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魔法少女のために僕ができること  作者: 白猫亭なぽり
第6章 少女は蝶へと羽化を遂げる
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6.8 いろいろありがとう、オフクロ

 目覚めた蒼一が最初に仰ぎ見たのは、無機質ながらも清潔な天井だった。柔らかいシーツの肌触り、かすかに鼻を刺す消毒液の匂いで、どうやらここは病室らしいと気づく。


「蒼くん? 大丈夫? 痛いところはない? リンゴむく? 桃缶のほうがいい? あらパイナップルもあるのね」


 彼が周りを確かめようとほんの少し身じろぎした途端、視界の隅から椅子を蹴っ飛ばさん勢いで()()が身を乗り出してきた。息子を(おもんぱか)る優しい言葉をかけるのはいいが、当人も検診衣姿で、あちこち包帯を巻いている身の上だ。人の心配をしている場合ではないはずなのだが、火のついた親心には抗えないらしい。


「なんともないから落ち着けよ、オフクロ……」

「寝てなくて平気?」

「心配すんなって」


 お世話の準備はとうに完了してる、とばかりに迫る紫音(ははおや)をなだめると、蒼一はベッドサイドのテーブルに目をやった。時計が指すのは、とうに日の沈んだ時刻。グロリアが【救済】をしてから優に六時間以上、意識が闇の底に沈んでいたことになる。

 幸いなことに、体調はかなり戻っていた。節々の痛みはゼロではないし、頭痛もかすかにあるけれど、昼間に比べればよっぽどマシだ。そもそも、仮に手足の一本二本が折れていたとしても、眠りの淵に沈んだままでいられない。まずは紗夜の無事を確認したいところだ。


「やあ、お目覚めかい、王子様?」

「……それ、俺のことか?」

「他に誰がいるんだい、ねぼすけさん?」


 少年にとっては絶好のタイミングで、桃香が軽口を叩きながら姿をあらわした。ジャージにTシャツ姿で、タブレット端末片手に軽口を叩くさまは、まるでどこぞの体育教師だ。いつものパンツスーツから着替えるだけの余裕は、事態の収集がつき、全てが終わった証明でもある。


「俺はなんともないけど……紗夜は……? 無事か?」

「心配召されるな、命に別条はない。別室でぐっすり夢の中さ。最悪の事態は避けられた。即応部隊の事後処理も終わってる。みんな無事で何よりだ。だけど――だからこそ、いっておかなきゃいけないことがある。まずは蒼ちゃん」


 端末を傍らに置き、腕を組んで壁によりかかる桃香の顔は険しい。なんで俺に矛先が、と蒼一が反論しようにも、心当たりは十分すぎるほどあるので素直に聞いておく。


「惚れた女の危機を放っておけない男気は立派だが、あんまり無理はしてくれるなよ?」

「……はい」

「次は君の方だけど――わかってるね、紫音?」

「魔女になった件、でしょうか……?」

「お察しの通りさ」


 蒼一への追求は案外あっさりしていた。力づくで止めなかった自分にも責の一端はある、と彼女も感じていたのかもしれない。

 むしろ紫音に向けられる視線のほうが厳しい。じろりと睨めつけられた方はバツが悪そうに、視線を明後日の方向に彷徨わせている。


「あえて危険な力に手を出して利用するとは、何を考えてるんだ、君は……」

「本当のことをいっちゃったら、魔法少女として復帰するまえに良くて監視対象、悪ければ殲滅対象でしょ?」

「当たり前だろ! 魔女だぞ魔女!」


 桃香とて、復帰の要請に快く答えてくれた親友には最大限配慮し、便宜を図ってやりたい気持ちはある。でも、安全と危機管理を譲るわけにはいかない。組織に属する者としての使命感が、カミソリのように鋭く光る。


「……いつからだい?」

「いつ、とは?」

「すっとぼけるなよ。君が初めて魔女になったのはいつだ、ってきいてるんだ」


 じろり、と桃香に睨みつけられた紫音は、珍しく背を丸め、下手な取り繕いもほどほどに、ぼそぼそと要領の得ない返事をする。仁王立ちになって腕を組む小柄な親友が叩きつける圧に耐えられない姿から、あの魔女に立ち向かい、【救済】を挑む背中は想像し難い。


「若いころ……」

「具体的には?」

「魔法少女を引退する前くらい………」

「はぁ!?」


 素っ頓狂な桃香の声は、診察衣を来た人間相手にしては勢いがつきすぎており、長身の友人をなお一層縮こまらせる。


「十五年前に魔女に()()て、そこから魔法少女に立ち戻ったってことかい? 全然気づかなかったぞ?」

「私だって、みんなにバレないように必死だったんだから」


 友人の異変に気づけなかった自分の不甲斐なさと、秘密を貫いた友人の水臭さに、桃香の顔が歪む。かつては彼女も魔法少女であり、紫音――グロリアとコンビを組んで活動していた。今もなお公私ともに深く長い付き合いをしており、相棒という自負もある。だからこそ、紫音が人知れず魔女と化していた事実を見落としたのが堪えるのだろう。


「黙ってたのは、悪いと思ってるわよ?」

「………藤乃井くんの件に決着をつけられたのがその力のおかげなのは、認めざるを得ないけどさ」

「事後処理の方になにか悪い影響は出ないかしら?」

「それをどうにかするくらいの権力(ちから)くらい、あたしにだってあるさ。お任せあれ」


 いつまでも嘆いちゃいられない、と気を取り直した桃香の手元には、幸か不幸か三つの特異点が揃ってしまっている。

 一つは、魔女の力を手なづけた魔法少女。

 次いで、瘴気の深淵から引き戻されていまだ目覚めぬ、未知数の力を秘めた巫女。

 最後に、現役の魔法少女の息子で、魔物の声を聞き取る、稀有な能力を持つ少年。

 この三人を束ね続けることができれば、統括機構の今後の活動において大いにプラスとなる期待はあるのだが、不確定要素が多いのが指揮官の顔を曇らせる。


「なあ、桃香さん」

「なんだね、恋する少年?」

「やめてくれよ……紗夜は、本当に大丈夫なのか?」


 桃香と紫音の話が区切りを迎えるのがよほど待ち遠しかったか、蒼一がソワソワしながら口を開く。今すぐ紗夜の様子を見に行きたい本心が丸見えだ。

 だが、魔女化の影響が残っている可能性を考えると、指揮官としてはおいそれと許可し難い。


「さっきもいったろう、まだ意識戻ってないって。そもそも、彼女が元の藤乃井紗夜に戻っているかどうかはわからない」

「紗夜ちゃんのそばについてたいんでしょ? いいわよ」

「おい、紫音、勝手なこといってくれるなよ」


 そんな現場の指揮官をよそに、母はあっさりと、命令系統を飛び越えてGOサインを出す。当然、桃香はいい顔をしようはずはないが、紫音は自信満々だ。


「【救済】した本人を信用してちょうだいな。一辺の曇りも残さずにやり遂げた手応えもあります」

「そうはいっても」


 蒼一の顔にわかりやすく浮かぶ喜色をみて、桃香はつい口ごもる。

 似ていないといわれがちな母子ではあるけれど、目元、特に前向きな気持ちがこもったときはそっくりだ。期待を隠す気などさらさらない、瓜二つの二対の眼差しを前にした桃香は、しばらく渋い顔をしていたが、やがて諦めのため息とともに、手振りだけで蒼一に「行っていいよ」と促す。


「紗夜ちゃんにヘンなことしちゃダメよ?」

「しねぇよ!」


 思わずずっこけそうになりながらも、紫音からボディバッグを、桃香から目的の部屋番号を控えたメモをひったくるように受けとった蒼一は、


「……いろいろありがとう、オフクロ」


 照れくささを隠したかったのか、あまりにも素っ気なく言い残すと、目覚めぬ君に会いにゆく。年頃の少年らしく、母親の目はもちろん、顔を見ることもなかった。

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