最終話 プリフィカーレ
「ハルっ!!」
冷たい血の海に沈むかと思われた背中を、ふわりと優しいぬくもりが包む。
自分のものではない鼓動を近くに感じ、ハルは閉じかけていたまぶたをひらいた。
「……キョウ、ヤ……?」
「ばかハル。無茶すんなって言ったろ?」
小さな手をしっかりとその手につかんだキョウヤは、抱きとめたハルの頬を優しくなでた。
口調とは裏腹に、彼の顔は泣き笑いにも似たいびつな微笑みを浮かべている。
「来て、くれたんだ……」
「当たり前だ。ひとりにしないって、約束しただろ?」
キョウヤの言葉に、ハルは照れくさそうにはにかんだ。
とはいえ、体中が悲鳴を上げている。致命傷ともいえる腹の傷はいくぶんかふさがってきてはいるものの、やはり力を酷使しすぎたらしい。すぐにでも意識を手放してしまいたくなる。
しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。まだやるべきことが残っている。
ハルはキョウヤに支えられながらゆっくりと上体を起こすと、変わり果ててしまった周囲の様子を見渡した。
辺りは変わらず濃い霧に包まれている。通常ならばすぐにでも自然浄化されるはずのモルテだが、今回はその気配は一切ない。
「尋常じゃない数を一掃したんだ。しばらくはこのままだろーな……」
「……ん」
辺り一面を覆いつくすモルテが自然に消えるのがいつになるのか、皆目見当もつかない。
大地は、生物の生きられない死の大地と化してしまっていた。
「…………ハル」
「っ……!」
キョウヤは静かに彼女の名を呼ぶ。そのまなざしはまっすぐにハルをとらえ、彼女もそれに応えるかのように彼を見つめ返した。
方法がないわけではない。しかしそれにはリスクが大きすぎる。
無意識のうちにその選択肢を消したくて、いつの間にかハルは小さくうつむいた。
巻きこめない。
巻きこみたくない。
しかし、ほかの方法が思いつかない。
自身の胸の内の葛藤を悟られたくなくて、彼の目を見ることができない。
「ハル」
「……キョ、ヤ……」
「大丈夫だ。俺がついてる」
下を向くハルの頬を両手で包み、キョウヤは視線を合わせる。不安げに揺れる瞳を、キョウヤはまっすぐに見つめていた。
「俺はハルのスペラーレだからな。ひとりで、なんてやらせねーよ」
「だ、けど……」
「ずっと一緒にいるって誓ったろ? 俺を信じろ。俺はハルのこと信じてる。だから、お前が思うようにやればいい。俺がちゃんと支えてやる」
大きな手のひらが、優しく髪をなでた。その手のぬくもりに、胸の奥が締めつけられる。
キョウヤもまた、ハルとともにキューブの記憶を共有していた。ハルの視たもの、感じたものが、彼の中にも流れこんでくる。
だからこそ、彼女がこれからなにをしようとしているか、キョウヤはおのずと理解していた。
そしてそのあとに待ち受ける運命すらも。
それでもすべて受け入れ、最期まで彼女とともに在ることを強く願う。
ハルは一度目を伏せ、ゆっくりと深呼吸すると、再度キョウヤと視線を絡ませた。
二人の間には、いつの間にか現れたキューブ本体が浮遊している。
「っ……、キョウヤっ……」
「ん?」
ハルの声に、キョウヤはふわりと微笑む。
「わたしと一緒に、死んでくれる?」
「よろこんで」
そう言って彼は、自身のひたいをこつんとハルのそれと合わせた。
ふたつの聖痕が、まるでひとつになることを望んでいたかのように共鳴しあう。
ハルとキョウヤは互いの手を重ね合わせ、両手で包みこむようにキューブにふれる。
視線を絡ませたまま、二人はゆっくりと言葉をつむいだ。
「「我 今ここに汝の力を欲す」」
二人の声が重なりあう。キューブは淡い光を放ちはじめ、辺りは静寂に包まれる。
「「天空に風を 大地に光を
生命の源となりし聖なる水を
今 わが身より解き放て」」
キューブを中心に、空気が澄み渡っていく。
徐々に輝きを増した光の粒子が、まとわりつくように二人のまわりを浮遊していた。
「「汝 我が魂を喰らいて力を得ん
天上天下 生きとし生けるもの
その行く末を妨げんとするものを焼き払え
浄化の炎よ 灰塵と化せ」」
あふれだした無数の光の結晶は、辺り一面に広がっていく。
すでに互いの姿しか確認できないほどのまばゆい光に包まれたハルとキョウヤは、互いの姿を目に焼きつけるかのように、瞬きすら忘れて見つめあった。
「「我が魂 汝に捧げん
プリフィカーレ!!」」
二人の響きに呼応して、空を切り裂くような甲高い音とともに、キューブはその姿を消した。
まるで導かれるように、光は高く高く天に昇っていく。
光を追いかけるように空を見上げたハルの手を、キョウヤが自分のほうへと引く。そのまま抱き寄せるように、彼女の体を腕の中に閉じこめた。
澄み渡る空気と静寂の中、互いの鼓動とぬくもりしか感じない。だが、二人にはそれで十分だった。
「ホノカたち、怒るかな?」
「どうだろーな。けどまぁ、たぶんアキトも一緒だ」
「そうだね。きっと、ツカサも待ってるよね」
「あぁ。だから泣くなよ、ハル」
「泣いてないもん」
「はいはい」
頬を伝うひとすじの涙をすくい取るように、キョウヤはそっと目尻に唇を落とした。やわらかな頬に残る涙の跡をぬぐい、愛しそうに目を細めて彼女のやわらかな頬をなでる。
にっこりと笑ったキョウヤに、ハルは満面の笑顔で応えた。
優しく、しかし力強く抱きしめられ、痛いほどに感じる彼の想いに少しでも応えたくて、あふれ出すこの想いをすべて彼に伝えたくて、ハルはキョウヤの背にまわした手に力を込める。
「ぜってー離さねーからな」
「うんっ……!!」
幸せそうに微笑んだ二人の唇が重なりあう。
次の瞬間、天高く上った光の結晶が二人の頭上に落下する。
直後、周囲は目もくらむような輝きに包まれた。四方八方に飛び散った光の粒子が、すべてを包みこむ。
それは母なる優しさにも似たぬくもりを帯び、すべてのものに癒しと安らぎ与えるかのようだった。
【完】
あとがき
はい! どうも、志築いろはですー。
キューブ、ついに完結しましたね。最後までお読みいただき、ありがとうございます(*´ω`*)
そしてすみません(;´∀`) メリバです……( ̄* ̄)
ラストシーンが書きたいがために……。
とはいえ、ハルとキョウヤは幸せそうなので良いのでは?(^o^;)
さて、キューブはこのあとどうなったかといいますと、跡形もなくきれいさっぱり存在を消します。きっと地球上のどこかには存在しているのでしょうけど、またいつか人類に発見されるまで、ひそかに使命を果たしながら在り続けるのでしょう。
ちなみにキューブ消滅とともに、ICUにいたはずのホノカとアキトも姿を消しています。スペランツァとスペラーレは、キューブとつながっていますからね。きっとみんな、ここではないどこかで再会しているはずです。
まぁそれはそれでレンがハルにちょっかい出したりしてそうですけど。キョウヤ頑張れ!
一方で、浄化された世界に残された人たちはというと。まぁ世間は、真相はよくわからないままなりに復興していくのでしょう。
かたや組織の人間は、キューブもスペランツァもスペラーレもいない中、残されたデータと記録をもとに研究を進めるのだと思います。謎を謎のままにしておけない人種ですから。
唯一の手がかりとなりうるであろうエリカの処遇はご想像にお任せします。
ともあれ、みなさまの応援のおかげで、無事に完結できました。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
また次回作でお会いしましょう!
志築いろは