2.4 間違ってもバレるわけにはいかねぇな
昼間は母として家庭を守り、夜は魔法少女として魔物と瘴気を追う、花泉紫音の二重生活。
それはすなわち、大人として対応する必要がない限り、少女の――魔法の行使に最適化された――姿を保ったままの暮らしだ。最初こそ戸惑いもあったようだが、紫音は大して時間をかけずに新たな生活習慣に順応してみせた。魔法少女の素性を隠すことに慣れていたし、大人ゆえに自らを律して場に合わせる必要性を理解している。
習慣の軌道修正に難儀しているのは、むしろ息子の方だった。
いくら紫音が魔力活性を高めたとて、中身までまるごと変わるわけではない。変化するのは身体と声であり、が変化するに留まると説明も受けたし、頭で理解してもいる。それでも――少女の顔で笑い、話すグロリアと暮らしていると、時折、彼女が母親であることを忘れそうになる瞬間があるのだ。
紫音とグロリアは、そもそも漂わせる雰囲気――有り体に言ってしまえば色香のベクトルが違う。絶対量は五分でも、紫音から漂うのは年を重ねたゆえの艶、グロリアが纏うのは好対照をなす清楚さだ。状況を少々複雑にしているのは、蒼一の好みが清楚な娘である、という事実だ。眼鏡を押し上げる指先、かき上げた髪の向こうにちらりとお目見えするうなじ、育ちのよさを伺わせるしなやかな歩調といった仕草は母と変わらないはずなのに、グロリアの何気ないふるまいは、時折蒼一の胸を高鳴らせる。
そのたびに彼は、念仏のごとく心の中で「グロリアは母親グロリアは母親……」と唱える。花泉紫音と魔法少女を強く結びつけ、麗しの魔法少女は自分と血のつながった母親である、といいきかせるのが、いつしか習慣となっていた。万が一、親子関係という明確な壁がなかったらなんて仮定は、思考の端に登る前に叩き落とす。
それゆえに、同居する魔法少女を「グロリア」と呼ぶのにはどうしても抵抗があった。彼女を母ではない誰かとして扱っているような感覚が拭いきれないから。
そんな葛藤を抱える蒼一も、昼は学校へ、統括機構に呼び出された夜は現場へと、日常と非日常を行ったり来たりする生活を送っている。瘴気発生の報を受けると、あらかじめ渡された七つ道具――名前こそ仰々しいが、主に現場の撮影機材――を引っさげて夜の街をゆくのだ。
ところが、魔犬との遭遇以降、なかなか瘴気や魔物を捉えるには至らない。統括機構謹製の監視システムが瘴気を検知しても、一行が到着したころには反応が消失している。残るのは禍々しい爪痕に、背筋も凍るおびただしい血溜まりと、人外の力同士がぶつかりあった跡ばかり。指示通りに現場を映像に収めるくらいの薄い成果しか挙げられない、肩透かしの日々が続いていた。
でも、労力と結果が釣り合わない夜だって、いずれは終わり、朝が来る。
蒼一は眼をしょぼしょぼさせながら、いつもどおりの時間、教室のいつもの席に座る。開け放たれた窓から差し込む陽光も爽やかな風も、意識にかかる靄を晴らすに至らない。
「朝っぱらなーにシケたツラしてやがんだー、蒼一ちゃんよー?」
「うっせぇなぁ」
洋の東西や古今を問わず、人の憂鬱などどこ吹く風とばかりに絡んでくる人間は一定数いる。自席で大あくびした蒼一に声をかけたのもその類の男子だ。気安く肩を組もうとする坊主頭を心底うざったそうに振り払うところから、蒼一の学校生活が始まる。
「相変わらず見事な尖りっぷりじゃねーの? さてはあれか、恋の悩みで眠れぬ夜を過ごしたな? それともナニか、ナニのしすぎでお疲れモードか?」
「テメェみてぇな頭ピンクと一緒にすんな」
五厘刈りと制服のブレザーが絶妙にミスマッチしてた男子生徒――荒城勇は、蒼一に凄まれても怯まない。何が楽しいのか知る由もないが、ニタニタと薄気味の悪い笑みを振りまくばかりだ。
「あら、坊ちゃまはご機嫌ななめ?」
そうかと思えば、今度は荒城の後ろから女子生徒がひょっこり顔を出し、蒼一に追い打ちをかけてくる。動く度に愛らしくひょこひょこ揺れる栗色のポニーテールも、ささくれ気味の神経をかすめる嫌な猫じゃらしにしか見えない。
「雪村、コイツさー、一丁前に隠しごとしてやがるっぽいんだよー。蒼一ちゃんのくせして生意気だと思わねー?」
「別に何もねぇよ、眠いだけだ」
「体力バカのアンタが眠いってどんだけよ?」
呆れ顔のポニーテール――雪村日奈が放つ辛辣な言葉に、蒼一は何も言い返せない。昨夜も魔法少女と一緒になって街を駆けずり回ってたと白状したところで「頭大丈夫?」と一笑に付されるのが関の山だ。
「おかしいっていったら荒城もどっこいどっこいっしょ?」
「え、ひどくね?」
幸いなことに、蒼一に対してはそれ以上の追求がなかった。彼女の矛先は一転して坊主頭に向く。
「遅刻の常習犯がチャイム鳴る前に教室にいるんだよ? またなんか悪巧み?」
「ちげーよ! 俺だって朝の空気を楽しみながら学校に来る日ぐらいあるってーの!」
「どーだか? 内申とかの話持ち出されてビビって早く来たとか、どーせそんなんでしょ」
「ビビってねーし!?」
「アンタのお母さんからそう聞いたんだけど」
「あんのババア!」
――うちのオフクロは、少なくとも、ババアって呼べる感じじゃねぇよなぁ。
荒城と日奈、幼馴染同士の遠慮会釈がないやり取りをきいているときでも、蒼一の脳裏にグロリアの姿がよぎる。
緊急出動に急かされて飛び出したにもかかわらず、未知の存在に遅れを取り、魔物の救済を果たせなかった夜が明けても、彼女の生活リズムは乱れない。今朝も息子より早く起き、朝食と蒼一の弁当を作ると、朝から用事があるということで紫音の姿で出かけていった。それ自体はよくあることだ。どことなく上機嫌だったのはたぶん気のせいだろう。
――グロリアと住んでるってバレるわけにゃいかねぇな。
リアリティの多寡はともかく、ひとつ屋根の下で暮らす美少女の間に繰り広げられるラッキーな間違いやハプニングを描いた物語は、枚挙にいとまがない。
はたから見れば、現在の蒼一はそんなシチュエーションの住人だ。坊主頭やポニーテールを筆頭としたクラスメイトに露見したらしつこく絡まれるに決まっている。この場にいない、黒髪の素敵な委員長が今の彼の状況を知ったら、きっと徐々に距離を取られ没交渉になるだろう。入学して二ヶ月足らず、大きな波風なく順調に友人関係を築きつつある今、悪目立ちするのはなるべく避けたかった。




