4.12 母として、魔法少女として
「そうよね。ちょっと前まで野球一辺倒だった男の子だもの。毎日神社詣でなんて、そうでもなければ考えられないわね」
「……そうくるか。ちょっとびっくりだ」
桃香の予想に反し、グロリアの声色も唇の端も楽しげだ。若くして母となった故に、息子の交際に関してシビアな価値観をもっている――そんな勝手な思い込みは、グロリア本人によって穏やかに否定された。
「男女交際はいけませんなんて、あの子にいった覚えないもの。もちろん、責任とれないのに子供作ったりってのはダメだけど、蒼くんが真剣にお付き合いしてるなら、それを全面的に応援するわ」
「息子に変な虫がつきやしないか、心配にはならないのかい?」
「あの子が信じるお嬢さんが、悪い人なわけないじゃない」
こうも自信たっぷりに言い切られては、さすがの桃香も「それは楽観的過ぎやしないか」とはいいだせない。せいぜい蒼一が思慮深い少年であると祈るくらいのものである。
「蒼くんが幸せになってくれるなら、どんな女の子を選んだって構わないと思ってるの。人の道を外れない限り、応援するのが親の勤めと思ってるわ」
「難儀な仕事だね」
そうね、と相好を崩したグロリア《しおん》の姿形は、間違いなく少女。でも、大きく包み込むように構える様は母そのものだ。
「私の両親も、静かに見守ってくれる人たちだったから、そうありたいって思ってるだけなんだけどね」
かつて紫音を教え導いた両親も、ともに歩むと誓った夫も、もうこの世にはいない。でも、彼女の胸の中では今もなお、彼らが支えとして残っている。
そして、傍らには守るべき息子がいる。母となったことで手に入れた新たな標と、あの頃とは違う心の強さが強固な土台となり、グロリアという魔法少女を支えている。
「苦労しなかったと言えば嘘になるけど、母親であることを苦痛に感じたことはないわ」
「母は強し、とはよく言ったもんだね」
「強くならなければ、子供を見守ることも導くこともできないもの」
変わらぬ優しい笑顔でアイスミントティを注ぐ手付きは優雅でも、グロリアの瞳の奥に宿る炎はかつてよりも強く、眩い。
「まあ、親子の問題は頑張って解決してもらうとして、だ。君の愛息について、実は、上層部から懸念の声がでてる」
再びタブレット端末を手にしたときにはもう、桃香の顔は紫音の友人のそれから、魔法少女統括機構の指揮官に戻っていた。
「そんなこと、私に話していいの?」
「構わないさ」
一転して訝しげな面持ちに変わったグロリアに、桃香は一本の動画を見せた。
荒城が魔物化したときに蒼一が撮影していたもので、終始脅威にさらされ、翻弄され続けた事実を裏付けるように、画角が上下左右に激しく揺さぶられている。何が被写体か判断がつかない荒れ模様だ。そこに音量を絞ってなお、耳をつんざく肉塊の悲鳴がのしかかる。桃香はもちろん、グロリアすらも露骨に眉をひそめるほど耳障りだ。
「さて、グロリア。この音をどう思う?」
「どうといわれても……とても意味をなしてるとは思えないわ」
「あたしも同意見だ」
「でも、蒼くんは、荒城くんの声だって主張してたわね。……目の前で友達が魔物に変わってしまって、動揺して聞き違えた可能性は?」
彼女の知る荒城勇の声と、タブレット端末のスピーカーから聞こえた肉塊のそれは似ても似つかない。
母がすがったわずかな可能性を、桃香は申し訳無さそうに、しかし残酷に断ち切る。いわく、荒城の声を構成する周波数成分と、肉塊のそれはまるで別物。二つの声は似ても似つかないと、科学的に検証されたことになる。
「この音は意味を持たない、誰もがそう判断した。荒城くんの声と言い張ってるのは蒼ちゃんだけだ」
タルトを切り分けようとするグロリアの手付きが危なっかしい。それでも桃香に話の続きを促すのは、母としての強さゆえか、魔法少女としての責任感か。
「いくつか仮説はある。一つは、蒼ちゃんが君の子供ってことだ」
「桃香、わかりきったことをいわれても困るわ」
「ごめん、言葉が足りなかった。正確には、現役の魔法少女が産んだ子供だ。それゆえに、蒼ちゃんには生まれながらに魔物の声を聞き取る能力が備わったのではないか、って話さ」
魔法少女は普通、成人を迎える前に魔法を失い、引退する。三十路半ばを超え、子がありながらなお現役を張っている紫音が例外中の例外だ。
「君やあたしがそうであるように、母娘揃って魔法少女ってのはよくあるんだけど……。母親と魔法少女で二足のわらじを履いてる例が君しかいないから、裏付けに乏しいんだよね」
「……他の可能性は?」
「……瘴気の影響を受けた」
あくまで推測だけど、と付け加えた桃香は、神妙な顔を崩さないままだ。
瘴気にさらされた者がどうなるかは、荒城の例を引き合いに出すまでもない。アイスベールから氷をつまみ上げようとしたグロリアの手が、止まった。
「直接の暴露ではないだろうし、即座に体に影響が出るほどでもないかもしれない。でも、瘴気にさらされてなかったといったら嘘になる。万が一のことだって、ないとは限らない。もし蒼ちゃんになにかあったとしたら、彼を現場に連れて行くと判断したあたしのミスだ」
「……謝らないで」
頭を下げかけた桃香を、グロリアは優しく、しかし強い調子で制した。
「魔犬と出会ったあの時に、記憶封印処理をお願いすることもできたのに、そうしなかったのは母親の判断です。蒼くんに私の仕事をちゃんと見せたいと決めたのもそうです。万が一があったら、私が【救済】します。母として、魔法少女として」
「………よろしく」
グロリアは魔法少女である以前に母親だ。いざ愛する息子に向かって【鎖】を振るえといわれればためらうかもしれない、という懸念はある。それは弱さなどではなく、親として備えていて当然の本能だ。
「……可能性ばかりを論じていても仕方ないね。色々頼みっぱなしですまないが、蒼ちゃんに気を配っていてほしい。何か気になる兆候があったらすぐに相談しておくれよ」
ありえないくらい長く現役を張る魔法少女と、その息子。
母だけでなく、子までも特異点となる可能性が持ち上がり始めていた。この親子を前線から開放し、平穏無事な世界においてやりたいのはやまやまなのだが、統括機構の台所事情はそれを許してはくれない。黒い剣士の件も含め、どうやって収拾をつけるか。桃香が悩む日々は当面続きそうだ。
「………桃香、お茶、おかわりいる?」
「うん」
じっとタブレット端末を睨みつける友人の緊張が感染ったか、別のボトルを取りにゆくグロリアの背も、どこか強張りが抜けないままだった。




