後編
「家令のジェーノです。ルーシーさん、次期辺境伯とその側近の母国はあなたと同じですから、あなたが他国から来たということで不利益を被ることはありません。もし、そのように感じたことがあればご報告ください」
ルーシーは砦に着くと家令のジェーノから説明を受けることになった。
「次期辺境伯側近のクリス・ユリアーノという人がこの国の文化や常識、必要があれば読み書きを教える時間を作っていますが、どの程度必要か教えてください」
辺境の砦はすっかり綺麗になっていた。まだ一部の内装や庭園は完成していないが、瓦礫や崩れた建物は見当たらない。ルーシーは嬉しいような、知っている場所じゃなくなっていくような気持ちで家令の説明を聞いていた。
「読み書きは大丈夫です。この国のことについてはほとんど知らないので、教えてもらいたいです」
同盟国では言語が統一されている。しかし、国によって文化は異なる為、今後の生活を考えれば文化については知っておくべきだろう。
「分かりました。ではこのスケジュールで文化の講座を開いてますから、無理のない範囲で出てください。ユリアーノ卿には伝えておきますね。場所は使用人談話室です」
テキパキと必要事項の書かれた紙を渡される。ルーシーには一枚ずつじっくりと確認する余裕はなく、とりあえず手元に重ねていく。
「働いている上での相談事などありましたらお気軽に、と言いたいところですが、砦で私を探すのも大変と、先日苦情がありまして……」
確かに、大きな砦の中からこの家令一人を探すのは難しそうだ。
「何か相談事があれば、所属先の長へ伝えてください。ルーシーさんの場合は、庭師のサイラスですね。彼に私へ話がある旨を伝えてください。それから、お手紙に要望を書いていただくという手段もあります。その場合は使用人の控室にある……」
砦で働くのはリータ国の人だけでなく、ルーシーのように同盟国から移住してきた人も多いらしい。そのため、色々と配慮されているそうだ。この家令や侍女長も他の同盟国から来た人だという。
「それから、この場所には多くの貴族だけでなく王族も訪問されます。あなたの行動一つがこの辺境の評判に関わること、そして無いとは思いますが、不敬な言動は庇いきれないものもありますから、その辺りを肝に銘じておいてくださいね」
そもそもルーシーが来客の前に出ることは無いのになと思う。ルーシーは本を読まないが、巷で流行する本の中には使用人が貴族に見初められてというような物もあるという話は聞いたことがある。もちろん現実的ではないが、物語と現実の境目が曖昧な者が愚かな行動を起こすということがごく稀にあるらしい。
その日は砦の案内や仕事上の契約の話で終わった。まだ明るい時間だったが、疲れているだろうからもう休んでも良いと言われた。
ルーシーは新しくなった砦にそわそわしながら、自由に使って良いと説明された場所を巡る。
以前来た時には無かった、町の人も自由に出入りできる慰霊碑へ、ルーシーは足を運んだ。
色とりどりの花が手向けられている。
「良かったね」
誰に何を、という訳でもなくルーシーは呟いた。綺麗な花が風で揺れ、ルーシーは慰霊碑が眩しく見えた。
騎士や砦の使用人、町の人とそこには絶え間なく人が訪れて来る。慰霊碑に向かって様々な思いでいるのだろう。涙を流しながら何かを呟いている人もいる。
「ルーシーさん?お久しぶりですね」
懐かしい声がした。振り返ると、瓦礫の場所によく居たあのワインボトルの男がいた。その手には花束があり、よく見ると付き人のような人まで後ろに控えている。
「お久しぶりです」
ルーシーは男の服を見た。教えてもらったばかりの知識を総動員させる。家令が言うには、胸に付けているリボンやメダルのような物の数が多いほど、立場や功績のある人だと言っていた。一つでもあれば気軽に話せる相手ではない。その男には二つも付いている。
「お久しぶりです。失礼いたします」
ルーシーが話して良い相手ではない。あの時はただの短期仕事だったが、これからは長くここで働くのだ。家令にも教えられた以上、もう知らなかったでは済まされない。
ルーシーは慰霊碑を後にした。
ルーシーのような下働きと言われる立場だと、砦の中でも自由に行き来できる範囲は限られている。ルーシーは住み込みなので住む場所も砦の敷地内にある。独身寮と言うらしい。ルーシーは寮の自室に入った。
ベッドにクローゼット、机と椅子、そして本棚が置かれた簡素な部屋だ。ルーシーは少ない衣服をクローゼットに仕舞い、ベッドで少し休むことにした。
うとうとしていると、もう外は暗くなっていた。部屋の窓からは、町の明かりが少し見える。少し緊張が解れたのか、空腹を感じた。そういえばと、砦の使用人が使う食堂があったことを思い出した。休日でも使って良いと言われていたので、遠慮なく夕食はそこで食べようと、部屋を出た。
ルーシーが食堂に行くと、数名が食事をしていた。夕食時は少し過ぎているらしい。
「あら!もしかしてはじめましての方ですか?」
若い侍女の女性に話し掛けられ、こくりと頷くと、食事の頼み方や食堂での決まりについて教えてくれた。
「私、侍女のアーシアっていいます!」
使用人の花形とも言える侍女のアーシアは、辺境伯や使用人達のことにも詳しいらしく、それ以降ルーシーを見掛けるとよく話し掛けてくるようになった。
「ルーシー!作業の進捗は?」
「はい!この区画で終わりです!」
庭師の男こそ、ルーシーの上司となったサイラスだった。
「よしよし。午後からのティータイムに使うから、ここは終わり次第立ち入り禁止だ」
そう言いながらサイラスはティータイムの場所を確認している。
「ここを使うということは。ふんふん、辺境伯様も考えたもんだ」
作業を終えたルーシーは、独り言の多いサイラスを横目に、道具を小屋に返しに行く。現在魔獣の出現は無く、ルーシーは庭園の方で仕事をしている。魔獣が出始めても、庭園の仕事の方が多いだろうと家令からも言われている。
ルーシーはサイラスの指示でそのまま休憩時間に入った。
食堂で昼食を食べ、特に行くところも無い。部屋に戻って文化の講座の復習をすることにした。
リータ国では身分制度があることは母国と同じであった。しかし、この国は古くから勤勉なことで有名だ。同盟国の食糧庫と言われる母国に対し、この国は同盟国の図書館と言われている。図書館や博物館の館長は男爵家や子爵家よりも発言力があり、それも生まれは問われない。学校の制度も母国とは違い、十八歳までの教育機関やその後さらに学べる学校もあるらしい。成績が良ければ奨学金の制度を使って平民でも長く学び、研究者等になれるという。
ルーシーには想像もつかないような国に来たと、今更ながら感じ、ふうとため息をついた。
この狭い個室にも本棚があるということは、国民は本を読むことが当たり前なのだろう。
「本?」
「はい。サイラス様のおすすめで読みやすいものはありますか?」
仕事終わりに、サイラスに尋ねてみると、ううんと言いながら腕を組んで考えている。
「私は本の装丁を見てこれだと思ったものを買うことが多い。だから、特にこれといったジャンルではないからね。何か好みはないのかい?」
軽い気持ちで聞いてみたが、サイラスはよく考えてくれたようで、ルーシーは少したじろいだ。
「ええっと。この国の方は勤勉でよく本を読まれると聞いて……私は農家の娘だったので、あまり本を読んだことがないんですが、少し興味が出てきて……」
ルーシーの言葉に、サイラスは笑顔になった。
「そういうことか!そうだね、とりあえず最初は流行のものを読んでみると良いんじゃないかな!?」
「なるほど。ありがとうございます」
流行のものとは、つまり多くの人が好むものということだろう。ルーシーは流行の本を買って読むという小さな目標が出来た。
「そうだ。砦から一番近い町の雑貨屋は分かるかな!?」
「え?はい。前に一度、買い物をしたことがあります」
ルーシーは手紙を買うために訪れた雑貨屋を思い出した。
「流行の本は雑貨屋にも置いてあるし、あの店は君と同じ国の子がやってるから、聞いてみると良いよ」
「そうだったんですか。行ってみます」
あまり手紙の内容は思い出したくはなかったが、手紙の出し方から道具を貸してくれたりと親切な店員だったことを思い出す。
仕事を終えたルーシーは早速、雑貨屋に行くことにした。急いで本を読まなければならないことは無いが、ルーシーは早足で向かった。
「あら?あなた、確か前にも来たことがあったわね?」
雑貨屋の店員は、ルーシーを覚えていたらしい。
「その節は、お世話になりました」
「気にしないで。今日は何をお探し?」
「流行りの本が欲しくて……ほとんど読んだことがないんですが、興味があって」
店員は少し目を見開くと、ちょっと待ってね、と言って店の奥に行ってしまった。
数分経つと、店員は本を十冊程抱えて奥から出てきた。
「とりあえず読んでみようってかんじよね?」
「はい、そうです」
「そうだ。ちなみにここに本が売られてるって誰に教えてもらったのかしら?」
「上司の、サイラ…」
「なるほどね!!分かったわ」
サイラスの名前を言い終わるより先に、店員は大きな声で何かを納得したようにルーシーの言葉を遮った。
「雑貨屋で扱う本って、だいたいは流行して確実に売れるだろうって本なのよ。在庫はあまり抱えたくないからね」
そう言いながら、店員はルーシーの目の前に重ねた本を並べた。
「まあ、本の流通も色々あるんだけど、うちは雑貨と一緒に仕入れるもんだから、こういう風に折れたり傷付いたりしたのが入ってきちゃうの」
店員が指差した本には確かに少し折れた跡や破れた部分がある。
「こういうのは普通、綺麗じゃないから新品の商品にならないってことで、古本市に持って行ったりするんだけど、この辺じゃあまり無いから、こうやって溜まってるのよね」
「そうなんですか……」
「だから、これをあなたみたいな人達に安く売ることにしたわ」
「え!?いいんですか!?」
ルーシーは驚いたが、店員も本は重いから古本市に持って行くにしても大変なのだから良いという。そして、ルーシーのようにこの国に興味を持って、本を読んでみようという人がいるだろうから、同僚にこの店を勧めてくれたら売上も伸びて文句無しだそうだ。
ルーシーは本を二冊購入した。好みも分からないのでサイラスが言っていたことを思い出し、装丁を見て選んだ。一冊は、茶色い背景に女の人が手を組んでいる絵のもので、もう一冊はカラフルな模様が散りばめられたものだ。カラフルな模様を見て、少しだけビリーを思い出した。やめておこうかとも考えたが、何となくそれはそれで後悔するような気がして選ぶことにした。
ルーシーが支払いのためにお金を出していると、背の高い男性の客が入って来た。
「どうぞ、急ぎませんのでごゆっくり」
その男性はルーシーに気を遣ってか、そんなことを言ってきた。
「すみません、失礼します」
ルーシーは男性に軽く頭を下げた。
男性も軽く頭を下げたが、店員がルーシーに声を掛けた。
「男は待たせるものよ。気にしないで。さあ、明るいうちに帰るのよ。ここは暗くなったらすぐ冷え込むんだから、体調崩しちゃうわ。気をつけてね」
雰囲気からして、この男性と店員は顔見知りらしい。男性は背が高く、砦の騎士かもしれない。
ルーシーは店員にお礼を言って、店を出た。
店員が言っていたように、日が暮れるとかなり冷え込む。じんわりと汗をかきながら、砦へ向かう。
ふと、自分の影が目に入りその反対側を見ると、太陽が沈みかけている。
「ああ、きれいな夕日」
まだ手にした本を読んではないけれど、今までじわじわとルーシーの足元に纏わりついていた紐のようなものが無くなったような、ルーシーの中で何かがするりと溶けていったような気持ちになった。
ルーシーは部屋に戻ると、早速本を読むことにした。まだ暗くなってはいない。日没までじっくりと読んだ。
「おはよう!今日はここの剪定と、それから東側に木を植えるからね!」
サイラスはルーシーを含め数人の使用人に指示を出す。それぞれ、必要な道具を持って言われた場所の作業を始める。
ルーシーは新たに木を植える場所の土作りをする。
サイラスが、植える場所と木の向きを調整しながら指示を出していく。
「よし!これでいいね!それじゃあ休憩してもらって、また午後からよろしくね!」
ルーシーは食堂で昼食を食べた後、本の続きを読むことにした。庭園で働く使用人たちは、庭園の道具を置く小屋に手荷物を置いている。小屋の外やその周辺で休憩する者も多い。
ルーシーが始めたように、本を読んでいる人もいるようだ。
「おや!本を買ったんだね!?」
ルーシーが本を読んでいると、いつの間にかサイラスが覗き込んでいた。
「あ、はい。昨日買って、まだ少ししか読めてないですが」
そう答えながら、サイラスが休憩中に現れるたことはこれまで無かったなと考えていた。よく見ると彼の手には鋏がある。
ルーシーが鋏に気付いたことをサイラスも察したようで、ああと言って鋏を持っている手を軽く上げた。
「ちょっと頼まれごとをしてね。急遽、花を見繕ってあげたんだよね」
それじゃあと言ってサイラスは小屋の道具入れに鋏を入れてどこかへ行ってしまった。
ここで働き始めて気付いたことだが、サイラスはどうやら、身分のある人間らしい。初対面の頃に、ある程度教養がないと庭師はできないと言っていたが、教養を身につけることができるだけの身分ではあるようだ。侍女のアーシアもサイラスのことを、ええとこのお坊ちゃんらしい、とこれまた噂でしか聞いたことがないという。少し謎に包まれたような彼は、ルーシー達が入れない砦の中も自由に行き来していると聞く。
仕事が終わると、ルーシーは文化の講座を受けに使用人談話室へ向かった。
既に何人かの使用人が来ている。
「ルーシーちゃん、こっちこっち」
「アリアちゃん、久しぶり」
砦の調理場で働いているアリアとは文化の講座で顔見知りになった。同じくらいの年頃で、出身地も近かったため、すぐに親しくなった。彼女の実家は町で食堂をしているそうだが、兄が王都のレストランで修行を終え、奥さんになる人を連れて帰ってきたらしく、アリアは良いタイミングと思って家を出たのだという。
「そういえば庭園に、果物を植えるらしいね。料理長が目をギラギラさせてるの」
「もう何本かは植えてるよ。明日も苗木が来るって。ちゃんと育つように気を付けてはいるけど、気候が合わなくて育たないこともあるから、期待するなってサイラス様が言ってたよ」
「そうなんだ。料理長は味見する気でいるから、育たなかったら落ち込むかも。でもサイラス様はそれ以上に落ち込みそう」
「多分枯れたら泣き叫ぶと思う」
他愛もない話をクスクスと笑いながらしていたが、講座が始まったので二人とも黙って話を聞くことにした。
「……ということで、今日はここまでで。少しここにいますから、質問のある人は来てください」
じゃあまたね、とアリアは足早に談話室から出て行った。調理場では明日の仕込みがあるらしく、アリアは仕事から抜けてここに来ていると言っていた。
ルーシーは、読み始めた本を手にして先程まで講座を進めていたクリス・ユリアーノの元へ緊張しながら向かった。
「すみません、質問なんですけどいいですか?」
「はい、どうぞ」
あっさりとした雰囲気のクリスだが、彼は次期辺境伯の側近だ。ルーシーは言葉に気をつけなければと思いながら、慎重に話す。
「最近本を読み始めたんですが、理解できない言い方みたいなのがあって……単語がわからないとかじゃないんですけど、そういうのはどうやって調べたらいいですか?例えばこれなんですけど」
手にした本を開いて、ある場所を指差した。クリスは失礼、と言ってルーシーの手から本を取り、ルーシーが指差した前後の文章を読んでいる。一分も経たない間に、クリスはルーシーに本を開いたまま返した。
「これは古くからある詩集の引用ですね。この国ではほとんどの教育機関で幼いうちに扱うものなので、このように小説の中でさらっと使われるんです」
クリスは持っていた紙にペンを走らせた。
「ここに書かれている、『まるで朝の愛を伝えるような』というのは、朝の愛、というタイトルの詩があるんです。その内容は、子供が朝起きて食事をして、それだけで心が満たされるという親が子に向けた愛情を表現した内容で、つまり親が子に向ける感情を伝えるような、という意味になります」
そう解説しながら、クリスは詩集のタイトルと作者の名前を書き終えると、ルーシーに渡した。
「ちょうど、この講座でも扱うべき内容だと思っていた所でした。この談話室にも何冊か購入して置いておきますね。すぐに発注しますから、一週間後には届くでしょう」
「ありがとうございます」
ルーシーはクリスから受け取った紙を無くさないように本に挟んだ。
ルーシーは、クリスに教えられた詩集が気になっていた。談話室に置かれてもゆっくり読むのは難しいかもしれない。
相談する相手を考え、休日に雑貨屋を訪ねることにした。
「すみません、ちょっと本のお買い物のことで相談してもいいですか?」
少し顔馴染みになった店員に、ルーシーはクリスの書いたメモを見せた。
「この本をゆっくり読みたいので買いたいんですが、どのくらいするかとか、どこに売ってるかとか、知ってませんか?」
この町に書店らしい店は無く、ルーシーは本の価格もよく分からない。商売をしている知り合いと言えば、雑貨屋の店員しか思い当たらなかった。
「ああ、この本ね。確かに、この国の定番だし知っておくと良いでしょうけど、この辺には本屋も無いからね。もう大昔に作者も亡くなってて、作者の子孫達も権利を放棄したから価格はこの前買った本と同じくらいで買いやすいのではあるけど……」
店員は、買う場所がね、と思案しているようだ。
その時、店の扉が開いた。以前も来ていた、男性客だ。
「あら、良い所に。この本を買いたいのだけれど、どこか知らないかしら?」
男性は、店員に渡されたメモを見る。
「確かに、この辺には無いな。ほとんどの教本に載っているから、若い人達はこの詩集を持っていることも少ないかもしれない」
ううむ、と言って男性は顎に手を当てて考えているが、ふと顔を上げた。
「誰か貴族家出身の者なら持っているかもな。この詩集に載っている言葉は社交の会話でも使われるから、大体の貴族は幼いうちに家庭教師に習うんだ。だけど、どうせ教本でも学ぶから、本棚の飾りになってるやつもいるだろう。少し心当たりがあるから聞いて来よう」
男性はそう言うと、すぐに雑貨屋を出て行った。
「勝手に考えて勝手に出てったわね。とても自分勝手だわ。解決しそうだから良いけど」
「あの、ここにお買い物があったんじゃないでしょうか……」
店員とルーシーは顔を見合わせて笑った。
店員の話によると、男性客はそれなりに地位の高い騎士らしい。常連客のように、細々した物をこれまた細々と買いに来るようだ。
そして店員はリナという名前らしい。ルーシーに合わせて砕けた話し方をしてくれているが、何となく砦にいる侍女達のような、綺麗な姿勢だ。この国の知識も豊富なようで、ルーシーはリナも貴族家出身なのではと思っている。
男性客を待つしかないと話し、ルーシーは雑貨屋の商品を見て回ることにした。ルーシーが以前買ったような便箋やペン、それに部屋の飾りやハーブティーまで、様々な物があって、ルーシーは独身寮の部屋もまだ殺風景だったことを思い出した。これから給金が出される度に、少しずつ整えていけばいい。
そういえば、自分はどんな部屋にしたいだろうか。ルーシーは特にこれといった好みはないなと思っていた。実家の部屋も少し暮らしていた納屋も、とりあえず困らない部屋というだけで特にこだわってしたことはない。今の部屋も居心地が悪くないから何かをする必要はない気もする。しかし、何かしてみてもいいんじゃないか、そんな気持ちがルーシーの中に芽生えていた。
「あら、やっと帰ってきたわ」
ルーシーは考え事をしていたが、リナの声にハッとした。
男性客は、もう一人若い男性を連れて来ていた。男性客がその若い男性の肩をつつくと、話し始めた。
「砦で騎士の下っ端をしてます。トビーです。これですか?探してる詩集って」
ルーシーはトビーが差し出した本とメモを見比べる。
「そうです。これです」
ルーシーはこくこくと頷いた。トビーは、じゃあこれあげるよと言ってルーシーの手に本を持たせた。
「いいんですか?」
「うん。母ちゃんの実家が男爵家だから、小さい頃に勉強道具と一緒にもらったけどさ、結局全然読んでないまま本棚にあるだけだったんだ。本だって人に読まれる方がいいに決まってる。このまま片付けの時に捨てられるかもしれないなら、誰かに貰ってもらって読んでもらう方がいいよね」
トビーはそう言うとにっこりと笑った。
「ありがとうございます」
ルーシーは頭を下げ、何かお礼をしたいと言うと、トビーは元々もらい物だしもらってくれて逆にお礼をしないといけなくなると遠慮した。急いでいるらしく、すぐに雑貨屋を出ていってしまった。
「仕事中かしら?」
リナがそう言うと、残された男性客はそうらしいなとだけ言った。
ルーシーは二人にお礼を言って雑貨屋から出た。給金が出たら、本のお礼も兼ねて少し買い物をしようと思いながら砦に帰る。
部屋で詩集を開くと、その本はただの詩集ではなかった。一つひとつの詩について解説も書かれていたのである。それも子供が読んでも理解できるような言葉で説明されており、勉強道具と一緒に渡されたということがよく分かる。
読みかけの本の続きも気になるが、この詩集を読んでからの方が良い気がする。ルーシーはそう思い、先にその詩集を読むことにした。
「おや!懐かしい本だね!」
ある日の休憩時間、ルーシーが詩集を読んでいると、またどこからか突然やって来たサイラスが覗き込んできた。
「空の声という詩を、僕は何度も読んでしまうんだよね。いやあ、確かにこれを読んでから他の本を読むといいってアドバイスしたらよかったね!まあ結局読んでるんだからいいか!それじゃあね!」
サイラスは言いたいことだけを言い、またどこかへ行ってしまった。ルーシーは空の声、というタイトルを目次から探して読むことにした。詩集だから読む順は変わっても大丈夫だろう。
空の声
空の色が消えて、私は夜に住むようになった
あなたが言っていた空の色や眩しさが思い出せないのです
スプーン一杯分くらいの、ほんの小さな声で良いから
ひとつだけ教えてほしいと空にたずねるのです
朝日が眩しいということを
この空のどこかに居るはずのあなたへ
今日も私は空に語りかけている
ルーシーはその解説を読む。作者が友人を亡くした時に書いた詩だった。訃報によって落ち込んでいる様子を、夜に住むと表現するのはこの詩からの引用であると書かれている。また、落ち込んだ状態から立ち直ってきたことを、朝日が眩しいと表現していることから、親しい人を亡くした人に対して共感と励ましの意味を込めて、「朝日が眩しく見えたら」等といった言葉を使うこともあるという。
「朝日を眩しいと思えたら、伝えてみよう」
ワインボトルの男が言っていたことを思い出した。きっと彼もこの詩から引用したのだろう。そしてサイラスもこの詩を何度も読むと言っていた。彼も大切な人を亡くしたのだろうか。
一つの詩を知っただけだが、ルーシーは人の内面を少し見たような気がした。直接的な言葉でなくても、伝わる言葉があることを知って胸が熱くなる。
「私にとって空は何色なんだろう」
しかし、ひとつ言えることがあった。
「夜に住んではいないよね」
そう言って空を見る。快晴とは言えないが、どんよりともしていない、雲の多い空だった。
「それは良かった」
ビリーがそう言っているような気がした。きっと今、朝市の鐘の音を聞いても辛くはないかもしれないし、シンバルの音は懐かしいだけの音になっている気がする。
そういう気がするだけで、ルーシーは良い気がした。
ありがとうございました。
お話の中で、一言で済まされてしまう命があります。
その人や、その人の周りの人にもストーリーがあるのですが、一人ひとりを取り上げていたらお話が進みません。それでも、そういうお話を書いている以上はそこにも少し目を向けたいと思って今回このお話を書くことにしました。