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色を「描く」

作者: NOA

朝、外を出ると家の前を掃除しているお兄さんから「おはよう」と声をかけてくれた。俺が知っている清玲じいさんはどこに行ったのだろうか?

「いつものおじいさんはどこですか?」と聞く。「代わりにここにいるんだ」とほうきを持ってこちらにくる。少し間が空いて、「いつも挨拶しているのかい?」と聞かれたから「はい。」と返答。正直少し怪しい。なぜ昨日までいたのに、いつもと昼下がりになると、今日学校で会ったこと話しながらそこの縁側で一緒にお茶を飲んでいる。なんでいないのだろう?昨日も会っているならいなくなること言えたはずなのに

と、頭の中で思考している僕にお兄さんが「実は、あのおじいさん問屋をしていてね、君にこれを渡してほしいと頼まれたんだけど。」

「飴?」巾着に包まれた中身を確認しながら言う。飴は深い青色。少しの飴が袋に入っており、袋を鈴がついた紐で蝶結びをしていた。鈴の割には風鈴みたいな音色。袋から取り出すとリーンと軽快な音が鳴る。

と、轟音の風が吹いた。いつもとは違う音がする。その時、ふと『感じた』



夏が始まる。 不思議な夏が。



夏独特の暑さで唸りながら朝を迎えた。外では夏の暑さも知らずに蝉が音を奏でている。あまりにも普段と変わらない朝に、昨日あった出来事がまるで嘘のように感じた。しかし、勉強机を見るとやはりある。あの不思議な飴が。琉璃紺のような群青のようなはたまた縹色にも見える、言い表しづらいけど僕が好きな青色。重い体を起こし、学校への準備を始める。いつものように、単調に。外を出ると少し外の音が遠く聞こえる。いつも僕の周りは、四方をガラスで覆ったようなくぐもった音が鳴り、外の色はあまりハッキリしない。水彩画のような淡い景色。学校につけば、僕はショーケースに入ったミニチュアをただひたすら、静かに眺めている感覚に陥る。

音もなければ色もない。つまらない。なんてつまらないのだろうか。

そこで、あの飴について考えることにした。単調で、あまりにも退屈なこの空間をじっと待つよりいくらかマシだった。出どころやおじいさんの行方を考えていたら、いつの間にか授業が終わっていた。ひとりぼっちな僕は、帰宅途中でもあの飴について深く考えることにした。なぜあの飴だけ、『色が視ることができた』のだろうか。考えているうちに、僕の家についた。郵便受けを見ると、あのおじいさんからの手紙が届いていた。部屋に戻り、封を開ける。



悠くんへ

会えなくてごめんなさい


私は、君と会う時間を作れなくなってしまってね

代わりに手紙を残します。きっと今は、食べていいのか困っているのかもね。

私は君が毎日、つまらなさそうに学校から帰ってくる姿を見て、少し心配だったんだ。

年寄りなりに考えたら、『悠くんとお茶を楽しむこと』だったんだ。何気ないことで君を楽しませたくってね。夕暮れの縁側でお茶を楽しむのは最高だったよ。何より、君と過ごしたことがよかった。僕は歳の離れた友を持った気がしたね。


 今、私は仕事が多忙になってしまってね。本当は直接渡したかったんだが、完成まで間に合わなかったんだ。

君と話していると、ご両親がいないようだね?

ずっと一人で身の回りを見ていたとなれば相当大変だっただろう。

それに、学校でもうまくいっていないのかな?いつも君から「普通です」とか「あんまり変わらないかも」と話が始まるのだけれど、別の意味にもとれてね、

私は職業柄、何かと感じてしまったりするんだ。そのこともあって私の話し相手は少し特別な方と話すことが多くてね。その人からもらったんだよ。「是非、君に」と言われたからいつものお礼を兼ねて、その巾着袋は私が作ったんだ。気に入ってくれたかな?


いつもぼんやりとしている

この世界をつまらなさそうに見ている君に幸せが訪れますように。


                            悠くんの友達 清玲より






その晩、僕はい夢を見た。そっと戸を滑らせると、浴衣を着た知らない人が、

僕を出迎えてくれた。

「僕の友達がひと目会いたいと言ってね。さ、今日もお茶を飲もうか。今日は『三人で』ね。」そう言って開けた縁側は、蛍が飛び交い、ハスが浮いている池があった。いつもなら、夕暮れ時で、少し整った盆栽たちが並べられているはずだった。

しかし、不思議だ。

なぜか見たことがないはずの場所なのに、懐かしさを感じる。


そこで目を覚ました。時刻は八時半を指している。今日が夏休み前最後の学校だ。

あと三十分もすれば式が始まるというのに行く気になれなかった。

しばらく巾着袋を眺める。そこで僕は、学校に行くことを諦め、神社に行くことにした。いつもは神社なんて行かないのに、なぜか行こうと『感じた』のだ。

皆勤賞が望めたはずの僕は、何も予定がなくなった空に少しの緊張感と罪悪感をぬるい風にあたりながら感じた。家から出て小川の橋を渡ると神社がある。山の中腹に作られていて、少し坂がきついものだから、最近は掃除をするお年寄り以外に誰も来ていない。そんな神社を訪れるべく、貧弱な僕は一段ずつ石段を登っていった。中腹とは思えない程の息切れをしながら、重い首を上にあげると神社が見えた。人の手が少し加わっているにしても、やはり手が届かないところは趣を感じられる。既に瀕死の僕は、いつもは感じることができない自然や木の葉の揺れる音を感じることにした。石段の隅に座り、例の飴が入った巾着袋を手に取る。

袋を開け、飴を一つ食べてみた。昨日まで躊躇っていたはずなのに、スッと僕は食べることができた。金平糖のような柔らかく、温かい味にほっとした自分がいた。すると、

リーン

と爽やかな音がどこからか鳴った。ひどく爽やかな音色。

あたりを見渡すと、巨大な木の近くに小さな祠があった。紅のような真っ赤な祠。

ごうっと風が吹く。僕は思い立ったように祠に手を合わせた。

リーン

今度は近くから音が鳴った。目を開け、さあ帰るかと立ち上がった時、

夜だった。さっきまで太陽が僕の上で踊っていたのにものの数分で蛍が飛び交う夜になっていた。祠の横には御神木が僕を見下ろしていた。

あたりを見渡すと、物悲しげな赤提灯がずらっと掲げられている。僕はあまりの困惑に

「誰かいませんか?」と虚空に呼びかける。先にあるお社にも気配が無い。どうしようかと焦ると、

リーンリーン

と呼び鈴のように二回、手にぶら下げていた巾着袋の鈴が鳴る。さっきの音の正体はこれだったかと気づいた時、

「よく来たね」

と後ろから声をかけられる。驚いた僕は振り返ると、そこには昨日会った怪しいお兄さん。「セイリンが会いたがっているよ、早く行こう!」となぜか尻尾をくるりと回しながら僕を見ている。

「え」状況が飲み込めない中、蛙が鳴くような声で応答する。

「尻尾?何で?」苦し紛れに、質問をすると

「あ!言い忘れていたね。俺、狐。正確には稲成っていうんだけど」

くるりと一回転しながら僕に説明をした。

「え、お兄さん狐だったんですか?」衝撃の事実に未だ信じられない僕に、「でね、セイリンが待っているよ!一緒に行こう!」と無理やり手を引っ張ってお社へ連れて行く。あまりの力に抵抗も虚しく、ズルズルと引き摺られながらお社へ到着した。

「セイリン!『トモダチ』連れてきたよ!」と声をかけると、お社の脇から聞きなれた声がした。が、出てきたのは知らない人だった。黒く長い髪を一本に結んでいて、浴衣を着ている大学生ほどの爽やかな人が僕の向かいに立つ。

「その様子だと、あの飴、食べてくれたんだね。さ、今日もお茶を飲もうか。」と聞きなれた声で気づく。

「え、きょうかおじいさん?」すると彼は柔らかく笑い「君なら気づいてくれると思ったよ。隠してすまなかったが、私の名前は『キョウカ』ではなく、正しくは『セイリン』と呼ぶんだよ。外で話すのも何なのだから、中に入ろうか。僕の友人が君に会いたがっているんだ。」その時、僕は清怜さんから教科書で見たウユニ塩湖のような色を『感じた』

中に入ると、一面和室が広がっている。囲炉裏があるこじんまりとした部屋の奥には、見覚えのあるあの襖があった。 夢で見た襖が。

「さ、今日もお茶を飲もうか、『今日は、三人で』ね。」

そういった清玲さんは狐のお兄さんに「稲成、後は街に出ていいよ」と言い、下がらせた。

襖を開けると、夢で見たハスの池とたくさんの蛍。でも、そこには白い大きな狐がいた。池の手前でしゃんと背を伸ばして座っている、大きな狐。「その姿だと話しづらいではないかほら、悠くんが驚いているぞ。」と笑いながら清玲さんが狐に声をかける。「すまないな少年」そういうとあっという間に姿を変えた。白銀の長髪を一本に束ねて、浴衣を着ている。清玲さんと対の格好になった。彼の色はまんま月の色といったところだろうか、「先ほどはすまなかった。私の名前は晴という。」そう言って手を差し出した。「僕は悠って言います。よろしくお願いします。」軽く自己紹介をしながら握手を交わす。縁側にはすでに清怜さんがお茶を用意して待っている。

晴さんに縁側まで案内される、薄いみかんのような色の風が僕の頬を掠める、縁側に座り視線を上げると、そこには今まで見たことのない巨大な枝垂れ桜が咲いていた。季節は夏だというのにこの桜は両手を開いて咲き誇っている。その時、ふと横から清怜が「この桜、『何色に見える』?」と当たり前のように聞かれた。僕は「清怜さんの色と晴さんの色を足した感じですね。でも、この桜不思議ですね、春でもないのに咲いているし何より色が桜の色じゃない。」と答えると、「やっぱり君にあの飴あげたの正解だな」と満足そうにお茶を飲み始めた。あの飴はてきりここへ来るためのものだと僕は思っていた。混乱する僕を見て晴さんは「おい、喋っていなかったのか?何やってんだお前!」と怒りをあらわにした。清怜さんは今にも飛びかかりそうな友人を宥め、僕に語って聞かせた。「いいかい、悠。まずは無理やり連れてきて申し訳ない。あの飴は、色が『視える』飴なんだ。僕が君と会った時、君から色が全く見えなかったんだ。」

「僕から色が見えないことで何かあったんですか?」と聞くと「別に僕は人間に色がなくなったって問題ない、僕が無視できなくなったのは悠くんが『周りの色に干渉されるようになっていたから』なんだ。」と清怜さんが答えた瞬間、顔を青ざめた晴さんが立ち上がった。「まさか」と掠れた声に「ああ、そのまさかなんだ」と清怜さんが重い口調で「なあ、悠。君が色を『見れなくなった』のはいつだ?何かきっかけになったことはなかったのか?」と聞かれた。

きっかけ、きっかけ?僕の頭が真っ白になった。「不思議なことなら」と呟いて話し始める。


あれは小学校だったか?僕は一人だった。学校は正直、辛かった。何やっても罵倒され、いじめが横行されるほどだった。先生はこの事実を隠すどころか、むしろクラスメイトのいじめに加担していたほどで、親に話せるような状況でもなかった。齢6歳にして僕には『おもちゃ兼奴隷』という立場が植え付けられた。お小遣いを取られ、ランドセルを壊された上に、足に今も残る後遺症をのこさせる奴らだった。クラス全員。昨日まで仲が良かった奴らまで僕を嘲笑って楽しんでいた。そんなある日、僕は学校の近くにある林に足を運んでいた。近くに川が流れていて時間を潰すのには最適な場所だった。いつものようにひとり遊びをしたり、歌を歌っていると「君はよくここに来るね」と声をかけられた。聞いたことのない透明な声だ。思わず振り返ると、和服を着た人が立っていた、顔は髪に隠れて見えなかった。「君、その怪我は?」と頬を指して僕に聞く。「えっとね、『教えてもらった』のクラスの子に。」小学生ながらも質問の答えになるように言葉を探しながら答える。悲しそうな顔をしながら着物の人は近づき、僕の頬を撫でる。「ね、学校楽しい?」その人は今にも泣きそうな声だった。「んっとね、えっとね、怖いなあ。みんな僕を『躾ける』から」と答えると一呼吸置き、その人は続ける。「ねえ、『まし』になりたい?」


「あの後なんて返したか覚えてないけど、はっきりと覚えているのは後ろから手を回されて僕の視界から『色を取られた』ことですね。」と話し終えると青年二人は顔を曇らせていた。

「だから食わせたんだな?」と晴さんの問いに「ああ、もう『ギリギリだった』からな。」と清怜さんが答える。何も言えずにいた僕に晴さんが「君はあのままだったら危険だったんだ。」と一言呟き、

「人間は少なからず感じたものをそれぞれが持っている感性で表現するんだ。君は、君特有の感性、つまりは色を『取られた』ことによって屍同然になりかけていたというわけだ。」と説明してくれた。「なんでその『色』?を取られたことで死体みたいになるんですか?」と返答すると、清怜さんは「『色』は魂にもなるんだ。つまり、『何も感じられなくなる』というわけだ。」とやっと正気を取り戻せたような声で答えた。しかし、二人の顔は依然と曇ったままだった。何があって顔を曇らせるようなことになっているのか僕には見当もつかなかった。あの飴に毒でも入っていたのだろうか、心配になった僕は二人にあの飴に毒でも入っていたのかと聞くと、物悲しそうに「あの飴を食べたことで君の命は取り戻すことはできたんだけど、半分こっちの住人、もっというと僕達みたいになってしまったんだ。」続けて晴さんが「僕たちは『モリビト』と言って、この桜を守ることを生業としている。本来はここに住んでいる人がなるんだが、君があの飴を食べたことによって、今日からこの世界にとどまって、『モリビト』の一員として過ごさないといけなくなった。」と告げた。二人の顔は依然と悲しそうだ。

正直僕は驚いた。いや、『僕自身に驚いた』と言った方がいい。何故?何故二人はあんなに悲しそうなんだ?むしろ僕は・・・・・

「え?いいんですか?嬉しいです!」

と今まで出したことのない大きな声で元気よく返事をしていた。そう、僕は歓喜していた。そんな僕の返事を聞いた二人は、清怜さんなんかは飲んでいたお茶を吹きながら驚いていた。「か、帰れないことが寂しいとか思わないのかい?」とお茶を拭きながら動揺が隠せないと言わんばかりに尋ねてくる。「え?だって清怜さんとお茶がこれから毎日飲めるってことでしょ?晴さんも一緒だともっと楽しくなるだろうし、僕にとって清怜さんとお茶を飲むことが特別な意味だったから。あんなに楽しく時間を過ごせるなら、むしろよろしくお願いします。」と満面の笑みで答えた。

これが僕の人生を変えた。今まで自分自身に興味がなかった人間が、この青年たちの少し不思議な提案によって、今まであちらの世界で失ったものを取り戻すことができたのだ。今まで体感したことのないこの気持ちを携えて、僕の長い夏休みが始まった。


心地いい風が吹いている昼下がり、僕は社会科見学を兼ねて町を散策することにした。

少し清怜さんからこの国の通貨を両替してもらい、僕が使うものを稲成くんと調達することにした。今まで見上げることがなかった空をこの異界にて体験する。こちらの心もスッキリするような快晴だった。街は、たくさんの色に溢れていた。どれも楽しそうで僕の童心が惹かれていた。


色を感じることがこんなにも素晴らしかったのか

向日葵色の楽しさ 無花果の情熱 青空の競り合いに草木の音色

それが一つの大きな花束となって僕を歓迎している

世界にはいろんな色があるのか こんなにも素晴らしい色が 

今まで見えなかった、気づかなかっただけで幸せは『そこ』に


身近にあったんだ。



「どうしたの?」その声でハッとした、僕の隣には心配そうな顔をしている稲成くんがいた。首をかしげながら「なんで泣いているの?」と聞いてきた

刹那、僕は頬に優しい温かさを感じた。それは静かに、止まる事なく流れていた。

「色ってすごいね、何でも見える。稲成、僕は花束が見えるよ。この街は色で溢れている。こんなに幸せな色に。」と珍しく感情的な僕は詩的な返答をする。

稲成は息を含ませて笑って「ね、清怜と晴って凄いでしょ?二人が今の聞いたら大喜びだよ。」と桜色の笑顔を見せる。

「ねえ、一つわがままを言ってもいい?」と初めての友に初めての頼み。

「絵を、描きたいんだ。何か描ける道具ってあの家に揃っていたりする?」何でかわからないが絵を書くことによってこの気持ちをとっておけると思ったのだ。

稲成は少し目を見開いてすぐに暖かい太陽の顔に戻る。

「買おうか、悠専用に。」と手を引かれる。歩き出したかと思えば「あ、一個言っていい?」と振り返る。少し怒った顔をしていた。何かまずかったか?

「『あの家』じゃなくて『君の家』だからね?もれなく清怜も晴も僕も家族だからね!

それとも、家族 嫌?」と僕の手を優しく包んだ

(そうか、『僕の家』だ。僕の家なんだ。)

あまりの温かさに、戸惑いながらも「うん、清怜さん達との家族はすごく嬉しい」と

その手を握り返した。 

(『家族』っていいな)僕はソワソワしたこの気持ちを忘れることはないだろう


その晩、僕は今日の清々しい気持ちを忘れたくなくて筆をとった。和紙にそっと筆を落とす。子供の頃の絵日記の延長線上。筆と僕がシンクロする。僕の時間だ。


今日は何があったかな?


陽気なおじさん 情熱的な鍛冶屋 小さい子は向日葵のように咲いていた

飛び込みたくなるような快晴に 桜色の笑顔に黄金色の暖かさ

清怜さんは「おかえり」と淡い桜餅の色の笑顔で出迎えてくれた。

晴さんは少し心配してたな水の中に揺らぎの紫。

感謝の桃色 探求の緑 忘れない白 ありがとうの花束 


無い色は混ぜて筆を進める 混ぜた色は日によって変わるから今日限定の色になる。

同じ色には絶対にならない。

「忘れたくない」「忘れないで」「ありがとう」

たくさんの感情が僕を荒波のように誘う。僕はこんなに感情的になれるのか。


どのくらい時間が経ったのだろうか?筆を置き、描き上げた絵を眺めた。さて片付けるかと視線を上げると三人がまじまじと僕の絵を見ていた。いつからそこにいた?あまりにも僕の絵を真剣に見ているのだから動けずにいた僕に晴さんが「これは?」と呟く。

「えっと、絵です。いつから見ていましたか?」と噛み合わない質問で返す。

「私と清怜が仕事から帰ってきたら稲成がそこで棒立ちになっていたんだ。何事かと思ったら、君が絵を描いていたのだよ。いや『浮かばせていた』だな。」続けて清怜さんが、「君の感情や感じたことを色で僕たちに伝えていたんだ。別世界にいるみたいだったよ。」稲成も「悠、すごいよ」と感嘆していた。

僕の好きなことで誰かに褒められるのは初めてだった。確かに向こうの世界で美術部には所属していたが、雑用ばかりでまともに書かせてもらえなかった。顧問は僕の絵を見て「気持ち悪い」と一言吐いただけだった。こそばゆい感覚が頬を伝う。照れ隠しも半分に、縁側へと足を向ける。

襖を開け放った外からは鈴虫の優しい音がこちらへ招いているようだ。柱に頭を預け、この時間を空間ごと感じる。相変わらず景色は最高だ。少し視線を上げると、いつもとは違う雰囲気を漂わせている枝垂れ桜と目が合う。「ほら、この桜も君の絵を楽しんでいたみたいだね。」と横から清怜さんが声をかける。よほど僕の絵が良かったのか「もっと描いて!」とせがまれているような気がした。「明日なら描けるかもしれない。今日と同じとはいかないけどね?」と聞こえているか分からないが枝垂れ桜に向かって返答した。心なしか桜が嬉しそうに葉を揺らす。

僕は伝わったらいいなと思いながら今日のお茶を楽しんだ。



朝目を覚ますと縁側に行き、桜に向かって「おはよう」と一言かけるのが日課になりつつあった。こっちに来てから体調というか、心の鎧が外せるようになったと感じる。

やっぱり来てよかった。心が窮屈に感じないのは小心者の僕にはありがたく感じる。朝食を四人で済ませ、僕は街に出る。

風鈴が鳴る八月七日。今日の天気は七夕祭を行うには絶好の日だ。前の世界にも七夕祭はあったが、短冊に願い事を書いて祈るなんて馬鹿馬鹿しいにも程があると思っていた。神様がそう簡単に願いを叶えてくれるはずがない。一方こちらでは、七夕祭を『しちせきさい』とよび武芸の上達を祈るそうだ。道理でお祭りとはいえ、芸術や武術に関するものが揃っているわけだ。僕は店を周りながら辺りを見渡す。綺麗な飴細工が目に入る。子供が美味しそうにそれを味わっているのを見て、初めて食べ物だと気づく。どうやったら硝子のような飴細工ができるのだろうか?好奇心を片手にその屋台へと足を運ぶ。軽快なおじさんが塊の飴からあっという間に命を吹き込む。手前の台には馬や金魚、兎といった生き物が並べられている。近くで見ても綺麗だ。僕は鯉を手に取った。お金を払い、今にも泳ぎ出しそうな飴を口に含む。綿飴のような甘さが口一杯に広がる。少しの懐かしさと口いっぱいの幸せを堪能しながら一度家へ戻ることにした。陽が落ちルト、街はさらに活気に満ちていた。太鼓が響き、笛の音が天へと昇る。お酒を酌み交わす人や太鼓の周りで踊る人もいる。

「賑やかですね。」仕事が終わった晴さんたちと僕は合流し、いつもお茶を飲んでいる縁側でその様子を眺めていた。街のみんなはみんな笑っていた。「悠君も楽しんでくれているかい?」と清怜さんが訪ねる。「お陰様で。午前中も街に行ったんです。その時に買った飴細工がとても綺麗で、食べるのがもったいなかったです。」そう答えると三人は嬉しそうにこちらに顔を向けた。お酒を飲んでいるからか、晴さんが珍しく話し始める。

「最初に清怜から君の様子を聞いたときは心配だった。無理やり来させた時は申し訳ないのと同時に、地面に足をつくこともやっとなのにここに留まらせることで、もっと負担になるかもしれないと考えていたんだ。どうやら杞憂みたいだったな。楽しそうに今日の出来事を話してくれたり、毎日お茶を一緒に飲んだり、楽しんでくれて何よりだよ。」とやや赤らめた頬で語った。清怜さんが「ありがとう」と一言、だけどその言葉は僕にとって何よりも温かい言葉だった。

僕は街を見下ろす。爆音と共に花火が上がる。満点の星空に華畑が生まれる。宝石が落ちていくように、咲き終えると間髪入れずにまた上がる。手からこぼれ落ちるほどの宝石を取ろうとして手が空を切る。

この景色を忘れたくない。そう思ったら止まることを忘れていた。僕の部屋から道具を持ってきて筆をおろす。三人は来たかとばかりに僕の前に座り、庭の桜も身を乗り出しているかのように葉を揺らす。


少し汗ばむ風に、軽快な音を鳴らす風鈴。

太鼓が響き、笛の音が天へと昇る。

夜空に咲く華畑。 鯉の飴細工。 楽しそうな音。

初めての祭。 今までで一番楽しい夏。 


一番暖かい『家族』


描き上げた絵は前回とは違って華やかさが一層伝わる絵。見ているだけで楽しい。

「これまたすごいな」と清怜さんが呟く。僕は素直に嬉しかった。


よかった。 幸せだ。

でもまだまだ足りない。みんなともっと思い出を、絵を描きたい。


もっと、ここで。


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