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魔法少女のために僕ができること  作者: 白猫亭なぽり
第1章 少年は秘密の一端に触れる
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1.8 やりゃ文句ねぇんだろ?

「嫌だね。実に嫌だ」

「何だよ?」

「青春時代をのらりくらりと、無為に過ごすヤツほど嫌なものはないね。みてて虫酸(むしず)が走る」

「……何が言いてぇんだ?」


 気取った言葉は、楔となって蒼一の感情に深々と突き刺さる。怪我で野球を諦めてからこっち、どこか宙ぶらりんな気持ちのまま過ごしている自分を揶揄していることくらい、彼にだってすぐわかった。神経を逆撫でされて語気を荒げるが、桃香はむしろ楽しそうに火に油を注ぐ。


「反応するってことは、多少なりとも自覚があるんじゃないか。結構なことで」

「命かけて打ち込んできたものを、怪我で続けられなくなった俺の気持ちなんざ、あんたにゃわかんねぇだろうよ」

「どんなに(こいねが)おうが一生取り戻せないものを、後生大事に抱え込むグズの気持ちを推しはかれってのかい? そんなもん理解するくらいなら死んだほうがマシだね」

「じゃあお望み通りにしてやろうか?」


 蒼一は一発ぶん殴ってわからせてやろうかと席を立ち、桃香はやれるもんならやってみろと余裕(よゆう)綽々(しゃくしゃく)の構えを見せる。

 平和だったはず一般家庭のリビングに、一転して漂う一触即発の気配。

 

「およしなさい、ふたりとも」


 嫌な沸き方をした空気を抑え込んだのは、普段なら聞き逃しそうな魔法の合図と、二人をたしなめる紫音の言葉だった。

 彼女の魔法は正確で、速い。薄紫色の輝きを放つ【鎖】の一つは、息子に抵抗する間も与えずその場に押しとどめ、もう一つの切っ先は桃香に向けられている。


「蒼一。怒る気持ちもわかるけど、他人(ひと)に手を挙げていい理由なんてどこにもないわ」


 紫音の艷やかな唇からもたらされる声は、手ずから淹れた紅茶とは裏腹に重く冷たい。

 母の静かな圧に押されるようにソファに腰を下ろした蒼一だったが、最後の抵抗とばかりに、不服をたっぷり乗せた舌打ちをする。紫音は眉を少ししかめるが、それ以上の追求はせず、今度は親友に釘を刺す。


「桃香も、あんまり私の息子を悪くいわないでほしいものね」

「わかったわかった、矛を収めておくれよ」


 かつて潜ってきた修羅場の積み重ねがあるから、桃香は()()を突きつけられても動じない。それどころか涼しい顔でいけしゃあしゃあと続けてみせた。


「ま、散々野球にうつつ抜かして、母親に迷惑も心配もかけてきた恩返しもないのかよ、とは思うけどね」

「桃香!」


 母一人子一人の家庭で野球に打ち込ませてもらった、という事実を引き合いに出されると、蒼一は弱い。海辺の街に二人で暮らし、野球に夢中になっていた頃が、不意に少年の頭をよぎる。

 早朝練習がある日も、紫音は欠かさず朝食を準備し、弁当をもたせてくれた。放課後の練習が夜遅くに及んでも、いつだって起きて待っていてくれたし、温かい夕食を作ってくれた。昼間は仕事をしているにも関わらず、だ。

 ラジオ局のアナウンサーゆえ、紫音の休みは不定期だった。でも、試合と休みが重なれば、必ず応援にきてくれた。試合で勝った日も負けた日も、活躍できた日も思い通りの投球(ピッチング)ができなかった日も、母だけは蒼一の味方でいてくれた。今日も頑張ったわね、と一言添えて。

 母の期待に応えたくて、蒼一は頑張っていた。だからこそ、野球のことで心配させたくはなかった。

 日々の厳しい練習に耐え、肩肘が悲鳴を上げても隠し、試合では痛みを押し殺してエースの仕事を全うした。母がすべてを知ったときにはもう、彼は手術を要する体となっていた。

 何もかもが遅きに失した。

 体にメスを入れ、辛いリハビリを経てもボールが投げられないと知った時、蒼一は茫然自失するばかり。彼の代わりに涙を流したのは母だった。気づいてあげられなくてごめんなさい、変わってあげられなくてごめんなさいと、紫音は息子に侘び続けた。彼女は母の鑑で、何一つ落ち度なんてないのに。


「猫の手も借りたいってのは本心だけど、蒼ちゃんが他にどうしてもやりたいことがあるっていうなら無理強いはできない。ただ、こういうのは身内の方が頼みやすいって事情も、わかってほしいんだよ」

「学生は勉強が本文だもの、そっちに支障が出ないように調整するわよ。ね、桃香?」

「もちろん。そのうえで今一度問う、あたしたちを手伝ってくれないかい?」


 少年の意識が、思い出から居間へ帰ったときには、話の本筋がもとに戻っている。

 二人の息がぴったりなのは付き合いが長いからか、それとも何らかの示し合わせてがあったからか。


「いい忘れたけど――もちろんタダとは言わない。ちゃんとお礼も弾むからさ」


 魔法少女の流儀には不案内でも、人差し指と親指で作られた輪の意味くらいは彼にもわかるが、ここで即座に飛びついて金で釣られたと思われるのは癪だ。かといって、母親への恩義を素直に口にできる素直さもない。


「……わーったよ。やる。やりゃ文句ねぇんだろ?」


 蒼一の返事と悪態は極めて中途半端な着地点に落ち着いた。適当に渋った末、先方の提案をやけくそと照れ隠し混じりに受け入れるというのは、事実上押し負けたも同然である。


「ありがとう、蒼くん。お母さん嬉しいわ」

「蒼ちゃんならそういってくれると信じてた」


 母が心からいってくれているように見える一方で、桃香の感謝はどうも芝居っ気が抜けない。うまく丸め込まれた気がして、蒼一の顔は苦々しいままだ。


「紫音の復帰にあたしたちの手伝い、諸々受け入れてくれて感謝するよ、蒼ちゃん」

「終わったんなら、俺、もう出ていいよな?」

「ありがとう、蒼くん」

「契約やら何やらは、追って詳しい話をしよう。ご苦労さま」


 何をいいやがる、()()()()()んじゃねぇか――。


 本日何度目かわからない舌打ちを残して、蒼一は居間を去る。嘘のように従順な客間のドアがどうにも腹立たしかった。




「少し薬が効きすぎたかな?」


 明らかに粗が目立つ、階段をのぼる足音に、自室に出入りする気配。

 しばらく耳を澄ましていた桃香は肩をすくめてみせたが、言葉にも身振り手振りにも反省の色は見られない。


「あの子もがっくり来てるのよ、野球できなくなったこと」

「いつまでも下向いてるほうが不健全だと思うけどね、あたしは」


 夢が両手をすり抜けてからの蒼一に、少年らしい覇気はなかった。

 紫音が前職を辞すときいても、生まれ育った街を離れると決まっても、反対はなかった。紫音たちが準備した説得の材料は、ほとんど日の目を見ずに葬られている。反抗期を忘れたように、唯々諾々と指示に従う蒼一は、できの悪い操り人形のようだった。新天地で高校生活が始まってからは、多少なりとも若者らしい元気さを取り戻しているようにみえるのが救いか。


「みんながみんな、挫折とすぐに折り合いをつけて先に進めるわけじゃないわ」

「野球以外の生き方がある、って知っとくのは悪くないだろ。いすれにしても、蒼ちゃんに話をつけられたのはよかった」


 魔法少女・グロリアの現場復帰の承諾と、魔法少女統括機構への協力依頼という、二つの懸念事項。

 不服そうではあったし、方法も強引ではあったけれど、少年が首を縦に振った事実は揺るがない。素人とはいえ人手も増やせる現場を預かるものとしては上々の成果に、桃香はニヤリと笑う。


「お茶ごちそうさま、紫音。ぼちぼち本部に戻ることにするよ」

「あら、お夕飯は食べていかないの?」

「やることができたからね。蒼ちゃんも、今はまだ顔あわせづらいだろうし。あとでまた連絡する」


 端末を詰め込んだアタッシュケースを小脇に抱えると、桃香はそれじゃ(アデュ)、と字幕が見えそうな笑顔を残して去る。

 彼女を見送ってからしばらくの間、紫音はしばらく庭先に立ち、暮れなずむ街を眺めていた。

 異形の物と渡り合い、【救済】する力に長けた彼女だけれど、それらが潜む気配を察知する才能はからっきしだ。濃紫の瞳に、今の世界は平和そのものにしか映らない。とても魔物や瘴気やらが影で(うごめ)いているとは信じがたいけれど、昨日の一件という立派な証拠もある。

 どうやって往時の力を取り戻すか、現場に蒼一を連れて行った際にどう動くべきか。この土地において、瘴気と魔物の潜在的な危険性はどれほどか。魔法少女として考えるべきこと、知るべきこと、覚悟しておくべきことは山ほどある。


「洗い物しましょうか」


 新しい街で、愛する息子を守るため、十五年ぶりに力を振るう決意を新たにした紫音は――ひとまず、目の前の家事を片付けることにした。

 彼女はたしかに、三十代半ばにして魔物や瘴気を相手に立ち回る魔法少女ではあるが、普段は母親で家庭の守り人である。

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