。

「それだ、マユミ!」

「はぁ!? どれ?」

「典型的なボケをかましてる場合じゃあない! なぞなぞ、それだ!」

「はぁ!?」

私は先生の言わんとすることが何となくわかってしまった。

「ブルーノートって曲自体に、謎が込められていて、それは修造さんたちの家族にしか分からないってことですよね? しかも、それを解こうとするなら、原典に忠実に再現しないと解けない、だから」

「単に旋律だけなぞったり、編成を変えたりしたアレンジは謎が解け無くなるのだから本物じゃない、ということだね。という事は、助手君の見た演奏のための風景とも重ねると、確かにブルーノートは十三番まで存在する。そして、幻のレコード、この場では「本物のブルーノート」と言うべきか?そこに辿り着くための鍵は」

先生は、迷いなく先輩を指さした。

「マユミ。お前と遊の字だ」

「へ?」

急な展開について来れず、先輩はちょっと間が抜けた声を出して固まった。

「なんでウチ?」

「お前に楽譜を集めさせた理由は分からなかったのかね? まさか、まだ楽譜に目を通してないのか?」

「そりゃ、いくら何でも専門外やもの。楽譜なんか見せられてもウチ、なんも分からんで?」

先輩は、渋渋という風に机の上に楽譜を広げる。タイトルには、「ブルーノート三番」と書かれている。

「マユミ、お前本当に分からないのか?」

「しつっこいなぁ、わからんて」

「いいか、マユミ」

先生は真っ直ぐに先輩の目を見た。

「お前、未知の呪物にあったらどうする?」

「はぁ? そりゃ見顕しをした上で鑑定をかけるけど?」

「未知の怪異の特定には?」

「そりゃ、視て、観て、ほんで調査する、だから何なん?」

「何故それを日常に落とし込まんのだ?」

「……兄やん、楽譜を『智慧の眼』で観ろって言いたいん?」

「むしろ、何故そうしなかったか聞かせて欲しいのだがね?」

先輩の琥珀色の大きな瞳を持つ目が、呆れを含んで思い切り細められた。

「そりゃ、遊之助ししょーの頼みやもん、ちゃんと調べたいけど、これじゃ探偵みたいやで? ウチら、マジナイ屋やろ、兄さん。この調査、本当にウチらがやる必要あるん?」

「いいかね、マユミ」

先生は先輩の目を真っ直ぐに捉えて、ゆっくりと、だけど確実に言葉が伝わるように話していく。

「マジナイ屋は、マジナイだけを相手にする訳では無いのだ。時に、只人の技術だけでは分からないモノを詳らかにし、手助けをすることも大切な役割なのだよ。狩人だったマユミには、まだ馴染まない感覚かもしれんがね?」

確かに、私と先生がこなして来た仕事の中には、人生相談からちょっとした捜し物まで色んなものがあった。今回の仕事もそれに近いんだろうとは思っていたけれど、逆に先輩にはこちらの仕事の方が馴染みが薄いのか。

ずっと黒井の本家にいた先輩は、狩人としてマジナイ屋や怪異を狩り続けてきたのだと言う。それが、まだ先輩の中では優先すべき仕事なんだろうか?

「まずは、楽譜を観て素直な感想を聞かせてくれ」

先輩の琥珀色の瞳に気の流れが集中していくのが視える。きらきらと、気の高まりに伴って『智慧の眼』が本物の琥珀に帰っていく。

「……ん?」

先輩は、楽譜を捲りながら頻りに首を傾げ始めた。そして、パラパラと連続してページを捲ったり、戻したりを続けた。

「これ……なるほど、本当になぞなぞやったんやな」

そう言いながら先輩は、手元にメモ用紙を手繰り寄せて、何度もページを捲りながら何かを書き付けていった。

「このスコアブック? って言う楽譜の本には、ブルーノートで使われる全部の楽器の譜面が乗っ取るんやけど。その譜面を重ねて読んでいくと」

先輩が突き出したメモ用紙を見てみると、そこには「タンジョウビ オメデトウ ハルミ ミンナト ナカヨク ケンカハ ダメダヨ ニコニコ ワラウ ハルミガ スキダヨ」と、文章が書かれていた。

「トロンボーンとサックスの音階と、演奏記号。それに、打楽器の打つタイミングなんかを使うと解ける暗号が仕込んであるみたいや。この三番が出来たんは」

先生が別の雑誌を素早く捲って、目当てのページを開く。それは、修造さんの発表した曲が、年代ごとに並べられ、すぐ横には修造さんに起きた出来事が添えられている年表だった。

「ブルーノート三番の発表時期は、仁美さんとの間に出来た実の娘さん、長女の方が五歳になった頃か」

「つまり、ブルーノートは修造さんからご家族に向けたメッセージが隠されている、ってことですか」

私の問い掛けに、他の譜面にも目を通していた先輩が力強く頷く。

「そうや、これも、こっちも、こっちにも、全部や、全部のブルーノートにメッセージが込められとる!」

先輩がメモ用紙に判明したメッセージをどんどん書き込んでいく。

「ん、あれ?」

その手が不意に止まって、私を、そして先生の表情を伺うように先輩は私たちを見つめた。

「どうしたんだ、マユミ」

先輩は、先生の問いかけに唇を結ぶ。

「……分ってもうたんや、修平さんがブルーノート十三番を探しとる理由……やけど……」

先輩から語られた言葉に、私はなんと反応していいかわからず、その場で立ち尽くしてしまった。


第六幕 マジナイ処 鈴鳴堂

僕と遊之助は、店の二階にある僕の私室で向かい合っていた。僕の私室は、作業部屋として利用している雑然と物の溢れた書斎と、その奥の扉をぬけた先にある寝室の二箇所。書斎は、本棚と作業机があるためまだ客人を招き入れることが出来る。この狭く、むさ苦しい空間に男二人が閉じ籠っているのは、この店の中でこの部屋だけは、僕が招いた人間しか立ち入れないマジナイを掛けているためだった。

「遊の字、お前、最初から答えを知っていたんじゃあないか?」

僕の問いかけに、遊之助は軽く頷く。

「試したのさ。マユミちゃんと助手ちゃんを」

悪びれるでもなく、淡々と言う。その目には、遊之助の師匠としての在り方が見える。

「だけども、こんなに早く答えに辿り着くとは思って無かったし、オレの知らないことも沢山見出してくれてる。そういう意味では、想定外の連続さ」

「お前は、あの二人をどう観る?」

僕の問い掛けに、少し考え込んだ後で静かに答える。

「マユミちゃんは完成したと言って良いねん。『智慧の眼』を彼女は自分の本当の目の様に使いこなしている。あの子はもう心配ない。いいパートナーも居るようだしね」

その言葉に僕は安堵する。

「後は、狩人としてだけでなく、人として育っていけるようにオレもオレの技術を教えていくさ。と言っても、マユミちゃんの作った咒具を見れば、もうあんまり教えることも残ってないって分かるね。それを見ても、オレたちの作った『智慧の眼』はちゃんとマユミちゃんを助けてくれてるってのが分かるってもんさね」

遊之助はそう言って、葉巻を口に咥えてマッチを刷った。部屋の中に、遊之助がくゆらせた紫煙が満ちていく。

「だけどさ、クロちゃん。モモちゃんは異様だぜ?」

遊之助が淡々と告げた。

僕も、自分の手巻き煙草に火を付けて大きく煙を吐き出す。

「やはり、そうか」

「マユミちゃんの見立てが正しいなら、モモちゃんは自らのヒトとしての体の中にカミの御魂を二柱も宿して、ご両親の荒御魂である大口真神を二柱憑けてるんだろ? そんなもん、本当にヒトと呼べるの?」

遊之助は、僕が思っていた疑念を寸分狂わずに言い当てる。


僕は、助手君を便宜的に「(かみ)宿(やどし)」と定義した。僕が知っている術者の形としてそれが最も近かったため、そう推測したのだが。助手君の最近の成長ぶりを観て、かつ、急速にカミの力をモノにする様を観て、この推測は大いに間違っていると確信した。

本来の「神宿」は、カミと交信を行う為に儀式や修練を通じて一時的にカミの霊威をその身に宿す術者を指す。その「一時的」とは、どんなに長くても一度につき十五分程度が限界で、それを過ぎると精神が霊威に耐え切れずに崩壊していく、という事を指している。

そんな膨大な霊威を持つ存在を四柱も従えている助手君を、果たして尋常の術者の括りで語っていいものだろうか? そもそも、そんな存在は人間と呼べるのか?

僕は八方手を尽くし、数少ない人脈を辿り、情報をかき集め、整理し、推測し、仮説を立て、検討し、それを幾度も繰り返しながら助手君を調査した。しかし、結果は「分からない」のみ。どの術者の流派にも系統にも、助手君の様な才を持った存在の記録はない。

唯一、彼女の出生地付近に「境界を守る巫女」の伝説が見付かったが、その巫女たちの末裔が何処にいるのか、何をしているのか、どんな術を使ったのかなどの仔細な情報は手に入らずじまいだった。口伝された昔話の中に僅かに見えるその存在が、助手君と同じものかも果たして分からない今、彼女に対して僕は何が出来るというのか?

僕は、枝分かれした無数の思考を振り払う。「分からない」ならば、「解き明かす」しかない。彼女の自死を引き止めた僕の、せめてもの彼女の人生への手向けをするために、僕は行動を重ねていくしかないのだ。


僕は遊之助と向き合う。

「少なくとも、彼女は平坂桃だ。それ以上でも以下でもなくな」

「そりゃあ逃げの方便だぜ、クロちゃん?」

「うっかり助けてしまったんだ、例えカミだろうがモノノ怪だろうが、もはや関係ないのさ。四の五の言う前に出来ることをしておく方に、僕は力を尽くそうと思う。それだけだ。少なくとも、マユミと助手君は良い相棒になってきた。これからを託すには相応しいと思うがね?」

遊之助は僕の顔をじっと見つめると、大きくため息をついた。

「変わんないねえ、その甘さ」

「なにぃ?」

「マユミちゃんを助けた時もそうだけどさ、クロちゃん。家の都合や周りの都合で人生を振り回されてる子に弱いよね。それで後悔だってしてんだろ? なんで辞めないのさ?」

遊之助は、遊び人風の外見に寄らず現実をよく見据えている。僕を諌める役割は、ずっと彼が担っていると言っても過言ではなかった。

「僕の、僕自身に対する誓いだからだっ。例え、それで僕自身が後悔をしたとしても、若人に僕と同じ後悔はして欲しくないのでねっ」

「それこそ、クロちゃんのエゴだろうに。エゴに巻き込まれる側は溜まったもんじゃないよ?」

僕は、顔を顰めて遊之助に反論する。

「少なくとも桃くんは、両親と死別した後、術者としてなんの教育も受けずに野に放たれたようなものだぞっ」

自分でも、語気が荒くなっていくのが分かる。

「だがな、あれだけの才を「持たされてしまった」ら、多かれ少なかれ、早かれ遅かれ別の術者の目に付くか、自分の才に呑み込まれて死を選ぶっ!」

「かつての自分の様に、かい?」

遊之助の鋭い指摘に、言葉は更に荒くなった。

「そうだ! 僕の様な「成損(なりそこない)」ですら、多大な苦痛を孕んだんだ! 彼女の様な存在が、どれだけの苦痛に悶えているのか! だから、知識と経験のある人間が、自分で立つ術を教えなくちゃあならんのだ!」

「……変わらないなぁ、クロちゃんは」

遊之助は紫煙を吐き出しながら、ニヤリと笑った。

「黒井の蔵に閉じ込められてたオレを連れ出した時も、そんな事言いながら連れ出したぜ? ガキの頃から延々変わんないじゃないか、成長しないねえ」

皮肉めいたその言葉に、僕は我を忘れて言い放つ。

「じゃあ、お前さんは、なんで僕とつるんでるんだ? もっといい目を見れる待遇だってお前さんにはあったんだぞ! 黒井の家付きの咒具師にでもなれば、一生安泰でもあったろうに!」

遊之助に問うと、彼は面食らったように目をしばつかせ、少しの間を置いて大笑いし始めた。

「そりゃあ、面白いからさ!」

そう言い放つ。

「クロちゃんと居ると退屈しない! からかえばムキになって面白いのは勿論だけどね! 何より、オレの咒具師としての才覚を好きなだけ振るうことも出来る! こんな環境、四角四面で争う事しか知らない黒井の家側だったら絶対に経験できない! それが理由さ、不満か、クロちゃん」

ニヤリと笑う遊之助に、今度は僕が面食らって動けなくなった。

しかし、僕もニヤリと笑い返す。

「ああ、充分だ。それが確認できただけで、充分すぎる」

僕のその言葉を合図にして、遊之助は作業机の上に、黒い布に包まれた荷物を静かに置いた。

「それが」

僕の言葉を手で制し、遊之助は印を結んで口中で咒を唱えた。荷物の周りの黒い布が静かに焼け落ち、鎖と札で雁字搦めに封印が施された桐の木箱が現れた。

「無茶な事を言うもんだから、死ぬほど苦労したんさ。クロちゃんのヘソクリ全部を持ち出してまで手に入れたいものだったん?」

「ああ。今の僕とこの店にはすぐにでも必要になりそうなものだ」

遊之助は桐箱に左手を添えて、口の中で咒を唱えた。それに合わせて、札が焼け、鎖が解けた。

僕は、桐箱を開けて中を確認した。

朽ちかけた、木材の欠片のように見えるモノ。僕が、今回遊之助に入手を依頼し、万難を排して手に入れさせたモノは、確かにそこにある。

「この「(あめの)御柱(みはしら)」の欠片が、助手君とマユミの助けになる。高天原(たかまがはら)(とよ)葦原(あしはらの)瑞穂(みずほ)(のくに)を結んだと言う伝説の巨木である、扶桑(ふそう)の欠片である、これが」

「ご注文の品ではあるけど、こんなとびきりヤバいもん使って何作る気だい?」

「助手君の咒具だ」

遊之助は、ますます凶悪な笑みを深くする。獰猛な猫が目の前の獲物を喰らおうとするような、凄絶な笑みだった。

「助手ちゃんと、マユミちゃん。(あめ)()()()()(ゆみ)には、(あずさ)巫女(みこ)が必要だものね。それに釣り合う咒具となりゃあ、確かにこれだけのものが必要だわな」

「ああ。出来うるなら、その二つとも使われない事を願うばかりだがね」

僕は遊之助の葉巻に火をつけ、遊之助は僕の煙草に火をつけた。二人で煙草を呑みながら、僕には今の光景と、かつて二人で見た光景とが重なって見えた気がした。


第七幕「ある家族の、とても歪で、けれども確かな「愛」の記憶」

「つまりや?」

片眉を釣りあげて、肩をいからせて、先輩は息も荒く遊之助さんに喰ってかかっている。先生は柿の種を無心で食べており、私が視線を向けると、「僕は知らん」とばかりに目を逸らし、ひたすらに柿の種を貪る作業に戻った。

「ししょーは、最初から今回のカラクリは知ってたっちゅうこと!? それを黙あって、ウチらが右往左往するのを見て楽しんどった訳や!」

「ややや、そんなこたぁないねん、マユミちゃん、落ち着いてえな」

「落ち着いてられるかいっ! 趣味悪いで、ししょー! そういうことする人とは知らんかったッ!」

先輩の言うことも最もだった。

ブルーノートの謎を解いて説明してみたら、遊之助さんは最初から謎は知っていた、と告げたのだ。

「でも! でもさ、十三番のレコードが見つからないのは本当なんよ! だから、クロちゃんに捜索依頼をした訳でさぁ?」

「謎のことを知っとったなら、最初からそれで「ごろわあず」のマスターをとっちめれば良かったやん!」

「それは」

口篭る遊之助さんを見て、先生はケタケタと笑った。

「いや、愉快愉快」

「何が愉快なもんかいっ! 兄さんもこの事知ってたんかっ!」

先生は口の端から柿の種の欠片を拭いながら、じろりと先輩を睨んだ。

「何を言う、この件では僕も被害者側だぞぅ? こいつ、謎が含まれてることは知ってた癖に、肝心要の解き方を知らなかったんだからな」

「はぁ?」

「修平さんに聞きそびれた……んですね。修平さんに聞く前に、修平さんが倒れてしまったみたいです」

私はさっきから遊之助さんから流れてきた言霊を拾って伝えた。

「だから、先輩の『智慧の眼』を使って謎を解いた上で、更なる手掛かりを求めて私の中の菊理媛を修平さんに対して使った、んですよね?」

遊之助さんは、ぎょっとした様な顔をして私を見て、次いで先輩に目線を合わせた。

「いやぁ、ほら? 二人の力がどんなもんか、師匠であるオレには見極める義務があるわけで?」

「……こんドアホっ! やったらそう言わんかいっ!」

先輩は躊躇なく、持っていたお盆で遊之助さんの頭を引っぱたいた。

とてもいい音がした。すごく痛そうだ。

先輩はつかつかと足音を立てながら私の横にたって、仁王立ちした。

「隠し事なんかせんでも、依頼はきっちりこなすで! ウチかて、この鈴鳴堂の咒具師で助手ちゃんの相棒なんやっ!」

鼻息荒く、そう言い切る先輩。

殴られたはずの遊之助さんは、何故か嬉しそうに何度か頷き、先生はニヤリと笑った。

「さて、これでブルーノート十三番に迫る為の謎の欠片は揃ったのではないかな? マユミ、解読は終わったんだろう?」

先輩は持っていたメモ帳を遊之助さんに叩きつけた。

「これがししょーの知りたがってた事や。これで、マスターの口やて割らせられるんとちゃう?」

遊之助さんは、メモ帳を開いてじっくりと読み始めた。その表情はとても真剣で、メモ帳を閉じると同時に「うん」と短く呟いた。

「やっぱり、そうなんだね」


翌日、天気は生憎の雨だった。弱い雨がしとしととコンクリートを湿らせる中、私たちは再び「ごろわあず」を訪れた。時間は開店直後。まだお客さんは私たちだけだった。

「マスター、久しぶりさね」

そう言って軽く手を挙げて挨拶する遊之助さんをマスターは無視していた。何のために来たんだ、来て欲しくもなかったという態度を隠そうとはしていなかった。だけれども、遊之助さんは構わずに話し続ける。

「修平さんがブルーノート十三番のレコードを探してるんさね。最後にあの曲をもう一度聴きたいって」

私は、マスターに視線を合わせて集中する。私の中の菊理媛が、マスターから漏れる言霊を逃すまいと騒めく。

だけども、マスターは沈黙を守ったまま。心まで閉じてしまったように押し黙る。

「貴方が沈黙を守られるのは、貴方と修造さんのご一家に直接の繋がりがあるから、では無いですか?」

先生は、マスターにしっかりと視線を合わせながら呟く。

「修平さんのお名前が出た途端、貴方は助手君たちとの会話を切り上げられた。貴方には、彼を許せない理由があるんじゃあないですか。そして、それがブルーノート十三番の場所の秘密にも関わっている、そうでしょう?」

先生の言葉にマスターの動きが止まる。

先生の「偽千里眼」が、しっかりとマスターを捉えていた。

「修造氏の経歴を改めて調べました。先の照和の大戦の際に、軍に徴兵された修造氏は、通信技師としての訓練を受けた上で、伝令兵の役割を担っていた様です。修造氏が身に着けた通信に関する技術の中には、当然、暗号に関する技術も含まれていたんでしょうな」

先生とマスターの視線が交差する。

「そんな彼が家族を得た時に思いついた遊びが、ブルーノートの暗号遊び。自分たちの家族しか解くことの出来ない暗号で、自分たちの絆を確認していたのではないでしょうか」

先生の目線が先輩に移る。先輩は、メモ帳に目線を落として、躊躇いがちに読み上げた。

「ブルーノート七番。「たまにはケンカもあるけれど、皆仲良くしてような。お父ちゃんも、お母ちゃんも忙しいけど、いつも皆を見てるから。愛してる、仁美。そして、ハルミ、ミウ、寂しい思いさせてごめんな」……」

マスターは、体をびくりと大きく震わせて、先輩の方に目線を移した。その目には、涙が一杯に称えられていた。

「最後の言葉は、「シュウヘイ、いつも支えてくれて、ありがとう」……シュウヘイ。これ、修平さんのこととちゃう?」

マスターは、涙をこらえきれずに、声を殺して泣いていた。

「何故修平さんがブルーノート十三番を知っていたか、そしてブルーノートの謎を知っていたか。単純でしたね、彼は家族の一員だったんだ」

「違うっ!」

マスターは震える声で叫んだ。

私の耳に、津波の様にマスターの感情の籠った無数の言霊が不意打ちで流れ込んできた。余りの感情の波に、私も堪えきれずに涙が溢れた。

なんて、悲しい、切ない言霊なんだろうか。今まで受けた言霊の中でも、とびきり真っ直ぐで、強い言霊だった。

「修平は、彼奴は、家族を見捨てて行っちまった奴なんだ! それが今更なんだっ、死の間際でも関係ない、彼奴に、彼奴には十三番を聞く資格なんてないんだっ!」

マスターは、涙も堪えずに語り始める。

「そうだ、そうだよ。遊之助。田中修平は、本当は淀川修平。田中は、仁美さんの苗字だったんだ」

「修造さんは死ぬ二年前に離婚してはる。その時に、娘さん達も修平さんも田中の姓になってたってこと?」

「そうだよ。だけれど、彼奴が田中を名乗ったのはそのせいじゃない。彼奴は、修造さんや仁美さんが、アイツを捨てたと勘違いして家出しちまったんだ! 彼奴は結局、修造さんの葬式の時だって現れなかった。晴美(はるみ)ちゃんが事故で亡くなった時も、仁美さんの葬式にだって、彼奴は……」

マスターの声が沈んでいく。

私の中の菊理媛は、言霊を拾って解きほぐしていく。その中に、幾つかの記憶の欠片が混じっていて、私も僅かにそれを垣間見た。マスターは、誰よりもすぐ側で修造さんたち家族を見てきた人だった。最初に会った時に詳しく話していたのも、この人と修造さんたちの距離の近さを物語っていたのだ。

「今更帰ってきて、彼の曲を聴きたいだなんて虫が良すぎる話だろう? 自分が死ぬ寸前なら、自分の家族に見とってもらえば良いだろう!」

マスターの言葉に、遊之助さんは大きく肩を落とす。

「出来ないんだよ、マスター」

「なんだ、彼奴はまた家族を捨てたのかっ!」

「違うよ。修平さんは家族を作れなかったねん」

「なに」

マスターの動きが止まる。

遊之助さんは俯いたまま語る。

「修平さんは、家出して、プロになってガムシャラに演奏して。でもね、そん時になって、はじめて親父さんたちの苦悩を知ったんさ。ジャズが廃れてるって事に修造さんは気付いてた。自分の体が病魔に犯されてることも気付いてた。だから、迷惑をかける前に、多額の慰謝料という形で生前分与を行って離婚した。そうだろ、マスター?」

「……そうだ。修造さんは最後は寧ろ修平にジャズプレイヤーを辞めろと説得してたんだ。もっと真っ当な職を探せ、これだけで食っていける時代は終わったって、時には聞き分けのない修平を殴ることすらあったよ。修平は、誰よりも、誰よりも仁美さんを、そして演奏をする修造さんを間近で見てきた。だから、誰よりも憧れていたんだ、いずれ、俺は親父やお袋の跡を継ぐ、立派なジャズメンになってやるんだって、家族は当然、それを応援してくれるってさ。それが、現実には……反対されて……」

先生は、大きなため息を着く。

「偶然の歯車が狂った形で噛み合って、修平さんは誤解したまま家族から離れてしまった。でも、その後も後悔はし続けたのじゃあないでしょうか?」

先生の言葉に、マスターは俯いたまま動かない。

先生は、タバコを取り出してゆっくりと火を付け、吸い始める。その匂いは、随分前に嗅いだことのある、昂った気持ちを沈める効果のあるタバコのものだった。吐き出した煙が、段々と場に満ちていく。

「修平さん、結婚できなかったんだよ。恋愛はしてきたんさ、自慢話をよく聞いたもの。でもね、その話の最後は、いつだって苦いお別れなんよ。修平さん、誰かと夫婦になるってことが最後まで怖くて出来んかったって。親父を、お袋を裏切った俺がって、酒飲みながら泣いてる姿を見てきたんさ」

遊之助さんは、力無く呟く。

「だから許される、なんてことは無いんでしょうね、マスター。時が経ちすぎている。詫びるにも、修平さんが詫びられる相手は残っているのですか?」

先生の静かな問いに、マスターは胸のポケットから古い写真を取りだして、遊之助さんに渡した。

それを受け取った遊之助さんは、驚きと、悲しみが綯い交ぜになった、目を見開いた顔で呻いた。


それから。先生と、遊之助さんは私たちに留守を任せ、帝都へと急ぎ向かって、二日後に帰ってきた。

手には、古ぼけた木箱。二人とも、とても疲れた様な表情をして、言葉も少ないままに二階へと引きこもってしまった。


「結局、私たちは今回、何か役に立っていたんでしょうか?」

店を閉める支度をしながら、隣でお皿を重ねている先輩に尋ねた。

「どうなんやろ? 少なくとも、ウチが知ってるマジナイ屋の仕事とは別のモノやしなぁ。なーんか、兄さんとししょーに良いように使われただけな気もするし」

先輩の歯切れも悪い。

無理もない。今回は、先生と遊之助さんの仕事を手伝っている、という雰囲気の方が強くて、私たちは大人に用意された課題を片付けているような、そんな気持ちになっていた。

「あの木箱、ブルーノート十三番は見つかったってことやろか、幻のレコード、あったんやね」

「それだけじゃないかもしれません」

お皿を棚に戻し終わった先輩に言う。

「二人が話してましたよね、ブルーノートには全部、オリジナルのレコードがあるって。もしかして、それも含めて見つけてきたんじゃ?」

「ん、そうかも」

エプロンを畳みながら、先輩は言う。

「やけど、兄さんも、ししょーも、細かいことをなんで教えてくれんのやろ? なーんか、癪やわ」

先輩はそう言いながら、お客様用のソファに倒れ込んだ。脚をだらしなく投げ出して、うー、と唸り声を上げている。

私も、何となく先輩の隣に座って、脚を投げ出してみた。特に気持ちに変化はなくて、胸に引っかかる何かがあって、モヤモヤする。

「分からないことだらけ、なのは、私自身のこともありますよね」

半分独り言として、思っていることを口から漏らしてみた。

「小さい頃の記憶から、自分のことを思い出せないか、自分が何者なのか探したくて、最近よく記憶を辿ってみるんです」

先輩は、軽く体を起こして、私の腕に軽く腕を絡ませた。今は、いつものように嫌な感じはしない。

「でも、思い出せることは……いつも、独りで居たこと。沢山の人に、怖がられたこと、友達も、親戚も、皆。私をいつも、ずっと遠くから見ているように」

「うん」

先輩は、頷くだけ。

「もっと前の記憶は、ひたすら、逃げてた。怖くて、寒くて、嫌で。痛くて、辛くて、悲しくて、何が起きたか分からないけど、そんな気持ちしか、もう」

いつの間にか、私は泣いていた。

この頃は、思い出していなかった昔のこと。それと向き合い始めたけれど、私にとって昔のことは思い出したくもない記憶しかなくて。出来事よりも先に、感情を思い出す。ぐちゃぐちゃして、整理もできなくて、でも、嫌だったことだけは鮮やかに思い出せる。そこに、優しいとか、暖かいとか、そんな記憶は一欠片だってなかった。 私には、父と母が人間だった頃の記憶もない。二人の顔だってハッキリとは思い出せない。この二人の手が暖かったのか、どんな声をしてたのかすら。その頃は、私は笑っていたのだろうか。

私は。

「なんで、先生はそんな私のルーツを気にして、調べ続けてるんですかっ! 私は、そんなに価値があるんですかっ? 分からないんです、どうしても!」

先輩に、行き場のない思いを吐き出した。先輩は何もせず、ただ、腕を絡めたまま、それを離さずに、じっと聞いてくれているだけ。

「だって、私は本当に何も、分からないんです、この力のことも、父と母のことも、生まれた場所のことも何もかも、本当に知らないんです、なんで、私に、ねえ、先輩、麻由美さん、私、なんで」

今まで、こんな気持ちになったことは無かった。なのに、言葉が止まらない。

「なんで、私なんですかっ! 菊理媛も、意富加牟豆美も、上手く扱えない、自分のことも分かんない、なんで、なんで」

先輩、麻由美さんに縋ったって、何にもならないのは分かっているのに、麻由美さんに当たる以外、出来なかった。

「ねえ、モモちー。はじめてちゃう?」

麻由美さんは、静かに言う。

「モモちーが自分から、真正面から、ぶつかってくれるの」

「へ?」

「モモちー、普段泣かんし、自分から飛びっきりの笑顔をすることも無いんよ、なんかね、可愛ええのに、勿体ないなあって思ってたんよ」

「……こんな時までふざけないでっ」

「ふざけてない。ウチは何時だって真剣やで?」

「でもっ」

「ウチとモモちー、思ったよりも似てんねん」

麻由美さんは言う。

「変な生まれで、親の記憶も無くて。変なししょー達に出会って、人生がちょっとだけ変わって。ウチも、モモちーも、兄さんと出会って、変わったんちゃう?」

思い返してみると。

先生に自殺を止められたあの日から、たった一年と少しで、私の人生は変わり始めた。そして、私はいつの間にか、この変化を楽しんで、居たのかもしれない。そして、私の体質が分かる、治せるという事に思った以上に期待をしていた。私は、私の思うよりもずっと、普通になりたかったのかもしれない。

だけど、私は、先生の調べによればよるほど、人間とは思えないような存在だって分かってきている。自分の中の菊理媛と距離が近づくにつれて、その確信は自分の中でも大きくなってきた。

それでも、先生はどこかで、私を掬おうとする手を止めていない。そんな気がしている。

それが、何故か分からないのが、今、一番モヤモヤする。

「なんで、先生は私を助けようとするんですか。なんで、私なんか」

麻由美さんが、私を抱きしめた。

いつもなら、全力で払い除けたいと思うのに。今日は、縋っていたかった。

「ウチとモモちーが同じやから。ほんでな、モモちーやウチが、兄さんと同じやから」

麻由美さんの言葉の意味が分からなくて、麻由美さんの顔を覗き込む。

麻由美さんの琥珀色の瞳の目が、優しく微笑む。

「兄さんも、ウチも、モモちーも、多分やけどね。家のために、マジナイ屋のために産まれた子供。兄さんは、その子たちが不幸になるのが嫌なんやて。ウチらが不幸になるのが、自分が不幸になることと勘違いしとる、変な人なんよ」

私が首を傾げると、麻由美さんは苦笑した。

「分からんよね。ウチも最初はなんやねんと思うたけど、でも、ウチはソレで救われた。中には、里緒菜さんみたいに、救えなかった人もいる、けれど」

麻由美さんは、ただ優しく私を抱きしめていた。ゆっくりと髪を撫でて、まるで、私をあやす様に。

「兄さんなりの、弟子への愛なのかな。分からんくても、兄さん、怒らんと思うけど。うちのししょーも、そんな感じやから」

「それでも、私は分かりません」

麻由美さんの手を解く。いつもみたいに引き止めることも無く、強引に力を入れることもなく、あっさりとハグは解けた。

「私自身が、皆さんに支えてもらうほどの人間なのか、そもそも人間なのかも分からないんです」

きっと、私のこの疑問には答えが出ないだろう。私の記憶をどれだけ辿っても、今は何も見えないのだから。この不安に、私はどれだけ耐えられるのか。

私の眼からは勝手に涙が流れ続けて、体からは勝手に力が抜けて、ソファに沈み込む以外に何も出来なくなった。麻由美さんは、もう何も言わずに、でもどこにも行かずに、私の隣に座っていた。

「モモちーの辛さは背負えんけども」

麻由美さんは、ハッキリと告げた。

「ウチは、モモちーを裏切らない、傍におるよ。モモちーの答えが出ても、ずっと」

「なんで、ですか」

「んー、そうしたいから」

麻由美さんはそう言って、微笑んだ。

「今まで、自分で選べんかったけど、今は自分で選べるもの。モモちーの傍にいたいねん。どうしても」

「どうしても?」

「そう。兄さんやししょーが止めても、嫌。離れたくない」

私は、何故かその言葉を信じてみようと思えた。今まで、誰にも言われたことの無い言葉だったから、信じていいのかさえ分からなかったけど。

信じたい、と思ってしまった。


「趣味、悪いんじゃない? クロちゃん」

階段で立ち止まり、聞き耳を立てていた僕に隣にいた遊之助が小声で詰める。

「弟子たちが成長してるのを確認しただけだぞ、ぼかぁ」

自室に戻るため、引き返す。

「遊の字、今日はお前さんだけで根城へ帰れ。マユミはテコでも助手君から離れんだろう」

「嫌さね。明日は一番気を遣う日だってのに、家で独りで寂しく寝るなんてよ」

「何をゴネとるんだ」

「朝まで付き合えよ、クロちゃん。酒はまだあるんやっ」

「おい、勘弁してくれたまえよ……」


終幕 「くそったれ親父のブルース」

しゃーっ、しゃーっ

聴き慣れない音がしている。

蓄音機、というレコードを再生する機械に着いた針が、レコードの溝を走る音なんだと、遊之助さんは教えてくれた。


「おや、おい、もう回ってんのか」

「親父ぃ、勘弁しろよ、レコーディングは何回もしてんだろ?」

「慣れねぇもんは慣れねぇんだよ、仁美、お前だってそうだろ?」

「やだァ、アンタと一緒にしないでよ。アタシはとうに慣れましたよ。晴美や()()だって準備は出来てるもの、ね?」

「うん、いつでもいいよっ」

「だいじょーぶだよっ」

「よーし、オウケイ。じゃ、ワン、トゥ、ワントゥッ!」


擦り切れた話し声の後、賑やかな音楽が始まった。これまで聞いたことがない、でも、どこか懐かしい様な気持ちにさせてくれる曲。

ブルーノート十三番が、流れている。


ベッドの上に横たわる修平さんが、掠れた声で呻く。目からはポロポロと涙を零しながら。耳を済ませないと分からない呻き声は、まるで歌声の様だった。

レコードの演奏は続き、歌が重なっていく。家族みんなの声が入った、拙いけれど、優しさや温もりが伝わってくる合唱が、続く。


「どうか皆、何時も、いつまでも。忙しくて、離れても、父ちゃんも母ちゃんも、お前たちの味方だから」


まるで記憶が流れ込んで来るような、活き活きした歌声と楽器の音。

病室に響くその音に、先生も、遊之助さんも、先輩も、そして私の中の菊理媛すらも聴き入っていた。

修平さんは、呼吸器の中で、掠れた声で何度も呻いていた。


「もう、いち、ど。もう、いちど。みんなで、み、みんな、もう、もういちど、だけ、もう、いちど」


先生は、修平さんの耳元に口を寄せる。

「それは、叶いませんよ」

静かに、曲を掻き消さないように言霊が鳴る。

『この曲を覚えているのは、貴方と、遊之助。そして、貴方の妹の美雨さんだけになってしまった。わかりますか』

修平さんは、頷く。

『美雨さんは、アルツハイマー型認知症が進行してしまい、体も弱り、今は帝都の養護施設で寝た切りになっておいででした。僕らが訪問した時も、貴方のお名前も覚えていらっしゃらなかった。でも、しきりに、おにいちゃん、おねえちゃん、と、記憶の中のあなた達に呼び掛けておられた』

修平さんの目が開き、焦点の合わない瞳が先生に向いたような気がした。

『貴方も、もう……。ブルーノートは、本当のブルーノートは、貴方たちだけの、貴方達の美しい思い出の中だけに、あるのです。もう、戻らない、美しい思い出の中だけに』


私は、思う。

先生たちが手に入れたブルーノートシリーズの「オリジナル」のレコードは、修造さんたちの歌声まで込められた、修造さんのご家族だけが聴くことが出来るものだった。美雨さんが、自分にもしもの事があった時のために「ごろわあず」のマスターに託していた写真の裏の指示に従って、先生たちがとある貸金庫から取り出したのだ、という。遊之助さんは、もしも修平さんが帰ってきた時のために取っておいたのじゃないか、と、言っていた。

遊之助さんは、世の中にこのオリジナルを発表することはしない、と決めたようだった。もちろん、採譜もしないと。これが終わったら、「ごろわあず」のマスターに預けて、もしかしたら、壊してしまうのかもしれない。

それでいいのだ、と私は思う。

ブルーノートのオリジナルは、皆に教えて広げるものじゃない。


だって、この曲たちは、修造さんから家族の皆に当てた、不器用すぎるラブレターなんだから。


「ねえ、モモ。ブルーノートの都市伝説って知ってる?」

「なんですか?」

「なんかねぇ、私たちが聞けるブルーノートって十二番までだけど、幻の十三番ってのがあるんだって」

「そんな噂があるんですね」

「もし聞けるなら、聞いてみたいな。きっと、すっごくいい曲だよォ?」

「じゃぁ、塚本さん。ブルーノートの本当のタイトルって知ってますか?」

「え?! なになに、モモ? モモもブルーノート好きなのっ!?」

「……ええ。ちょっと色々あって」

「教えてよ? なんてタイトルなの?」


しゃーっ、しゃっ

「さぁ、フィナーレだぜ、仁美、修平、晴美、美雨。この曲はお前たちに捧げる」


くそったれ親父のブルースさっ!


しゃーっ、しゃーっ






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