第八話 魔王の寂寥
「それで、満足したか?」
エリィが居なくなった食堂でリグネはアラガンに水を向けた。
腹を折っていたケンタウロスは笑い涙を拭きながら頷く。
「えぇ、存分に堪能──失礼、楽しませて頂きました」
「言い直せていないぞ」
「私のことはともかく。陛下はどのようにお考えで?」
ふむ、とリグネは顎に撫でる。
「可能性は三つだな」
そして指を三本立てる。
「一つ、噂は噂に過ぎなかったという説。何ともつまらない真相だが、噂の真相としてはこんなものだ。世界はそこまで面白くできていない」
「ですが、魔王様はそう考えていないと?」
「うむ。二つ目、其方が言うようにあの王女が偽物であるという場合。これはこれで面白いが、少々趣きに欠ける。そもそも世界最強の称号たる『龍』の名を継いだ我を謀ろうというのだから、ジグラッド王国は滅ぶべきだ……しかし、我はこの説もどうかと考えている」
「──というと?」
「和平に応じた人族が偽物を差し出すほど愚かではないだろう。それに、顔も写真と同じだしな」
確かに、とアラガンは納得する。
彼の言っている通り写真と同じ顔だからこそ、アラガンは偽物であると断定できずにいたのだ。特に魔道具を使っている気配はない。あのララとかいうメイドの内包する魔力は人族最高と言えるほどだが、彼女が魔術を使っているそぶりもなかった。
「そして最後の一つ。王女が『悪女』を装っていた可能性だ」
「悪女を、装う……?」
「そうだ。我はこれが噂の真相ではないかと思っていてな?」
リグネは愉しそうに笑う。
「政治的な問題から逃れるため、わざと阿呆を演じていたのではないかということだ。それか、何か別の目的があったのかは知らぬが……ともかく、今の王女こそが真の姿。其方が噂に聞いていた『悪女』は、彼女が世間から逃れるための仮の姿だったのだ!」
「な、なんですって……!?」
アラガンは雷に打たれたように膝をついた。
「それが噂の真相ですか、陛下!」
「そうだ。我らの前で見せた勇ましく、純情な姿こそが王女なのだ。そう考えると、アラガンよ。実に可愛げのある娘だとは思わぬか?」
「確かに!」
魔王宰相アラガンはケンタウロス一の智将である。
幼い頃から武勇に優れ、街の図書館をすべて網羅した彼の頭脳は魔族一と言えよう。ただ、そんな彼の欠点を一つ挙げるとするなら──
「陛下がそう言うなら間違いないですね。このアラガン、お見それ致しました!」
アラガンは魔族一の魔王好き、ということである。
歴代魔王の名をすべて記憶し、彼らが為政者として何を為したかも覚えている。
魔王オタクとも呼ばれる彼の信仰は魔王一人に向けられる。
加えて、千年の長きの時を経て魔王となったリグネの優秀さには心服していた。
この方に仕えることこそ彼の喜び、彼が黒を白だと言えば迷わず従う。それがアラガンである。
「しかし、王女は何を目的で悪女を演じていたのでしょうか」
「我もずっと考えているのだが、てんで思いつかぬ。だからこそ面白いではないか」
二人は愉しそうに、本人が居たら卒倒しそうな言葉を続けた。
「我は奴を気に入ったぞ。今、流れている噂の真偽も知りたくなってきた」
「もしも悪女を演じているのだとしたら、彼女の噂はすべて裏があるということになります」
「うむ。奴は切れ者だ。ひょっとしたら其方の知能に勝るとも劣らない人材かも」
「そんな人材を人族から引き抜けたことは幸運ですね、陛下!」
「あぁ、まことに」
ただのメイドである。
「我はあやつが魔族の中で何をするのか見てみたい。この魔王を誅殺しようというなら、それもよし。どうやって最強たる我を殺そうというのか気になる」
「陛下を傷つけるなど無理だと思いますが……注意はしましょう」
「いや、頼むからアラガンよ。我の楽しみを取ってくれるな。あの可愛らしい王女で遊ぶのは我の楽しみなのだ」
「……かしこまりました」
アラガンは魔王オタクである。魔王の言うことには従う。
ただ、それは彼が愚か者ということにはならない。
「では、私は彼女がなぜ悪女を装っているのか、また、彼女の真の姿をさらに曝け出すべく、今後も行動を見守っていきたいと考えます。よろしいでしょうか」
「いいぞ。もっとやれ」
リグネは快諾した。
「この我の妻になるのだ。四大魔侯を始めとした各種族に認められるため、出なければならない公務や祭儀は山ほどある。そこで其方が王女に仕掛け、彼女がどのように乗り越えるのか楽しみにするとしよう。ふふっ、こんなに愉快なのは数百年ぶりだ」
「……陛下、もしも彼女がその過程で死んだら……」
「ん? まぁその時は、そこまでの女だったということだな」
魔族の祭儀はただの祭儀ではない。
危険な祭儀は除外したほうがいいかという問いにリグネは否と答えた。
「死んだらそれまでだ。事故として死ぬなら人族も文句は言うまい」
リグネにとって──いや、両種族にとってこの和平はただの政略結婚だ。
結婚自体に興味があったわけでもなく、リグネは手段として利用したに過ぎない。人族には適当に「体調が悪いので休んでいる」と言えば何とでも誤魔化せる。
「どの道、悠久の時を生きる我に番う者などおるまいよ。遠慮はいらんぞ」
「は。ではそのように」
アラガンは頭を下げつつも、魔王の瞳によぎった寂しさを見逃さなかった。
(今はまだ、陛下の王女を見る目はただの玩具……)
繰り返すが、アラガンは魔王心棒者である。
絶対的な力に惚れ、寛大な御心に触れ、行いに感動し、仕えると決めている。
そして何より、彼はリグネに幸せになってもらいたいという部下心があった。
(しかし、人族すべてを騙した彼女なら、あるいは……)
アラガンは決意する。
必ずや王女の真の姿を暴き出し、陛下に相応しき女か確かめようと。
もしも相応しくないならば途中で排除し。
そして、彼女が真にリグネと寄り添えるなら、その時は──
「ディアナ・エリス・ジグラッド……試させてもらいますよ」