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前編

お久しぶりです。よろしくお願いします。

 親友が死んだ。


「何で……」


 そうルーシーが疑問を口にしたのは、親友の死に対してではなく、思考が纏らないからだ。


 親友のビリーは騎士だった。ただの平民だけど運動神経が飛び抜けて良かった。近所に住んでいた騎士から勧誘されて、そのまま領主の騎士団に入って立派な騎士になっていた。



「同盟国の辺境で魔獣の大量発生だって」

「何十年かに一回とかいうやつ?」

「それそれ!ちょっと稼いでくるわ」


 同盟国はお互いに侵攻しないという約束をして、その代わりに騎士の派遣や輸出入の税金の交渉が出来るらしい。

 ビリーは騎士の派遣に参加するのだという。


「気を付けてよ」


 生まれてこれまで一度もこの国から出たことがないビリーが少し心配だった。

 ビリーは少しだけ唇を噛んだが、いつもの笑顔を見せた。


「ありがと!お土産をお楽しみに!」


 それからビリーは、報奨金は派遣先の国や自国の王宮、雇い主である領主からも貰えるんだと話していた。


「じゃあ、また。体に気をつけて」

「母ちゃんかよ!分かったって!じゃあ、ルーシーも元気で!」


 ビリーは力一杯、手を振った。そのせいでピアスに付いた飾りが顔に当たって笑っていた。ビリーはいつも明るくて、良い騎士だと思う。近所の子供達から、憧れの的になっていて、本当は少しだけ臆病なところもあるけど優しいやつだ。



「ビリーが、死んだ?」


 町に流れた訃報。それは、同盟国の辺境で起こった、魔獣の大量発生での出来事だ。辺境の主である辺境伯が倒れ、次々に指揮権が動いたらしい。領主も剣を手に第一線で戦って戦線離脱という所まで追い込まれる過酷な状況だったと新聞には書いてあった。

 同盟国から派遣の騎士は多くいたが、多数の怪我人に、数名の死者が出てしまった。

 その数名のうちの一人がビリーだった。


「ビリーの葬儀は国と領主が合同で行うんだって。あなたも辛いと思うけど、良い親友を持ったと誇りに思ってあげて」


 母はそう言った。新聞に大きく書かれた見出しが嫌でも目に入る。


『騎士は勇敢に戦い、立派な最期だった』


 ビリーは臆病なところがあるのをルーシーは知っている。騎士の訓練でも相手が怖がる手が出せるのはきっと臆病な心があるからこそだと話していた。きっと怖かったんだろうなと、辺境に行くと話していた時に少しだけ唇を噛んでいたビリーを思い出すと涙が止まらなかった。


 ビリーの死を聞いてからは、淡々と過ごしていた。いや、淡々と過ごすことしか出来なかった。ルーシーは家族で農業をしていて、ずっと畑で体を動かしている。体を動かしている方が、何も考えなくて済むと思って、普段なら面倒くさいなと思うような仕事も率先してこなしていく。


 ビリーが死んで、ビリーの父親も驚くくらいに老け込んでしまった。領主の計らいで、医者が来ているらしい。それで少しずつ、気持ちが回復していると聞く。けれど、ビリーの父親がやっていた、朝市のシンバルは聞こえなくなった。朝市を仕切っていたビリーの父親は、市場が開かれる時間になると、町中の人を叩き起こすくらいの勢いでシンバルを鳴らしていた。しかしビリーの死後、しばらく休業した後に再び朝市を仕切るようになってからもシンバルを叩く気にはなれないようだった。朝市の始まりは他の人が鐘を鳴らすようになった。

 あのシンバルが聞こえないことが、何よりもビリーがいなくなったことを表現しているようで、ルーシーは朝の鐘の音が嫌いになった。だから、鐘が鳴るより早くに起きて、畑へ出ることにしている。



『リータ国辺境の砦、作業が難航』


 テーブルに置かれていた新聞の、そんな記事が目に入る。リータ国辺境の砦こそ、ビリーが死んだ場所だ。

 つい手にとって読んでしまう。どうやら、リータ国は魔獣の殲滅後に集めた兵力を元に同盟国の侵攻を図ろうとしたらしい。しかしそれも未遂に、それも証拠を抑えられての大失敗で、急遽国の中枢を立て直しているそうだ。それのせいで、辺境の片付けに人員投入が難しく進んでいないとか。

 読んでしばらく考えていると、あの鐘の音がした。

 ビリーが死んだ場所がまだ片付いていない。

 新聞を片手に立ち尽くしていたが、仕事を始めなければいけない時間だと思って考えることを止めた。

 ただ、その日は何をしていてもビリーの死んだ場所が頭を過ぎった。



「リータ国の辺境に、行きたいと思うんだけど」


 新聞を見て数日、家族の揃った食卓でそう言った。両親は、何か察してくれたらしく、辛かったらいつでも帰っておいでと、優しく後押ししてくれた。


 リータ国に行く手段としてまず選んだのは、辺境の片付けへの従事だ。新聞の求人広告に大きく載っていた。身元がしっかりしていれば誰でも経験を問わず、との条件で、面接をして通れば短期間だが雇ってもらえるそうだ。とりあえずお金をかけずに行ける方法からと思ってルーシーは新聞に書かれた通りの書類を準備して面接に向かった。


「ルーシーさん、農家の方ですね。出稼ぎ目的でしょうか」


 辺境の片付けへの従事は、まとめて面接が行われている。面接に通った人は馬車に乗せられて、リータ国の辺境へ運んでもらえるらしい。


「騎士だった親友が死んでしまって。そこが片付いていないと新聞で見て、ちょっとな、と思ったんです」


 人生初の面接で、周りの人達は背筋を伸ばして発言をしている。ルーシーは一言ずつ、やっとそう答えると、周りの人がじっと睨んできたのが分かった。



「親友の騎士って、彼氏か?」


 面接結果を待っている間、一緒に面接を受けた男が話し掛けてきた。


「いいえ、近所に住んでいた幼馴染です」


 そう答えると、その男はブッと下品に吹き出した。


「ああ!好きだった男ってことか!なるほどな、若いな姉ちゃんも!」

「そういうんじゃなくて!」


 思わず大きな声を出して抗議するが、その時ちょうどガチャリと音を立てて扉が開いた。


「静粛に。結果が出ました」


 部屋に先程の面接官が入ってきた。しんと、静かになる。


「ルーシーさん、あなたは別室へ。残りの方はこちらでお待ち下さい」


 ルーシーは立ち上がった。声を掛けてきた男が小声で、ホラ男目的の女は落ちたと言っていた。

 ビリーの事まで貶されたようで悔しかったが、世間からはそう見えるのだと思って黙った。



「ルーシーさん?」


 面接官が顔を覗き込んできた。


「ご気分が優れないとか?何度か声を掛けたのですが」

「すみません、名前を呼ばれ慣れていなくて」


 面接官は、ん?と首を傾げる。


「家族や親しい人からはチルって呼ばれていたので、すみません」


 面接官はふむ、と言って掌に指でルーシーと書いている。


「確かに、綴りを入れ換えると、チル、と発音出来なくもない」

「兄弟が幼い頃によく書き間違えていたんです」

「なるほど」


 二人の間に沈黙が流れる。


「それで、ルーシーさんの親友、というのはビリー騎士ですね?」

「あ、そうです」


 何度か声を掛けたということは、何か用があって話し掛けたということだと、直ぐに気付けなかったことに少し落ち込む。

 別室に移された後に告げられたのは、面接に合格したからすぐに移動するという言葉だった。

 馬車に面接官と二人で向かい合って座る。面接官は国境の関所まで送り届けるのを見届けなくてはならないらしい。


「ビリー騎士について、おそらく知っている者はいないでしょう。それでも良いのですよね?」

「はい。何となく、彼が命を落とした土地が荒れていることが気になっているだけなので」


 面接官は深く二度頷くと、鞄から分厚い紙を取り出した。


「これはルーシーさんの身元を証明するものです。この国の審査を経て国外の労働に出すんですから、国内の炭鉱掘り等と同じな訳がありません。それなりに身元のはっきりした方で、少なくともリータ国で犯罪をしそうにない方でないと」


 そう言って、ルーシーに分厚い紙を手渡してきた。間違いないか目を通しておいてくださいねと言われ、ルーシーは人差し指でなぞりながら読んだ。

 ルーシーの住んでいた町の名前や両親の名前、生年月日、読み書きが出来ること、身長やこげ茶色の髪と瞳であることまで。


 国境の関所に着き、面接官に見守られながら役人に書類を渡した。面接官に世話になったことを挨拶すると、仕事ですからとさらりと返された。関所に準備されていた馬車に乗り辺境の砦に向かう。他の場所から来た人も次々に乗り込み、馬車は満員になった。


「お嬢さんみたいな若い人も出稼ぎ?」


 隣に座った、中年の女性にそう聞かれた。


「実家が農家で、今は忙しくない時期なんです。若いうちに、色んな経験をしておくようにと親に言われて」


 面接の時に嫌な思いをした。面接官から、辺境へ行く理由はこう言うと良いですよと、考えてもらった返答をする。


「勉強熱心なのね。良いことだわ。それに良いご両親ですこと」


 中年女性はそう言うと、自身の身の上話をし始めた。ルーシーは根掘り葉掘り聞かれなかったことに安心し、暇つぶしに話し続けた。


 辺境は酷い有り様だった。砦自体も崩れているし、案内された場所は魔獣の死骸の山があちこちに出来ていて、騎士達が休む間もなく作業している。


「辺境へようこそ。手厚いもてなしは無いけど、どこも人手が足りていないからね。よろしく頼むよ」


 次期辺境伯という、若い騎士にまとめて挨拶をされた。ルーシーは魔獣の解体作業への従事を命じられた。解体作業とは言うものの、力仕事は騎士達がやってしまって、ルーシーは解体された魔獣の皮や骨を洗う作業だ。


「こんな汚い作業ばかりで申し訳ない」


 魔獣の骨を運んで来た騎士がそう言った。


「こういう作業は慣れているんです。気にしないでください」


 ルーシーは、野菜の洗い作業や農具の手入れを思い出しながら、懸命に洗った。


 作業が一段落し、休憩を取るように言われた。ルーシーは鞄を手に、まだ作業している人の邪魔にならないように隅にあった瓦礫に腰掛ける。


「ビリー、あなたはこんなに過酷な場所で頑張っていたのね」


 ルーシーは鞄の中からビリーがよく飲んでいた安い麦酒の瓶を置いた。そして、稀に格好つけて吸っていた葉巻も。


「おや、こんな所でサボりかな?」


 突然、後ろから声を掛けられて、思わず体がビクリと震えた。


「すみません!休憩中で……」


 立ち上がった拍子に、麦酒が倒れてカランと音がした。


「休憩中にお酒かい?まあ、人の事は言えないんだけど」


 カッチリとした騎士服を身に着けた男性は、ワインボトルを片手に持っている。それを少し掲げて微笑んだが、ルーシーをじっと見つめ、ああと声を漏らした。


「すまない。それは君の物ではないんだね。こういう場所だから、軽率に発言せず、先に理解すべきだった」


 ルーシーのことを見透かしたようにそう告げると、ポンとワインの栓を抜いた。


「あんなに好きだったのに、飲めなくなるんだよなーコレが」


 ワインの栓を舐めて顔をしかめた後、男はワインボトルを逆さまにした。

 乾いた地面にワインが染みていく。


「これはアイツの物だったんだ。勝手に、俺の中での話だけど。年は取りたくないね。だけど、若かったらどうだったろうか」


 そう言うと、空になったワインボトルとコトリと置き、その隣に麦酒の瓶を起こして並べた。


「きっと彼らは彼らなりにやってるのさ。残されたこっちの身にもなって欲しいと思うことも多いけど。だけどきっと時間が必要なんだ、お互いにね」


 男はワインボトルを持ち上げて、砦の方へ戻って行った。


「時間……」


 ルーシーは麦酒と葉巻を眺めた。



 辺境は日中暖かいものの、夜に一気に気温が下がるため、朝早くはひんやりと肌寒い。

 ルーシーは寒さで目が覚めた。砦から支給されている毛布を羽織り、外に出た。

 太陽が昇ってくる方角がぼんやりと明るくなり始めている。


「あなたの父親はシンバルを叩かなくなったよ。代わりの鐘の音が嫌いなの。あの町から逃げてきたんだよ、あなたのせいで」


 ビリーとルーシーは男女の仲になったことは一度もない。ビリーの心は女性だったから、女友達と変わらなかった。ビリーの両親は男なら男らしくあれと言い聞かせた。騎士になった時、これで満足したかと親に言ってやったんだと笑っていた。騎士団には良い男が多いとか、体を動かしているだけでお金になるとか、酒を飲み交わすと男達の本音と見栄が見えて面白い、たまにする葉巻も社交だと言っていた。心が女性でも、仕事は仕事と割り切っていて別に困ることはないと話していた。


 ルーシーは麦酒の瓶と葉巻を並べた。その隣にビリーのお気に入りのブレスレットも添えた。彼の両親は、ビリーが装飾品をルーシーに管理してもらっていたことを知っているだろうか。親にバレたら面倒だと、買ったものはルーシーに渡されていて、休日はルーシーの家でおしゃれをしてから一緒に出掛けたりしていた。ルーシーの部屋の棚のひとつはビリーの形見になってしまった。


「下手に捨てられないし、どうしてくれるの」

「おや、また会ったね。お嬢さんが一人で出歩いて良い時間じゃないよ」


 先日も会った男が、またワインボトルを片手に現れた。


「捨てられない物が多すぎるんです」


 ルーシーはそう言ってブレスレットをつまみ上げた。ルーシーの部屋にあるビリーの物は、保管料として好きに使って良いと言われていた。しかし普段農作業をするルーシーはビリーと出掛ける時以外は身に着ける機会が無かった。


「これを伝えるべきだと思いますか」


 何を、とは言わなかったが、察しているのかいないのか、男は麦酒の隣に中身が入ったままのワインボトルを置いた。


「そうだね。朝日が眩しいと思えたら、伝えてみよう。そうでないなら、まだ良いんじゃないかな」


 二人は日が昇る方角を見つめていた。

 しかし、朝日はぼんやりとしたもので、空がじわじわと明るくなるだけだった。


「まだ時間が必要、ということだろうね」


 ルーシーはため息を付いて麦酒と葉巻を片付けた。

 それを見て、男もワインボトルを持ち上げた。

 二人は別々に帰る。ルーシーは、男が何者なのか聞こうかと一瞬考えたが、やめておくことにした。良さそうな素材の服を着ているから、立場のある人だろう。きっと、ルーシーが話し掛けてはならないくらいの。お互いに、立場を知らない仲だからこそ、あんなやり取りが出来ているんだと思う。


 ルーシーは休憩時間と早朝に、ビリーへ麦酒と葉巻を捧げる時間を作っているが、朝日が眩しいと思えない日々を過ごしている。そもそも霧が濃くて朝日は眩しくないのである。男の言ったことを言い訳にして、ルーシーは変わりない毎日だ。


「ルーシーさん!魔獣の方は片付いてきたから、今日からは庭園の方に回ってくれ!」


 てっきり、魔獣が片付けば御役御免で帰国させられるのかと思っていたが、まだまだやることは多いらしい。砦の修復も進んでいる。


「君!中々良いね!」


 庭園の花壇に土を入れていると、声を掛けられた。


「……ありがとうございます?」


 何に対して良いと言われたのかも分からなかったが、顔に出ていたのか、男はごめんごめんと言いながら笑った。


「君のそのスコップの使い方や姿勢、土の扱い方まで!中々良い!」

「実家が農家なので……」

「なるほど!これは幸運だ!土に触り慣れた人材がいないものでね!」


 その男は庭師なのだと言う。庭師は軽装というイメージがぼんやりとあったが、眼の前に居る男は騎士のような服装だ。


「辺境は国の要所だからね!」


 国の要人をもてなす庭園には様々な配慮が必要らしく、教養のある庭師が必要なのだと、その庭師は言った。


「例えばそこ!辺境伯家でティーパーティーを開くでしょ!?そうなると、だいたいこの辺りにテーブルを置くことになるし、そう考えるとこっちの方に棘のあるのはだめだよね!それに砦との位置関係から、ここにこう道を作るべきだろう!?」


 ティーパーティーなんて少しの想像もつかない。よく分からないがこの庭師は何かを具体的に想定しながら庭園を準備しているようで、ただの庭師ではないのは伝わってきた。


「花がある」


 いつものように、休憩時間に麦酒と葉巻を並べていると、瓦礫の隙間に白い花が見えた。

 まだ片付いていない瓦礫の中に咲いたそれは、とても綺麗に見えた。

 花に近付いて、その花弁を指先で優しく、つんと突付く。


「あなたを町や草原で見掛けても、多分何とも思わないけど、こんな所に咲いたら嫌でも綺麗に見えるね」

「おや、花なんか咲いたのか」


 いつもの男がいつものようにワインボトルを片手にやって来た。


「これは良いことだ。主に報せなくては」


 そう言うとワインボトルを置くこともなく、砦の方へ足早に戻って行った。


「あの人は、きっと必要な時間が過ぎたんだろうね」


 ワインボトルの中身を地面にくれてやることも、置くこともなく、男は花を見て砦へ戻った。それが優先されたのだ。何となくだが、きっと彼はもうここに誰かを弔いに来ることはない気がした。


「ねえビリー、私にはまだ時間が必要みたい」


 勝手にワインボトルの男を同族にして、勝手に置いて行かれた気分になるなんてと思いながら、ルーシーは花の隣にブレスレットを並べた。


「あなたにはこっちの方が良かったのかもね」


 騎士として命を落としたのだから、親しい仲間との思い出である麦酒と葉巻を用意していたが、そこに花は似合わないと、ルーシーは笑った。ビリーの心を考えると、花の方が良い。これからは、花の隣にブレスレットを置いてあげようと思った。


 数日の間に、至る所から花が咲き始めた。


「騎士達を弔ってくれているようだね!」


 庭師はそんなことを言っていた。


 ある日の朝、ルーシーはいつものように朝日を眺めていた。足元には花が咲き、ビリーのブレスレットは花に埋もれている。


「お嬢さん、眩しい朝日には巡り会えないのかな?」


 男の手にワインボトルはもう無い。


「まだ時間が必要みたいです」

「時間が必要な君には酷かもしれないね」


 男は懐から手紙を取り出した。それをルーシーに渡す。


「先に中身は検めさせてもらっているよ。そういう決まりだから、怒らないで欲しい」


 どうやら、ルーシー宛の手紙のようだ。

 わざわざこの辺境へ送るとは、何だろうと思いながら、ルーシーは既に開封された手紙を見た。

 そして、男には何も言わず、ブレスレットを持ち上げその場を去った。


 ルーシーは初めて、近くの町に出掛けた。雑貨屋で書くものや便箋を買うためだ。


「手紙を出したいんですが……」

「手紙?あなた初めて見る顔ね。外国に出すならこの大きさの封筒じゃないといけないの。宛名の書き方は分かる?」


 親切な店員から手紙の出し方を教えてもらう。

 ペンとインク、便箋は買ったが、封をする道具は一回きりのために買うもんじゃないと言って貸してもらった。


「ビリーのご両親へ。私の部屋の西側の棚に入っている装飾品は全てビリーの物です。同封しているブレスレットで、ビリーの物全てです。ルーシー」


 店員が教えてくれた金額と一緒に手紙を砦へ出した。砦にある窓口から手紙が出せるということ、何かあった時の為に窓口の者に内容を添削してもらうと良いということまで、親切な店員は助言してくれた。


「ルーシーさん、あなたはビリーという方の装飾品を盗んでいた訳ではないですよね?」

「はい、ビリーが自宅に置けないというか、両親に見られたくなかったので私が預かっていました。ビリーが亡くなったので、両親が受け取りたいと」


 郵便を担当しているという男は眉間にしわを寄せて、顎に手を当てている。


「この手紙だけ読むと、そういう風に受け取られかねないと言いますか……」

「困らせてしまってすみません。すぐに書き直します」

「誤解の無いような書き方にしたら良いだけですから、今時間はありますか?」


 ルーシーは考えてもらった内容に書き換えて手紙を出した。


「さようなら、ビリー」


 辺境伯は瓦礫の山に咲いた花を見て、この花が終わるまで瓦礫の撤去作業を中断させると決めたらしい。撤去作業の為に集めた人手は砦の修復や庭園へ回されるようになり、ルーシーを含め一時的に従事している人達は国に帰ることになった。ルーシーは帰国する馬車に乗る前に、瓦礫の花を見に行った。


「綺麗な花畑で嬉しいでしょう、ビリー」


 ルーシーに宛てられた、ビリーの両親からの手紙には、ルーシーへの怒りが隠されることなく綴られていた。ビリーの稼いだお金で買った装飾品を売ったのか、いくらになったのか、人の息子のお金を使い込んだのか、と。


「朝日は眩しくないけど、きっと大丈夫。夜は明けるって知っているから」


 ルーシーは少し重い荷物を持って砦を後にした。



「チルを出せ!」


 実家に帰ると、どこから聞きつけたのか、ビリーの両親がルーシーの家の外で大声を上げていた。

 家族は皆畑に出ている時間だったのでルーシーが出ると、ビリーの母親は遠慮なくルーシーの頬を叩いた。その後ろから、ビリーの父親も罵声を浴びせて来る。


「何か言う事はないのか!?」


 ルーシーはそう言われ、二人の顔を見た。怒りしか感じない表情だ。ルーシーは辺境ではこんな人は居なかったなと思い返した。誰もが懸命に生きていた。怒るなんて余裕も無かったのかもしれない。いや、辺境で何に対して怒れただろうか。辺境に行くというのを止めなかった自分自身にだろうか。

 しかし、あの辺境の崩れた砦が、何もかもがどうしようもなかったのだと言っているようだった。残された人は生きるしかない。ルーシーが辺境で感じたことは、生きていくということだった。


「その怒りは何に対する感情ですか?誰かを傷付けるんじゃなくて、時間が掛かっても向き合わないといけない。そんなことをして、それをビリーは望んでいると思……」


 話している途中でまた、頬を叩かれた。何度も叩かれ、騒ぎに気付いた町の人達が止めてくれた。

 町の人達は畑にいた家族も呼んでくれたらしく、すぐに手当てをしてくれた。


 ルーシーはすぐに実家を出たかったが、行くあてがない。ビリーの家族は領主の雇った医師に診てもらっているから、ルーシーの両親は娘に怪我をさせたことについて強く抗議出来なかった。


 ワインボトルの男や、庭師、雑貨屋の店員など、少し親しくなった人達が頭を過った。名前を聞いておけば良かったかもしれないと考えたが、知っていたとしてもそんな我儘や相談をできる仲ではない。

 新聞に書かれている求人情報を見たが、女性の泊まり込みの仕事や、一人暮らしが可能な給金となると中々見つからない。


「畑の納屋を住めるようにしよう」


 何年か前に、害獣対策で道具を仕舞っていただけの納屋は寝泊まりが出来るように改装していた。ルーシーは荷物を持ち込み、そこに住むようになった。


「ビリー、あなたのせいで住む場所まで変わったよ」


 砦にいた頃からの習慣で朝日を眺めながらビリーへの言葉を呟く。

 しかし、ここは一人。もう少ししたら家族達も畑に出てくる。


 そんな暮らしが一ヶ月続いた。ルーシーはある朝、瓦礫の花を思い出していた。


「眩しい」


 ふと、この町の朝日は眩しいと思った。帰って来て一ヶ月以上、辺境と違ってここには霧が出ない。朝日は眩しいはずなのに、ずっと忘れていた。


「必要だった時間が過ぎたと思っていいかな」


 ルーシーはそう思うことにした。



 ルーシーはもう夜明け前に起きることも無くなった。窓から差し込む朝日でゆっくりと起床する。それからのんびりと朝食を食べ、家族達が町から来る時間を見て畑に出る。

 必要最低限の人としか関わらない生活は案外楽だが、町にいるビリーの家族から逃げ隠れているような気もして、何となく不安な気持ちもあった。


「ルーシーさん、こんにちは」

「えっと……こんにちは」


 見覚えのある顔と声だが、いまいち思い出せない。その男性の微笑みはこの晴天にとても似合っているが、畑の土にはあまりにも不釣り合いな磨かれた革靴がルーシーとの身分の差を明らかにしている。


「覚えていなくても構いません。私、以前ルーシーさんがリータ国辺境の砦へ向かわれた際に面接をさせていただいた者です」


 そう言えば、とルーシーは手を打った。


「すみません、すぐに思い出せなくて」


 覚えて下さっていて光栄ですと、面接官の男は軽く頭を下げた。


「この度、ルーシーさんに依頼が来ておりまして。申し訳ありませんが、少々お時間いただいても?」


 ルーシーは一先ず、畑にいた家族に声を掛けた。男性と二人きりと言うのはと言って、母が付いて来た。三人でルーシーが暮らしている納屋に入る。テーブルと椅子は一セットしかないので座ってもらい、ルーシーと母はベッドに腰を下ろした。


「狭くてすみません」

「いいえ、突然押し掛けてしまい申し訳ありませんでした」


 男はすぐに、鞄から束になった紙を取り出した。


「ルーシーさんはリータ国辺境でとても真面目な働きぶりだったと報告があります」


 パラパラと紙を捲りながら、男は淡々と話した。


「元々、辺境への従事についてはあちらの土地や人への思い入れがある方を優先して採用しておりました。ルーシーさんはご友人を亡くされたとのことでしたが……」


 男はルーシーの目を見た。何か言った方が良いのだろうかとルーシーが考えていると、男はそれを見透かしたようにまた口を動かし始めた。


「ご様子を見るに、落ち着かれているようで何よりです」


 その友人の家族と会わないように暮らしているけど、と言おうかと思ったが、男の微笑みに圧力を感じ、はいとだけ返事をした。


「そこで、働きぶりも真面目で心身ともに健康なルーシーさんへ、お仕事のご案内が来ました。リータ国辺境の砦で、もう一度働きませんかと」


 男は紙の束から一枚抜き出した。


「ゆっくりで構いません。どうぞお考えください」


 仕事は砦の雑務とされている。その内容は魔獣の解体洗浄作業、庭師の補佐と書かれている。給金は一人暮らしが出来る程度には貰えそうだ。使用人の寮もあるという。また、定期的な休日や、年に二回はまとまった休暇が出るとまで書かれている。


 ルーシーは考える。兄弟がいるためルーシーがここに居なければならないことはない。納屋での生活に不便は無いが、ビリーの家族を気にして自由に出歩けないのも胸に引っかかっていたところだった。

 母も何とも言えないようで、黙っている。


「もちろん、これは良ければのお話です。砦は人手不足で、新たに雇うのならこれまで砦で働いたことのある方で、問題のなかった方を優先したいというところですから」


 すぐに返事をする必要はないらしく、返答の期限だけを告げて男は紙の束をまとめて仕舞い、納屋を出た。


 男が去ってすぐ、ルーシーは外から納屋を見た。ここに革靴を履いた男が居たということだけでも可笑しくて笑いが溢れた。


「お役人様も大変だね、こんな所まで」


 ルーシーの言葉に母もそうだねと言って笑った。


 その晩、ルーシーは久しぶりに町の実家に戻った。そして家族にリータ国辺境の砦で働きたいと告げた。

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